怪談霧中
何かもう、グダグダです……。
それでも良いのでしたらどうぞ!
夜は深まるばかり。際限が無い闇。紫鼠色の闇。
空には雲が居座り、夜空の黒色に代わって混色の空が広がっている。黒でも白でもどちらでもない、どちらにも属さない、濁った色。その色は星の瞬きですらも覆い隠してしまう。
この空に広がる雲は××みたいだ。其処にあるのに何時か雨となり消えて、また現れて、消えて――――。形が無い。直ぐに無くなる。嘘と同じ。真実には成れない。
雲は所詮水が気化したもので、「雲」という本質を持ち合わせていないのである。
「雲」の本質は水。どこまで行っても水は水のまま。人があれを「雲」と名付けなければ「雲」というモノは存在していない。仮初の名を与えたからこそ、「雲」は「雲」という名前で呼ばれる様になった。
だが、あれは軽くなった水の塊なのだ。別の名で呼ばれているだけで「水」という本質は揺らがない。
嘘じゃないか。「雲」なんてものは存在していないじゃないか。人はその無いものをあるものとして扱う。水の別称ではなく、さも「雲」という存在があるかの様に振舞っている。
そして「雲」は「雲」という個を得た。嘘は真実へと変貌を遂げた。だったら、××達もあるものとして認識されれば、個を得られるのか? それも嘘だ。人間は××達を否定する。
行き場の無い怒りが込み上げ、足を踏み鳴らした。土埃が舞う。
視線を下に向けると夜景が見えた。
綺麗だ。ビルの上から見下ろす、夜景はとても美しい。
夜空がそのまま地上に反映されているかの様な綺麗な光景――――。
その中を人々が忙しなく動き回る。現実の中を愉しそうに、人口光の大海を我が物顔で泳いでいる。闇は切り開かれ、光の当たらない場所は殆ど無い。人々の知恵は夜という厳粛な時節を昼間に変え、昼夜を逆転させてしまった。これでは人間が時間に嘘を吐いている様ではないか。そればかりか、季節や環境まで人間は操作する知恵を身につけ、貪欲に自然を読み解き、法則性を理解する事で人は世界に嘘を吐ける様になった。境界線を定め、概念を、意味を説明して、××達を非存在という箱に閉じ込めた。
憎らしい。傲慢だ。何故××を嘘と決め付ける? 何故××達の事を認めてくれない? 幻想だと、虚像だと何故切り捨てる? よく見ろ。この街の姿を。暗闇には××達が潜んでいる。それらは総て貴様等が作ったのだ。なのに否定し、存在という尊厳まで××達から取り上げる。そんなのは不平等だろう。
あの時も××は××を拒絶した。××が作ったんじゃないか。××を心の拠り所にしたんじゃないか。それが何だ、どうして開いたページを閉じてしまうのだ。散々書き綴ったくせに。お前が書いたのだ。自分を苛めないでくれと。友達が欲しいと。だから××は現れ、続きを語ったのに。
なのにこの仕打ちか。××も××を否定する。それも総てあいつが原因なのだ。あいつに出逢ったばかりに××は××だけのものでは無くなってしまった。××から××を奪ったあいつは絶対に許さない。××は××のものなのに。
××は酷い。せっかく××の為に準備をしてきたのに。××は直接出来ないから、時間を掛けて頑張って広めたのに。今更止めろとはあんまりじゃないか。
まぁそれは良いだろう。それは××の役目じゃない。××は自分の役割の通り、「怪談」広めれば良い。そうしたら××はまた××の事を見てくれる様になって――――。
××は××に成り代わる。
語られた「怪談」は止まらない。流れ出した「噂」の激流には抗えない。今はまだ耐え忍んでいるが時間の問題だろう。
ただ唯一××の心を繋ぎ止めているものがあるとしたら、それは矢張り――――あいつ。
あいつを殺す事が出来れば、こんな杞憂もしなくて済む。
殺さなくてはいけない。××が××に成り代わるという存在意義の為にも。
視線を下に戻す。街は変わらず美しい。美しくて壊したくなる。××を認めない街。××を認めない人間。皆皆壊したくなる。××はちゃんと此処に存在している。それを否定するなんて勝手だ。
ならば――――現実など歪めてしまおう。『怪談』という毒で現実を塗り替えてしまおう。嘘が真実となり、真実が嘘となる。そんな世界を創ろう。嘘で満たせ、虚構を溢れさせろ。妄想に溺れろ。
さすれば『怪談』は産まれるだろう。
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「なぁ知ってるか?」
「知らねぇ」
燐太は黒板を眺めながら、嬉々として話しかけて来た斉藤士に応えた。
いつもはどんな話でも乗ってくる彼が、何故こんなにも悪友の呼びかけに対し邪険なのかというと、多分士の話す話はさっき燐太が移動教室の時に聞いた話と同じ話だからである。
鏡がどうだの、黄昏がどうだの、そんな話ばかり耳に入ってくる。こう何度も何度も同じ話を壊れたテープ宜しく、聞かされれば燐太でなくとも参ってしまう。
燐太としては、その落ち着きの無い短絡的な性格の割りに耐えた方だった。しかし、十回目を超えた辺りから頭痛が始まった彼にとっては、誰かがこの「怪談」を始めると自発的に上の空にならずにはいられなかった。でなければ彼は発狂するかの如く叫びだしてしまう。それだけ、同じ話を聞かされるという受動的拷問は燐太のおおよそ繊細とは程遠い精神を磨耗させたのである。
燐太は既に二回程叫んで、その都度藍子に制裁を受けた。彼の経験からして、これ以上叫んだら明日、自分が生きているかどうかの保障が無い事を自覚し、自衛の為にもクラスメイトの話す「怪談」を受け流すしか無かった。
――――これだったら、授業をちゃんと聞いてる方がよっぽど退屈しなくて済むぜ……。
普段は授業を半分聞いて、半分聞いていない彼は、この日珍しくもまともに授業に没頭していた。
「聞けよ――……」
「聞かねぇよ。バリアー」
「バリア貫通」
「バリア貫通無効化バリア」
それを斜め前に居るこの悪友がぶち壊そうとしたのだ。気分が良いとは言えなかった。
燐太は某ゲームで散々苦労した挙句、目当ての素材が手に入らなかったのに、活躍していなかった奴が自分の欲しかった素材を手に入れているのを恨みがましく見る中高生の様に士を睨んだ。
士は声を絞って席の斜め後ろに居る燐太の方を向いている。
燐太が士を無視して時計を見ると、後数分で授業が終了するのが分かった。
――――そんなに聞いて欲しけりゃ、少しぐらいは待てよな……。
彼がそう考えている内に、時計の針は進んでいく。
チャイムが鳴り授業は終わった。
「はいじゃー終わりー。次は――――月曜か? うん、そうだな。じゃあそういう事で」
三十路を過ぎたばかりの教師がそう言うと、生徒達はワサワサと動きだした。
士も本格的に燐太の方を向き、話を始めた。
「よし、お話しよーぜ。燐太」
「お話? しないしない」
燐太は面倒臭そうに手を振った。しかし、士は諦める気配もなく食い下がる。
「おおっ……燐太に話をしろとの天からのお告げが聞こえる様な気がする……!」
「うっぜぇぇぇえ!! お前、そんなに俺の命を邪神藍子に捧げたいのか!?」
「何だよ、柳葉さん可愛いじゃねーか。羨ましい、爆発しろ」
「実情を知ってれば、そんな事言えねぇからな? あいつ卵で兵器を作るんだぞ? 絶対に兵器生成スキルとか持ってるって……。あぁ! 恐ろしい! 投げれば爆弾、仕掛ければ地雷だぞ。この間、あいつの家で晩飯食べさせて貰った時だって――――……ん?」
「……………………」
士は凄く険悪な表情になり、燐太の足と足の間にある一部分を見下ろすと黙ってそれを見た。
流石に同性と言えど、その部分を凝視されるのは恥ずかしい。
燐太は足を閉じると士に言った。
「……何だよ?」
「……腐ってポロッっと落っこちれば良いよね。後腐れなく」
悪友の眼は完全に据わっていた。
「嫌に決まってんだろうが!!」
「もう、あれだ。腐れ」
「本当に腐りそうだから、止めてくれる!?」
「じゃあ聞けよ」
「やだ。どーせ同じ話だろ……何つったっけ、ひき……何とかさん。あれだったら南屋からも聞いたし。流行ってんのか何なのか知らないけどよぉ、いい加減飽きた」
「お前……南屋さんとも仲良いよな、腐れ腐れ腐れ」
「何言ってんだ。体は少女。心は少年。俺達よりもよっぽど少年らしいと定評のある、あの南屋だぞ?」
「まぁ……南屋さんだからなぁ……」
「だろ? 分かったら黙るがヨロシ」
燐太は机にダランと突っ伏した。
「前とは違うから聞けってー」
「違うって、何が違うんだよ……」
「お前さ、『二重存在』って聞いた事無ぇ?」
「ぶふぉあッっ!!」
「うわ、汚ねっ!」
燐太は士の言葉に噴出した。
二重存在――――それについては聞いた事があるどころか、それは自分の足に居るのだ。人事ではない。むしろ当事者なのである。
そうか、何時の間にか自分は都市伝説になっていたのか、と燐太は複雑な感動を覚えた。
――――都市伝説少年って何かカッコイイ気がする。いや……待てよ? もしかしたらこれは俺じゃなくて葎の事かも……? あっちは結構派手にやってるしな……。まぁどっちにしても有名になったから良いか!
そこまで妄想を進めた燐太は、気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「何をニヤニヤしてるのよ……」
母親に言って今夜は赤飯にしてもらうか燐太が真剣に悩んでいると、背後から藍子が彼の頭をノートの表面で軽く叩いた。
「おお、藍子。なー、サインってどんな感じで書くんだ?」
「はぁ? サインなんて、燐太には一生縁が無いでしょう?」
「俺……有名になったかも……」
「……保健室行くなら付き添うよ?」
ついにおかしくなったか、と藍子は燐太に保健室へ付き添う覚悟を決めた。
「ねえ、柳葉さん……何でこいつ嬉しそうなの……?」
何故か悦に至っている燐太を士は訝しそうに見てから、藍子の方を向いた。
「頭でも打ったんじゃないかしら。それか、危ない白い粉を使用しているか……」
藍子は拳を顎に当てて、考える様な格好で士に応えた。
「心当たりは?」
「そういえば……この前、ハッピー何とかっていうお菓子の粉を、異常な程気に入っていたんだけど……。それかも……?」
「あーそれかも。それ、中毒性のあるやつだよ」
「病院連れて行った方が良いかな?」
「いや……もう手遅れじゃないか……?」
「最初から手遅れだった様な気がするんだけど」
我に返った燐太は藍子の肩を突付いたが、藍子はそれを気にも留めずそう言った。
「それは言っちゃいけないお約束だぜ、柳葉さん」
士は某国のホームドラマの様に肩を竦めて見せた。
「お前等、それを本人の目の前で言うか」
燐太は悦から抜け出し、藍子と士に両腕を挙げ威嚇したが、その両腕を藍子に掴まれてしまった。
藍子は燐太の両腕をブラブラと弄び、最後に机に叩き付ける様に落とした。
「大間のマグロ」
「何が!?」
燐太は痛む腕を投げ出して、机の上に伏せた。
藍子は真剣な顔で彼の投げ出している手や腕で遊んでいる。
こうなると、最早抵抗自体が面倒になる。燐太が抵抗すると、彼女は何故か不機嫌になるのだ。
何なのだ。大間のマグロとは一体何なのだ。特別な意味が含まれているのだろうか。
――――訳分からん……。
藍子への抵抗を諦めた燐太は、流れに身を任せる事にした。
――――ねぇ……知ってる?
燐太の耳にその言葉がまた入って来た。
教室に入ってから何回目であろうか。耳に本当にタコが出来そうだ。
――――怪談かー……今更だよなー……。
このご時世に怪談話なんて、流行るものなのか。
ついこの前までは、バイトの先輩がどうだの、あのロックバンドやアイドルが良いだの、言っていたのに、最近はこの怪談話ばかりだ。ブーム再燃というのだろうか。耳を澄まさなくても聞こえてくる。
それも古典的な話から、聞いた事の無い新しい話まで幅広い。
燐太も小さい頃は面白がって話したり聞いたりしていたが、彼が興味を失ってからも、「怪談」は増え続けていたのだろう。聞く度に目新しい話を聞かされた。
だが、愉しかったのも少しの間だけで、念仏の如く同じ話を繰り返されるのだから堪ったものではない。とにかく、類似している話が多過ぎる。微妙に違う所があっても、それは微々たる違いであり、本質は一緒と言える。なぜなら「怪談」には傾向みたいなものが存在していて、ああ、大体この話はこうなるな、と予測がつく。そして似たような話を、分類していくと、大抵は大本の「怪談」に突き当たり、その「怪談」から派生が始まるという訳である。
結末を知っている話ほど、面白みに欠けるものは無い。聞くだけ退屈さが募っていく。
第一、不思議な話というか、不思議な存在なら、燐太の身の回りに数多く居るのだ、何もわざわざ聞くほどの事ではない。例えば、メロンパンをひたすら追い求める妖怪や、卵を使った兵器を作り出す妖怪や、何か色々間違っている妖怪など、言うに事欠かないのである。
――――意外と俺って普通だよなー……。
燐太は、考えてみれば自分という人間は、あの変人達の中でかなりまともな部類にはいるのではないか? と思った。
「そいやさっ」
藍子が燐太の眉間を人差し指で弾いた。彼のおでこは張りの無い音を立てた。
「いでッっ! 何すんだ!」
「何となく燐太が人の事を妖怪扱いした気がしたので」
「し、してねぇよ!」
「そう、本当にぃ?」
実際思ったのだから、言い訳のしようもない。
ズイと藍子に詰め寄られ、燐太は気まずく顔を彼女から逸らした。
「まぁ、それはいいわ。後でじっくり聞きだすから」
「そ、そんな事をして何の意味があるっ!」
「少なくとも私の知識欲は満たされるよ。めでたいね」
「めでたくない!」
休み時間の終了を告げるチャイムが鳴る。
生徒達は次々に教室に入り、自分の席の周辺に戻っていった。
藍子も時計を見ると、黒板の目の前である席へと体を翻した。
「じゃあ、燐太、後でね。斉藤君も」
「あいよー」
士が藍子に軽く手を振る。
「んー」
燐太は机に伏したまま、首をだらだらと動かし、生返事をした。
「唸るなよー、燐太」
藍子は最後にそう言い、自分の席に向かって行く。
燐太はガリガリと頭を掻きながら窓に映る、雲ばかりしか見えない空を見た。
黒い様な白い様な雲は流れる事を知らない。空が淀んでいると燐太は感じた。
背伸びをしてみたが、どうにも淀んでいる。天気が悪くなると、気分までにも影響するのか。
――――苛めっ子を引き擦り殺す「ひきこさん」か……怖いっちゃあ怖いかな……。
苛められてるのか、苛めているのか良く判らない自分にとってはあまり縁の無い話だな、と思った燐太は、深く考えるのを止めた。
その代わりに違う事を考え始めた燐太は曇り空を眺めながら、ふいに思い立った。
――――そうだ――――今日こそはとっ捕まえよう。
と彼は頬杖を机についた。
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――――白黒映画……。
眼に映るものが全て色を欠いている。
天気が悪いから、暗く見えるのだ。日は登っているのだろうが、隠されているのならそれに意味は無い。雨が降るのでもなしに、こうも暗雲が立ち込めていると、気分が滅入る。
秋庭正一は昇降口で、傘立てから自分の傘を持っていこうかと悩んだ。
降るなら降るではっきりして欲しい。中途半端は困る。
悩んだ挙句、彼は傘を持っていかない事にした。降り始めなら多少濡れても直ぐ乾くだろう、との思いからである。それに急に振って来たとしても、鞄の中には雨具が入っている。
上履きから白いスニーカーに履き替え、踵に指を入れた。
初めて学生靴を履いた時に足裏が痛くなってからというものの、彼は専らスニーカー派である。学生靴も悪くはないのだが、少し靴裏が硬過ぎる。
靴を履き終わり、玄関口から出ようとした時、正一の背中に何かが圧し掛かった。
「う゛あ……」
「おっす、正一!」
正一の背中に乗ってきたのは、喧しさでは校内で一、二を争う生徒、風早燐太であった。
「燐太か……。どうして君は毎度毎度、普通に話し掛けるって事が出来ないんだ……」
「何言ってんだよ。友達を見つけたら後ろからタックル! これが基本だぞ!」
「それはもう……迷惑な基本だなぁ……」
「さあて、行くか!」
燐太は正一の背中を押しながら、開けたまま固定されている扉を抜け、外へと出た。
矢張り空はどんよりと濁っている。
外へ出てから燐太は漸く正一の背中を押すのを止めた。
「押すなんて危ないじゃないか……。で、『行くか』って?」
「一緒に帰るって意味だろうが、昨日は逃したからな!」
燐太は当然の如くそう言い放った。
――――昨日……あぁ昨日のあれか……。憶えていたのか……。
昨日の夜の出来事を思い出した正一は、呆れた顔付きになり燐太を見た。
「なるほどね……。僕と帰るって話か……」
「それと、藍子と南屋もな」
――――増えている……。
どうやら、燐太の帰宅グループに自分が勝手に組み込まれてしまったのだと正一は理解した。
「……良いのか?」
「何がだよ?」
「いや……」
「当然だろ! 行こうぜ」
「…………分かった」
押し切られる様に、正一は頷いた。燐太はそれを見て、ニッカリと笑った。
「おし! いやー。お前、最近全く捕まんないんだもん。一緒に帰ろうかと思っても、いっつも先に帰ってんだもんよォ」
「……僕だって色々あるのさ……。それよりも君はしつこいぐらいにグイグイ来るね……」
「お前なあ……うだうだ言うなよな。俺の親切の押し売りを受け取れよ!」
「押し売りなのか」
だとしたら燐太は何人にその「親切」とやらを売りつけたのか、正一は真剣に気になった。
「返品しても良いけど、泣くぞ」
「何故泣く……」
「え? だって――――はんむらびッっ!」
燐太を昇降口の中から飛んできた上履きが直撃した。燐太は石造りの地面に沈んだ。
「秋庭君、大丈夫? その馬鹿に何かされてない?」
昇降口から出てきた柳葉藍子が、燐太にぶち当たった上履きを回収しながら、正一に言った。
「あ……いや……それより燐太の心配を……」
「ああ、アレ? 生きてれば問題ないわ」
「え…………」
正一はいつも委員会などで一緒になる機会が多い藍子の事が、少しだけ怖くなった。
藍子の後ろから出てきた少女が、燐太に手を貸す。
その少女に正一は見覚えだけはあったが、名前は出てこなかった。
燐太や藍子と頻繁に一緒に居るのは見掛けるのだが――――。
「風早君、もっと激しく倒れなきゃ盛り上がりに欠けますよ? 次は頑張って下さい!」
「お前は俺に何を求めてるの!?」
「揺るがない意思……でっすかね……!」
灯は真面目な顔で言う。
あまりにも真面目な彼女の様子に、燐太は只ならぬものを感じ、頷く他無かった。
「お……おう……? ゆ、揺るがない意思か……!」
「そうでっす……! んん……? そっちの人は秋庭君?」
正一の姿を認めた灯が、彼に近づいた。
「どうもどうも!」
正一の手を奪い去り、灯はブンブンと振り回した。
正一は反応に困ってしまった。これは握手なのだろうか、彼女の中では握手なのだろう。
「あ……ああ。そうだけど……」
微妙な罪悪感を正一は感じた。なぜなら、彼女は自分の名前を知っているにも関わらず、自分は目の前の少女の名前を知らないのだ。仕方の無い事だと分かっていても、引け目を感じずにはいられない。
とりあえず、返事だけはしようと、正一は口を小さく開いた。
「私、七組の南屋でっす! って……知りませんよね……」
「南屋……。ごめん……分からない」
「いいえー! じゃあ、今日からヨロシクでっす!」
「えっ、あ、ああ……」
彼の友達はこういう感じばっかりなのか。
早くも灯に気圧されながら、正一は再び頷いた。
燐太の方を彼が見ると、燐太が藍子に意味の無い抗議をしていた。
「藍子さんよぉ、何も上履きを投げる事は無いんじゃないっすか!?」
「ごめん……外用の靴の方が良かったんだね……」
「違うよ!? 外用って明らかに悪化してんじゃん!」
「そうかな?」
正一は呆れた声で灯に言った。
「……柳葉さんってあんな感じなんだね……」
「ハハハハ……。そうですねぇ……。でも、ああいう態度は風早君だけにですよ。ある意味、信頼関係なんでしょうねぇ……困ったもんです」
「…………はぁ……面白いね、彼等」
「そりゃもう! 良ければもっと面白い人達も居ますから、紹介しますよ!」
これ以上、個性的な人間が居るとしたら、どんな人間なのだろうか。見てみたい気もするが、心労が半端じゃ無さそうだ。
彼は苦笑いのまま、まだ見ぬ変人達を想像した。
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――――霧……?
燐太の視界の全てを白く濃い霧が覆っている。
山などの高所なら霧が出ても不思議は無いが、この土地に霧は似つかわしくない。
霧が出る条件を完全に無視している。異常気象というのだろうか。
電車を降り、ホームから出てみたらこれだ。朝方から少し、空気が霞んでいるとは思っていたが、こんなに本格的な濃霧になるとは。
燐太は手で霧を払ってみた。彼は自分の手に細かい水蒸気の感触を感じた。濃い霧は触った先から結露し水滴に変化していく。
燐太は手に付いた水滴をワイシャツの脇腹の辺りで拭った。
――――これじゃあ、何にも見えねぇじゃんか……。
視線を巡らせても、煙草の煙の様な霧が邪魔をして、先の景観を見渡す事が出来ないのだ。
空から雲がそのまま降りてきたと言っても過言ではない程、視界は悪い。
「燐太、霧払い」
「出来ないっつーの……」
無茶な命令をする藍子に燐太は手刀で応戦したが、軽くかわされ、逆に頭に連続で手刀を叩き込まれた。
「危ないなあ……」
「危ないって言う前に、先に手が出てますが!? ……だが弱い! 弱過ぎ――――」
「何を!? だったら喰らえ! ……あっ」
藍子の会心の一撃が燐太の脳天に当たった。
「がッっ……」
燐太は本日三回目となる地面とのキスを済ませた。
地面に一時伏した燐太は、立ち上がり反撃の構えを取った。
「や、やるじゃねぇか……。だけどなぁ……! やったらやり返されるんだよッっ――――あうっ!」
燐太の反撃を回避した藍子の手刀が彼の背中に当たった。
「背中が隙だらけよ」
藍子は燐太に、得意げな顔を向けた。
「酷いわ……ッ! 酷い……ッ!」
燐太は有名な童話で継母から陰湿な苛めを受け、打ちひしがれる主人公の様な顔でそう言う。
しかも、どうしてなのか藍子が攻撃した背中ではなく、横顔を燐太は片手で抑えた。
彼の小指は立っている。
「…………痛かった?」
一転して、微妙に心配そうな表情になった藍子に、燐太は虚勢を張る。
「痛くない!」
実は彼は痛がっていた。
だが、ここで痛いと言ったら藍子に負けた気がしそうだったので、痛いと言わなかっただけである。
「……ごめんね。調子に乗りすぎた……」
少しやり過ぎたかな、と藍子は燐太の頭を撫でた。
「何だよ! もっと自信持てよ! 藍子らしく無いぞ!」
それを聞いた藍子は、燐太の頭を百人一首で札を取る時の如く弾き叩いた。
「反省はしているが、やったこと自体は後悔していない。むしろやって良かったと思う」
視界に霧が掛かっているのにも関わらず、彼女の気分は霧が晴れたかの様な爽快な心持であった。
燐太の一言、それにより藍子は自信を持った。
「やって良かった」というのはその末に出た言葉である。
「そういう事じゃねぇ! えーっと……とにかく……そういう事だけど、そうじゃない!」
「違うの……? 私自信を持ってみたんだけど……」
「自信持たせてどうするんだ! 馬鹿か俺!」
「馬鹿でしょ」
「馬鹿だった俺!」
驚き、叫ぶ燐太を見て、正一は独り言の様に呟いた。
「燐太達は何をやっているんだ……?」
「あれは夫婦漫才。もしくは寸劇とも言います」
灯が正一の言葉に同じく独り言の如く応える。
しばしの空白を置いて、正一は口を開いた。
「……止める……?」
「手遅れじゃないですか……? もう始まってますし……」
「手遅れか……」
正一は周囲を見回した。好奇の視線が自分達に集まっている。
どうにか黙らせられないものかと、燐太や藍子に正一は眼を遣ったりしてはみたものの、意味は無かった。既に彼等は自分達の世界に入りきっていて、正一や灯の姿どころか、自分達の身の回りですら視界に入っていない。
呆れた顔で二人を見る正一の肩を、灯は優しく叩いた。
「若さ故の喧しさという事で、どうにか見逃して貰える様に努力しましょう……」
――――それは無理じゃ……?
彼女の声は完全に諦めていた。正一が吐いた溜息は霧に吸い込まれていく。
正一の憂鬱感などお構いなしに、燐太と藍子は戦闘を繰り広げている。
レスリングの構えに似た奇怪な格好を取る藍子に、蟷螂の様に燐太は手首を丸め応戦した。見詰め合う二人の間には奇妙な緊迫感が流れている。
燐太よりも早く、藍子が動いた。彼女の手が燐太の上半身に伸びる。
「へいへいー。へいー」
「来いやぁ!」
伸びた声の藍子に、燐太が力強く応えた。
そんな彼等を見かねてか、正一の表情が突如として強張った。
上から攻めて来ると判断した燐太は、腕を体の前で交差させ、急ぎ上半身を固める。
しかし藍子の椀手は燐太の腕をすり抜け、彼の脇腹を捉え、直後彼女の手に力が入った。
「ああっ! 止めて! 脇腹は駄目ぇぇぇ!! いやぁぁぁぁ!!」
容赦なく藍子の手は動く。何だか嬉しそうな声で彼女は言った。
「止めろと言われると、もっとやりたくなるわよね」
藍子の手が燐太の脇腹を揉みしだいた。雄叫びの様な声を燐太は発する。
燐太はむず痒さと狂気の狭間で後悔した。
そうか、藍子はこれが狙いだったのか。脇か。脇は誤算だった、と。
燐太の防御はほぼ万全であった。上半身は両腕で守り、下半身は二重存在のアシによって防衛されている。そう――――殆ど穴は無かったのだ。
唯一、脇腹という、古来からしつこいぐらいに狙われ続けられている大きな弱点を除いては。
自分の敗因を悟った燐太の意識は飛び、また倒れた。
「おおおおァァァァァ! わきだめ…………ぐふッっ!!!」
「風早君が死んだ……!?」
灯が愕然と叫ぶ。彼女の隣の正一は、燐太達ではなく違う方向を見ていた。
一方、燐太を屈服させた藍子は充足した表情で燐太の頬をぺちぺちと叩く。
「……満足したから帰ろ?」
「コレ、藍子が満足するのが帰宅条件だったの!?」
むくりと起き上がった燐太は大きな声を出した。
「そうとも言えるし、そうとも言えない。ただ一つ言える事は、触覚から伝わる感触と満足感は密接に関係していて、ついでに燐太の面白い表情は私の満足中枢を満足させたのは事実だよ。だけど、何故そんな暴挙にでたのかという答えは霧の中に……」
「隠すな。霧の中に隠すんじゃねぇ。霧が困るだろうが」
「まあまあ、はい、立って立って」
彼女はそう言って手を差し伸べた。藍子の小ぶりな手を燐太は掴んだ。
「よいしょっ!」
「そんな引っ張んなくたって立てるって……。力無いくせに無理すんなよ!」
「してないよ……ぬん」
藍子に手を引っ張られ、しっかりと地に足を着けた燐太は顔をキョロキョロと動かした。
「じゃあ帰るか。……あーでもこれ……」
燐太は視線を遠くへと遣った。
霧は濃い。目の前ですらはっきりとしないのだ。こんな状況でまともに帰宅出来るのか。
視界が悪いだけではなく、霧は体をジワジワと濡らしていく。
「制服濡れそうだな……。な、藍子? か――――……ん?」
藍子は一心に霧の中を見ていた。
「どうした……? 何――――」
「燐太! ちょっとトイレ行ってくる……!」
「あ? え……ト、トイレ? お……おい、待てよ!」
突然駆け出した藍子を燐太は声で引き止めたが、彼の声には振り向かずに彼女は霧中に消えた。
訳が分からない燐太は、助けを求める様に正一の方を見た。
正一も霧の中を見ている。そして、彼も霧の中に足を踏み出し言った。
「……僕もトイレ…………」
「お、お前も!?」
「………………」
無言で正一は霧に呑み込まれていき、その場には灯と燐太の二人だけが残された。
灯は苦笑いしつつ、燐太に話し掛けた。
「どうしましょうか……ハハハ……」
「わ――――悪い! 南屋、俺もトイレ!」
「ええ!? ちょ、ええ!?」
灯にそう言い捨てて、燐太も濃霧の渦中に駆け出す。
一人だけになった灯は呟いた。
「皆……トイレ行き過ぎですよぉ……」
とりあえず、彼等が戻ってくるまで待っていようと、灯は駅のホーム下で待機する事に決めた。
見れば燐太と藍子の二人の鞄が投げ出してある。灯はその二つの鞄を屈んで手に取った。
「も~、汚くなっちゃいますって……あれ?」
正一の鞄だけが無い。彼は律儀にも持って行ったのか。
灯は三人が消えていった霧中を見た。
灰色のカーテンの先は、彼女には全く見えなかった。
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「――――ここですかさず、ビービー左、下、上!!」
画面上で四色の斬撃が連続して放たれた。
三日月の様な形の斬撃はそれぞれ、炎、水、電気、木の属性を帯びており、まともにそれを喰らった葎が操作している側のキャラクターは即座に消えた。
「何でだよ!! 四回攻撃っておかしいよ! 理不尽だよ!」
「またあたしの勝ちですねーッ!」
「やってられるかぁぁぁぁ!!」
そう叫んで、葎はソファーの上に今は廃れた携帯ゲーム機を投げ出した。肩を怒らせる彼の横では、寧が輝く様な笑みを湛えている。とても幸せそうだ。
彼女が幸せそうな理由――――それは葎が投げ出したゲームの勝負で、寧が通算二十一勝目の勝ち星を挙げたからである。勝って、勝って、勝ちまくった彼女は大いに勝利の快感に酔いしれ、さて今度の罰ゲームは何にしようかと思案を始めた。
「葎さんは、どんな罰ゲームが良いですか? 地味に腕立て百回とか?」
「それを俺に聞くか……。あと、寧さん……。腕立て百回は地味じゃないからね……」
「じゃあ……二百回?」
寧は笑いながら眉を寄せ、首を傾げた。
「増えてる……! 増えてるよ……!」
「仕方ない……また買出しですね……」
「……ところで寧さん。最近体重に変化は無い?」
「無いですけど――――それがどうかしましたか?」
「…………いや? 別に?」
葎は取って付けた様な笑みを浮かべた。寧はそんな彼の表情を疑った。
――――怪しい……。何か隠してる……?
寧は葎をじっと見た。笑ってはいるが、何となく様子がおかしい。そもそも何故体重の話題が出てくるのだ。そんな流れでは無かったと思うのだが。
寧は葎にそろそろと近寄った。葎はゆっくりと彼女から逃れる様にソファーの端の方へ逃げていく。
逃げられている。これはどう考えても逃げられている。
どうして逃げる必要があるのだろうか。考えられる理由としては、葎は自分に疚しい事がある、しかもそれは自分に直接関係していて、体重に纏わる事柄である――――。しかも、背後には葎の相方が隠れているのではないか? と寧は考えた。
彼女は葎に擦り寄っていく。
葎は逃げていく。
しかし、ソファーの広さには限度がある。追い詰められた葎はゆっくり席を立とうとした。
が、寧に両手を掴まれ、膝の上に置かれ、席を立つという逃避行動は阻止されてしまった。
葎の額から冷たい汗が流れ出す。
彼の手を掴んだままの寧は、顔がくっ付きそうなぐらい葎の顔にぐいと自分の顔を近づけた。
「……葎さん? どうして眼を合わせてくれないんですかー……」
「あ゛……ああ……あああ゛……」
眼を逸らす葎の顔を、寧は両手で掴んだ。
彼女の手を葎はとても冷たく感じた。
――やれやれ……口は災いの元という言葉を君は知らないのかね?――
ガラは葎を馬鹿にした様に言う。
しかし元を辿れば、彼が葎を唆したのである。それに乗ってしまった葎も当然悪いのだが。
元はといえばお前の責任でもあるんだぞ、と葎は言いたかったが、寧の前でそれを言うという事は、自分の罪を認めるという事にもなってしまう。
なので葎は頑張って我慢した。
「め、眼が横を……向いてしまうびょ……病気に罹ってしまいまして……」
「それじゃあ……顔をこっちにこうすれば問題無いですね……?」
寧はそう言うと葎の顔を無理矢理動かし、右横を向いている彼の眼を強制的に自分の方に向けさせた。
――――あれぇ、これ死ぬんじゃないかなー……。
寧と眼を一瞬合わせた葎は本能的にそう思った。彼女の瞳は吸い込まれそうである。吸い込まれて粉々に壊されてしまいそうな程の吸引力を持っている。これ以上見ていたら危険だと判断した葎は、左の方へぐるんと目の玉を動かした。
「どうしました? 少しあたしに教えてくれるだけで良いんですよ……? どうして体重の事を聞いたのかぁぁぁ――――……」
もう一度葎の頭の角度を戻しつつ、寧は葎の眼を宇宙上に存在する黒い何でも吸い込んでしまう例の穴の如き瞳で覗き込んだ。
正体不明の悪寒を感じた葎は取り繕う様に寧を褒め始めた。
「なぁぁぁ!! あ、あの……体重とかさぁ……! 気にしなくて良いと思うよ!? ホントホント! 寧さんはそのままでじゅーぶんっ! 可愛いから!! ね、ね、ね!? だから一旦落ち着こうか!!」
「それは嬉しいですねぇ……。だけどそれとこれとは別問題ですから……。教えてくれるだけで良いって言ってるじゃないですか……? そしたら、開放してあげますよ?」
――褒め言葉は時に絶大な効力を持つが、時には全く意味が無い時もある。がらお――
自分には全く関係ありませんとでもいう様な口調でガラは言う。
「名言っぽい事言ってないで助けろよ! お前だってノリノリだっただろ!! それと『がらお』って何だよ! 『がらお』って!」
――うん、いやあ。『がらお』というのは今度私がポエムネームに使おうかと思っている名前なんだがね? どう思う? 『がらお』よりも矢張り本来の名前であるガラにして置いた方が無難だろうか?-―
「知らないよ!! お前のポエムネームを考える前に俺は生死の問題が掛かってんだよアホ紳士!!」
――さて、私はお茶の準備が……――
「お前三時にもお茶とか言ってなかったか!?」
――二回目のお茶の時間だね――
「二回目あるの!?」
――英国では日に何回もお茶の時間があるのだよ――
「此処日本だけどな!」
葎も負けじと言い返す。だがガラにとっては何処吹く風といった様子である。
寧は優しそうな顔でガラと葎のやり取りを聞いている。ただ、その優しそうな顔からは得体の知れない邪気が洩れている。
眼を逸らす葎の顔を、寧は両手で掴んだ。彼女の手を葎はとても冷たく感じた。
寧は笑っていた。葎はその笑顔が何よりも怖かった。
「……ちなみに……そ、それは……何から開放されんの……? 勿論この手を離すって意味だよね……?」
葎の視線が左右に泳ぐ。寧は恐ろしく冷徹な声で言った。
「人生というしがらみからですよ」
「それ駄目ェ!! 開放しちゃ駄目!! それを開放したら俺死ぬよね!?」
「一度死んでみるのも一興では……」
――一興では――
「一興じゃないよ!! そこで俺の人生が終わっちゃうから!! 打ち切りになっちゃうから!! 一興のつもりが一生を投げ捨てる事になるって!! つーかガラはどさくさに紛れて何言ってんだ!」
「じゃあ言いなさい。どうせガラさんが一枚噛んでるんでしょう。ガラさんを出しなさい」
葎の顔を揺すりながら、寧は冷たい声を発した。
「ガラ……呼んでるけど……」
――……相棒というのは助け合いの精神が必要不可欠じゃないか? どうにかしてくれ――
「俺はお前の相棒じゃない! ……なあ……地獄に堕ちるなら一緒に堕ちようぜ……」
――地獄へは一人で行ってくれないか――
「うるせぇ、お前も道連れだ!! 相棒って言ったじゃないか!」
――あ゛~あ゛~あ゛~聞こえない~――
「よっしゃ、今からお前の庭に乗り込んで嫌でも引きずり出してやるからな。待ってろ」
――……待て。……分かった出よう。前回の二の舞には私もなりたくないのでね――
「そういや、お前あの時、庭で体育座りしてたな……」
――君も半泣きだったろう――
「………………」
――………………――
「……死ぬなよ」
――生きて戻る――
生死の瀬戸際で心が通じ合った二人は、入れ替わった。
「――――まぁそういう事で、私が出てきたのだが……。まず誤解を解こうかと思う。葎はだね、体重の変化を君に訊く事により、大事な友人である君の健康状態を把握しようとしただけなのだよ。いやはや、女性に体重を訊くなんてマナー違反も甚だしいが、別に悪意があった訳ではないのだ、許してやってくれないだろうか? 彼にはよく言って聞かせるのでね。いやいや、別に謀なんてしていない」
「そうですか――――」
「納得してくれたか……!」
「嘘ですよね? バレバレです」
「…………葎、代わるんだ。今直ぐだ。おい、聞いているのかおい。応答しろ。危険だ。もう一度言うぞ。此処は危険だ」
――ガラ……お前の事は忘れないからな……っ――
「葎さん聞こえてます? ガラさんの次は貴方の番ですからね」
葎の声が寧に聞こえたのかはいず知らず、寧は暗黒が濃縮した様な眼でガラを睨んだ。
――ガラぁぁぁぁッ!! 逃げろーッ!! 退避退避退避!!――
「逃げられませんよ」
逃げようと頭を動かすガラの頭を、寧は再度ガシッと確保した。
動こうにも動けない。ある意味自分よりも不思議な力の存在をガラは感じた。
「……力は私の方が上の筈なのだが、謎の圧力が掛かって動けない。どうしよう」
――本当にどうしようか!?――
既にガラの膝の上に馬乗りになっている寧からは、‘何か黒い変なの‘が滲み出している。
葎が自分はどんな摩訶不思議な死に方をするのだろうか? と考えていると、小さな振動がガラの足元から伝わってきた。葎が足元に置きっぱなしにしていた携帯電話が振動しているのだ。
寧とガラは暫し視線を交わすと、携帯の方に眼を遣った。
「……はぁ……電話……出て良いですよ」
溜息を吐くと、寧はガラの膝から降りた。
彼女は自分が先程まで座っていたソファーの定位置に戻ると、腕を伸ばして床でぶるぶると震えている葎の携帯電話を手に取り、ガラに渡した。
「……運は私に向いていた様だね……。じゃあ、葎――――。――――助かった……!」
葎は携帯電話の画面に表示されている名前を確認した。寧がそれを横から覗き込む。
「……不儀さんから? 何かあったんでしょうか」
「ん――――分かんないけど……。あっ真さん? え? 店はちゃんと言われた通りに三時には閉めて今は家ですよ。寧さんも――――はい? 外ですか? 霧? 分かりました……」
通話表示になったままの携帯電話を葎は握り締めたまま、ソファーから立ち上がり、ベランダの方に歩いていった。彼は淡黄色のカーテンを捲り、硝子戸を開いた。
冷たい空気が室内に入り込む。葎はべランダの向こう側で広がる光景に眼を奪われた。
霧が出ている。それも半端な霧では無く、濃密な霧である。
葎のマンションのベランダからは、普段ならばそこそこの夜景が望めるのだが、それすら霧に覆われ、隠されている。紫雲の様な霧だけが視界を占拠しているのだ。
――――何か――――起きている?
葎は再度携帯電話に耳を寄せた。
「真さん――――何ですかこれは……? と……? 都市伝説ぅ!? ま、マジっすか!? え? ドッキリとかじゃ……。違う? えー……本当なんですか……。…………あぁ……本当なんですね……。それじゃあ、俺は家に引き篭もって真さんが来るまで待機……違いますよね……。外に……ああ……はい……。それじゃあ早く来て下さいよ! 怖いんですからね……君なら大丈夫? すいません、既に大丈夫じゃありません! …………はい。……じゃ!」
通話が終わり、葎は開いた硝子戸とカーテンを閉めた。
困った顔の葎に寧が心配そうに尋ねた。
「何かあったんですね……」
「そうです……あったんですよ……」
落ちた調子の声で、葎は寧に応える。
「あたしも付いて行きましょうか?」
「本当に!?」
「あったりまえですって! 葎さんとの友情にかけて――――」
微笑んで言う寧の言葉を、葎が嬉しそうな声で遮った。
「『都市伝説』に出てくる妖怪とかがいっぱい外に居るらしいんだけど良いの!? うわあ、やったー! 一人じゃ……あーでもガラが居るから一人じゃないか」
べらべらと捲くし立てる葎を余所に、寧の顔は笑顔のまま凍りついた。
彼女の笑顔は瞬間冷凍されてしまった。
「でも実質一人だから怖かったんだよね~! あー良かった良かった!」
「が――――」
「が?」
「頑張って下さい。葎さんなら一人で十分ですよ! えいえいおー」
冷凍状態から解凍状態へと移行した寧は、拳を宙に突き上げそう言った。
「……さっきまで一緒に行くとか言ってなかった……?」
「空耳じゃないですか」
「…………空耳?」
「ええ。空耳」
「うっそだぁ……言ってたって! 友情にかけてたじゃないか!!」
「友情は現在休んでいます」
「友情は休まないと思うけど!?」
「とにかく頑張って!! いけるいける!」
寧はそう言いながら、葎の背中を押す。
「人でなし! 友情は何処へ行った!」
「友情とは儚いものなんですぅ! いいから行って下さい!」
葎は寧に背中を押され、玄関へと為されるがままに移動させられてしまった。
泣く泣く葎は靴を履く。寧は彼の背中をぽん、と平手で叩き、言った。
「……気を付けて下さいよ?」
「心配するぐらいだったら一緒に……!」
「嫌ですよ」
「くそう……」
「あと、無理はしないで。……怪我とか駄目ですからね!」
「じゃあ一緒に……!」
――君はかなり食い下がるね……。もう諦めろ――
ガラは諭す様に言う。
「どうしたら『じゃあ』に繋がるんですか。嫌だって言ってるでしょうが」
寧は容赦のない口調でそう返答した。
「世知辛い……。世の中って世知辛い……!」
「……とにかく待ってますから! ちゃんと帰ってくるんですよ!」
「…………あぁ。分かってるって」
子供に言って聞かせている様な口調の寧に、葎は苦笑しながらも玄関の扉を開いた。
黒い。黒くてドロドロと融けた雲が地上に降りて来ている。
――――都市伝説……。
嫌な予想は止めておこう。どうせまた外れるのが関の山だ。それに何かあったとしても――――。
――いかにも何か出そうな夜だな、相棒――
「相棒じゃないっつーの」
――――ガラが居ればどうにかなる。
ガラの声を聞いた葎は少しだけ笑った。
さて、そろそろ物語も佳境に入ろうとしています。
尻すぼみにならなきゃ良いな……。
もうなってる? ……気にしない気にしない! 気にしたら負けですって!
そうそう、今回の葎に対する寧の行動ですが……あれを羨ましいと思う人はいませんよね?
だってブラックホールみたいな眼で見てくるんですよ……?
作者だったら、泡吹いて気絶しちゃいますよ?
それでも羨ましいと思ったあなたは、勇敢です。
それじゃあ、おまけですぜ……
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アンフォーチュネイルビューティー「ねぇフールメロン」
フールメロン「なんだい、アンフォーチュネイルビューティー」
アンフォーチュネイルビューティー「これ……書くスペースを圧迫するから止めませんか……?」
フールメロン「……そうだね……。これはちょっと長すぎる……特にアンフォーチュネイルビューティーのが」
アンフォーチュネイルビューティー「ですよねぇ」
フールメロン「という事で寧さん!」
寧「ハイ! 葎さん!」
葎「やっと出番があったね!」
寧「ハイ! やっとです!」
葎「でも寧さんだけは、また出番が無くなるってさ!」
寧「何でですか!」
葎「知りません!」
寧「どうしてですかぁ……。やっと出たらまた退場なんてあんまりです……」
葎「いつか良い事あるって……」
寧「だったら良いんですけどね……」
葎「そういえば、今回は俺達の日常描写が微かにあったね」
寧「あぁアレですか」
葎「四回連続の例のアレはえぐかった……」
寧「そんな事無いですよぉ~」
葎「……でもさぁ……普通だよね俺たちの日常って」
寧「仕方ないですよ。そんな面白い事が毎日起きる訳無いんですって」
葎「例えば美少女が家に転がりこんできたり」
寧「……そういう展開がお望みですか?」
葎「いや、あれはあれで面倒でしょ」
寧「なら良かった……! ら……いや……はい……」
葎「……はい?」
寧「まぁまぁそれは良いじゃないですか……。っていうかああいう、所謂ハーレム物の主人公の周りってどうして女の子ばっかりが集まるんでしょうね?」
葎「あれ? あれはきっと蜜でも塗ってるんじゃないかな? 女の子が集まる」
寧「それじゃ日々、べっとべっとじゃないですか」
葎「きっと日差しを浴びるとテカテカ光るよ」
寧「……そもそもそんなので集まる訳無いですけどね」
葎「ですね。だとすればアレは体質なのだろうか……?」
寧「自然と女の子が寄ってくる体質ですか……。……葎さんはそういうの羨ましいと思いますか?」
葎「俺? 俺はねぇ……自然とメロンパンが寄ってくる体質が欲しい」
寧「メロンパンが寄ってくる体質!?」
葎「例えばさ、朝、こう学校に行く途中に角を曲がるとするじゃん?」
寧「いかにも食パン咥えた女の子とぶつかりそうなフラグですね……」
葎「いいえ、メロンパンとぶつかります」
寧「どうしてそうなるんですか」
葎「それかさ……。朝寝ているとするでしょ? 寝ていると上でもぞもぞと動く気配がするんだよ」
寧「近所の幼馴染が起こしに来ているんですね!?」
葎「いえ、それもメロンパンです。近所に住んでいる幼馴染のメロンパンが起こしに来ています」
寧「幼馴染のメロンパン!?」
葎「家に帰ると……誰かが抱きついてくる……。それは妹のメロンパンであった……」
寧「メロンパンって手は無いですよね!? どうやって抱きつくんですか!? っていうか全部間違ってますし! 幼馴染のメロンパンっておかしいですよ!? どこがどうなったらメロンパンが幼馴染になるの!? 貴方の恋愛対象は全部メロンパンなの!? それだと……あ――――」
葎「長いから終了!!」
という事で終了!




