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duplices  作者: rakia
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二重少年

 間違えてた……。←気にしなくていいです……。


 ギリギリで終わりました……(軽く死んだけど……


 文章が昼間のサバンナ並に荒ぶっているのは言わずもがな……


 解説はまた次回……(ってこれ、俺、この前も言ってなかったか……



 それとこの七話、BGMは是非 Raphaelさんの 「症状3 ×××症」で!


 うわ、作者キメェとか思うでしょうが、この曲により小説の方が百パーセント増しで良くなるので……。


 つまり、この曲がメインです。逆に考えるんだ。小説がおまけですぜ……。


 URL http://www.nicovideo.jp/watch/sm3491291


 歌詞の内容はダウン症の方の差別を歌ったものですが、雰囲気が合っていると思ったので選ばさせて頂きました。(選ぶなんておこがましいッっ!


 それとですね……

 

 URL  http://ncode.syosetu.com/n0087bi/5/


  ↑これは急造した短編です。見て置いた方が色々解ると思うよ!?



 では 七話、閉話。始まり始まり~


  

 幻の如き不安定な濃霧は徐々に薄れ、眼の眩む様な鮮やかな光彩が霧を貫く。

 正一の対峙した燐太は急変した事態に頭が付いて行かず、呆然と正一の顔を見るばかりであった。


「殺す……? 何言ってんだよ……。……! つーかお前……!」


 赤色の光が僅かに弱まる。

 燐太は正一と理沙の間に割り込み、遮る様に正一の前に立った。

 無言のままの正一は燐太の方に視線を移した。


「……黙っていて悪かった……。だが、今は邪魔をしないでくれ……」

「邪魔っつったって……! そんなの……見過ごせねえに決まってんだろ……! なぁ……本気で言ってるのかよ……!」


 嘘に見えるか――――と、正一は正面から燐太と眼を合わせる様にした。

 正一の瞳には底知れぬ憎悪の色が渦巻いている。それは燃える様な、一過性であり、衝動的な怒りではなく、冷たく冷ややかな凍てついた怒りである。

 そして再度、理沙の方に顔だけを向けた。

 

「……伊織理沙。君が……あいつらと一緒だったとは思わなかったよ……。上手く――――隠していたな。だけどもう終わりだ。……死んでくれ」


 正一に見詰められた理沙は、怯えた大きな瞳で正一を見返した。

 理沙の方向に向いたままの正一に燐太が呼び掛ける。


「正一! おい正一ッ! 伊織が死ななきゃなんねぇんだよ! おかしいだろ、そんなのは!」


 どういう事なのか? 燐太の中では疑問よりも、憤りの方が強い。


「……君の中にも居る(、、)なら解るだろう……!」


 理沙に正一の指が指された。


「彼女の中には化物が居る。そいつらは危険なんだ……。だから――――だから……」


 そこで何故か正一は躊躇う様に声を小さくした。


「退いてくれ……!」

「だからって……!」

「だから何だよ。見てみろよ、その子と柳葉さんの様子を。何をしていたか容易に想像が付くだろう……? どうやって止めたのかなんて知らないが……。殺そうとしていたというのが事実だ」

「本当……なのか……? 藍子」


 燐太は藍子を仰いだ。藍子は一瞬間を置いて頷いた。


「だけど……! この子はちゃんと自分で踏み止まったのよ……? 絶対に――――」

「絶対なんてな……! 無いんだよ!! それ(、、)は其処に存在しているだけで駄目なんだ……!!」


 ガリッ、と歯噛みする音が聞こえた。誰も――――喋らない。

 それ程までに正一の言葉には、暗い感情が籠められていた。

 

「解ったか……。いや……解らなくても良い。理不尽でも、例えその子が……」


 言い掛けた正一は口を噤む。


「ヒーロー……代わってくれ……」


 消え入りそうな声だった。


「……! おいッ……! 待てって……!」

「早くしろ……!」


 水晶の様な形のキーホルダーから放たれた赤い光は正一の体に取り込まれた。

 空気が張り詰める。先程までの淀んだ風は凪ぎ、代わりに身を切る、冷たい疾風が流れ込む。霧は流され姿を消し、ぼんやりとしていた正一の姿もはっきりと映る様になった。


「――――さっさと終わりにしよう。……とりあえず退いて貰えるか? 同士よ?」

「お前は……正一の二重存在……」

「ヒーローだ!」

「んだよ……ちょっと格好良いじゃねぇか……! だけどなぁ……退く訳にはいかねえ。友達……守んないといけないからよッ!」

「中々に威勢が良いな! しかし、邪魔をするなら――――お前から倒すぞ」

「へーんだ! やるならやってみろ! って……あれ?」


 目の前に居た筈のヒーローの姿が消えている。直後、燐太の真上からヒーローの拳が降り注ぐ。


「うおーッっ!?」


 燐太は高く足を上げ、ヒーローの拳を寸前で弾いた。

 びりびりと空気が震える。

 体ごと弾き飛ばされたヒーローは、体を肩から回転させ、地面に着地した。


「えっ! もう!? 不意打ちとか卑怯だろ! ヒーローじゃねえのか!?」

「生憎だが、俺は正一にとってのヒーローであって、お前達のヒーローではないっ!」


 地面を蹴り出し、ヒーローは燐太に突っ込んだ。

 燐太は突き出される左拳に、横薙ぎの蹴りをぶつける。


「藍子ォ! さっさと伊織連れて逃げろ! 巻き込まれても知らねぇぞ!」

「分かった……」


 藍子は理沙の肩を抱きながら、燐太をじっと見た。その後、振り切る様にビルの隙間へと消えていった。


「いやー、強いな! それにしても……逃がしたか……。……余計な事をしてくれた……!」


 ヒーローは拳を擦る様に燐太の膝頭から逸らすと、そのままの勢いで燐太の顔目掛け一直線に進んだ。


「っくッ! っぶねぇっ!」


 燐太は後ろに飛んだ。ヒーローの拳撃が汚れたコンクリートの壁を抉る。


「安心しろ。殺しはしない」

「安心出来ねえよっ……! 殺す気じゃんっ……!」


 生身である燐太は、足以外の箇所を狙われる訳にはいかない。もしも、足以外の部分にあの様な強力な打撃を喰らえば、一撃で倒れてしまう。

 ひやひやとしつつ、燐太は壁を蹴り前に飛び出した。ヒーローとの距離を取る為である。

 壁に向いているヒーローは、そのままの格好で呟いた。


「あの少女は化物だぞ」


 振り返った燐太は不可解な表情になった。


「化物じゃねえよ! さっきと言ってる事変わってんじゃねーか!」

「殆ど一緒だ」

「一緒にすんな! それより、正一を出せ! 正一を!」

「正一を説得するなら止めて置いた方が良い。無駄だ」

「何でだよ!」

「何ででも……だ。……さ、お喋りが過ぎた! 続きを始めよう!」


 壁から離れたヒーローは足を踏み鳴らした。

 地が砕ける。凄まじい跳躍をしたヒーローは身を翻し、上空から燐太に飛び蹴りを浴びせた。

 

「くっそ……! うおらぁぁぁ!!」


 ヒーローの蹴りを高く上げた足の裏で止めた燐太は自らの膝を深く曲げ、押し返した。

 体ごと宙に投げ出されたヒーローは雑居ビルの壁を蹴り飛び、体勢を立て直す。

 燐太は続けざまに追撃を掛けようと、同じく壁を足場にしながら壁を駆け上がった。


「そいやっ! あ……やべ?」


 燐太はヒーローを引き摺り下ろそうと手を伸ばした。

 しかし彼は重存在の力が及んでいない手でヒーローを掴んだ所で、何も出来ない事をすっかり失念していた。


「捕獲完了!」


 ヒーローは自分に勢いを無くしつつ向かって来る燐太の腕を掴み、真上に放り投げた。


「痛ってぇっ!!」


 両横に聳え立っていた灰色の壁が過ぎていく。暗い視界が開け、まだ白いものの残っている曇り空が現れる。地上では煌く人工光が街を点々と照らしていた。

 体中に荒ぶ風を受けた燐太は眼を瞬かせる。風が眼に入って瞼を開けていられないのだ。

 重力が消えた様な奇妙な浮遊感が終わり、燐太の体は落下を始めた。


「なぁぁあああぁああ!! 落ちてるーッ!」


 燐太の中でのんびりとした声が木霊する。


 ――燐太さん、其処の屋上に降りて下さい――


「あああ? おっおう!」


 体を捩り、燐太は何とか手すりの無い、平べったいビルの屋上に降り立った。


「あ……ぶねぇ……」

 

 燐太はビルとビルの大きな間を覗き込んだ。

 ヒーローの姿は無い。

 ――――何処に……。

 首を忙しなく動かし、燐太はヒーローの姿を捜した。

 

「此処だ! 見えるか此処だぞ!」


 その声は燐太の横――――彼が立っているビルよりも更に高いビルの上から聞こえた。

 不安定な細い避雷針の上に一つの影が乗っている。

 星が無い灰色の夜空に風が逆巻く。鞭を振るった様な空気が切られる音が燐太の鼓膜を震わせる。

 これが普段の夜景ならば、その姿は本物のヒーローに見えるのだろうか。

 濁った暗い空には、無表情のヒーローが佇んでいた。

 

「ヒーローっぽいじゃん……」

「っぽいじゃなくてヒーローだと言っている!」


 表情とは全く不釣合いな声が燐太に反応する。 

 燐太はヒーローのおかしな態度に苛苛としながら言った。


「ああ、チクショウ! ……これが正しいと思ってんのか!?」

「正しいとか正しくないとか、そんな事はどうでもいい。俺は正一の望みを叶える」

「望み?」

「あいつらが一匹でも多く死ぬ事……それが正一の望みだ」


 ヒーローは避雷針から飛び降りた。頭を下にした格好で落ちていく。

 燐太の直ぐ前の足場を、重い衝撃が襲う。

 

「おおお! 人間魚雷かてめェッ!」

「やっぱりヒーローは空から飛んで来ないとな!」

「飛んで無いし、落ちてるし!」

「落ちるも飛ぶも、殆ど一緒だと思わないか!?」

「さっきからそればっかりだな! 何でもかんでも一緒にすんな!」


 素早く立ち上がったヒーローの横殴りの拳撃が、燐太の頭を掠める。

 

「ほら、どうした! 休憩している暇は無いぞ!」


 休む事無くヒーローは拳を突き出す。一発一発が相当の威力を持つ突きが弾丸の様に放たれる。

 

「……無理無理……! あ……」


 足から上が普通の人間である燐太にとって、ヒーローの連撃をかわし続ける事は不可能に近かった。

 突き上げる様に繰り出されたヒーローの拳が燐太の腹部を抉る。


「か……は……」

「そこで暫く寝ていろ。人間を殺せとは言われていないんでな。大人しくしていてくれ」


 燐太に自らの拳を食い込ませたままのヒーローは手を振り払い、燐太を無造作に地面に向かって投げ捨てた。燐太は背中から薄汚れた地面へと叩き付けられ、苦痛に顔を歪める。

 仰向けになっている燐太を一瞥すると、ヒーローは理沙の後を追おうと燐太に背を向けた。


「ぬ……まだ動くか」


 足首を掴まれる。燐太が虫の息でヒーローの足首を掴んでいるのだ。


「ま……待て……よ……!」


 動こうと頭で思っていても体が動かない。辛うじて燐太が動かせたのは腕のみであった。 


「…………正しいなんて、思ってないさ」


 ヒーローは表情を変えずに言った。

 掴んだ手が解けていく。ヒーローは隣の背の低いマンションに飛び移って行った。

 横たわる燐太は腹を押さえて立ち上がり、ヒーローの消えた方角を睨んだ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 



「……やりきれないよなぁ……」


 葎は歩きつつ、ガラに問いかけた。

 彼の頭の中は先程の出来事が浮かんでは消え、浮かんでは消えてを繰り返している。

 彼女(、、)が最期に見せた、あの表情。救われたのだろうか。自分にどうとも言えない。

 少なくとも安らいだ――――安心した様な表情だったとは思う。

 でも、あの瞬間に彼女が抱いた感情は彼女自身にしか分からないのだ。

 表情なんてものは、所詮はお飾りにしか過ぎない。幾らでも本心の上から被せる事が出来るものだ。だけど、自分はあの時の彼女の表情が本物だったと信じたい。

 葎はそう考えると、自分の胸の中に落とされた妙な気持ちが薄まる気がした。


 ――存在の根底を奪われた彼女が、そう長く自分の体を維持出来るとは思えないな――


「言い訳っぽいぞ……」


 ――はははー言い訳じゃないよー。もう、何かあれだから、とりあえず消しとけなんて思ってないさ。私がそんな人間に見えるかい?――


「見える」


 よくもその口で抜け抜けと言えるもんだ――――と葎は妙な感心をした。


  ――葎……ひき何とかに恋でもしたのかね? 恋煩いか。恋煩いなのか? ラブ? ライク?――


「お前が病気だろう……紳士病……」

 

 ――それは素敵な病名だ――


「いーや。頭ん中がお花畑になる病だ」


 ――君の頭の中よりはずっとマシだと思うが――


「何だと! 俺の頭の中なんて覗いた事なんて無いだろッ!」


 ――あるよ――


「え……」


 ――あるってば……――


 そう言うガラの声は沈んでいた。

 

「ど……どうだった……!? そ、それって俺の心の奥的なのとかもか……!?」


 葎の体に緊張が駆け巡る。

 もしも、自分では気付いていない深層心理などを見られていたとしたら――――。

 とにかくガラに弱みを握られるのだけは嫌だ。

 顔に陰影を過剰に付加した様な劇画調の顔で葎は眼をクワッ、と開いた。


 ――ああ……そうだよ……。君の深い所に広がっていたのはね……何というか……。淡黄色の亀の甲羅だった……――


「淡黄色の亀の甲羅ぁ……?」


 葎は想像してみた。淡い黄色の亀の甲羅が、視界を埋め尽くさんばかりに並べられている光景を。

 黄色という所が引っ掛かるが、えらく子供っぽい感じがする。

 無論彼の想像では、ざらざらとした、岩肌の様な本来の亀の甲羅が蠢いている訳ではなく、変形(デフォルメ)された、丸くて、触れば滑らかな肌触りが伝わりそうな甲羅が浮かんでいるのである。

 可愛らしい模様という感じもするが、こんな趣味が自分にはあったか? と葎は首を捻った。

 ――――あ……、これ……何かに似ているぞ? 

 もう少しで、葎の表層にそれ(、、)が完全に浮かび上がるかという寸前で、ガラが察した様に言葉で葎を止めた。


 ――こ、この話題はもう止めにしよう……。何だか自分で言っていて怖くなってきたのでね……――


「いや、待て……もうちょい……もうちょいで……」


 直後、葎の頭に燦然とその単語(、、、、)が閃いた。

 ――――そうだ……! それはメロ――――……!


 ――亀だ!! それは亀だぞ!! 亀以外の何ものでも無いんだ! はい終わりっ! この話題は終わり! 蒸し返すのも禁止! 掘り起こすのも禁止! 穿り返すのも探り当てるのも禁止だ! いいね!? ――


「なっ……おっ、お前……どうしたんだよ……そんなに声を荒げる事じゃ……」


 ――いいね!? いや、もういいんだよ! いいからいい! とにかくいいんだ!――


 葎に自らの記憶の扉を詮索させては駄目だという、ガラの危機感は頂点に達した。

 そうなれば葎はいつもの通り、悦状態(トリップ)になりかねない。そうなってしまうと、葎の、クッキー生地を上に被せた丸い食用パンについての講釈を延々と聞かされるに違いない。そんなのは嫌過ぎる。ただでさえ最近は葎の影響からなのか夢に出る様にまでなっているのだ。

 これ以上、牛乳等、飲料が無ければ喉に詰まる危険性が大いにある、もそもそとした丸パンの自分への侵略を許してはならない。

 ガラは頑張った。普段は落ち着いた物言いに定評があるのにも関わらず。例え、世間一般の自分に対する印象(イメージ)が崩れる事になったとしても、葎から無理矢理話題を取り上げようと死ぬ気で声を張り上げた。

 あまりのガラの剣幕に葎は喉元まで出掛けていた言葉を忘れてしまい、細かくおどおどと頷いた。


「あ……ああ……はい……」


 ――……ごほん……それより、一刻も早く灯の許へと行こうじゃないか……――


 わざとらしい咳払いをしてから、話題を変える様にガラは言った。 

 彼の言う通りだ。こんな得体の知れない状況では、灯の身も危ぶまれる。

 そもそも葎はこの中で、極力人的被害を出さない様にと、真から言われているのだ。

 ――――出さない様にって……これじゃあそれ以前に何にも見えないって……。

 ふう、と溜息を吐きながら、葎は近くの自販機に立ち寄った。

 商品のラインナップを眺めつつ、灯を送っていこうかと思っていた葎の眼が動きを止めた。

 葎の眼はカオスコーヒーという商品ダミーの所で止まっている。黒さが際立つ簡素な缶。それは大人びた黒さを醸し出しているというよりも、凶兆を予感させる禍々しい黒さを演出している。

 何で缶コーヒーの缶に艶消し加工を施す必要があるのだろうか。

 葎は恐々と財布を取り出し、小銭を自販機の硬貨投入口にねじ込む様に小銭を入れ、光さえ吸収する、滑らかな黒さを湛えている缶コーヒーのボタンを押した。

 ガコンッ、という缶が下に落ちる音を聞いて、何か怖いなぁ……。もう違うの買って戻ろうかなぁ、などと思うも、何とか絞りかすの如き勇気をひねり出して、埃っぽい缶の投下口へと手を伸ばした。

 ――――生温い……!?

 何とも中途半端な温度が缶から肌に伝わる。温かいかと言われればそうでもないし、冷たいかと思えば然程冷たくもない。正に中間。中途半端な温度である。

 葎は缶から自販機へと再度視線を移し変えた。通常は、冷たいやら温かいなどと表示されている箇所には「生温い」と表示されている。それを見た葎は、何とも言えない白けた様な半笑い顔になった。


 ――微妙だね――


「微妙だな……。俺にはこの商品を開発した企画者にどうしてこんな事にしてしまったのか、小一時間問い質したい気分だよ……。もしかして……あの……昆布茶シェイクと同じ企画者じゃねーか……?」


 いやいや、会社が違うだろう……。

 と葎は突っ込みを自らに入れたが、実際は信じたくないだけである。


 ――葎も飲んでみたらどうか? 男は度胸! と何かの本に書いてあったぞ――


「生憎俺はチキンなんで、そんな度胸は要らない! つーかお前……。今度からパソコンに使用制限かけるからな! このままだと恐ろしい方向に行きそうだ!」


 ――何故だい?――


「嫌だろぉ、お前! 朝起きてお前が『デュフフフ……お早うでござる。葎殿!』とか言ってたら! それだったらまだ今の方がマシだっつーの!」


 ――それでは『葎君起きて! 学校送れちゃうよ!』とでも……――


「それはもっと止めろ。聞いただけで虫唾が走る」


 ――何ならサービスで裸エプロンでも――


「丁重にお断りします」


 ――何も男の姿でとは言っていない! 期待しても良いんだぞ!――


 ――――女ガラが……? 

 葎の頭であらぬ想像が広がる。

 白いエプロン。真珠の様な艶やかできめ細かい肌。鴉の羽根を濡らしたかの如く、光を吸い込む黒髪。

 口元にはお得意の微笑を浮かべ、藤色の眼で自分を見透かす。桜の花に似た唇がゆるりと動く。

 『あっはっはっはっはっは! 葎! 私だよ! ガラだよ! はっはっはっは!』

 葎はとりあえず、ぶん殴りたくなった。

 ああやっぱりこれが、ガラだ。淑女だろうが、紳士だろうが、ガラはガラだ。

 嫌な高笑いが脳内に響いた葎の顔は、面の皮を金属製のフックで引っ掛けたかの様に引き攣った。


「ガラじゃんか。やだよ」


 ――つれないなぁ……――


「つれても困るだろうよ」


 ――つれたら三枚に下ろそうと思っていたのだが……――


「魚じゃねえし! ……あれ? 誰か……こっちに……」


 人の気配を感じた葎はきょろきょろと辺りを見回した。

 誰も居ない。

 葎の背後から人影が近づく。


葎さん(、、、)!」

「ぎゃあぁぁぁああああああ!! 痴漢!」


 ――痴漢て――


 突如として肩を叩かれた葎は、頭を庇いながら地面に飛び伏した。

 

「あ、あのぉ……」

「来ないでぇぇええぇ!! お、お……俺なんて食べても美味しくないよっ! 毒あるって! 毒! 食えないって! 食ったら痺れる感じのやつ!」


 ――キノコか――


 ガクガクと眼を瞑りつつ葎は道路に土下座をした。

 葎に声を掛けた影はあたふたと手を動かす。


「痴漢じゃないです……私です……()……」

「へ……?」


 震えが止まった葎が顔を上げると、そこには困った笑顔の灯が頬を軽く掻いていた。

 

「あっ……あれ? どうして南屋さんが居るの……?」

「葎さんがあんまりにも遅いんで、捜したんです! 一人だと怖かったし!」


 灯は葎を両手で助け起こし、そう言った。


「お、ごめん」

 

 ――――一人で怖かった……か……。この子も女の子らしい所……あるんだなぁ……。

 葎は自分の娘の成長をひしひしと感じる父親の様な心境で、微妙な感動を覚え。灯の手を借り、起き上がった。


「いえいえ~」

「……そうそう、これ! はい」


 葎は思い出した様に持っていた、黒い缶を灯に手渡した。


「あ……どうも? カオス……コーヒー?」


 何故か腑に落ちない表情で灯はそれを受け取った。

 彼女は早速、かんのプルタブを爪で開けると、ぐびぐびと缶の中身を呷る。

 そして顔を顰めた。


「やっぱ……不味いの……?」

「そうですねぇ……不味いです……」


 灯は市販品ではない、一から作った青汁を飲み干した様な表情で葎に応えた。

 灯の顔を見て、そんなものをどうして彼女はわざわざ飲むのかと、葎は疑問に思った。


 ――葎、一寸だけ代わってくれないか――


「代わるって……そんな事したら色々ばれるだろうが……」


 急にそう言い出したガラに、葎は声を殺して返事をした。


 ――問題ない。日々、君が寝ている間に寧や藍子、無論灯とも女子会を催しているので、今更気付かれる事もあるまいよ――


「おまっ、人の体使って何してくれてんの!? 女子会だか何だか知らないけど、異物(おれ)が雑じってんじゃん!!」


 ――はははは、心配するな。違和感が無い様にちゃんと女性の言葉遣いにしているからね――


「女口調だからこそ違和感があるんですけど!?」


 ――いいから、代わりたまえよ――


「あっ、てめぇ……何しやがる……ぬあ――――ふぅ。面倒臭い男だ」


 葎の体を強制的に奪取したガラは首を竦めた。


「……葎さん?」


 灯が不審そうな眼でガラを注視する。 

 ガラはそんな彼女にニタァと悪巧みをしている様な――――つまりは、葎を除く人間にはほぼ注がれず、殆どが葎に向けられている笑みをその顔に作った。


「演技……上手いじゃないか。後は任せても良いぞ。それと――――私を騙せるなどとは思わない事だ」


 灯はそう言ったガラの顔を狐に抓まれたかの如き表情で見たかと思えば、突然悪辣な顔になり――――。

 

「チッ……。……こいつ……頼んだぞ……。お前の中のボケナスメロンパンにでも担がせろ」

「ふふ、そのつもりだ」


 ガラの方へとふらふら歩み寄った灯は、ガラに凭れ掛かり、体を預ける様に倒れこんだ。


 ――な、な、な、な、何!? 何が起きた!?――


「良かったな。殴られなくて」


 ――そ、それって……じゃあ……さっきの南屋さんは……――


「おい、兄ちゃん」


 聞いた事の無いしわがれた声がガラと葎の間に割って入った。


「やっと――――……おや?」


 声は足元に近い、地面からである。

 眉を顰めたガラは、声のした方向に眼を遣った。


「ちょい、飛んでみろや。小銭ぐらいもっちょるじゃろ」


 ガラ――――もとい、葎の脛と同じ位置に、髪の毛を火で炙った様な細かいパーマ。一般的ににはパンチパーマとも呼ばれる髪型の、サングラスを掛けた不機嫌そうな表情の中年男性の顔がガラを見上げていた。それは最早、上目遣いとかそういう程度(レベル)ではなく、人を殺せそうな視線である。

 男からはいかにも危ない職業の雰囲気が滲み出ている。仮に葎がこういう顔の男性に声を掛けられたら一目散に逃げ出すであろう。だが、何故か顔の位置が低い。違和感を感じずにはいられない程の低さだ。地面すれすれ。四つん這いにでもならない限りは、その位置に顔は来ない筈である。

 実際、男は四つん這いの格好をしていた。別に被虐主義者(マゾ)という訳じゃない。

 男の胴体には、二足歩行を行う人間の身体の代わりに犬の体が付いていた。

 汚れきった毛並みはお世辞にも美しいとは言い難い。雑種なのだろうか? 

 どの様な経緯でこんなにもやさぐれてしまったのかは分からないが――――。

 とにかくそれは、人面犬と言われる存在である事には間違いが無かった。


 ――何……あれ……――


「人面犬じゃないか?」


 ――んなもん見れば解るよ! そうじゃない! 人面犬はもっと……こう……おっさんだろッ!――


 ガラはどうでも良さそうに、強面の人面犬を見下ろした。


「おっさんだよ?」


 ――違うって! 何かくたびれてる感じなんだって! こんな厳ついおっさんじゃなくてだな!――


「兄ちゃん、人の話きいてんのかい。おう?」


 ドスの利いた声で人面犬はガラをきつく睨んだ。

 一方ガラは口笛でも吹きそうな顔をしている。


「……おお、そうだ。葎もたまには頑張ってみたらどうだ。良い経験になる」


 ガラはふっ、と笑い眼を閉じた。

 その何気ない動作だけで、何となく嫌な予感を葎は感じ取ってしまった。


 ――頑張る……? 何を……? あ、またかコラ!――


 再び、ガラの強制的な謎の力に因り、葎は自分の体に引き戻された。


「うおっとぉ! …………あ……ども……」


 体感的には突然自分の腕の中に現れたに等しい灯を支えつつ、烈火の如き形相の人面犬に葎は油汗を掻きながら軽く頭だけを下げた。


「ガン無視とは良い度胸じゃねえか」

「……はい?」

「惚けんなぁ! さっきから呼んでいただろうがぁッっ!」


 犬の様な唸り声を挙げ、人面犬は体中に力を漲らせる。

 完全に臨戦態勢である。

 

「ガラさん?」


 ――君なら出来る。というか、相手をするのが面倒なので頑張って逃げろ――


「そこは面倒とか言ってんじゃねぇよッっ!! うわっ、すっげえ唸ってるんだけど!?」


 人面犬の口元から、透明な唾液がダラダラと溢れ出す。  

 ――――た……食べられるッ……!?

 身の危険を感じた葎は速やかに灯を肩に担ぎ、そしてくるりと人面犬に背を向け、駆け出した。


「待てや! ゴルァ!」

「ひい! ガラ! チェンジだ! チェンジ!」


 案の定、強面の人面犬は葎を追いかけて来た。声が迫る。野太い声だ。

 葎は足を休める事無く、道路を横断し、僅かに存在している通行人の視線を一気に集めながらガラに助けを求めた。


 ――……………………チェンジ無し!――


 溜めに溜めてから、ガラは高らかな声を発した。

 完全に葎で遊ぶ気である。


「無しじゃねえぇぇぇッ!!」


 先程まで霧に包まれていた外気に黒さが戻っていく。色を取り戻し、正常なる夜の景観が現れ始める。現実味の無い空気が次々に変化する。

 そんな霧が晴れつつある街の中を、葎のガラに対する慟哭が響き渡った。

 


 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 湿った臭いのする路地の角から藍子と理沙は顔を出して、周囲を見渡した。

 細く薄暗い雑多な物が積まれた通路には、人影一つ見当たらない。

 声を抑えた藍子は自分達の来た道を振り返りながら理沙に問い掛けた。


「誰も……来てないわよね……」

「多分……」


 見通しの良い道に出てしまえば、見付かる可能性が高くなってしまう。そう思った藍子は、わざとこういった入り組んだ道を選び進んでいる。


「秋庭君……」

「……気にする事無いわよ。貴女の中に何が居ようと貴女は貴女なんだから。ね?」


 藍子は理沙の頭を優しく撫でた。他愛の無い仕草だが、それだけでも理沙を安心させるには十分であった。


「うん……」

「体の方は大丈夫? 痛い所とか無い?」

「リサは――――抑えているから出て来られないと思う……。でも絶対じゃないから……」

「心配しないでよ。あの馬鹿はやる時はやるんだから! ……いつもね……あいつは私を助けてくれるんだよ……ハハハ……何だかあいつの方が正義の味方とか、ヒーローっぽいね……」


 どちらかと言えばヒーローというより、脇役のお調子者が似合っている気がするのだが――――と藍子は昔、燐太と一緒に観ていた特撮番組に彼を当て嵌めてみた。

 

「かっ……風早君とは……どういう……前から……思っていたんだけど……気になって……その……」


 理沙は何故か顔を茹でたてのタコの様にしながら藍子に尋ねた。


「あれ? あれとはねぇ……ただの幼馴染だよ。幼馴染って程でも無いかなぁ……? 小さい時によく遊んで貰ったんだ」

「へ、へぇ……何かそういうの良いな……。わたしは……友達自体……あんまり居なかったから……」


 藍子はキョトンと眼を丸くすると、理沙の頭に手刀を入れた。


「いてっ……! な、何をするの!?」

「だってさぁ……もう居るでしょ? 友達。……貴女が良ければ……だけど……」

「…………あ……うん……」


 もじもじとしつつ、理沙は頷いた。


「……えい」


 それを見た藍子はもう一度、理沙の頭の天辺に手刀を軽く入れた。


「えっえっ? 何で?」

「何となく……?」

「えっ? 何となく?」

「何か叩きたい様な衝動に……」

「い……苛めないで……」

「ち、違うの……。何というか……手が引き寄せられたというか……!」

 

 そう――――違うのだ。別に藍子は理沙を苛めようと思った訳ではない。逆に好きだからこそ、やりたくなったのだ。何故かは彼女自身にも解らない。理由があるとすれば、『何となく』なのである。


「引き寄せられた……!? わたし、磁石なんて持っていないよ……」

「え……えっとー……そうじゃなくて……迸る魔力的何かが……」


 漆黒の影が藍子達の前に降り立った。


「……!」

「お取り込み中の所悪いが――――こっちとも宜しくしてくれないか!」


 気が付けば――――理沙と藍子の正面にヒーローが立っていた。

 ヒーローはもったいぶる様に動けないままの理沙達に近づいていく。

 ――――逃げないと……! 逃げる……! 逃げろ……!!

 藍子は咄嗟に理沙の手を掴み取り走り出した。彼が――――秋庭正一が燐太と同じ二重存在ならば、幾ら走った所で追い付かれる。だからだろうか、彼女は細かい角を複数曲がり、自分でも分からない道を走り進んだ。


「これでは俺が悪の手先みたいじゃないか」


 一定の距離を保っているのか、ヒーローの声は常に聞こえてきた。

 振り向かずに走る。握り潰さんばかりに理沙の手を掴み、次々に灰色の迷宮を進んでいく。

 何だろう。妙な感じがする。どこかに誘導されている様な。


「ハァ……ハァ……ハァ……」

「大丈夫!? 伊織さん! 頑張って……!」


 元々が体力のある方では無かったのだろう、理沙は辛そうに息継ぎをしている。


「そろそろ休んだらどうだ? ……と言ってももう直ぐ終着だがなッ!」


 影の様にぬるりと理沙達に近づき、わざと(、、、)理沙達にはぶつけない様に壁際に蹴りを放った。後方から聞こえる激しい音を背に、藍子と理沙は一本道を駆け抜けた。

 そしてその先には――――。


「これは……」


 誘導されている様な、ではなく、誘導されていたのだ。

 霧の残る人気の無いアーケード街。裏道から二人はそこに出ていた。


「ちょこまか逃げられるのは嫌いなんでな! ……さあ、もう逃げられないぞ」

 

 どこまでも色の無い顔でヒーローは、竦み立つ理沙と藍子を物憂げに見詰めた。

 理沙の表情が強張り、藍子の手を握る力が強くなる。


 藍子はヒーローから視線を外さずに、理沙に呟いた。


「大丈夫……危ない時には必ず来るから……。言ってみて思ったんだけど、あいつ、虫みたいね。……ほら……来た……!」


 静かにヒーローは歩く。これで終わりだという確信があったから、焦る必要が無いのだ。

 彼の唯一の誤算があるとしたら、自分の背中に飛んでくる影に気が付いていないという一点だけである。


「最後だと思って油断していると、背中に飛び蹴り喰らうって知らねえのかッ!!」

「は!?」


 振り向く間すら無かった、鈍い衝撃と共にヒーローは前へと吹き飛ばされる。

 ヒーローの後を地味に付いて来ていた燐太が、飛び掛りながら蹴りをヒーローの背中に当てたのである。


「はぁッ……! やったか……!」


 ヒーローに強烈な飛び蹴りを見舞った燐太は、げんなりとした顔でヒーローの飛んで行った方向を眺めた。

 口をポカンと開いている理沙の口を閉じた藍子は、燐太に言った。


「燐太……それはフラグよ」

「フラグなの!?」

 

 土埃の中にヒーローが痛そうに背中に腕を回している姿が見える。

 

「やってくれたな……!」


 ヒーローは火が付いた様な速さで燐太にじり寄ると、拳撃の(あられ)を燐太に浴びせた。

 細かい衝撃が燐太の体の節々を掠める。


「うわわわッっ……! 危ないっつてんだろうが!」

「危ない様にやっているんだ!」


 ――――またこのパターンか……!

 蹴り技しか能が無い燐太にとって、近接戦はかなりのハンデを伴う。上半身を痞えるのと、そうではないのでは技のバリエーションが圧倒的に違うからである。

 ――――だったら……これならどうだよ!!

 燐太の足から力が抜けた。カクンと膝が折れ曲がる。これは好機だと判断したヒーローは燐太の右肩に蹴りを突き入れた。

  ――――骨は折れただろう。それでなくとも、それなりに深手は負っている筈だ。暫くは動けまい。

 

「…………!?」


 燐太の肩口に食い込んだヒーローの足に、手ごたえは無かった。

 脇で足を挟まれる。不安定な体勢ではもがく様な動きしかとれない。


「今度はあっし(、、、)達が捕まえましたねぇ? さ――――燐太さん交代ですよ」


 燐太の口を借りた二重存在、アシは独特の口の端を伸ばす様な笑顔を作るとそう言った。


「な……少年の……!」

「――――掴んだぜ。吃驚した!?」


 体の主導権が燐太に戻り、九十度程曲がっていた彼の足が持ち直す。

 ヒーローの動きが一瞬鈍る。燐太は脇に抱えていたヒーローの足を離すと、彼の肩に手を置き、跳び箱の様に飛び越した。直後、ヒーローの背中を二度目の衝撃が襲った。


「ぐぁ……!!」


 同じ二重存在とはいえ、燐太のアシと正一のヒーローとでは趣が異なる。

 全体的に体を守る正一のヒーローは、穴の無い万能型。対して燐太の方は足のみに二重存在の力を集約させた、一点強化型なのだ。

 燐太の場合、足から上が無防備になるという危険性(リスク)が存在するが、その分威力は段違いに強い。密度が違うのである。


「諦めろよ……! もう立てないだろ……?」


 燐太は地に伏すヒーローを助け起こそうと手を伸ばした――――が、その手はヒーローの手によって弾かれた。


「触るな……ッ!」


 うつ伏せに倒れたヒーローはそのままの格好で地面を叩いた。


「……もう十分じゃねえか……。このまま無理してやりあうと……お前……」

「解っている……! だがな……! 俺は……正一の理想のヒーローでいなければならないんだ……!」


 ヒーローは初めて感情らしい感情を見せた。

 それは悲痛そうな、悲しんでいる様にも見える表情であった。


「何でだよ……。そこまで伊織に拘る必要があるのか……?」


 腕を支えにしながらも、ヒーローは立とうとする。しかし、支えにしていた腕が滑り、再度倒れてしまう。それでも彼は立とうとするのを止めなかった。


「そいつだけに拘っているんじゃない……! そいつら全員が害悪なんだよ……! 正一は……っ。そいつらに……友を殺された……!! 次々に友が殺されていく中、正一は最後まで残っていたんだ……! 後少しで正一も襲われる……その一歩手前で俺が出てこれた……!! 正一は生き残ったよ……友の死に様をその眼に焼き付けながらな……! 彼は毎晩(うな)されるんだ……! 何故だか解るか? 彼の心にはそいつらに付けられた傷が残っているからだよ……! 彼がどれだけ苦しんできたと思う? 目の前で友が殺された彼の気持ちがお前に解るのか!!」


 偽物(ヒーロー)は雄叫びを挙げた。

 たとえ、自分がヒーローの名を冠していても、それは偶像に過ぎない。

 目の前に居る少年すら助ける事が出来ないのだから。自分は紛い物のヒーローなのだ。

 正一(かれ)の感じている罪は、本当は自分が背負うべき罪なのである。


「解んねえよ……解んねえけど……俺の友達が殺すだの、殺されるだのやるのが嫌なんだ!!」

「自分勝手な奴だ……! 奇麗事ばかりが人を救うとは限らない……!! 正一がヒーローを望むなら、俺はそれを演じ切るのみだ……! 邪魔をするな!!」 


 自分が消えても、正一の中の憎しみは消えない。

 憎しみが無くならない限り、正一は悔やみ続け、自分を壊していくだろう。

 だが――――自分には何も出来ない。


「ヒーローじゃなくたってな……! 友達の一人、二人っ! 助けてやらぁっ!! ぶん殴ってでも止めてやる!!」


 ――――この少年は……。

 ヒーローは消えそうな声で呟いた。


「……それは嘘じゃないだろうな……」

「当たり前だろッっ! 嘘吐いてどうするよ!」

「…………燐太だったな……。一つ……頼まれてくれないか」


 正一の内側から様々な人間を見てきた自分は分かる。この少年ほど正一の心に近づいた人間は、彼の死んだ友以外には居ない。もしかしたら――――。


「……あ? 頼み?」

「お前が正一の友だと言うなら……彼を助けてやってくれ……。……俺は彼の友にはなれなかったからな……」


 縋る様なヒーローの口調に、いきり立っていた燐太は落ち着きを取り戻し、上を向いて少し考える風にし、そして片方の眉毛を上げながら言った。


「……おう! 任せとけ!」

「そんなに安請け合いするとは……お前馬鹿だろ」

「何だよ! 寄って集って人の事を馬鹿馬鹿言って! 俺の柔らかもっちりなハートが木っ端微塵になるぞ!?」


 一体今日は何回『馬鹿』と言われるのだろうか? この後も言われそうな気がした燐太は、この上なく鬱屈とした溜息を吐いた。

 げっそりとした表情の燐太を見たヒーローは、一度も見せた事の無い笑顔をその顔に浮かべた。


「まぁ――――お前みたいな馬鹿は……悪くない……。頼むぞ……」


 正一の胸ポケットが一度赤く点滅する。

 ヒーローはいつもの自分の定位置――――安っぽいキーホルダーへと戻っていった。

 息を吐こうとした燐太は、正一の体が僅かに動くのを感じた。

 

「……ッ!?」


 突然、燐太の鼻先を正一(、、)の手が掠める。


「い、いきなりかよ……」

「ヒーロー……!! 何故戻った……! まだ終わってないのに……! …………お前か……ッっ! 燐太……!」


 秋庭正一は、憤怒の形相で燐太をねめつけた。




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 悪夢は所詮夢だから、悪夢なのだろう。

 じゃあ、終わらない悪夢とは一体何なのだ。

 毎夜見る、あれは? 瞼の裏に焼き付いたあいつらの顔は?

 有り得ない。悪い冗談だ。都市伝説に出てくる怪物に襲われる? 


 ふざけるな。そんなの間違ってる。


 不気味な獣が僕達を襲った。僕がそう言っても誰も信じてくれなかった。

 学校の敷地内に不審者が侵入した――――という事となった。

 嘘だ。学校の敷地に不審な人物が入ってきて気付かない筈が無い。どうやって逃げたんだ。警察は? どうせ誰も見て無いんだろ。僕だけ。僕達だけがそれを見たんだから。知る筈無い。

 落ち着いてから僕は事情を聞かれた。


 嘘を言うな。本当の事を話してくれ。


 だから、言っている。嘘は言っていない。


 おかしくなったのかしら。


 いいや。僕はおかしくなんて無い。狂人扱いしないでくれ。

 おかしいのは運命だ。僕から友達を連れ去った運命だ。

 友人の葬儀の折、友人の母親や、父親から頭を下げられた。

 葬儀が終わっても誰も何も言わなかった。

 友人の母親が帰り際に呟いた。

 何でこの子だけ。うちの子は何で。


 ふざけるな。と友人の母は呟いた。


 そうだよ。不条理だ。何で僕だけ。僕だけ。どうせなら僕も連れて行けば良かっただろう。

 どうして僕だけは何故仲間外れなのだ。


 ふざけるな。

 ふざけるな。


 貴方達が見えていないだけじゃないか。貴方の隣、貴女の肩にだってそいつ等(、、、、)は居るだろう。ほら、それは誰だ? 貴方達の知っている人だろ。見えてないのか。見てないのか。

 そもそも存在していないのか――――。

 そうかもな。僕がおかしくなっただけなのかもしれない。

 どっちなのだ。僕がおかしいのか、皆がおかしいのか。


 ふざけるな。何で僕だけ。僕だけが。


 その内僕は本当の事を話すのを止めた。

 

 高校に上がり、両親に引っ越すと言われ、そのまま転校した。

 抵抗は無かった。思い出さえもあの獣が食べてしまったのだから。

 悲しさというよりも虚無感の方が先行して沸いていた。

 何も無かった。初めから何も無かった。そう考えれば少しは楽になれた。

 

 ふざけるな。


 ベッドに横になり、眠りに落ちる直前には友人の顔が浮かんだ。

 最後に血塗れで必死で扉を押さえていたあいつの顔。光を失ったあいつの顔。顔すら分からないぐらいぐちゃぐちゃになっていたあいつの顔。皆、僕を恨めしそうに見ている。

 見ないでくれ。ごめん。許してくれ。助けられなくて。

 決まってそういう日は悪夢を見た。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 ある日、自分の中の存在が言った。


 あれは幻覚。魂じゃない。彼等の魂は既にこの世から消えている。


 夢との境界線に立つ彼等は全て僕のイメージで、罪の意識なのだと。

 だからどうした。僕に見えているのだからそれは幻覚なんかじゃない。本物だ。

 居る。見ている。最期に僕を見た虚ろな瞳で。そういえばあいつは。扉を押さえていたあいつはどんな顔を最期にしていただろうか。本当に死んだ様な眼だったか。

 分からない。思い出せない。思い出したくない。

 

 余計に苦しくなった。


 ひっそりと転校して、惰性的に時間は過ぎた。夏が過ぎ、秋も冬も春も過ぎた。

 高校は遠くの方に行く事にした。逃げれば変わると思ったのだ。

 結局、何一つ変わりはしなかった。

 特に親しい友達も作らず、部活にも入らず、何をするでもなしに時計回りの歯車に乗せられ、ぐるぐる回る。同じ日常を再現する。記憶さえも。

 いつもの通り廊下を歩いていると、変な事を叫びながら所謂女走りで走ってくる同級生にぶつかった。

 そいつは煩い事で有名な同級生だった。不良という訳でもなく、かと言って素行が良い訳でも無い。

 うざったいけど皆に好かれている。そんな感じだ。

 不思議と僕も嫌な気はしなかった。

 図書室で本を探していると、またそいつと鉢合わせた。

 本を選びに来たと言った。代わりに選んであげると、そいつは喜んだ。

 そいつと話しているのは面白かった。調子乗って図書室から追い出されたぐらいだ。

 本を選び、他愛も無い会話をして――――。

 そこで終わりと思っていたら、一緒に帰らないかと誘われた。

 思ってもみなかったからどう答えるべきか迷ったが、そうする事にした。


 ふさけるな。


 またその言葉が蘇り掛けたが、堪えた。

 そいつ――――風早燐太と帰っていると、彼の幼馴染で、校内では燐太と併せて「夫婦」と言われている柳葉藍子と、もう一人小柄な女の子、伊織理沙に出くわした。 

 何をやっていたのか知らないが、さっき知り合いになったばかりだと。

 空腹の伊織さんに柳葉さんがお菓子をあげていたのだそうだ。

 どうしてそうなったか甚だ因果関係が不明だが、そういう事らしい。

 僕には餌付けにしか見えなかった。気のせいだと思う。

 ふと昔の友達との日常が思い起こされて、胸が軋んだ。

 そうか、僕は燐太や、柳葉さん。目の前の少女、伊織理沙を昔の友達重ねているのだ。

 友達か。勝手に彼等の事をそう思っても良いのだろうか。

 思うだけなら。それぐらいなら良い――――。


 ふざけるな。


 ――――駄目だ。それは――――駄目だ。

 自分が許せない。あの時助けられなかったあの時の自分が。

 そんな奴が友達なんて。

 だけど、彼は僕を「友達」と言った。


ふざけるな…。 


 八月が終わってから、あいつ等が増え始めた。

 都市伝説。忌々しい奴等。

 考えただけで反吐が出る。

 

 ふざけるな……! また――――僕の友達を奪う気か……!

 ふざけるな!! ふざけるな!! ふざけるな!!

 これ以上奪わせて堪るか!!


 あいつらは僕と――――僕と「ヒーロー」が必ず殺す。

 そう決めた。

  

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「燐太ぁッ……!!」


 正一は憎憎しげに燐太を睨んだ。

 もう二重存在の力は使えない。だが、彼は止まる事が出来なかった。

 彼にだけ聞こえる死んだ友の声が彼を駆り立てる。人々の噂から生まれた存在を無に帰せと。それが生き残った正一の義務なのだと。

 彼等の声は膿んだ傷口の様に正一に痛みを与え続ける。消える事の無い亡霊の如き声――――。

 全ては彼の罪の意識が生み出した幻影だというのに。

 過去の悪夢に束縛され、行き場の無い理不尽に嘲笑われ、憎悪の焔は勢いを増す。


「もう止めろって……。お前……何も出来ないだろっ!?」


 燐太は諌める様に正一に言う。

 自分を追い詰めている正一が見るに耐えなかったのだ。

 燐太が学校で見る正一の姿はいつも一人だった。それは正一が他人との間に壁を作っていた事に他ならない。他人との距離を置き、親しい関係になる前に自ら突き放した。再び失う事が怖かった。幸福な時間が音を立ててあの時(、、、)の様に崩れ去るのが嫌だった。日常の中では起こりえない事だと解っていても一度起きた現実に引き戻される。

 過去に取り残された少年は、痛みを覚えたまま、その傷を直そうとはしなかった。

 ただひたすらに闇に紛れ、『怪談』を消していく。ヒーローという名の仮面を被りひたすらに。


「そこを……どけぇっっ!!」


 正一は燐太の胸倉を掴み、威嚇する様に拳を振り上げた。ワイシャツの第二ボタンが弾け飛ぶ。


「退かねぇよ……!」

「何でだ……! おせっかいなんだ……君はいつも!」

「うるせぇ!! それが小学校からの取り得なんだよっ! 通知表の横にだって書いてあるぜ!」 


 正一から何処となく香る孤独の匂いに燐太は気付いていた。走るというある種の目的を失い、藍子やその他の人間に無理をしてでも偽りの笑顔を振り撒いていた彼は、そういう匂いに敏感だったのだ。

 足を動かせなくなった時分には、彼の周囲から多くの人間が離れていった。燐太に残ったのは藍子ともう一人の友人である斉藤士だけであった。孤独がどれだけ辛い事か。彼はそれを良く知っている。

 だからこそ罪悪を感じ、自分を痛めつける正一を放って置けなかった。


「僕が殺さなきゃいけないんだよ!! 他に誰があいつらを裁く!? 誰もあんな存在を信じたりなんかしない……っ!! 誰も僕の言う事なんか信じないんだ!」


 終わりが無い事など、とうに分かっている、どれだけ『怪談』を消しても再び現れるだけなのだ。

 分かっていても許せない。折り合いなど付く筈も無い。

 正一は唇を噛み締めた。薄い皮膚が裂け、鮮血が口元を伝う。


「伊織はお前の友達じゃねえのか!? 友達だから殺すなっていうのは無理があるだろうよ……! だけどな、あいつは自分の意思で止まったんだろ!? 何でそれを信じてやらねぇッっ!!」


 きっと正一が理沙を殺せば、彼はその罪も抱える事になる。そしていつか、自分すら許せなくなる。

 何が何でも止めようと、燐太も負けじと言い返した。


「信じられるか!! ……信じ……られるかッ……! 彼女が暴走したら誰が止める!? ヒーローなんて現実には居ないんだよッ!! 誰も助けになんか来ないんだ……!!」


  不公平な現実を直視出来ない。したくない。

 ‘現実‘に眼を当てれば、‘真実‘消えてしまう。友を殺した『怪談』でさえ、『不審者』に摩り替わってしまうのである。それでも現実は正一の後を追ってくる。現実に絶望した少年は、嘘で塗り固めた『ヒーロー』になる事を決めた。真実(うそ)を真実とする為に。


「肝心な時に来てくれないんだよ……ッ!!」


 ヒーローは手遅れになってからしか来なかった。

 何も救えないヒーローなんてヒーローじゃない。

 

「そんなに伊織理沙を助けたいか……! だったら、僕を止めてみろよ!」


 痛くて痛くて、抜け出したい。どこにそれをぶつければ良いのか――――。

 正一の憤りが拳に乗せられ、燐太の胸を捉える。

 二重存在の解けた拳は酷く弱弱しい。


「言われなくてもだッ!」


 傷付いた燐太に、その拳は重かった。

 燐太は正一の頬を殴った。正一の頭に打撃が響く。

 しかし殴り返す燐太には、いつも力強さは無い。


「君には関係無いだろ!! 何で僕に関わる!?」


 正一は殴られた勢いを反動にして体を捻り、燐太の右頬を殴り付ける。


「友達だからに決まってんだろうがッ!」


 よろめきながらも燐太は踏み止まった。頭を振り、正一の腹に組み付く。


「そんなものにっ……なった憶えは無いッ!」


 腹にしがみ付いている燐太の背中に、正一は肘を振り下ろす。 


「ッっ……! 俺はなったと思ってるから良いんだよ!」


 正一から離れた燐太は、手の甲で振り払う様に正一の脇腹を薙いだ。


「あ……うっ……だ……だから君は嫌いなんだ!!」

 

 無茶苦茶に振るわれる腕を燐太は掻い潜る。


「はぁ……はぁ……俺は大好きだよ、くそったれッっ!」


 眼前まで迫った燐太の拳を正一は受け止めた。


「は……な……せよッ……!!」

「い……や……だぁぁぁ!」


 拮抗した力がお互いの体を震わせる。


「退けっ……てっ! 言ってるだろ! この馬鹿!」

「嫌だっつってんだろ! 眼鏡割るぞ!」


 そう言いながら、燐太は正一の腹を殴った。


「はぁッっ……はぁッっ……今は掛けてないだろ!」


 叫びつつ正一は燐太の顔にお得意の左拳を捻り込む。


「いって……え! ……あ、そっか。……そうじゃねーよ! いい加減フラフラだろ、もう止めろ!」

「止めないッ……!!」


 止める事など出来ない。そんな事をすれば、死んだ友に顔向けできない。

 先程までとは違い、泥臭い殴り合いを燐太と正一は繰り返す。


「僕は……殺さないといけないんだ……っ!!」


 あの時に死ねなかったから――――。

 自分だけが生き残ってしまったから。それが正一の友人に対する贖罪なのだ。

  耳を塞いでも、声が頭に響く。彼が夜中に見る悪夢には、必ず顔の無い友人達が出てくる。暗く檻の様な部屋の外に正一はいつも取り残されている。その檻の中には血塗れの友人達が。助けを求めるその手は正一の方へ伸ばされる。必死で助けようと檻を揺すっても、緑色の鉄線は硬く閉ざされているのだ。一人、また一人と正一に見せ付けるかの如く檻の中に居る‘犬‘に食い殺されていく。

 涙を零して助けを求めても、誰も正一の友達を助けてくれない。

 そんな夢を正一は二年間見続けてきた。


「ふざけんなよ……!! 何で……ッ僕だけ……死んでないんだよ……ッ……!! そんなの間違ってる……っ!」


 想いを吐き出す様に正一は燐太の顔を殴り付ける。


「いい加減にしろよ! お前こそふざけんな!! お前の中の友達に助けられたんだろうが!! ちゃんと見てやれよ!! あいつはお前の理想(ヒーロー)に近づく為に頑張ってきたんだぞ! じゃねぇとあいつが……可哀想じゃねえかッ!!」


 口の中を切った燐太が血を吐き出した。


「友達? そんな言葉で僕を縛るな!! あいつは僕の友達じゃない!!」

「友達に友達っつって何が悪い!! あいつだってお前の友達だろうが!」


 『友達』なんて要らない。自分の『友達』は皆死んでしまった。

 だからこそ、この目の前の自分の心に踏み入ろうとする少年が許せない。

 全てを忘れ去って心を許そうとしている自分も許せない。

 友人達を殺した『怪談』が存在している事が許せない。

 その『怪談』が彼女(りさ)の中に居るという事が許せない。

 まだ彼女を殺す事に迷いがある自分が許せない。

 『友達』だから殺さない? ふざけるな。その『友達』がそいつらに殺されたというのにか?

 情など掛けるな。あれは自分の敵だ。そしてこいつも――――。


「ふざけるなっ……!! 倒れろよッっ……! 倒れてくれよ……ッ!」


 正一の拳が燐太の顔にもう一度叩き込まれる。何度目かも分からない殴打――――。

 だが、燐太はそれでも倒れなかった。

 自分を支える声が彼を鼓舞させる。 


 ――もう一踏ん張りですぜ。気張りやしょう――


 足が確りと地面を掴み、倒れそうな体に力が入る。

 空を見上げる様に燐太は傷だらけの顔を上に向けた。


「……っくぁ~……さっすがー……! ふざけてねぇよ……大真面目だ……。……わりーな……正一……。俺は倒れる訳にはいかねぇんだよッ!!」


 捻りを入れた燐太の拳が正一の顔面を捉える。

 それは何よりも重かった。


「くっ……あッ……!」


 正一は吹き飛ばされ、ぐったりと地面に転がった。

 最後の最後で心が折れてしまった。自分が捨てたもの、失くしたものを見せ付けられた様な気がした。

 正一は手の甲で両目を隠す様に押さえた。

 生き延びてしまった自分が許せない。

 あの時、自分も本当は死んでいた。偶然が自分を助けただけである。

 彼等を忘れられない自分が許せない。

 過去に彼等を捕らえ続けているのは――――繰り返し、悲惨な悪夢を見るのは自分自身のせいだという事は解っている。夢の中でも自分だけは生き残る。

 本当は自分もあの時に死ぬべきだったのだ。


「……皆……許してくれ……」


 最初から誰も殺せなんて言っていなかった。罪滅ぼしなんて誰も頼んでいない。

 全部――――自分が作り出した幻想の声だった。


「……俺よりバカだな、お前……」

 

 燐太は倒れている正一の近くに倒れ込んだ。


「その前に自分を許してやれよ」


 新しい正一の友人は、息も絶え絶えにそう言った。

 手の甲を伝った一滴の水滴が落ちた。


 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「燐太!」 


 燐太と正一の泥臭い殴り合いを、固唾を呑んで見守っていた藍子は、二人が倒れこむのと同時に真っ先に燐太の方に駆け寄った。


「燐太……生きてる!? 死んでる!? ……死んだか……」

「殺すな」

「あ、動いている……!?」


 わざらしい驚いた様な顔で藍子は燐太に向かって指を指した。


「動いちゃ駄目なのか!?」


 むくりと上半身だけを起き上がらせた燐太は、体の節々を触った。


「いて……ッ」

「……動いちゃ駄目だよ……。全く……。もっとね……グイグイいかないと。相手の顔面に押し込む感じで。押したら引く。これが基本よ」

「心配してくれるかと思ったら! 何なの!?」

「心配……してた……」


 藍子はそう言うと、しゃがみ込み、燐太の胸を突付いた。

 俯いているので燐太には彼女の表情は読めない。


「…………う、嘘だ……! 藍子が心配なんてする筈が……! そうか……! 頭打ったんだな!? あれ……でも藍子って石頭じゃ無かったっけ?」

「あっと、その石頭が滑った」


 形の良い藍子の頭部が、痣だらけになっている燐太の腹部に、綺麗かつ垂直に突っ込んだ。


「ぐわはッっ!!」


 燐太の頭と足が飛び上がる。

 余談だが、正一に殴られた傷よりも藍子の頭突きの方が燐太にとっては痛かった。


「何するんだよ!」

「ちょっと転んで。失敗失敗」


 舌を出して、藍子はお茶目に片目を閉じた――――ウインクである。

 しかし、彼女の瞳は笑っていない。そんな事にも気付いていない燐太は、


「その表情すっげえむかつく!!」


 と、叫んだ。

 燐太が喚く傍らで、正一は赤くなった眼で空を見上げていた。

 自分はどうすれば良いのか――――そんな事ばかりが頭をうろつく。だが――――空は曇っているのに、やけに晴れ晴れとしている様に思える。何かが、変わったのか。いいや、何も変わっていないのかも知れない。一つだけ。自分は恨む対象を間違えていた。それだけはハッキリと理解出来る。

 彼女に罪は無い。やつらが内に居るというだけで彼女もろとも殺すというのは、間違っていた。

 でも、自分はまだ――――。

 目の前の空が急に人の顔に差し変わった。黒い髪が垂れ下がり、その奥に大きな二つの眼が満月の様に輝いている。それが理沙の顔だという事に正一は数秒経ってから気が付いた。


「秋庭君……だ――――」

「何を――――ぐわっ!」

「いじょっ!?」


 急いで頭を上げた正一の額は、理沙の額とぶつかり合った。


「痛いぃ……」

「ご、ごめ……」


 涙目になって額を擦る理沙の肩を正一は掴んだ。


「――――ってそうじゃない……! 君は……逃げないのか……」

「えっ? 何で……?」

「だって僕は君を――――」


 ――――だって僕は君を殺そうとしたんだぞ――――。

 その言葉は喉元まで出掛かったものの、実際に口に出す事を正一は躊躇った。

 正一は視線を逸らそうとしたが、その前に理沙が無言で首を振り、その後、口を開いた。


「言わなくても……。貴方が辛くなるだけだから……」

「…………すまない……」

「ううん……」


 片方でしんみりとする空気が流れており、もう片方では喧騒が聞こえる中、そんな雰囲気を纏めて壊す様な奇妙な叫び声が全員の耳に入った。


「待て、おんどれぇぇぇ!!」

「誰かーっ! け、警察呼んでーっ! 人面犬にカツアゲされるーっ!!」


 死にそうな表情の背の高い青年が一人の少女を背負い、やさぐれた強面の人面犬に追い立てられている。そして、それは燐太達の方へと走って来ていた。

 言い合っていた藍子と燐太は、言葉の代わりに顔を見合わせた。


「……なあに、あれ」

「……あれは栖小埜さんじゃないかな」


 藍子と燐太は引き攣った半笑い顔になった。


「ヘルプ! ヘルプ! ヘルプギブミーっ!」

「はう゛ッ!!」

「きゃーッ!」


 おぞましいというより恐ろしい人面犬に噛み付かれそうになった青年――――栖小埜葎は、女性の様な悲鳴を挙げた。


「あ……ああわ……ひゃくとうば――――」

「眼を合わせたら負けだ……! 見るな……!」


 ぶるぶると震え、パーカーの腹ポケットから携帯電話を出し、110番のボタンを押そうとする理沙の両目を、正一はゴクリと唾を呑みつつ隠した。

 葎の内側で悠長な声が響く。


 ――さー後ちょっとで追いつくぞー? 張り切っていってみよ~――


「ガ、ガ、ガラ! 助けろよーっ!」


 ――獅子は我が子を谷の底に落とすという…つまり、落とされた子供は確実に死ぬという話だ――


「子供死んでるーッ!?」


 全力疾走している葎は、燐太達の直ぐ横を通過した。

 その瞬間、葎と燐太の視線がかち合った。


「か、風早……! 助けてーッ!!」

「あ、あれ灯ちゃんだ……」


 藍子が呟き、燐太が叫ぶ。


「助けに来たとかじゃなくて!?」


 助けに来たとしても、既に後の祭りなのだが――――と燐太が思っている内にも葎はどんどん距離を延ばして行き、燐太達から数十メートル離れた辺りで美しい弧を描きながら引き返して来た。


「うおおおおお!」

「うわああああ! 葎! こっちくんなー!」


 ――しょがないなぁ。代わってあげようじゃないか――


 葎とガラが入れ代わる。

 入れ代わったガラは突然立ち止まり、灯を左腕に抱え、涼しい瞳で人面犬に向かい合った。

 

 ――た……助かった……!――


「何と情けない。こういう時はね――――」

「うう゛あああああ!!」


 立ち止まったガラに人面犬の牙が飛び掛る。


「こうだ」


 ガラは人差し指と中指だけを伸ばすと、飛び掛ってきた人面犬の両目にそれをズブリと刺した。


「ぎゃああぁぁぁアアア!!」


 人面犬は凄まじい絶叫を響かせると、そのまま黒い霧として霧散した。


 ――エグイよッッっ!!――


「まだまだ。何のこれしき。……おや……?」


 ガラは唖然とする一同を無視し、灯を藍子に押し付けると理沙の方に歩み寄った。


「……君は妙なものを影に飼っているね」

「だ、誰……!」


 理沙は昨日葎を見た筈なのだが、ガラと入れ代わった葎はあまりにも雰囲気が違い過ぎるので、彼女には同一人物だとは判らなかった。

 ガラは、ふむ……と顎に手を当てると言った。


「紳士だ」


 ――おい、止めろ――


「淑女だ」


 ――もっと止めろ!――


「ところで――――いい加減出て来たらどうかね?」

「え――――」


 理沙の影が波打ち、立体として形を成した。

 それは理沙と瓜二つの外見をしている――――リサであった。


「リ……リサ……」


 理沙は自分の影から生まれ出たもう一人の自分を見て、膝から崩れ落ちた。

 消えてなどいなかった。息を潜めていただけ。

 もう一人の黒いリサは狂気染みた笑みに自分の顔を変化させた。


「やっとッ……出てこれたぁ……ッ!! もう……嫌だ……。大切に育てた『怪談』達も消えちゃった……。理沙もあいつ(、、、)に取られちゃった……。私が理沙になれないのナラ……。もう良いや……皆死んじゃエ……!!」


 リサの髪が広がり、毛の束の一つ一つが鍵爪の様に尖っていく。

 黒色の鋭利な爪は一斉にリサ以外(、、、、)へと向いた。


「くそっ……! こいつが伊織さんの……!」


 正一は理沙を庇う様に彼女の前に躍り出た。

 黒い鍵爪が鞭の如く振り上げられる。


「ははは。面白い冗談を言うね。皆殺し――――出来ると思っているのか?」


 全員が眼を疑った。自分達に向けられている筈の鍵爪が一本残らず圧し折られている。

 

「これ……釣り道具に出来ないかな。どう思う? 葎」

 

 ガラはまだ消えていないリサから圧し折った鍵爪を、嬉しそうに右手でぐるぐると振り回しつつ言った。


 ――いや、お前釣りしないだろ。じゃなくて何やってんの!?――


「えっ。戻した方が良いのかな」


 ガラは残念そうに眉を顰めた。

 鍵爪を折られたリサは、顔を抑えた。影が再び広がっていく。


 ――戻すなッっ!――


 周囲を置いて、葎とガラの会話は加速していく。

 影は液体の様に地面へと流れ出た。


「でも、もう取っちゃったので」


 ――あーもー! 壊すんだから最初からそういうの触るなよ!――


「……悪かった」


 ――あ……ああ。やけに素直だな……――


「私だって謝るよ。子供じゃないんだから」


 ――そ、そうか……――


「という事で、これは返す」


 ガラは消えかけている鍵爪をリサに差し出した。

 ハッ、と一人だけ我に返った燐太は大きな声で言った。


「あんたらやりたい放題だな!!」

「やあ、燐太。ボロボロだね」

「『やあ』じゃないでございますわよ!? う゛っ……」

「無理をするからだ」


 大声が傷に響いたのか、燐太は蒼い顔でふらつき、藍子に支えられた。


「それじゃあ……こっちの方をどうにかするかね。そこの少女よ。あれはどういった『怪談』だ?」


 ガラは正一の背後の理沙に眼を遣り、尋ねた。

 何時の間にか大きく影は拡大しており、水溜りの様に顔を抑えたままのリサの足元に溜まっている。


「え……? リサ? リサは……もう一人のわたしっていう風に……」

「それだけか? 理沙とは君かね?」

「う、うん……そう……」

「どれだけの人間がこの『怪談』を知っている?」

「わたしだけだけど……」

「丁度良かった。試してみたかったんだ」


 ――まぁ~た変な事考えているんだろ……――


「バレたか。……真の話に拠ると根本問題が解決しない限り、『怪談』は復活するらしからね。まぁ、その足掛けとしてどうなるかの実験だ」

「何をゴチャゴチャト!! さっきから聞いていれバ好き勝手言ッて!」


 リサの足元に溜まっていた黒い水溜りから細かい線が飛び出る。それは針の形となってガラだけに襲い掛かった。


「――――ある所に一人の女の子がおりました――――」


 囲む様に張り巡らされた針をガラはゆったりとした動きでかわしていく。


「その子はとてもとても小さな女の子でした――――」


 リサは一心不乱にガラに攻撃を中てようとするが、一向に中る気配は無い。


「ある日、女の子の影が女の子に話し掛けて来ました。『ねぇ遊ぼうよ』、と――――」

「中れ……! 中れぇ……! 中れ!!」


 ガラの真後ろから木の枝の様な針が彼を刺そうと伸びる。が、ガラはすんなりと体を横にずらし、真横を通り過ぎた針を軽く押した。

 針は音も立てずに折れる。


「日に日に影は大きくなっていきます。女の子は恐怖を覚えました。もしかしたら、あれは化物ではないかと――――」

「化物と呼ぶなぁぁぁぁ!! 私は理沙……! 彼女は私……! 私は彼女にナっテ……」


 ガラに纏わり付く針の本数が増えた。それは一本もガラには命中せず、折れては消え、折れては消え、を繰り返す。


「そして、またある時、ついに影は人間の姿として出てきました。影は女の子に成り代わろうと、女の子の足元から出てきたのです。女の子は怯えました――――」

「そう……! そレガ……!」

 

 ガラが軽く足を振り回し、円周上にある針を全て叩き落した。


「でも、所詮は影――――本物にはなれません。影は女の子に触れられると力を失い、そのまま消えていきましたとさ――――」


 リサは自分の中身(、、)が変質していくのを感じた。

 語られない筈の『怪談』である自分が書き換えられていく。それは『怪談』を裏から操っていたリサにとって、何よりも恐れていた事である。自分が変容してしまえば、この街を覆う『怪談』自体が破綻するからである。


「違う……チガウ……違ウ……チガウ違う違ウ!! 私は消えない……! 消えてナルものか……ッっ!」

「――――とこんな所かね。皆聞いたな? 私の語った『怪談』を」


 ガラは燐太や、藍子。リサの前に立つ正一や、その後ろの理沙を見回した。


「この『怪談』も終わりだ。ええと……理沙! 彼女に触れるんだ」

「彼女って……! リサに……!?」


 白い顔で理沙は聞き返した。

 ガラはそうだよ――――と言った。


「さぁ、早く。これは君が主人公の『怪談』だ。君が幕を引け」

「さ――――触れば……良いんですね……」


 理沙は静かな声で返し、一歩踏み出した。

 

「伊織さん……! 今は危ない! 出るな!」


 正一が振り向き、叫ぶ。

 理沙は、リサに向かって進んでいく。リサは何故か酷く怯えた表情で後退した。


「こ……来ないで……!」

「終わるのかな……。これで終わりになるなら――――」


 リサは影を操ろうとした。しかし、操ろうにも操る影が無い。ガラに全て撃墜されているからだ。

 自分を維持出来る最低限の影しか持たないリサは、裸同然の状態であった。


「終わりにしたい……!」


 理沙の手がリサの手を掴む。何かが壊れる音がした。

 リサの中心にあったものが崩壊していく。彼女は苦しげに顔を歪め、ガラを睨む。


「お前……ッっ!! 私にナニヲシタ……!」

「私は語られていない『怪談』を語っただけだよ。君がまだ語られていなくて良かった――――。いや……君にとっては良くなかったか」


 ――――……言ったもん勝ちだね……。

 ガラもここまで効果があったのには内心驚いていた。

 動揺の色が見えないのは彼――――もしくは彼女の面の皮が、そちらの方が驚くべきほど厚いからである。


「私がキエチャウ……。リサ、リサ……私の……モノ……」


 色が薄くなったリサは、理沙に手を伸ばした。指先が解けるように消えていく。

 ガラは不敵な笑みを止め、真面目な表情でリサに声を掛けた。


「その少女に随分と執着している様だな。だがな、彼女を思い遣るなら、彼女を巻き込もうとしなかった筈だ。君は随分と自分本位な愛情を彼女にぶつけていたみたいだね。そんなのは、愛情じゃない。一回消えて出直して来るんだな。……なぁに……。本当に君が彼女を好いているなら、原型が無くなるほどバラバラになっても元通りになれるさ」


 まるで自分にそういった経験がある様な物言いだった。


「私は何のタメニ……私のイキル意味ハ……存在リユウハ……」


 自分は理沙と入れ代わるのが――――。それが理由でないのだとしたら。はたして自分は何の為に生まれたのだろう。そうだ。それを求める為にこれ(、、)を起こしたのだ。

 自分という存在の証明を得る。それが目的であった筈だ。その前は? その前もあった筈。

 解らない。自分は何をする為に生まれた? 自分とは何だ。それの理由は?

 リサの意識が薄れていく。終わりが近い。


「やれやれ……『怪談』(きみたち)はそればっかりだね……。あのねえ……理由なんてものは、後から付いて来るんだよ。君が存在しているだけで‘意味‘なんだ。それ以上の理由なんて無いよ」


 それが理由なのか。だとしたら理由なんて、酷く不確定なものじゃないか。

 言い方で、何とでも言える。そんなものを自分は追い求めていたのか。

 ――――とてもくだらない。期待はずれも良い所だ。


「ソレガ理由……。……クッダらナイ……。存在シテイルだけでナンテ……私がシテキタ意味は……無かった……」


 リサと入れ代わる必要なんて無かった。私は――――私は理沙が欲しかった。

 そんな事を今更思い出すなんて。すっかり唆されてしまった様だ。

 ガラは消え逝く理沙に問うた。


「……最後にもう一つ聞きたい。君のその力……二重存在のものだね……。一体誰から与えられた?」


 訝しげに尋ねるガラを見たリサは――――微かに嘲笑う様な声音を立てた。


「……フフフフ……教えてアゲナイ――――」


 リサは妙な表情で理沙を見ると、口を僅かに動かして消えた。

 黒い飛沫は吹き始めた風に飛ばされ、見えなくなった。

 こうして伊織理沙という少女から生まれ出た『怪談』は帰結を得た。

 

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

 真さん達が来たのはそれから数時間後の事だった。死ぬかと思った。

 石動市を襲った濃霧の正体。それは具現化した『怪談』に因る、ある種の磁場の様なものだったらしい。尤も、それの維持はあの『リサ』と呼ばれる『怪談』が行っていた――――みたいだ。

 ガラの話だから、本当かどうかなんて知らない。ガラ曰く、『いかにも黒幕っぽいのを消したと思ったら、何だか全部解決した』だそうで。とりあえず言わせて貰おう、ほぼ勘じゃねえか。

 俺はあれから、多分事件の当事者だと思われる高校生、伊織理沙さんから詳しい話を聞く事となった。 『リサ』の誕生の経緯についてだ。

 事の発端は、一年前。伊織さんが自分の考えた物語を自分の持っているノートに書いたのが始まり。

 当時、酷い苛めに遭っていた伊織さんは、自分の第二の居場所――――現実逃避の場として、物語の中に没頭する様になった。そんな中、物語の登場人物、『リサ』を生み出した。

 『リサ』は伊織さんの物語の中での分身の様なもので、もう一人の自分と言っても過言では無かった様だ。これまたガラの言葉だが、伊織さんの強い願望が『リサ』を生み出したのだと――――。

 これもあまりしっくりくる説明ではないと思う。

 まぁ、とんでも存在のガラを抱えている俺が言っても説得力が無いと思うけども。

 『リサ』に異変が起きたのは、去年の初夏。突然、伊織さんを苛めていた人間達を殺す、と言い始めたらしい。それが発端として、伊織さんは『リサ』に恐怖を抱く事となった。

 詳しい事は、彼女の苛めの問題にも食い込む事になるので、聞くのは控えた。それに彼女自身、あまりその経緯を口にするのは気が進まなさそうだったから。

 ともかく伊織さんはそれから暫く、ノートを開かなかったそうだ。そして問題は八月。八月に事態は急変した。妄想の中の登場人物であった『リサ』とその他の『怪談』達が現実に、それも伊織さんの目の前に現れたのだ。伊織さんは当然驚いた。それもそうだろう、自分が作った話が現実に飛び出してきたのだから。『リサ』は罰と称して、伊織さんの中に入った。これも詳しい理由が聞けなかった。彼女と『リサ』の間に何かしらの軋轢があった事は間違い無さそうだ。

 それからというものの、伊織さんと『リサ』は入れ代わる様になった。朝から昼にかけては伊織さん。夕暮れから夜にかけては『リサ』がそれぞれ肉体の主導権を握っていたらしい。

 『リサ』は伊織さんの体が使える様になると、様々な場所で暗躍をし始めた。その内の一つが『都市伝説の鳥籠』というネット上の怪談専門サイトだ。この中で『リサ』は伊織さんの作った物語を『怪談』へと変化させ、広める様になり、『噂』に乗って流れた『怪談』はその形を確かなものとして現実に干渉し、実体を持つ事になった――――と、ここまでが去年から今年の夏までの話。

 この辺りまでは『リサ』も比較的大人しかったそうで。それがどうして今になって一気に行動を起こしたかというと、八月に伊織さんと柳葉さんが出逢ったのが引き金となった。

 嫉妬――――『リサ』は、伊織さんと直ぐに打ち解けた柳葉さんに嫉妬を覚えた。それが『リサ』を暴走させる原因になったそうだ。歪んだ形とはいえ、『リサ』は伊織さんの心の拠り所となっていた。だが、柳葉さんの出現によって、その立ち位置が揺らいだ。自分で無くとも良かったのだと気付いた『リサ』は、自分の存在意義を崩した。元々、人の『噂』などから生まれた『リサ』は存在として不安定だった様だ。それが更に崩れたのだから、さあ大変。伊織さんに取って代わる。自分達『怪談』を否定した人間に否定させる。伊織さんに罰を与えるなどの、一見、統合性の無い行動を取る様になった。

 何だか目的がいっぱいあってどれが本命なのかは俺には判らないが。この場合、『リサ』自身が自分の目的を見失っていたのが正解だろう。

 本格的な行動を始めたのは昨日。俺が初めて伊織さんを見たのもこの時だ。 

 『リサ』に体を乗っ取られた伊織さんは、柳葉さんを襲った。その後、何とか『リサ』を押さえ込んだ。そこにもう一人の登場人物、秋庭正一君が――――。

 って、彼にも説明がいるだろう。秋庭君は俺と同じ二重存在だ。しかも、その二重存在というのがあのヒーローと名乗る野郎だったというのだから、思わず卒倒しそうになった。

 真面目そうなあの少年が、まさか。という感じである。彼の過去については何も知らない。一つだけ分かるのは、彼は『怪談』の化物をかなり憎んでいるという事だ。

 『怪談』を憎むあまり、伊織さんの中にその存在を感知した秋庭君は『リサ』を押さえ込んだ直後の伊織さんを殺そうとした。存在そのものを否定するぐらいなのだから、その恨み心や凄まじいものだったのだろう。そこに風早が駆けつけ、秋庭君と風早は対峙した。そこからは殴ったり蹴ったり、色々あったらしい。最後に俺が風早達の前に人面犬に追い掛け――――ごほん。現れ、伊織さんの中で隠れ潜んでいた『リサ』を引っ張り出し、消した。と、いうのが顛末である。

 さて、どうやって『リサ』消したのか――――。

 伊織さん以外に知る人間が居ない彼女の『怪談』としての力は微々たるものだったらしい。

 その『怪談』を知る人間が多ければ多いほど『怪談』は力を増し、揺らがない存在と成っていく。『怪談』の対処法としては、その『怪談』を作り変えるというのがあるそうなのだが、知っている人間が多いと『怪談』自体を塗り替えるのに時間を要する。人々に認識で成り立っている『怪談』を塗り替えるには、その『怪談』を知っている人々の認識をそっくり改めさせなければならないからだ。

 しかし、知る人間の絶対数が少ない『リサ』は容易に作り変える事が出来る。知っている人間は伊織さんが一人だけ。それに俺――――もといガラに、柳葉さん、風早、秋庭君、南屋さんは――――寝ていたから除くとして、この五人があの場に居た事になる。

 ガラは『リサ』を知っている人間が少ない事を利用したのだ。『リサ』のという一度も語られていない『怪談』を自分の口で語る事によって固め、多少(、、)の脚色をして作り変え、話した。

 少ない人数で回る『怪談』は即時に『リサ』に影響を与え、その結果『リサ』は消え、『リサ』を主軸としていた磁場は取り払われた。

 事が終わり、『怪談』が広まる元凶となっていた『都市伝説の鳥籠』は管理パスワードを知っていた伊織さんの手で削除された。安心とはいかないが、一応一段落だ。

 不可解な点も多いが石動市に広まった『怪談』はこれにて終わり。『怪談』の残りはノリノリで瑞樹神さんがアレ(、、)したらしい。うんアレ。ノリノリで。

 そして俺は何をしているかというと――――言い方はどうかと思うのだが――――覗いている。


「何かさぁ……俺……見付かったら捕まったりするんじゃないか……」


 ――捕まるだろうね。こんな民家の屋根に寝そべっている人間などそうそう居ないだろうし――


「ですねー……。真さんも見てこいって……所謂監視じゃないのか……? これ……」


 様子を見てきてくれ、と今朝言われた俺は、刑事ものの主人公顔負けの張り込みをし続けている。張り込みと言っても殆どが暇なので、手持ち無沙汰だ。

 左手には牛乳。右手には俺の相棒、メロンパン。ああ完璧だ。


 ――真はそんな人間じゃないよ。彼はあれで理想主義者だから――


「そうかなぁ。まぁ……あの人だからそうかも。お……来た来た……」


 俺が見ている先。荘厳とも言っても良い古びた校門から出てきたのは、(くだん)の少女、伊織理沙だった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

 下校時刻の最盛期を過ぎた校門の周りには、僅かだが生徒達が屯っている。

 その先、校門を出て直ぐ右の通学路の途中には、まだ少し青さの残る街路樹が陰影を作り、味気ない道に落ち着いた雰囲気を演出している。ここを通る生徒は少ない。大半が反対側の左の道から帰るからである。この学校では元々、そちらの方面から来ている生徒達が多いのだ。

 伊織理沙はいつも通り簡素な道を、一人とぼとぼと歩いていた。


「伊織さん! 待ってよ~」


 背後から飛ぶ声を聞いた理沙の顔が強張る。この声は彼女にとってあまり聞きたくない声なのだ。


「ほら、追いついた」


 理沙が振り返ると、そこには普段どおりの面々――――理沙を苛めていた加藤愛歌達が薄ら笑いを浮かべて立っていた。一人だけ、加藤愛歌だけは何故か浮かない顔をしている。どうしたのだろうか? 

 滅多に無い。というか、見た事が無い光景に理沙は首を小さく傾げた。

 そんな理沙に、集団の一人、有藤由梨(ありとうゆり)が言った。


「今日もさ~お金貸してくんないかなー? ……ね」

「お金……。い――――嫌です……。もう……貸してあげられない……です……!」


 小さき声は理沙の精一杯の勇気を振り絞ったものだった。

 抵抗をした事が無い彼女の思いがけない抵抗に、少女の集団は嫌味な笑みを消し、代わりに威嚇する様に唇をへの字に曲げた。


「こういうの……嫌なんです……だから止めて……!」


 理沙は下に向けていた目線を高く上げた。それは怯えながらも愛歌達に確りと向いている。

 彼女にもここ数日でそれなりに心境の変化があったのだ。

 自分の友達――――自分を守ってくれると言ってくれた人。それがどんなに心強かったか。

 些細な藍子(しょうじょ)の勇気は、また別の理沙(しょうじょ)の手を引いた。


「はぁ? 何? 止めろってぇ? 何で?」


 残酷にも、その勇気を踏み躙る様な声が響いた。由梨が言ったのだ。


「何でって……!」

「今更、そんな事言ったってさぁ、こっちも困るんだよねー」


 ちっぽけな勇気を出した所で何も変わらない。

 待っているのは矢張り、冷たい現実なのだ。


「あんた……最近反抗的だよねぇ~……。また苛められたいのー? 髪なんか切っちゃってさぁ」


 由梨は理沙の髪を掴もうと手を伸ばした。


「い……っ! 止めて……っ」


 また、あの頃に戻るのか。恐怖が理沙の内に湧き上がる。

 彼女はきつく瞼を閉じた。


「そうそう、『止めて』と言っているんだから止めるんだ!」


 突拍子も無い声が割り込んできた。

 その声は理沙の目の前から聞こえてきた。恐る恐る理沙は顔を上げた。

 何とも奇妙な格好の人物である。他校の制服のブレザーと思われる衣類を身に付けている。そこまでは普通なのだが、頭にスポーツタオルをぐるぐると巻いているのはどう見ても普通ではないだろう。


「へ……だ、誰っ?」


 理沙を除く少女達は口を揃えて言った。

 奇妙な人物は、よくぞ聞いた――――とやけに大きい声を出した。


「俺はヒーローだ!!」

「……っぷ……! ぷははははは! 何こいつ、頭おかしいんじゃないの!?」


 少女達はその奇妙な人物を嘲笑った。

 しかし、理沙と愛歌は笑わない。理沙は自分の良く知る声であったから。愛歌は、その声の主から伝わる雰囲気を感じ取ったからだ。


「ははははは! おかしいか! そうかもな!」


 ヒーローと自らを紹介する奇妙な人物は、笑いながらガードレールを軽くと飛び越し、電柱の前へと立った。不審そうな顔をする少女達を尻目に、奇妙な人物は自らの拳を電柱に突き立てた。

 何かが芯から折れる、鈍い音がした。電柱が傾く。ありえない事が起きている。

 人が電柱を折ったのだ。そのありえない事を引き起こした張本人――――ヒーローは折った電柱をゆらゆらと揺らしつつ少女達に歩み寄り、言った。


「笑い過ぎてうっかりすると、コレ……離してしまいそうだ。おおっと! お前らの顔を見ていると、何だか手が滑ってきたぞ!」


 電柱に繋がったままの黒い糸の様な電線がゆらりゆらりと不規則な軌道を描く。

 少女達の顔が恐怖に染まった。


「悪い奴は退治するのがヒーローの常なんでな! とりあえず死ぬか!?」

「な……な……な……何なのよ……! この前の奴の仲間……!?」


 愛歌は真っ青な表情でヒーローに向かって叫んだ。

 ヒーローは肩を竦めるような動作を見せると――――。


「覚えが無いな」


 と言った。


「も、もう……! 伊織には手ェ出さないから……! だから……助けて……!」

「本当だな!?」

「ほ、本当だから……それを……ッ!」

「うん、じゃあ行って良し! だが、またこんな事をやっていたら――――一人づつ……解っているな?」

「解った……! 解りました……! ほらあんた達……行くよ……!」

「でも愛歌……」


 由梨が声を殺して反論する。


「見れば分かるでしょ! あいつら化物なんだよ! ほら早く!」


 少女達はその言葉を理解したのか、大人しく愛歌に従い、早足で理沙の下から離れていった。

 残された理沙は、困った様な笑い顔で奇妙な人物の方を向いた。


「秋葉君……何やってるの……」

「ん? ぬ? 暫く待ってくれるかな? 正一は――――うえ――――電柱……どこかに立て掛けておけ? ああ……そこが良いか」


 奇妙な人物は再びガードレールを飛び越え、持っている電柱を道路の端にそっと立て掛けた。


「――――はぁ……ここまでしろなんて言ってないのに……」


 スポーツタオルが解かれ、その下の素顔が露になる。

 秋庭正一は、折れた電柱を見ると深い溜息を吐いた。


「あのう……」


 自信がなさそうな表情で理沙は正一に話し掛けた。


「あ……ごめんね。荒っぽい奴でさ……」

「えっ、い、いや……ありがとう……」


 頭を下げた理沙は窺う様に正一を見た。正一も彼女の視線に気が付き、口を開いた。


「……一言謝ろうと思って……」

「謝る……それは……」

「いいや……何を言っても僕がしようとした事は変わらない……。君を殺そうとした事実には……。……本当にすまなかった……」


 正一は深々と理沙に頭を下げた。


「そんな……だってあの時はわたしも……」


 戸惑う様に理沙は顔を歪めた。


「君の『怪談』……あれはどうなったんだ……矢張り消えたのか」


 話題を変える様に正一は視線を逸らしつつ言った。


「リサは……うん……多分……。でも……物凄く少しだけど……いつかまた現れる可能性もあるって言ってた……。……わたしね……リサがああなったのにはわたしにも原因があると思うの……」


 自分が拒絶しなければ違う道もあったのかも知れない――――リサは一瞬視線を落とした。


「あの子とちゃんとぶつかっていればあんな事にはならなかったかも知れない……。だから……次にあの子が現れたら、もっとちゃんと正面から……逃げないで……頑張ろう、って」


 今度は――――今度こそは――――。

 理沙は、はにかむ様に笑った。


「……ごめん、変な話しちゃって」

「……いや――――良いと思うよ。僕もあの夜のお陰で、色々と気付かされた……。自分の中に友達が居たのに……。それなのに、僕はそいつを無視してずっと過去ばかりに拘っていた……。あいつ……あの馬鹿に殴られなきゃ、また友達を失くしていた所だった……」

「馬鹿って……風早君?」

「ああ、やっぱり皆あいつの事は馬鹿で通じるのか」

「ふふっ……それ……言っちゃ駄目だよ……」

 

 正一が理沙の顔をまじまじと見た。


「……ん? あぁ……髪切ったんだ」

「う、うん……! 変かな……」


 理沙の大きな眼を隠していた前髪は、ばっさりと切られていた。

 二重瞼の奥には黒目が大半を占める瞳が、周囲の光を取り込んで、優しく光っている。

 正一はふと微笑むと、そっちの方が良いよ――――と、言った。


「……それじゃ僕は行くよ……」


 正一は自嘲気味な笑みを作ると、理沙に背を向けた。 

 理沙はそんな正一の手を両手で掴んだ。


「ま……待って……!」

「どうしたの……?」


 これだけは言わねばならないと、理沙は上擦った声を発した。


「……あの……えっと……わたしも……貴方の友達……です……!」


 理沙の声と同時に正一は誰かが自分の背中が叩かれるのを感じた。

 彼は驚き、振り返ったが――――。

 後ろには誰も居なかった。

 

「……き、聞いた……っ? もし聞いてないなら無かった事に……」


 我ながら恥ずかしい台詞を吐いたと、理沙は顔を涙目で顔を赤くした。


「……聞いてた……」


 正一の眼は涙で濡れていた。しかし顔は嬉しそうに笑っていた。


「ああ、そうか……そうだよな……いるわけ……無いもんな……!」


 さっきの懐かしい感触はきっと自分の気のせいだったのだ。

 だが、それでも正一は自分の背を()がいつも仕草で叩いた様な気がした。


「……はは……! 馬鹿だなあ……僕は……。あの……伊織さん……」


 手の甲でおかしそうに涙を拭いながら正一は続けた。


「僕でよければ君の友達にしてくれないか?」

「えっ……!? は……は……はッっ―---!」


 過ぎた時間は戻らない。時間は現在(いま)に流れている。

 何故死んだ友人の霊魂が自分の周りに居なかったのか――――今頃になってその理由に気付くなんて。

 ――――最後までありがとう。

 ――――最後に出てきてくれてありがとう。

 ――――もう振り返る必要が無い事を教えてくれてありがとう。

 ――――僕もそろそろ今日を生き始めようと思う。だけど、絶対に忘れないから――――。

 涙なんて男が流すのは恥ずかしいと思っていたが、案外悪いものでもないかも知れない。

 正一が顔を空に向けると、滲んだ空が蒼過ぎて――――目に染みた。


 ――――お~い! 正一! 伊織ー! 

 

 遠くで二人を呼ぶ声が聞こえる。

 冷たいが、どこか温もりのある風が二人の背中から吹き去って行った。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……青春してるなー……」


 五人の学生を中途半端な温度で見守る葎は、そう呟いた。


 ――戻れない青春って悲しいよね――


「それ俺に言ってる!? 言ってるよな!?」


 ――紳士ジョークだ――


「お前のジョークは心を削るのが主な目的か? ……はあ……帰ろ……」

 

 ――おや……。葎、空を見てみたまえ――


「……空? ……ああ、こりゃ良い天気だな」


 昨日まで曇っていた空は、清清しい晴天へと入れ代わっていた。

 葎は背伸びをしながら欠伸をして、うっかり足を引っ掛けて、民家の屋根から転んで落ちた。




<了>


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 一年前、六月某日



「伊織さん、落し物が届いているわよ」

「あ、そのノート……失くしたかと……。誰が届けてくれたんですか」

「ええと……思い出せない……。ごめんなさいね」

「はぁ……そうですか。ありがとうございました」



 

 けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら――――。







 

 さて、では作者の肩が外れそうなので、これにて……。


 次回、八話は早くは無いけど、遅くも無い更新を目指します(ついでにしつこいですが解説も……



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


             おまけ


 葎「おまけ、無しッ!」


 寧「この空間の意味はッっ!?」




           次回はちゃんとおまけやります……。

          

         そしてやっぱり寧さんは出番が無かった。



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