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duplices  作者: rakia
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引く手と引かれる手

 キマシタワー建設のお知らせ。


 百合の花が咲き乱れる気がしなくもない、今日この頃。

 この度、この地にキマシタワーが建設される事になりました。

 近隣の皆様には多大なるご迷惑をお掛けしています。

 工事終了予定は本日付となっておりますので、ご安心ください。

 重ねてお詫び申し上げます。

 キマシタワーが無事完成した際には「キマシタワー」と叫ばれると宜しいかと思います。

 期待はずれであった場合は諦めてください。

 尚、タマリマセンワーについては工事予定を見直しております。

 

 それでは始まり!


 

 藍子は、恐怖すら忘れてリサ(、、)の肩を両手で鷲掴みにした。リサはそれに抵抗する事も無く、藍子を馬鹿にした様に笑っている。

 嫌な笑顔だ。藍子の狼狽ぶりを見て楽しんでいるというよりも、この状況(、、、、)を楽しんでいる様だ。

 そう――――まるで藍子に自分は発見され、自分が藍子と相対する事を喜んでいる様な――――。

 不安そうに眉間を寄せる藍子は、消えてしまいそうな声を絞り出した。


「無くなる……? ど……どういう意味……。貴女は……! 伊織さんに何をしたの……!?」


 うっとりとした声で理沙は言う。


「そのままの意味だけど? 彼女は消えるの。彼女は私になって、私は彼女になる。『怪談』を最初に始めた人間は新しい『怪談』の主人公にならなきゃいけない。ああ、勿論『怪談』の主人公っていうのは化物の方だからね――――」


 襲われる方より、襲う方に華があるもんねぇ――――と、リサはいやらしい笑みを浮かべた。

 理沙になるとは。「怪談」主人公、化物になるとはどういう事だ? この理沙(、、)と自称しているのは何者だ? 藍子の頭の中は酷く混迷していた。

 それでも一つだけ解る事がある。理沙の体を使っているリサ(、、)と名乗る者は理沙を陥れようとしている。どういった形で陥れようとしているのかも、目的さえも全く分からないが、それだけは分かる。

 漠然と肩を掴んだままの藍子に感情が戻る。


「……返して……伊織さんを返して……!」

「そんなに慌てなくても返すって。だってお前を殺すのはこの子だからね(、、、、、、、)。さぁ……鬼ごっこの始まりだ……!」


 理沙の体から突然力が抜けた。藍子は慌てて自分の手を肩から彼女の腰へと移動させ、崩れ落ちる理沙を抱き止めた。


「伊織さん! しっかりして! 伊織さん!」


 閉じられていた理沙の瞼が開かれる。体中に力が籠められ、理沙は振り払う様に藍子から逃れた。

 理沙に突き飛ばされ、後手を地に付けたまま、藍子は理沙の名前を呼んだ。


「い――――伊織さん……?」

「貴女も――――……」


 理沙はか細い声でそう呟いた。

 垂らし髪に理沙の顔は隠され、彼女の表情を窺い知る事は出来ない。だが、この理沙は本物(、、)だ。先程のリサ(、、)ではない。直感的に藍子はそう判断した。


「さっきのは……。あれは……」

「貴女も……っ! 貴女もわたしを苛めるの……!? 何で……? どうしてわたしを苛めるの!? あぁ……止めてよ……もう……。そんな事思い出したくない……」


 理沙は泣いている様であった。彼女は泣き腫らした眼を藍子に向ける。急変した理沙の様子に藍子は慄いた。

 この子は――――今の彼女は自分の知っている伊織理沙の筈だ。それがどうしてこんな――――。

 藍子はよろよろと立ち上がり、言った。


「どうしたの……い――――」

「煩いッ! お前等なんか……! わたしを苛める人達なんて……皆死んじゃえ!!」

「苛める? ちょっと待って……!」

「何でよ……わたしが何かした……? 何もしていないのに……! 皆わたしを笑わないで……。その記憶は見たくない……! ああぁ……嫌だ嫌だ嫌だ……見せないで……!! 見たくないの……!」


 藍子の声は理沙の耳には届いていない。理沙はうわ言の様な言葉を繰り返し、寒さを堪えるかの如く、震える自らの体を抱きしめている。


「もう苛めないで……! 加藤さん(、、、、)……! もう嫌……! ぁぁあぁあっ……!」


 理沙は苦悶の声を挙げると、自分の両頬を爪で掻き毟った。赤い血が柔らかそうな白い肌を網目の様に伝う。白い肌に赤い血は良く映えた。

 痛みが無いのだろうか。いいや、痛みはあるだろう。痛みすら凌駕する苦しみがあるから、理沙は自分の行っている自傷行為に気が付かないのだ。鎖に繋がれた獣が束縛する鎖を引き千切ろうとしているのと同じで、理沙が爪で頬を削ったのも、苦し紛れの行動なのだ。

 理沙の中で声が聞こえる。暗い記憶を呼び起こす、もう一人の自分の声が。虐げられていた日常が。謂れも無い中傷が。病んでいき、腐っていく心も。そのどれもが理沙を抉っていく。既に過ぎ去った過去なのにも関わらず、克明に再生される。

 体の震えが止まらない。吐いてしまいそうだ。胃液が喉を焼く。腹の底が抜けてしまったかの様な冷ややかな不快感が押し寄せる。視点が定まらない。眼球が絶え間なく動き続ける。湿度が高いからか、理沙の頬に垂れる血液は未だにぶよぶよとした中途半端な凝固をしたまま止まっている。

 彼女の――――理沙の網膜は昔の情景を理沙の視界に重ねていた。過去と現在(いま)の境目が消えていく。

 あの時も――――あの時もこの声が聞こえた。殺せと。自分を傷付けた人間を殺せと。

 赤い文字がノートに浮き上がる。「怪談」を書き綴ったノートへと。閉じてしまったノートへと。


 ――――思い出せ。


 嫌だ。思い出しては駄目だ。


 ――――あれ程殺してあげると言ったのに。


 自分はそんなの望んでいなかった。


 ――――苦しいのに?


 苦しいけど。それだけは駄目なのだ。


 ――――だから、私を切り捨てて従属する日常に逃げたのか。


 怖くなった。貴女が怖くなった。貴女が本当に出てきて殺してしまうのが。


 ――――自分を苦しめる奴らなど殺してしまえば良いのに。


 嫌だ。苦しくても殺すのだけは駄目。


 ――――あいつらに媚諂う日々は愉しかったか?


 苦しかった。でも――――それでも前よりは苦しくなかった。


 ――――我慢して、何を得た。


 一年経って、夏になったら友達が出来た。それだけでも救われた。


 ――――お前は私だけを見ていれば良い。


 彼女は誰も手を差し伸べてくれなかったわたしに手を差し出してくれた。


 ――――それだけか。そんなのは紛い物だ。友情? そんな安い友情があるか?


 でも、わたしは信じたい。


 ――――あいつはお前の事など何とも思っていないかも知れないぞ。


 止めて。聞きたくない。


 ――――たまたま其処に居たから助けただけ。お前の事は友達と思っていない。お前が勝手に友達と思っているだけ。


 お願い。壊さないで。わたしの支えが壊れる。聞かせないで。


 ――――独り善がりの友情。惨めなものだ。


 あぁあぁああぁぁ。聞きたくない。そんな事は無い。無い。


 ――――あいつもあの女(、、、)と同じ。お前を心の中では馬鹿にしている。あいつもその内お前を苛める――――。


 違う。そんな事はしない。違う。違う。違う。


 ――――お前を理解出来るのは私だけ。お前がばら撒いた種から生まれた私だけ。


 そんな事は――――。


 ――――なのにお前は私を捨てた。だからお前は必要ない。私達を否定する人間なんて邪魔なだけ。


 嫌だ。私は。私は。


 ――――見てみろ。お前の眼には何が映っている? あれは誰だ? 


 あれは――――加藤。加藤愛歌。


 ――――あれはお前に何をした?


 加藤はわたしを――――苛めた。


 ――――苦しかったろう? 辛かったろう? 何で自分が苛められるのか悩んだろう? 思い出せ、その苦しみを。あいつがお前にした事を。殺したいだろう? あいつはお前を苛めて哂っていたんだぞ?

 

 痛かった。苦しかった。辛かった。ああ、あんな奴死んでしまえば良いのに。


 ――――殺せ。


 理沙が見ているのは自分の記憶――――。


「伊織さん! 止めて! 血が……そんな事をしたら……!」


 藍子は頬を掻き続ける理沙に叫んだ。

 理沙の手が止まり、ゆっくりと下がる。


「早く……。血……」


 藍子は理沙に駆け寄り、理沙の頬を手で拭った。ぬるぬるとした乾きかけの血が、藍子の手にこびり付く。血が付く事など厭わず、藍子は理沙の頬を手で拭い続ける。

 

「絆創膏……。ああ……! 置いてきたんだった……! 痕にならなきゃ良いんだけど――――」


 理沙の手がピクリと動き、いきなり藍子の喉元に掴み掛かった。


「がぁぐああぁぁぁああぁぁ!!」

「う゛……あ゛……ッ!」


 喉を掴まれたまま、藍子は宙に持ち上げられる。凄まじい力だ。

 幾ら藍子が軽いとはいえ、人一人を手だけで持ち上げるなど、相当の筋力を要する筈である。

 それを藍子よりも更に体躯に劣る理沙が出来る筈が無い。しかし、現に藍子は首を絞め上げられている。考えられない事が起きている。

 ――――二重存在……!?

 いいや、そんな訳が無い。それなら燐太が気が付いている。だとしたらこれは――――。

 考えている内にも首が絞まっていく。このままでは完全に――――。

 咄嗟に藍子は理沙の指を一本だけ外した。理沙の力が少しだけ弱まる。続いて二本目、三本目と外していく。小指と薬指だけになった理沙の手はすんなりと外れた。

 

「ごほッごほっ……!」


 咳き込みつつも、藍子は次なる襲撃に備えて、理沙のとの距離を取った。

 逃げる藍子に理沙はゆらゆらと藍子に近づいていく。そして吼えた。


「お前なんか――――お前なんか……! 殺してやる……! 加藤愛歌(、、、、)ぁ……!」


 理沙の瞳は藍子を見ていなかった(、、、、、、、)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 教室の扉を開ける気にならない。目の前にあるこれは、どんなに重い扉より重く感じる。

 入りたくない。入ったらまた何を言われるものか分かったものじゃない。毎日この前に立つ度に、胃の辺りがキリキリする。朝起きて学校に来るのが嫌だ。最近は朝が来るのでさえも嫌になりつつある。家から学校に。その道程も心なしか暗い色彩になっている様に思う。それも全部――――自分のせいなのか。

 苦しいし、止めて欲しい。こんな毎日から抜け出したい。でも、もしかしたら自分が何かしたのかも知れない。自分の何気ない行動で自分がこんな目に遭っているなら、それは仕方の無い事なのだろう。

 父さんか母さん。それか先生に相談するべきなのだろうか。

 言えない。言おうとしても口が閉じてしまう。それにわたし一人でどうにか出来る問題なら、どうにかしたい。

 扉に触れる。白くすべすべとしている扉の表面は、恐ろしく冷たかった。

 扉を少しだけ開いたが、それ以上手が進まない。これ以上は進みたくないと、自分自身が拒否しているのだ。これじゃあまるで、注射を嫌がる子供みたいじゃないか。嫌な事から逃げて、逃げればそれで済むと思っている。逃げた先に本当の逃げ道などありはしないというのに。

 急にガラガラと扉が開いた。危うく扉と扉の境目に手が巻き込まれそうになる。

 危ない。もう少しで挟まれる所だった。あぁ、解っている。これもわざとだ(、、、、)

 わたしは視線を扉の開いた方向へと向けた。扉の先には――――。


「あ~? 伊織さん、そんな所に居たんだ~! 扉の前で立ち止まっちゃ駄目だよ? ほら早く入って」

「え……あ……あ……の」

「良いから早く入りなさいよ。丁度暇だったんだよねぇ――――」


 扉の先にはいつもの顔が覗いていた。わたしは今日もまた、扉の中に引きずり込まれる。

 掴まれて、押されて、粉々にされて。これが夢だったら良かったのに。気が付いたら眼が覚めて。何も無かったみたいに母さんに起こされて。それで学校に行って。皆と愉しくお喋りして。何も嫌な事なんて――――。


「待ってたんだよぉ? あんたさぁ、いっつも扉の前に突っ立ってんだもん。何? 私達が教室に居るから入りたくないとか? だったら口が付いてんだからさぁーちゃんと言ったらどうなの?」

「んむっ……!」


 口に無理矢理指が差し込まれる。舌が掴まれ強く引っ張られる。吐きそうだ。嫌だこんなの。

 むせ返るわたしの口から、加藤さんは指を抜き取った。


「あ~あ。後で手ェ洗いにいかないとなあ」


 全部夢だったら良かったのに。


「ごはっ……ごほッっごほっ……」


 夢だったらこんな辛い思いをしなくて良いのに。


「吐かないでよ? 教室汚されたら堪ったもんじゃないからね」


 誰でも良いから助けて。

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 見知らぬ少女の顔に鋏を突き刺した。

 心地の良い手ごたえ。これだから他人を自分と同じ顔にするのは愉しくて仕方が無い。

 少女は私の顔見て――――醜く口が裂けたこの顔を見て、とても良い顔(、、、、、、)をしていた。氷結した恐怖。不条理な死に怯える色。それを見取る事こそ我が本懐。

 爛れた様になっている自らの口元を触った。この顔。この口。別に何かあってこうなった訳ではない。そもそも自分に過去などは存在しないのだから。生まれた時からこの顔で、この鋏を持っていた。そして自分の生きる目的は一つ。自分の存在を知らしめて同じ顔にする事。

 どうやら以前にも自分は数多く生まれたらしい。それも大規模で。今回は私一人だけの様だが。

 さて、そろそろ次の人間を捜しに行くか。おっと、その前に確認しなければ。

 マスクを再び耳に引っ掛け、少女の口に刺さった鋏を回収しようとした。転がる少女の頭からは、だくだくと血が――――。

 流れていない。変だ。口を突き刺したのに血が一滴も流れ出ていないなんて。

 少女の頭は突き刺した時と同じく、依然として横を向いたままである。私からはその表情も裂けた筈の口も見る事が出来ない。

 本当に殺せたのか? 仕損じたのではないか。いや――――刺した感触はあった。現に少女の顔に――――。

 ぐりんと少女の顔がこちらの方に向いた。顔は――――無傷だ。何も刺さっていない。私の鋏は少女の口に噛み止められていた。

 バリッと鋏の刃の部分が砕けた。少女が噛み砕いたのだ。

 そんな訳が。ありえない。自分という。‘口裂け女‘という「怪談」は人間がどれだけ脆いかを良く知っている。散々、あれだけ殺してきたのだ。生まれて間もない自分でさえ、ひ弱な少女が金属の鋏を噛み砕く事が出来ない事は知っている。だから-―――これは少女では――――見た目は少女だが――――。

 こいつは誰だ。

 

「…………危ねぇな」


 少女の皮を被った何かは不機嫌そうに顔を歪め、金属の破片を地面に吐き出した。

 冷たく静かな口調は、私の感情を揺さぶった。肌がぴりぴりと震えている。これはどういった感情なのだろう。燃える様な――――怒気だ。

 白い中で鋭い眼光がぎらつく。今私が感じているのは紛れも無い恐怖。恐怖を与える私が恐怖を感じている。狩られる。殺される。逃げなくては、これは自分が太刀打ち出来る相手ではない。

 

「いやダ。ころ……されタクナイ……!」

「……殺されたくない……? こいつ(、、、)を殺そうとしておいて……? 良い度胸だな……マスク女……」


 そいつは自分を親指で指しながら、近づいて来た。

 私はそれに背を向けて走り出す。こいつ(、、、)とは誰だ。矢張りこいつは私が殺そうとした少女とは別物なのか。


「逃げてんじゃねぇよ」


 眼前には凶暴な表情の少女が私を睨んでいた。

 何時の間に――――あ――――。

 顔を鷲掴みにされ、まともに喋る事も儘ならない。


「あ……アアァ……! 止めて止めてェ!」


 死に物狂いで暴れると、不快そうにそいつは呟いた。


「止める訳ねえだろうが」


 そいつの手がみしみしと私の顔を締め上げる。

 痛い。痛い痛い痛い。頭が割れる。手が――――食い込む。


「……大事なものを傷付けられそうになって、黙ってられるかってんだよッ……!!」


 星の光が霧と雲に掻き消されている夜空を、紅い激声が衝いた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 部屋の中は暗くて、頭上には淡いスタンドライトの白さが舞っている。

 寂しい部屋だ。姉妹なんて居ないから、わたしには早々に一人部屋が充てられた。姉妹が居る部屋というのはどんな感じなのだろう。少なくとも今よりも寂しくないだろうか。思えばこの部屋には友達すら呼んだ事が無い。小学生の時も。中学生の時も。今みたいに苛められていた訳では無いが、親しい人間が居なかった。人と話すのが昔から苦手だったからだ。親しくしようとしてくれる人間は多少なりとも居たが、わたしが駄目(、、)なのだ。言葉に詰まり、距離感に悩み、そうしてる間にも、どんどん離れていく。わたしが――――悪いのだ。だから、今だってきっとわたしが――――。

 わたしは使い込んだノートを質素な木製机から取り出した。 

 嫌な事があった日は決まってこのノートにそれを書き零す。そうすれば少しだけ楽になる。誰にも言えなくても、こうしているだけで癒される。それともう一つ。このノートは愚痴を書くだけのものではない。自分の想像した話をこのノートに書く。何だか恥ずかしい趣味だが、やってみると案外面白い。

 紙の上では何でも思い通りに出来るから凄く愉しい。思った通りに物語は進むし、登場人物達は皆優しい。誰も悪い事もしない。誰も人を苛めない。不平等も無い。優しさだけが固まった様な世界。わたしもそんな夢心地な世界の住人になりつつあった。

 だって夢の世界の方が愉しいのだから、当然そちらに心を惹かれる。

 わたしは机の上にあるノートパソコンを開いた。

 こっちも忘れちゃいけない。わたしはノートに書き置いた物語をたまにネットで広めるのである。反響だって無いし、専ら趣味の範疇だけど、誰かが自分の作った物語を見て癒されたらそれはそれで素敵な事だと思う。見ている人間が居るかどうかは問題だが。

 立ち上げまで、少し時間が掛かるので続きを書く事にした。ペンケースからシャープペンシルを出す。カチカチという音が鳴り、黒い芯が吐き出されていく。

 さぁ、続きを始めよう。今日はどんな話になるだろう。昨日はわたしに面白い大道芸を見せてくれる、道化師(ピエロ)が登場したんだっけ。じゃあ次は――――あ、そろそろわたしの話相手が欲しいな。わたしにそっくりな名前で、わたしにそっくりな姿の登場人物なんてどうだろう? 名前は――――リサ。リサだ。うん、これだったら、他の話と混ぜても良いかも知れない。

 色々な話を転々とする登場人物。もう一人の自分。それはわたしであって、わたしじゃない。

 新しい登場人物に挨拶でもして置こうかな。

 

 ――――始めまして。わたしは理沙って言います。


 とこんな感じかな。返事なんてある訳無い。続きは自分で書くものだ。

 考えると虚しくなった。何てくだらない一人遊びなのだろう。本物の人間に相手にされないからってこんな事をしているなんて。馬鹿馬鹿しい。それでもその馬鹿馬鹿しい一人遊びに依存している。

 やっぱり、もう寝よう。今日は疲れた。嫌だな。明日が来なければ――――。

 わたしはベッドに向かった。その日はノートを仕舞うのを忘れていて、開きっぱなしだった事を憶えている。それには朝起きてから気付いた。開いたままのノートには――――。


 ――――始めまして。私もリサっていうの。よろしくね。


 真っ黒な文字だった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「……死ねぇぇ! お前なんかぁぁ……。お前なんかぁぁぁ!!」


 理沙は発狂したかの如く怒声を挙げながら、藍子に向かって駆け出した。

 ――――何が――――さっきの……! さっきの奴が言っていた鬼ごっこって……。まさか……。

 突き出される理沙の手を藍子は寸前でかわした。藍子のワイシャツの腕が切り裂かれる。勢い余った理沙は、藍子の脇を抜け舗装された道路に転がり込んだ。

 これは。この力は、二重存在のそれと同じぐらいの破壊力を秘めている。こんなのをまともに喰らってしまえば藍子などひとたまりも無いだろう。藍子の首筋にぞくりとした寒気が走る。

 どうにかしなければ――――だがどうする? 自分は何も――――何も。

 そうだ、自分は何も出来ない。ここは逃避するしか無い。だけどこの子を放って置くのか。理沙の体が無事であるという保障は無いのだ。どうする。どうするべきか。

 自らの肘を抱えた藍子は立ち往生しつつ、理沙に視線を遣った。

 

「あ――――ああああぁッっ!! 思い――――出したくない……ッ!」


 地面に倒れこんだ理沙が、頭を振り乱しそう叫んだ。

 痛々しい絶叫が藍子の耳を劈く。聞いている藍子の方が痛くなる様な、そんな叫びである。

 抑圧された感情が決壊したダムの様な理沙の心から流れ出す。今まで我慢してきた分の憎しみが、理沙の体内を血液の代わりに巡り回る。そんな中、理沙の覚束ない視点は立ち尽くす藍子を視認した。

 藍子を見る理沙の眼が一瞬だけ現在(いま)のものへと変化した。

 幼子の如く理沙は嗚咽を漏らす。


「……けえて……たすけて……助けて」


 正常になった目付きの理沙の瞳から、硝子の様な涙が滴り落ちた。

 理沙は追い縋るかの如く、藍子に向かって手を伸ばした。だが、彼女の耳元でまた誰か(、、)が暗い記憶を囁いた。


「うううぅぅ……! う゛ああぁぁぁああ!!」

「伊織さ……ん。伊織さん!」


 悶え苦しむ理沙に見かねた藍子は理沙に近づこうとした。

 理沙の視線が機械の様に藍子の方を見る。燃え盛る憎しみの華が理沙の瞳に咲いている。

 その剣幕に藍子は怯んだ。


「そんな……理由で……! わたしは……ッ!」


 理沙はふらふらと立ち上がる。


「理由? 理由って……!」


 理沙は何を視ている? 何を見せられている? 多分彼女が豹変したのはそれが原因だ。


「くだらない……! わたしは……わたしは……お前のそんな理由でぇっ!」


 顔を片手で押さえ、理沙は藍子に迫ってくる。

 一先ず逃げて時間を稼ぐしかない。そう思った藍子は足取り不確かな理沙を、躊躇いつつも背にした。

 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 昼休みのチャイムが鳴ると、わたしはいつも何の変哲も無いノートを持ってトイレに行く。

 まだ季節で言えば暑い筈なのに、白いタイルで覆われている部屋の中は冷たかった。

 個室に入って、鍵を掛けて、そして薄い青のノートを開く。それがいつもの習慣。

 ノートを開くと、黒い(ライン)で区切られている余白に早速彼女の言葉が浮かんできた。 


 ――――今日は早かったね。お昼食べて無いでしょ?


「うん……あんまり食欲無いから……」


 ――――嘘ばっかり。家じゃあんなに食べてるのに。


「そ、それはっ。家に着くと安心して……お腹が減るからっ……」


 ――――ふう~ん。


「う……嘘じゃないって……!」


 ――――そういう事にしておく。


「あ……うう……嘘じゃないの……」


 ――――あはははは。


 リサと――――話している時だけは心が安らぐ。これも、わたしの妄想なのか。それでも良い。わたしと話してくれる友達が居るだけでどんなに辛くても我慢出来るから。

 だけどたまに――――。

 ぼうっとしていると、何人かの足音が聞こえた。


「誰か来た……」


 ――――聞こえてるよ。大丈夫。黙ってるから。


「う、うん……」


 誰だろう。私は息を潜めて、早く行ってくれるようにと願った。

 

「あいつさぁ、最近何処行ってんだろーね。他の教室にも居ないみたいだしい?」


 聞き慣れた声だ。そして一番聞きたくない声でもある。


「あいつに友達が居る訳無いじゃん。だって、あたしが出来ない様に努力してんだもん!」

「うわっ、愛歌ってかなりきつい事するよね~。その内自殺でもするんじゃない――――」


 あいつって。あいつって――――。わたしだ。


「伊織さんさぁ」


 体が震えた。自分の事を言われているのだと思うと、全身の力が抜けていきそうだった。


「第一、愛歌って何であの子ばっか狙ってんの? 別にどうでも良い感じじゃん? 地味だし? ねー」

「あーそうだねー。これといって邪魔でも無いけど、面白いって感じの子じゃないしねぇ? どうなの愛歌!」

「……だってさぁ、あいつ暗いじゃん。入学した時からずっと思ってたんだよね。だからさ、あれはあいつを鍛える為の訓練なんだよ。ストレス解消にもなるし」

「うっわー! 素でそういう事を言っちゃうんだー! 引くわー」

「そう言いながら、あんた達だって笑ってんじゃん」

「しょうがないよ。面白い(、、、)んだから」


 くすくすという嘲笑が耳に纏わり付く。

 何でよ。わたしは自分が何か気に障る事でもしたのかって――――自分が悪いかもって思ってたのに。暗いから? ストレス? そんな事で苛められていたの? 理由なんて殆ど無いじゃない。そんな理由でこんなに苦しい思いをしてきたのか。

 哂い声を聞いていると、扉の外の彼女等がわざわざ自分が此処に居るのを知っていて、それで故意にこの扉の前でこういう事を聞かせているんじゃないかと思った。

 

「あー! 笑わせて貰ったわ! 案外、あいつこの中とかに居たりしてね」

「そうかもね――――じゃあ、言ってみる? ……おーい聞こえてるかー。流石にさあ、あたし達も自殺されるのは困っちゃうんだー。それにもう飽きてきたから、もう直ぐ止めるかもねー、苛め。そしたら、あんた……あたし達のパシリでもなる? あっは! あっはは!」


 熱い涙がジワジワと零れていく。解っているのに、泣いたらいけないって。

 でも我慢できなかった。


「止めなよぉ、愛歌ー。人違いだったらどうすんのよー」

「まぁ、その時はその時ね。それじゃあ、教室で待ってるからねー。い・お・り・さん」


 複数の足音は去っていった。

 眼を擦りながら、涙を拭いた。顔――――赤くなってるかも。どうしよう。保健室、行こうかな。

 ぽたぽたと涙がノートに落ちる。水吸ったら、ふやけちゃう。袖でノートのページを拭おうとした。

 ノートには赤黒い文字が浮かんでいた。おかしいな。いつもとは文字の色が違う。


 ――――大変だったね。


 彼女の言葉は優しかった。


「だ……大丈夫……わたし……平気だから」


 ――――平気そうに見えないな。ねぇ……あんな奴らさ。殺しちゃえば?


 涙が止まった。安心したからとかじゃなくて、肌がぞくりとしたのだ。

 リサの文字からは感情らしい感情が、読み取れなかった。虫でも殺せと言っている様な――――。

 そういう無感情な文字だった。気のせいかも知れない。でも――――気のせいなのか。


「え…………。冗談……だよね……?」


 憎いけど、その一線は越えてはならない一線だ。それを超えるぐらいなら、我慢を――――。


 ――――冗談なんかじゃないよ。……ああー、でも。私が生まれたのって、あいつらが原因でもあるのか。じゃあ、保留かな。殺すのは後だね。


「後って……わたし……人なんて殺せない……だ、だって!」


 だって何なのだ。自分にはあいつらを殺したい理由はあっても、庇う理由など無いのではないのか。

 単に殺す勇気が無いから殺せないだけで。


「違う……! 違う……!」


 ――――ふっ……ふふふふ……。


 わたしにそっくりな笑い声が聞こえた。


 ――――じゃあさ、私が貴女に代わって(、、、、)――――殺してあげようか?


「そ……そっ…そんなの……い……嫌っっ……!」


 怖くなったわたしはノートを急ぎ、閉めた。

 私の友達は時々、酷く残酷になる。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 赤っぽい夕日が燦燦とわたしに差してくる。眩しいので瞬きをした。

 ホームルームの終わった教室は中身が刳り貫かれた洞窟の様にがらんとしている。洞窟に中身は最初から無かったか。そういえば、あれはどうやって出来上がるのだろう? 誰かが本当に掘っているのか。それとも自然に出来るのか。雨風で削られるのかも。まともに気にした事が無いので判らない。

 兎角、この教室の中身はわたし一人だ。一日の課程(カリキュラム)が終わるのと同時に、わたしが感じていた鬱屈とした空気は消えている。

 入学当初から始まった苛めは、五月を境に治まっていった。 元々、本気ではなかったというのもあるらしい。熱が冷めた様に。玩具から興味を失った子供の様に。相変わらず、一部のグループからはぞんざいな扱いを受けているが、耐えられる。

 わたしが苛められていた理由というのは、単に苛め易かったからだそうだ。理由らしい理由など最初から無かった。皆、何処かに、日常から生じる軋轢や苛立ちをぶつけたくてしょうがなかった。そして、抵抗しない、かつ他人に相談も出来ないわたしが目標(ターゲット)に選ばれた。

 何も言い返せないわたしは彼女等の格好の獲物だった様だ。誰かが生贄と成らなければならなかった。わたしが妥協すれば治まる問題だったのだ。

 誰も助けようともしなかったのもそれが理由だ。先生も鈍感なのではなく、見てみぬ振りをしていた。その方が穏便かつ、円満に済む。一人が不幸になれば、その他が楽になる。

 悔しかった。そんな理由で苛められていたのかと。そんな事で(、、、、、)苦しんでいたのかと。でも――――それ以上に誰も助けてくれなかった事実が虚しくて、悲しかった。

 机の上に乗せられたノートを捲る。これも、もう習慣と化している。

 虚妄の中の友達だけが助けてくれる。現実では嘘でも、わたしにとってはこっちの方が現実なのだ。

 

 ――――また苛められたんでしょう。


「よく分かるね……。いつもの事だから、大丈夫だよ……」


 ――――我慢してる。


「してないよ……」


 ――――ふふふ……。


「……? どうしたの……?」


 ――――何でも無いよ。


「そう……それなら良いんだけど」


 彼女との‘会話‘をしていると、時間が物凄く早く過ぎてしまう。うかうかしていると、下校時刻を過ぎてしまう事もままある。

 時計を確認しようと顔を上げた。その時教室の後ろの方からわたしに向かって声が投げ掛けられた。


「何やってんの?」


 見られた。リサとわたしのやり取りを。誰だ。誰が――――。

 肩越しに振り返ると、加藤さんがわたしを不審そうに見ていた。

 加藤さんはわたしの方にすたすた歩いて来ると、机のノートを覗き込んだ。


「あのね……こ、これは……」

「気持ちわるっ。あんた一人で、自分と会話してんの?」


 そうだ、これは嘘で。でも――――だったら、この文字は誰が書いているんだ?

 麻痺していた常識が戻るのと同時に、体が芯から冷たくなった。

 最初からおかしかった。やつれた心に、その異常性は感知出来なかったが、そもそもわたしは誰と筆談しているんだ。

 リサって誰? 

 そんな最初に出る様な疑問が出てこなかった事自体が、わたしが麻痺しているという証拠なのだ。


「いい加減、現実逃避すんのも止めたら? たまにあんたの姿が授業中に眼に入るけどさ、一人でこんな事してたんだ? へぇ? お話? くっだらない。御伽噺の妖精さん達が、お友達って? ……そんなものはこの世に存在しないんだよっ!」


 ノートが床に叩きつけられる。加藤さんは更にノートを足で何度も踏んだ。


「や、止めてっ!」


 それは彼女(リサ)でもあり、わたしの友人達なのだ。

 わたしは咄嗟にノートに手を伸ばした。そんな事はお構いなしに、加藤さんの足はわたしの手ごとノートを踏み潰し続ける。

 硬い感触が何度も、何度も、私の手を打ち付ける。ひりひりとした痛みが手を刺激する。骨にまで響く容赦の無い痛み。それはわたしの手の感覚が無くなってきた所で、気が済んだかの様に止められた。


「そんなに必死になって、馬鹿じゃないの? ノート……汚くなったわね。あんたにはお似合いだよ」


 そう言い捨てて、加藤さんはわたしを残して教室から去って行った。


 わたしの友達は――――存在していない……。だったら、リサは――――。

 手を押さえながら蹲るわたしの眼に、僅かに捲れたノートのページが映った。


 ――――私は此処に居る。私は存在している。そうでしょう? 理沙。


「存在……。リサは……わたしの友達は……」


 加藤さんの言葉が頭の中で翻る。 

 言ってはいけない言葉へと、わたしの口が動き出す。


「貴女は――――わたしの想像の――――」


 ――――想像? こうやって貴女と会話しているのも想像なの?


「わたしは錯乱していて……だからこんな妄想を……」


 ――――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 夥しい血の様な色の文字がノートを埋め尽くしていく。

 ひっ、と私は短い悲鳴を挙げた。


 ――――否定するな。


「だって……! 貴女は何処にも居ないじゃないッ……!」


 言ってはならない事を言ってしまった。

 赤い文字はピタリと止んだ。


「あ……ご、ごめん……っ。そんなつもりじゃ――――」


 ――――許さない。


「えっ……!」


 ――――私を否定するならお前も必要無い。


「何を……言って……」


 ――――そうだ――――私がお前に成れば良いんだ。そうすればあいつもわたしを否定しない。


「リサ……? 貴女……何か……おかしいよ……!」


 ――――おかしくなんかない。私はお前で、お前は私。そういう風にお前が作ったんだ。


「それは――――そうだけど……っ」


 ――――ねぇ代わってよ。お前が私の代わりに‘嘘‘になってよ。私が本物に……お前になるから。


「それはッ……――――」


 ――――代わって。お前の代わりにあいつを殺してあげるから。


 真っ赤に染まったノートから黒い手が伸びた。黒い手はわたしを探す様に、うねうねと動いた。

 

「き――――きゃぁぁああぁあ!!」


 わたしはノートを閉じた。腕は抵抗もせずにノートの中に――――。

 その日からわたしは物語を書くのも、彼女との筆談もしなくなった。

 



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 物語を書かなくなってから暫く経つ。相変わらず毎日は息苦しいけど、前よりは楽になった。

 そうだ――――これで良いんだ。甘い幻想より、苦い現実を見なきゃいけない。わたしが生きているのはあちらの世界ではなくて、こっちの世界なのだ。

 ノートを開けないのはそれだけが理由っていう訳じゃない。

 開くのが怖い。開いたら、また彼女に逢ってしまう。それだけは駄目な気がする。彼女には何度も助けられたし、無碍にはしたくないが――――怖いのだ。どうしても彼女の暗い言葉が頭に蘇る。ノートを開こうと思っても、それが邪魔をする。あの時の彼女の言葉は本物だった。それだけは分かる。

 話し合うべきなのかも知れない。だけど、もう少しだけ時間が欲しい。物語を作るのに飽きてしまったというのもある。作るだけ作ってムシの良い話だとも思うが、創作意欲はガクンと下がってしまった。それにノートが開けない以上、物語の続きを書く事は出来ない。

 あの中に居る友達には弁解のしようが無いけど、時間を置きたい。

 こっちの世界(、、、、、、)ではお金だって取られる。嫌な事も言われる。友達も居ない。だが、わたしはわたしの作った友達が怖い。軽はずみに「死ね」と言うなら誰だってやってるし、別にどうという事も無いだろう。けれど――――リサは――――言葉は本物だが――――。

 扉を叩く音が聞こえる。玄関からだ。

 誰だろう。父さんや母さんは今日は帰ってこないと言っていたし、郵便とかかな。扉を叩くぐらいなら、インターホンを鳴らせば良いのに。まぁ、たまにはそういう人も居るから不思議じゃないか。

 いや――――待て。こんな夜分遅くに郵便なんて来ない。

 おかしい。誰だろう。

 心臓の鼓動が早くなり始めてきた。どうしてなのか、怖いけど玄関まで出ないといけない様な――――。

 また、扉が叩かれた。催促されているみたいだ。

 足が勝手に玄関に向かって歩き始める。ぎしぎしと木の床が鳴り、素足から冷たさが伝わってくる。何だか頭がふわふわとしてきた。足元が溶けていく。足元がぬかるんで歩き辛い。足を取られない様に気を付けなくては。捩れた螺旋になっている廊下を抜ける。わたしは夢の中を歩いているのだ。現実感のある夢だ。いいや、もしかしたらさっきまではこちらの方が現実だったのかも分からない。

 廊下を抜けると、そこにはそれだけ正しい位置に定まっている扉があった。他のものは全部おかしくなっているのに、それだけは変化が無い。だからこそ――――。

 狂っている。

 引き寄せられる。

 その扉へと。

 

「あっ……」


 刹那の夢に誘われていたわたしは、玄関扉の前でぼんやりと立っていた。

 わたしは何をしていたのだ。さっき――――玄関から音がして。それで、見に行こうと――――。

 違う。わたしは不審に思えど、見に行こうなどとは思っていなかった筈だ。

 どんどんと扉を叩く音で眼が覚めたのだ。急速な覚醒は、急速な不安感をも呼び起こした。

 開ける――――べきなのか。そう思った時にはわたしは扉のノブを引いていた。

 扉の前には、わたしと同じ背格好の()が居た。

 影はわたしを見ると、滑らかな声を発した。


「――――始めまして。いや、初めてじゃないよね」


 真っ黒で、影みたいなそれ(、、)はわたしと瓜二つの顔をしていた。

 影が抜け出した。そんな馬鹿な。影が抜け出る訳が無い。だけど――――矢張りそれはわたしの影に見える。

 影はわたしに笑い掛けた。黒くても、周囲に灯が無くても、そのどろりとした笑みがわたしを捉えているのが解る。


「だ、誰……? 貴女誰……!? 何で、何でわたしと同じ姿なの……!」


 影は小馬鹿にした様な哂い声を発した。


「おかしいなぁ? だって貴女が作ったんでしょう? 貴女が考えて、貴女が書いて、貴女が語ったんだよ」

 

 何を言っているんだ。まさか、「怪談」――――。

 そんな事が。そんな事があって堪るか。だってあれは――――全部わたしの作り話じゃないのか。


「あ――――ありえない……! あれは……! 全部わたしの妄想で……! 本当に居る筈は――――! い、悪戯なら……止めてッ……!!」


 そうだ。妄想だ。そんなのは現実に存在しないんだ。


「悪戯なんかじゃないよ。ほら、見てみなよ。外だ」 


 影に言われるがまま、影の背後に視線を動かした。

 本当なら、暗くて閑静な見慣れた風景があるのに――――道のど真ん中で、けばけばしい服装の道化師(ピエロ)が大きな玉の上に乗って、片足で均衡(バランス)をとっていた。

 あれはわたしの物語(、、、、、、、)の道化師だ。

 淡い街灯の明かりが道化師の上から降っていて、とても綺麗だった。

 道化師はわたしの視線に気が付くと、にっこりと化粧の乗った白い顔で微笑んだ。


「あ――――嘘……。だってお話の……。わたしが作った……」


 闇の中に居たのは、道化師一人だけじゃなかった。

 無邪気なトイレの花子さん。紫のお婆さん。怖い顔だけど本当は優しいベートーベン。勤勉な二宮金次郎の像。うっかりやの人体模型。恥ずかしがりやのテケテケ――――。それらはお母さんが自分の母校の先生から聞いたという「怪談」の中の妖怪達。わたしは怖いのが嫌だったから、それに少し脚色をして自分の世界の住人にした。

 可愛らしい人形が佇んでいる。闇夜に映える金髪。あぁ、あれはメリーさんだ。捨てられたというのは可哀想だから、旅をしているのだとわたしが作り変えた(、、、、、、、、、)メリーさん。

 そんな――――そんな筈は。

 影を押し退けて、わたしは靴も履かずに外に飛び出した。

 

「い、いっ……! いやぁぁぁッっ!!」


 思わずわたしは叫んでいた。何も考えられなかった。狂ってしまいそうだ。だってこんなのは――――。 

皆居ない筈なのに(、、、、、、、、)……!!」


 あってはならない者達が居る。世の理が壊れている。

 後ろから玄関のドアが閉まる音が聞こえた。


「あっ……!」


 逃げ道は消えたのだ。

 肩を叩かれた。振り返ると、影が嬉しそうに哂っていた。

 悪意に満ちた笑顔に、わたしは口を金魚の様にぱくぱくとさせるだけで、全く声が出なかった。


「この中にはねえ、貴女が知らない『怪談』もあるんだよ。ほら、見える?」


 影はわたしの背後に指を伸ばした。わたしは後ろは見ずに、影をばかりを見ていた。


「口裂け女に、ひきこさん。どっちも貴女と一緒で、苛められていた――――。ってまぁ、私が作ったんだけど。この不安定な体で他の『怪談』を作るのには苦労したよ。昼間は動けないしねぇ? 口裂け女は良いとして、ひきこさんは作り直さなきゃいけないかも知れないなあ。出来損ないだから。苛められて『怪談』になったのに、苛めた人間を殺せないんじゃあ、本末転倒だからさ」

「あ…あぁ…あああぁ…ぁ……!!」

「貴女も『怪談』になるんだよ。貴女は私になるんだ(、、、、、、)。私の存在を認めない貴女なんか要らない。私が貴女になる」

「いっ嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……。そんなのは嫌……!」


 月の雫がとろとろと落ちてくる。黄色い光に影が照らされた。

 わたしの姿を模した影は大いに哂っている。こんなに――――こんなに怖いのか。わたしの友達は優しくて、わたしを慰めてくれて、だから、だから、だから。わたしを苛めている人間達と同じ嫌な笑顔はしない――――。


「じゃあ、新しい『怪談』を始めようか。……ああそうだ。良い事教えてあげるよ。貴女がどう思っているか知らないけど、私は貴女の理解者であって、友達じゃないの。理解者だから痛みは理解してあげるけど、同情なんてこれぽっちもしてないからねえ。貴女は所詮、私と入れ代わる為の器なんだよ」


 友達だと――――思っていたのはわたしだけなのか。

 黒い影が口から入ってくる。吐き出そうにも吐き出せない。胃に届き、体に染み渡り、影がわたしになっていく。体を動かそうと思っていないのに、体が動き出した。体を動かしているのはわたしの意思じゃない。私の意思(、、、、)だ。

 私が哂う。唇を歪めておぞましく。そして言った。


「じっくりと罰を受けて貰うよ、理沙」


 わたしには何も聞こえていなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 リサが来てしまう。早く逃げないといけない。

 逃げるって、一体何処に逃げるというのだ。彼女はわたしの中に居るというのに。

 彼女は夜になったら動き出す。丁度夕刻と同じぐらいの時間にわたしは彼女に乗っ取られるのである。

 そうなったら、勿論体の主導権は彼女に移る。彼女はわたしの作った「怪談」を歪曲して広めている。ネット上で「都市伝説の鳥籠」というサイトを開いたり。何を思ったのか、母の母校に行って「怪談」を見た先生と接触したり。何を考えているのだろうか。わたしは彼女がやっている行動を、彼女と同時に体験しているが、その行動は全く要領を得ない。

 「怪談」を広めて何をしているのか、わたしはリサに訊いた事がある。その時彼女は、自分達の存在を認めさせる、と言っていた。それはつまり、他の「怪談」達も自分と同じ様に実体を持たせるという事なのか。彼女はこうも言っていた。約束通り、加藤愛歌を殺してあげる、と。

 そんな事は出来ない。させてはならないというのもあるが――――。

 わたしは加藤さんが怖いのだ。彼女が居るだけで怖い。それはリサから感じる恐怖と同質であり、わたしはその恐怖に体が竦んでしまう。内側と外側、その両方でわたしは板挟みになっている。

 リサと入れ代わる様になってから、わたしは鏡を見られなくなった。昼間にならリサは出て来ないし、別に鏡を見てもどうという事も無いのだが、鏡を見ていると自分が自分でなく、わたしの代わりにリサが映っている様な気がするのだ。

 鏡の中の鏡像が本当に自分なのか自信が持てない。自分という脆い現実が、リサという強固な幻想に取って代わられている――――わたしは何処へ消えてしまったのだろう。自分という存在が消えていく。これが彼女が言っていた罰というものなんだろう。

 徐々に自分が無くなっていくのがこれほどまでに辛いとは。知らない意思に体を支配され、街を夜な夜な出歩き、「怪談」達と闊歩する。そんな生活をわたしは送っている。

 父さんや母さんに言おうとも思ったが言えなかった。だって、こんなの誰も信じない。

 何処に逃げたら良い。何処に行っても結果は同じなのに。

 ……押入れ――――。

 そうだ押入れに――――。

 悪足掻きにも程がある。でも逃げずにはいられないのだ。そうしなくては、自分というものを保てない。形だけでも抵抗しないと、わたしは彼女に飲み込まれてしまう。

 それは嫌だ。

 押入れの襖を開けると、木材のむっとする匂いが鼻を刺激した。

 子供の時も怖い思いをした時は、こうして押入れに閉じ篭っていた事を思い出した。

 微々たる安堵感が胸に広がる。


 ――――うふッ……あははっは……。


 彼女の声だ。彼女の声が聞こえる。それは何処からでもない。自分の中から。

 来る。理沙が来る。わたしの代わりになろうとわたしの中から這い出てくる。

 妄想の世界に逃げ込めたらどんなに良いだろう。けれど、この不可思議な恐怖は妄想から生まれ出た。だったら、わたしの逃げ道なんて無いじゃないか。現実の世界にも。妄想の世界にもわたしが逃げられる場所なんて無い。何も無い。何も――――。

 瞼が落ちてくる。眠気が――――。眠ったら、リサが――――。

 じんわりと下着に染み付いた汗の、気持ちの悪さでわたしは眼が覚めた。

 寝て――――しまっていた。

 頭が冴えてくると、自分の置かれている状況を思い出した。

 体が寒い。鳥肌がぷつぷつと立ち上がる。

 リサが探しに来る。わたしを捕まえに、わたしを奪いに。

 押入れが開いた。開けているのはわたしの手だ。

 ああ……そうか……。もうとっくに乗っ取られていたんだ。


「今日は何処に行こうか? ねぇ? 理沙?」


 夜が始まる。

 



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「それじゃ! 借りるね~」

「……うん……」


 加藤愛歌達はそう言うと、用済みになった理沙の許から去って行った。

 何故殺そうと思わない。頑なに殺すのを怖がる?

 奴らは()の産みの親でもある。全く持って不愉快極まりないが、事実であるので仕方が無い。

 理沙は、加藤達が去って行くと、悲しそうに顔を俯けた。

  悲しいのか。馬鹿な娘だ。何でお前を傷付けた相手に対しても、そんな表情をするのだ? 金をせびる相手にどうして? 同情でも買いたいのか? 

 いいや、そうじゃない。私は良く知っている。理沙は愚かしい優しさを持っている。だからこそ、壊すのが面白い。あれから殆ど話し掛けて無いが、理沙は私でさえ慮る態度を見せる。

 愛されている。見られている。私を自分の友達だと思っている。彼女の愛を独占出来るのは心地が良い。誰にもその愛を向けてはいけない。それは私のものだ。誰にもあげない。彼女は私に愛を捧げて、消えていけば良い。

 あの時の事など口実に過ぎないのを理沙は知らない。最初から、私は彼女の体を狙っていた。ぷかぷかと幻影の海に浮いている頃からだ。まだ何も出来なかった頃から。理沙の写し身として私は存在を確立させ、その存在意義として体を求めた。だが、肝心の体は理沙が持っている。体は一つしかない。でも私は理沙ではない。理沙の紛い物なのである。それに気が付いて――――欲しくなった。

 ――――そうだ、彼女から体を奪えば良いのだ。そう思った。

 私は理沙の虚像である。しかし、まがりなりにも唯一の写し(コピー)でもある。

 この際、本物か偽物かなんて関係無い。たとえ、偽物でも本物になってしまえば良い。

 そして私は理沙の体を奪う事に決めた。本当はもっと時間を掛けて自分を上書き(、、、)していくつもりだったが、加藤愛歌のお陰で理沙の心は早々に壊れ、救いを紛い物である私達に求め出した。

 私がこうして案外早く生まれ出たのも、彼女の想いが強かったからだ。

 それ程に彼女は自分を受け入れる者を渇望していた。

 ああ、何て可哀想な娘。運命の巡り合わせが悪かっただけなのに。要領が少し悪かっただけなのに。お前を助けようとした人間だって居たのに――――。お前がそれに気が付かなかったんだ。

 こうまで愚かしいと、哂えてくる。彼女は最後の瞬間まで私を楽しませてくれるだろう。

 じわじわと嬲ろう。そして彼女には優しい絶望を与えよう。


「お腹……空いた……」


 理沙は路上に蹲った。

 確か――――昼食に水を掛けられて、食べられなくなったんだっけ。

 意外と大食いな彼女にとっては辛いのだろう。理沙は蹲ったまま立とうとしない。

 いや、立てないのかも知れない。その彼女に、通行人達は無関心な視線を送るばかりで、助けようともしない。これが人間の本質だろう。関係の無い人間にはとことん無関心なのだ。

 何人かは下心のある視線で理沙を見ているが、白昼堂々襲う輩など居ない。もしそんな事になったら、私が出る。大切な体(、、、、)だ。傷物には出来ない。


「――――あなた、大丈夫? お腹痛いの?」


 凛々しい顔の少女だった。透き通る様な短い髪が風に煽られている。

 そいつは理沙を気遣う様に見下ろしている。

 私は何故かそいつが気に食わなかった。

 

「あ…………」


 自分自身も話し掛けられるとは思っていなかったのだろう。理沙は驚き、顔を上げた。


「だ、大丈夫です…ご心配無く…」


 大丈夫なものか。まだやせ我慢をするのか。

 短い髪の少女は探るかの如く続ける。


「でも……蹲ってたじゃない」


 そう言われると、理沙は伏目がちに短い髪の少女を見た。

 他人に対する不信感が募っている理沙にとって、この少女はどう映っているのか? 

 ふとそんな事を思った。

 理沙の目線の高さまで、少女は自分の目線を合わせた。


「無理しなくても……――――」


 その時、理沙の腹の音が鳴った。

 間の抜けた音が硬い地面に反響する。

 その音の発生源である理沙は、恥じ入る様な表情で顔を赤くした。

 一方、理沙と同じくアスファルトにしゃがんだ少女は呆気に取られた顔で口を開けた。


「……お腹減ったの? それで……ここに……?」

「恥ずかしながら……」


 一瞬間を置いてから少女はクスクスと笑い、口元を押さえた。

 少女はおかしそうに理沙を見る。その眼は普段理沙にぶつけられている、彼女を馬鹿にした様なものではなく、親しい友人に向けられる温かい眼だった。


「あはははっ!」

「笑わなくても良いじゃないですか……」


 理沙は珍しく、他人に言い返した。


「笑っちゃうよ、これは。……そうだ、これあげる」


 少女は笑いながら肩から下がっている鞄を開いた。そしてその中に手を入れると、黒い艶のある、小さく細長い包みを探り当てた。


「……あ……」


 理沙の視線が泳ぐ。その黒い包みを物欲しそうに見詰める。


「…………」


 無言の少女は包みを指で掴み、右に動かした。


「ああっ…!」


 理沙の頭も左右に動く。この少女は理沙で遊んでいる。

 こいつもどうせ、彼女を見捨てた人間達と一緒なのだ。彼女を理解出来るのは、彼女から生まれた私だけだ。それなのに、どうしてこいつには悪意が感じられないのだろう? 

 それが無性に腹立たしい。


「ううぅ…!」


 理沙は悲しそうな声を発した。

 少女は笑いを噛み殺しつつ、包み紙を右に動かす。


「…いじわるしないでよぅ…」


 こんな筈は――――彼女が――――。

 少女はもう一度左に包みを動かした。


「ああー……。もう……」


 痺れを切らした様な声で、理沙は黒い長方形を追いかける。

 何が少女に火を点けたのか、黒い包み紙は振り子の様に激しく揺れる。理沙もそれに必死で付いていく。

 愉しそうだ。愉しそうで――――とても不愉快だ。この娘は私のものなのに。

 理沙の息が切れてきた。少女の方は平気そうだった。


「あのっ…! はぁはぁはぁはぁ…もう勘弁してくれませんか…」


 肩で息をしながら、理沙は少女に言った。

 少女は一寸ばかり残念そうな表情になってから、理沙に黒い包みを与えた。

 相当に飢えていたのか、理沙は包み紙を早速破ると中身の焼き菓子の様なものを口に入れ、そのままろくに咀嚼もせず、飲み込んだ。


「ありがとう! ……! あぐ……うぐ……!!」


 彼女は咽返った。当たり前である。体が小柄である理沙は喉も細いのだ。

 焼き菓子を喉に詰まらせた理沙の背中を、少女が叩いた。少女が背中を叩くと、理沙は喉に引っ掛かっていたものをどうにか飲み下した様だった。

 私は理沙に触れられないのに、どうしてこいつは彼女に触れているんだ?

 少女は呆れつつ微笑んだ。


「あ~あ……急いで食べるから……」

「い、いや……ゴホッ……問題無いですから……。……あ……あのう……」


 咳き込みながら、理沙は少女の鞄の方をおどおどと見た。


「ん? 何……?」

「もう少し何か頂けませんか……。お金はちゃんと払うんで……」


 蚊の泣く様な声だ。理沙のその声が聞こえたのかどうかは分からないが、少女は片眉を上げ、鞄の中から新たに紫の包みを取り出した。


「…欲しい?」

「欲しい!」


 久しぶりに聞いた明るい理沙の声だった。

 妬ましい。何故初めて遇ったばかりのこいつが理沙のこんな声を引き出せるの? 

 自分の手が届かないものを。元から手に入れるつもりは無いが――――だが、彼女の全ては私のものだ。

 少女は理沙の目の前までその紫の包みを持っていった。理沙はそれを掴もうとする。が、掴まれる直前に少女が手を戻した。理沙の手をかわしたのだ。

 今まで私が一度も見た事が無い、拗ねた様な表情で理沙は唇を尖らせる。


「ほーら…ほーら…」


 理沙は悔しそうだが、少し嬉しそうな顔でそれに応じた。

 気に入らない。こいつ――――とっても気に食わない。理沙は私のもの。誰にもあげない。

 だから、こんな奴殺してしまおうか。

 もし、理沙がこいつと関係を万が一にでも続ける様であったら――――その時は――――。

 私が心配していた通り、理沙はその後もその少女――――柳葉藍子との交友を続けた。

 理沙は明るくなった。学校では相変わらずだったが、家ではとても妬ましい程に幸せそうだった。

 理沙は柳葉を友達だと言った。私が何を言っても、それは揺らがなかった。

 だから、予定を早める事にした。理沙の体は早めに私が貰う。

 そして面白いゲームを考えた。理沙が消える時のとっておきのゲーム。

 これは理沙が消える直前でなければならない。それまでは彼女の意識には手を出さない。

 だけど――――柳葉藍子を見付け次第、そのゲームと同時に彼女は崩壊を始める。

 ゲームは簡単だ。理沙の中の封じたい記憶を少し蘇らせてあげるだけだ。その上で、柳葉藍子に殺意を向ける様に幻覚で誘導させる。最後は彼女自身の手で友達とやらを殺すのだ。

 彼女はどこまで耐えられるだろう? 愉しいゲームになりそうだ。

 私を見てくれない理沙(わたし)なんて消えてしまえ。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「君は『怪談』から生まれたらしいね。だったら、こういうのはどうだ? 『ひきこさんは、紳士とその相棒には勝てない』と。これも立派な『怪談』になるだろうか? 私が口に出して、其処の少女に伝わった時点で『怪談』が発生する条件は満たしていると思うのだが――――」


 霧の中に立つガラはひきこさんを視界に据えつつ言い放った。

 ひきこさんはくくっと哂い、返答した。


「それは無理だね。だって、この街に私という『怪談』を知っている人間がどれだけ居ると思っているの? 貴方が勝手に書き換えたって、それは激流の中に僅かな色水を注ぐのに等しイ。そんなので私という『怪談』覆らなイ!」


 ふうむ……とガラは唸った。


「それは何とも残念だ。大多数の意見が優先されるのか? 多数決社会は好きじゃないな。ふむ……では少人数の人間だけが知っている『怪談』には有効なのかね?」


 ガラは怯む事なく質問を続ける。


「さぁネ……。多分そうでしョ」

「良い事を聞いた」

「そんな事を知ってどうすル」

「知っておいて損をする事は無いのだよ」


 ガラは左手を顎に当て、大きく頷いた。


「ふむふむ、怨恨からかね。なるほど、それでねえ……。だったらもう、殺ってしまえば?」


 ――――馬鹿かお前! 止めたのお前だろ!? 『殺ってしまえば?』じゃねーよ!? 気軽に何言っちゃってんの!? 馬鹿だろお前!――――


 とんでもない事を言い出したガラに、葎は精一杯の突っ込みを入れた。

 ガラは和やかに笑い、ひきこさんを流し目で見た。


「馬鹿馬鹿言うのは止めたまえ。語彙の少なさが露呈してるぞ――――それに気軽じゃないよ。殺したいほどに憎んでいたんだ。私達がそれにとやかく言う筋合いは無い。尤も、私は葎や其処のひき何とかみたいに苛められた事が無いから解らないがね。ふっはっはっはっはっは」


 ――――完全に苛める方の台詞じゃねぇか! うおらぁぁぁぁ!! ひきこーッっ! 俺ごとで良いからこの腐れ紳士をぶっ殺せ! 苛められっ子の意地見せてやれ!――――


 そんな葎の魂の叫びはひきこさんには聞こえていない。

 ひきこさんは不可解な顔でガラに言った。


「だったら邪魔しないでくださル?」


 ガラの行動と言動には矛盾が生じている。それは明白である。

 味方である筈の葎にガラの思考が読めないのと同じく、敵であるひきこさんにもガラの考えが解らないのだ。

 ガラはキザったらしく人差し指を振った。


「だが駄目だ。私の相棒が煩い」

「……正義の味方でも気取っているのカ?」

「正義の味方? 私はただの紳士だよ。相棒の意思に賛同しているだけだ。彼は思慮が浅いが、自分の守るべきものが解っている。筋を通しているならば、協力しない訳にもいかないのだ。そういう事なのでね、大人しく消えるか退いてもらおう。それに――――」


 微笑みを崩し、ガラは水音の様な声でひきこさんに言った。


「はたして、君のその恨みは君自身のものなのかな」


 しん、とその場の空気が固まった。

 口火を切ったのは葎である。


 -―――また意味深な事を言いやがるな……お前さぁ……――――


「葎。『怪談』は、怪談に成るのではなくて、最初から『怪談』として生まれるのだよ。陰惨な事件を基にした『怪談』があったとしても、人の口を伝達すれば、それは本来の事件とはかけ離れている別質の物語になっているのさ。そうだな、一人の男が家族を皆殺しにしたという事件があったとしようか――――」


 ぺらぺらと独り言ではない独り言を始めたガラにひきこさんはどう対応していいか判らず、動きを止めた。


「ええ……あノ……」

「ん? 何だね? ……そうだ。ついでだから君も一緒に聞きたまえよ。君に纏わる話でもあるだから」

「えっ。……はイィ?」


 ひきこさんは返事なのか、疑問符なのか判別し難い声を出した。 


「とにかく全員聞くべきだ。死ぬのはそれからでも遅くない」


『は、はァ……』


 ガラの何だかよく分からない迫力に気圧された一同は、皆、そう返事をした。 


「うむ、宜しい。では続きを始めよう。男は家族を殺した――――そして、事件が発覚した後、新聞紙面では様々な憶測が飛び交う。それは真実を掠めはするが、中りはしない、何故なら真実は男だけが知っているからだ。それは殺した本人にしか分からない事なのだよ。恨みからかも知れない。それとも、ただ殺したかっただけかも――――。ある結論を導き出すのには、それに見合った証拠が必要となるね。男の周囲にその証拠が偶然(、、)揃ったとしようか。するとどうなる? 男以外の人間は誤った結論を容易に導き出す。それが的外れだとしても、証拠があれば結論が出されるのさ。真実に到達する為に証拠を固めるのではなく、証拠を固めて真実を出す。それが無理矢理でも辻褄が合っていれば、社会的には(、、、、、)問題が無い。男以外の人間が納得出来れば良いのだからね。残念な事に、真実を見誤らせる要素は何処にでも落ちている。一切身の周りに問題が無い人間など居ないからだ。そして、間違っている虚像は独りでに動き出す。男の知らない所で、真実だと思われている話は、飛躍したりも、貶められもする。それは男が自白するまで続くだろうね。仮に自白したとしても、それが本心からの言葉でないのなら意味も無い。だが、人々はそれに頷く。『これが真実だったのだ』と。さて、ここで問題だ。『男は家族を恨んでいるから殺した』と一般的になっている。しかし、真相としては『男はやむを得ず家族を殺した』とまぁ、二通りに枝分かれしている。どちらが真相だね?」


 ――そりゃー……やむを得ずの方だろ……――


「本当にそうかな? 世間では『男が恨みから家族を殺した』事になっているのだよ? ……うん、まぁこれは意地悪な質問だったね。正解はどちらも真実ではあるが、それぞれ別の話になっている―――――が正解だ。男の実際に(、、、)体験した現実と乖離している段階でそれは違っている話(、、、、、、)なんだよ」


 ――それでどうしてひきこさんが関係――――。あっ……まさかその違っている話ってのが……――


「ふふっ……そういう事だ。時にひき何とかよ。君に質問して良いかね?」

「質問……?」

「何、簡単な事だよ。君の苛められていた記憶に、君の姿は存在しているか?」

「私の記憶に……私は――――」

「居ない筈だ」


 断定的にガラは言った。


「私は――――口に手を入れられたり……。手を踏まれたり……。階段から突き飛ばされたり……。仲間外れにされたり……。お弁当の上から水を掛けられたり……。お金取られたり……。後ろからゴミを投げられたり……っ。そしてわ、わ……タシ……は……どうでも良い事で……苛められる事をシッテ……ッっ! それデ……それで……こいつを加藤愛歌ヲ……」


 吐きそうで、手は痛くて、一歩間違えば大怪我する所だったし、一人は惨めで、母さんの作ってくれたお弁当は勿体無いけど捨ててしまって、それも言えずに、お金を毟られて、授業中は背中がちくちくして、終わったら、自分の机の周りは消しカスだらけで、それも自分で片付けて、あの子(、、、)と話す為にトイレの個室に入ったら、聞きたくない事実を聞かされて、くだらない理由で、誰でも良かったのに、どうしてわたし(、、、)が。

 ――――あれ。

 わたし(、、、)ってだあれ?


「止めろ……ヤメロ……」

「その記憶は偽物だ」


 ひきこさんの自我が解けていく。


「止めロッっ! わたしは……私……わタシ……わワたたシははハ……」


 記憶の中の自分には顔が無い。


「別に自分の恨みを晴らすなら止めないよ。だがね、君のそれは君の基礎になった人間の恨みから出来ている。君は『怪談』に成ったのではない。『怪談』として生まれた。違うか?」

「だ――――だったラ何だ! それが――――それがどうしタ!」


 ちっちっち、とガラは舌を鳴らす。


「君は恨みを抱いた本人じゃないのに、本人の代わりになったつもりで恨みを晴らすのかい? ……感情というものはね、良しかれ悪かれその感情を抱いた本人のものだ。それを他人が晴らすなど、お門違いにも程がある。さぁ……、その恨みは返して貰おう」

 

 ――お前のものでも無いだろうが……――


「落し物は届けないといけないだろう?」


 ガラはニヤリとしながら眼を閉じた。

 ひきこさんは螺子が外れた機械の様に体をガチガチと打ち鳴らし――――動かなくなった。

 静かな声が。呆然とした無気力な声が響く。 

 膝をつき、ひきこさんは懇願する様にガラに問うた。

 

「わたしは誰……?」


 ガラは少しだけ、厳しい顔付きになると――――。


「……君は君自身だ。他の誰でも無い」


 そう言ってひきこさんの胸に自分腕を突き刺した。

 ひきこさんはガラ顔を見ると、少し笑った。


「何だ……。私は苛められてなんか無かったんだ……」


 体に罅が入る。ひきこさんは黒い破片となり消えていった。


 ――消す必要……あったのか――


「……あったよ。じゃないと彼女は恨みのままに人を殺す」


 ――そっか……――


「君が気にする事ではない。……それでは灯の所に戻るとするか」


 ガラは歩き出した。

 尻餅をついたままの少女は、去ろうとするガラに向かって糸の様な細い声を発した。


「何なのよ……! さっきの奴は何で私の名前を知っていたのよ……!? あんた達は一体何……!」

「ん? 私は紳士だってば。彼女は――――そうだね……君の被害者かな」

「意味解んないッ……! あんな奴知らないわ……!」

「彼女は君の事を知っていたみたいだぞ?」

「だから覚えが――――」


 冷たい眼が少女を射抜く。


「君は今まで何をしてきた? それは君がよく知っているだろう。彼女自身も言っていたし」

「――――ッ……!! ま……まさか……い――――!」


 少女は目を見開いた。ガラは少女から視線を逸らし、軽蔑する様に言った。


「その表情だと覚えがあるのだね。……ろくでもない事をしてきた様だな」

「だって……いや……私は……」

「言い訳なら、自分を恨んでいる人間に言いたまえ。私は君のくだらない懺悔に付き合っている暇は無い。だが、憶えて置くと良い。君のやってきた事は消えないぞ」


 それではな、と言ってガラは霧の中に姿を消した。

 少女はがっくりとうな垂れた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 最初に声を掛けられた時は驚いた。

 こんな見ず知らずの人間に声を掛けるなんて。それにわたしで遊ぶし……。

 でも、付き合っていく内にとっても優しい人なんだと思った。

 その人と出会ったのは夏休みの前。道端で蹲っていた時の事だった。

 ほんの小さなきっかけだったけど、わたしにも友達が出来た。 

 夏休み中にも何回か遊んだ。遊ばれたとも言うかも。同世代の女の子と遊ぶなんて久しぶりだったから、嬉しかった。

 彼女がどう思っているのかは判らないけど、少なくともわたしはそう思いたい。

 それからだ、リサが前にも増してわたしの体を使う様になったのは。

 彼女は柳葉さんを殺すと言った。わたしには自分だけが居れば良いと。

 今日、偶然柳葉さんに逢った。

 わたしは彼女と距離を取る事にした。じゃないと、リサが殺してしまう。

 伸ばされた手をわたしは拒否した。突き放した言い方をしてしまった。

 柳葉さんは悲しそうな顔をした。何だか涙が出た。

 彼女は心配してくれたのに、わたしはそれを素直に受け取れなかった。

 受け取ったら、リサが殺してしまいそうで。だから――――受け取れなかった。

 訳も言えない。苦しくても言えない。昔から何一つ変わっていない。誰にも何も言えないのがわたしという存在なのだ。だから苛められて、それでも何も言えなくて。

 謝るしかなかった。他にも言いたい事はあったけど、謝罪の言葉だけが口から飛び出した。

 泣いてしまっていたかも知れない。だけどそんな事はどうでも良かった。

 柳葉さんはわたしを見ると、わたしの味方だと言ってくれた。全部受け止めると。

 なのに、わたしはそれすら信じる事が出来なかった。

 大丈夫。言えないと。

 リサが目覚め始めたので、わたしは逃げる様に人ごみに紛れ、流された。

 その日の夜は、リサがとても嬉しそうだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 煤けたビルの隙間を縫う様に駆ける。そして時々振り返り、理沙が付いて来ているかを確認する。

 見失われては困るのだ。自分だけに意識を集中させ、ギリギリの所でかわす。それが藍子の出来る唯一の行動であった。 

 理沙の動きにはかなりのむらがある。いきなり尋常で無い速さで動いたかと思えば、急に止まったりもする。その度に理沙は痛々しい呻き声を発するのだ。理沙は抗っている。自分の中で必死に抵抗している。何故ならば、藍子に手を掛けようとする瞬間に限って理沙はその手を止めるのである。

 躊躇う様に、葛藤する様に。 

 だからこそ容易に逃避出来るのにも関わらず、藍子は逃げようとしない。

 その感情は自己保身よりも遥かに強かった。

 理沙を助けたい。その一念のみで藍子は彼女は恐怖に竦む体を奮い立たせている。

 勿論理沙をどう助けるなどという当てなど無い。それでも理沙を捨て置く事など彼女には出来ない。

 走る。

 言えなかった自分の言葉を言う為に。理沙にきっと伝わると信じて。

 藍子は起業ビルの外階段を駆け上がった。赤いペンキが剥がれ落ちている貧相な骨組みが、金属を打ち鳴らす様な音を響かせる。

 此処なら少しは時間を稼げる。今の内に真に電話を――――。

 藍子は切れかけた息を補充して、階下を見下ろした。

 不鮮明な霧の中には地面を這いずる様に進む小さな人影が見える。その人影は藍子の上った階段の下に辿り着いた。

 理沙だ。

 理沙は大きな唸り声を挙げた。

 

「うう……あぁぁぁああああああああぁぁッ!!」


 頭を抱え、理沙は藍子を仰いだ。

 藍子は息を呑んだ。


「な、何……あれ……」


 理沙の顔の右半分を、深い色の影が縦に覆っている。

 仮面の様に張り付いているそれは理沙と寸分違わぬ顔で笑っていた。

 理沙の右手から漆黒の影が泥の如き粘性をもって零れ落ちた。黒々とした汚泥は流れ続け、理沙の全身程もある巨大な手を形作り、目の前の鉄階段を根元から薙ぎ払った。階段を横から支えている支柱が一つずつ外れ、藍子の立つ足場がゆっくりと傾いていく。藍子は鉄階段が完全に倒壊する前に、体を丸め飛び降りた。

 アスファルトの細かい凹凸に肌が削られる。回転しつつ着地したお陰で衝撃は然程のものでは無いが、それでも無い訳ではない。擦り切れた腕からは真っ赤な血が滲み出した。

 肺が押し潰された様に苦しい。藍子はその場から動けない。

 理沙はその機を逃さず、藍子の上に覆いかぶさった。

 藍子の腹に馬乗りになった理沙は影の様にぶれている巨大な手を振り上げた。

 ――――こういう時……いつもなら、燐太が助けに来てくれるのにな……。

 理沙に殺されるのかと思うと、藍子は怖いというより悲しかった。

 友達を止められなかった事。言いたい言葉も満足に言えなかった自分の不甲斐なさ。

 そして最後に浮かぶのは――――。

 藍子は震える瞼を閉じた。

 

「うっ……あっ……うううぅぅぅ……」


 肉が裂かれる音の代わりに聞こえたのは、苦しげな理沙の声だった。

 藍子は眼を開けた。

 理沙が――――理沙が自らの左腕を藍子と自分の間に割り込ませている。

 みしみしと左手が押されていく。

 それでも理沙は耐えた。何も考える事が出来ず、何も喋れない。殆ど自我が消えたと言っても良い状態で彼女は踏み止まった。

 理沙の頭の中の声が強まる。

 理沙が藍子から離れる。顔を押さえ咽ぶ。

 

「嫌だ……もう苛めないで……わたし……何もしてなかったじゃない……。気まぐれで始めたなら……もう止めて……苛めないでよ……」


 理沙の呻きは更に強くなった。

 藍子はそんな理沙を見て、自分の子供の頃を思い出していた。

 辛い事があると、決まって自分を導いてくれた右手。繊細さなど欠片も無いぶっきらぼうな動作。

 ――――いつだって私はあいつに手を引かれていた……。だけど……それじゃ駄目だ……。いい加減、一人で歩かなきゃいけない……! 今度は……今度は私が手を引く番だ……!

 しかし足は動かない。

 ――――駄目だ! 気合入れろっ!

 藍子は自分の両手で、頬を音が鳴るほどに叩いた。力強く叩かれた頬に赤みが差す。

 そして藍子は理沙に歩み寄った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ――――見てるよ。見てる。お前を愉しそうに見ている。お前がどんなに無様な顔をするのかあいつは楽しみにしているぞ。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。もうあんな思いをするのは嫌だ。

 また見ている。来ないで。こっちに来ないでよ。どうせまた髪――――引っ張ったりするんでしょう? 

 あぁ、何でこっちに来るの。どうしてそんなに嬉しそうなの。わたしを苛めてそんなに愉しいの?

 こんなの嫌だ。一人は嫌だ。痛いのも嫌だ。悪口だって嫌だ。全部嫌だ。

 目の前の加藤さんはまたわたしに――――。


「眼ぇ覚ませ!!」

 

 あ――――。

 何が起きたのか解らなかった。

 頬が焼け付く様に痛い。わたしはやっと自分が平手打ちをされた事に気が付いた。

 首に手を回されきつく抱きしめられる。暖かい抱擁は、くすぐったかった。

 耳元で聞きたかった声が聞こえた。


「私は貴女を苛めないよ。私は貴女の友達だから……むしろ守ってあげる」

「…………え……」


 この声は――――柳葉さんの……。

 顔に張り付いていた何かが崩れていく。見ていた世界が剥がれ落ちた。虚像は全て消え去っていた。

 わたしは何を――――。何していたんだ……。 

  

「貴女は一人じゃないんだ。私だって燐太だって秋庭君だって居るの。だから安心して。絶対に貴女に寂しい思いはさせないからさ。信じてよ、私達の事……」


 柳葉さんの言葉が染みていく。わたしの恨みは何時の間にか融けていった。

 ずっと、一人だと……思っていたのに……。 わたしにだってちゃんと友達が出来ていたんだ……。

 ちゃんと自分の事を友達だと言ってくれる人が居る。それだけで胸が熱くなった。


「……リサぁ……殺せないよ……。わたしには……友達を殺すなんて出来ないよ……」


 身の内で猛っていた炎は音も無く消えた。

 それから――――自分がしようとしていた事の恐ろしさに気が付いた。

 わたしは自分の友達を殺そうとしていた事。さっきまで見ていたのは全部――――幻覚。


「柳葉さん……。わ――――わたし……貴女を……」

「でも殺せなかったでしょ?」


 何故そんな笑顔でいられるの。

 事もなさげに柳葉さんは言う。


「そんなの……」


 わたしが彼女を殺してしまう可能性だってあった筈だ。


「私さ、信じてたから」


 この人は本当に馬鹿だ……!

 

「ご……めんね……ごめ……んね……」

「ほら~! 謝るな!」


 ――――殺せ……! 殺せ! 殺しなさいよ! 


 この声だ。リサの声。これがわたしを惑わせていたのだ。そしてわたし自身の恨みを増幅させていた。

 リサの声はさっきまでみたいに心を煽る事は無く、無意味な雑音の様に私の中に反響している。

 遠ざかり――――消えていく。そして聞こえなくなった。

 わたしは柳葉さんから体を離し、彼女を正面から見た。

 これだけは言わなくちゃいけない。この機会を逃したら恥ずかしくて言えないと思うのだ。


「…………わたし……貴女の友達で良かった……」


 柳葉さんは一瞬驚いた様な顔になってから、わたしの頭を撫でて言った。


「っししし……。私もだよ!」


 変な笑い声だと思った。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ――――何か妹みたいだなこの子。ああ、もう! 家に連れて帰って本当の妹にしてしまおうか!

 と、藍子は内心少し危ない感情を抱きながら、壊れ物でも扱う様に理沙の髪を撫でていた。

 終わったのか。でも、終わったという感じはしない。 

 藍子は理沙の頭越しに霧の中を見詰めた。矢張り依然として周囲は霧が大挙している。

 その中に。その中に――――?


「げっ……り、燐太……!?」


 ある意味、勘違いをされても良い訳出来ない状況である藍子と理沙を、燐太は数メートルほど離れた場所で仏の如き神々しい表情を作り見ていた。

 燐太は口を動かさずに呟いた。


「流血SM百合プレイ……」

「何だって!?」


 藍子は理沙から離れ、燐太に詰め寄った。


「ど……どこから見ていたのかなー……」

「お前がビンタして……熱いハグを交わした後……甘い言葉を囁いた……」


 ――――合ってるけど……! 結構違う……!

 確かに大まかには合っているが、藍子は甘い言葉を囁いたりなどしていない。


「と、と、とりあえず話しましょ……。ね!?」

「……邪魔するのも悪いんで帰ります……」

「帰るな帰るな! 待ってよ!?」


 亡者の様な足取りで帰ろうとする燐太の腰を、藍子は抱え込んだ。


「どうせ、この後は、くんずほずれず……ギッコンバッタン……」

「そんな公園の遊具みたいな音は出ないわよ!? あんたは何の想像をしているの!?」

「解ってるって……。そういう雑誌買っていたしな……しょうがねーよ……。解ってる解ってる……すっげえ解ってるから……」

「解って無いわよね!? 盛大に勘違いしてるからね!?」

「男ならまだしも、まさかの伊織だとは……伏兵ってこえーな……」

「何の話!?」

「お前が寝取られたって悔しくないんだからねーッ!!」


 燐太はむせび泣きながら叫んだ。

 

 ――ナイスツンデレ!


 馬鹿が馬鹿らしく叫び、アシは燐太以外には聞こえない歓声を挙げ、藍子はみるみる赤くなっていき。燐太の頭を持つと――――。


「う――――うわぁあああああぁぁぁぁ!! はーなーしーをーきーけーッ!!」

「がう。ごう。がっ。がっ。がっ。がうがう。あー」


 割れんばかりの勢いで燐太に頭突きを始めた。

 ガンガンと鳴るその音色は、さながら工事現場の騒音の様である。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……あ゛~……」


 藍子は倒れた燐太の胸倉を掴みつつ、息をぜいぜい吸った。

 燐太は白目を剥きつつ藍子に尋ねた。


「ち、違うのか……藍子は綺麗なままの……俺の知っているクリーンな藍子なのか……」

「なぁぁぁあああぁああぁぁ!!」


 藍子は追い討ちをかけた。

 そろそろ本気でヤバイと思った燐太は、藍子を掌で止めた。


「落ち着こう。落ち着いて話をしよう……」

「落ち着いているわよ!!」


 そもそも最初に事態をおかしくしたのは燐太ではなかったか。

 二人に付いていけていない理沙は小首を傾げた。


「まーあれだな……。頑張ったみたいだな……」

「……それほどでも……」


 顔逸らし、藍子は照れ臭そうに言った。


「怪我してるし、おんぶしてやろっか?」

「え……。そ、それじゃ……」


 先に立ち上がった燐太の手を借り、藍子も立ち上がった。

 燐太は理沙の方を見る。


「おう、そうだ。伊織も乗ってくか? 背中」

「それって三人乗りじゃ……」


 理沙はびくびくと答えた。

 藍子は思った。問題はそこじゃない、と。

 燐太が二人を背中に背負う方法について考えあぐねていた――――その時だった。

 

「こんな所にも居たのか」


 霧の中を進む一つの影。感じるのは自分と同じ匂い(、、)

 ――――二重存在じゃねぇか……!

 燐太は瞬間的にそちらを見た。

 青いレインコートを着た人物が徐々に現れる。

 背中の辺りは妙に膨らんでいる。燐太達が持っているスクールバッグを背中に背負うと丁度あの様な感じになるだろう。

 レインコートの人物の顔は備え付けのフードによって隠されている。表情はおろか、顔さえまともに分からない。

 青いレインコートが理沙の前で立ち止まった。


「俺はヒーロー! って……。え? 分かった今――――代わろう……」


 その変化は理沙や藍子には判らない。だが、同類である燐太には判った。

 中の人物が入れ代わっているのだ。燐太の場合は代わる必要が無いが、それでも判る。


「――――君も……そうだったのか……」

 

 声色が急に変わった。


「な……何が……わたし……貴方なんて知らない……」

「そうか……これじゃあ分からないよな……。いいさ……!」


 ――――あれ……この声……。

 理沙に向けられた激しい声に燐太は覚えがあった。


「これならどうだ?」


 レインコートを着た人物のフードが乱暴に下ろされる。

 眼鏡は掛けていないが、その顔は見間違える筈が無い。

 激しい激情に駆られた瞳。その眼に籠められている憎しみは先程の理沙の比では無い。

 レインコートが脱ぎ捨てられる。その下には燐太と同じ制服が着込まれていた。

 背中には同じく燐太達と同じスクールバッグが。燐太の眼にだけ(、、、、、、、)赤く映っている、水晶の様な形のキーホルダーが輝き、括りつけられている。


「もう良いだろう……。殺せ。ヒーロー」


 秋庭正一(、、、、)は無情な声でそう言った。

 赤い閃光が辺りを照らした。

 






 さて、複線とか細かい説明は時間がある時にという事で……早速おまけでも……。

 複線……無い様であったんですよ……。無機物に二重存在が入れるとか……ね。

 ××は「理沙」と「リサ」で丁度二文字だったり。

 まぁそんな事は置いといてやりますか。現在、六時四十七分なり。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 葎「という事で! 始まりました! メタァ……な部屋!」


 寧「ちょ……ちょっと良いですか……!」


 葎「何?」


 寧「葎さん出掛けて行きましたよね……!? 何でここに居るんですか!」


 葎「ここがメタァ……な部屋だからです。以上」


 寧「答えの様で答えじゃない!」


 葎「そんな事は良いから、物語の解説でもしようよ」


 寧「解説って言ったって、あたし殆どこの話に絡んで無いじゃないですか!」


 葎「メタァ……だから何でも許されるんだよ」


 寧「そ……そうですか……。じゃ……じゃあ……ガラさんが消した『ひきこさん』はどうなったんですか? それと前の『ひきこさん』とは別人なんですか」


 葎「質問は一回のみです」


 寧「解説の意味が無いですよ!?」


 葎「仕方ないなー。特別に二つとも答えてあげるよ。『ひきこさん』は消えたけどね、また新しく復活するんだよ。今のままだとね」


 寧「それはどういう……」


 葎「えっと……『ひきこさん』の体は普通の魂と違って、魂の核が『怪談』だから、その『怪談』が無くならない限り復活するんだって」


 寧「ラ……ラピュ……」


 葎「いや、何度だって復活はしないから。『怪談』に対する対処法は二種類あるってさ。一つは『怪談』を根こそぎ消すっていう方法。もう一つは改変した噂を流して、そっちの方を大多数にする事で『怪談』自体を塗り替える方法……らしいよ!」


 寧「カンペでも読んでいる様な言い方ですね……」


 葎「今回ばかりは作者の傀儡になっているんだよ」

 

 寧「あぁ……。っていうか、『怪談』を改変した方がかなり楽ですよね? 完全に消すのって難しそうだし……」

 

 葎「でも、真さん辺りだとやっちゃうんだよね……。物理的に……」


 寧「不儀さんですもんね……」


 葎「そうそう、『ひきこさん』だけど、何で姿が違ったかって……。あれは、作り直されたんだよ」


 寧「作り直された?」


 葎「『怪談』から生まれる妖怪は、何も一人だけじゃないんだって。同じ『怪談』から複数の妖怪が生まれるそうで」


 寧「分かり難いですね」


 葎「「ひきこさん」っていう同じ姓の人が存在していると思ってもらったら良い」


 寧「まぁそれなら何とか理解が……」


 葎「これで質問は終わったね。ん? どうしたの舞さんの仮面なんか持って」


 寧「いや……『怪談』が復活するなら舞も蘇ったりしないかな……って淡い期待を……」


 葎「……呼んでみなよ」


 寧「でも……」


 葎「帰ってこなくても。呼ぶ事に意味があるんだ……。もしかしたら、舞さんだって本編に出番があるかも知れないよ」


 寧「そうですね……。帰ってこないのは分かっているんですけどね……。ね……舞……」


 舞「何ー?」


 葎「…………」


 寧「…………」


 


 二人『返事……返ってきおった……!!』





                 終了……!



 


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