夕暮れと蛇
理論? 道筋? キャラの言動を統一させろ? メロンパン?
そんなもの棄てておけ!!
自分で書いて置いてなんですが、滅茶苦茶ですね……。
誤字やら、分かり難い所があったら、ご指摘よろしくお願いします。
という事で始まり~
「先輩、何見て……まさか、盗撮――――あッっ痛い!」
シングルベッドに腰を掛けていた雅峰は、ハブの様に飛びかかった広尾に噛み付かれた。
どうしたら、こんな訳の分からない跳躍力を保持できるのだろうか。
雅峰は激痛に耐えながら考えた。
――――ああ! そうだ、きっと前世がハブだったからだ!
と彼は広尾が食い付いたままの手を打とうとしたが、肝心の右手に広尾が食い付いているので諦めた。
広尾は強靭な顎で雅峰の手を噛みつつ、携帯電話をしきりに操作している。
どうやらいつもの様に怪しいサイトを開いているのではなさそうだ。
気になった雅峰は、凶暴な蛇に玉砕覚悟で何をしているのかと尋ねる事にした。
「何ですか、それ」
「これふぁ? これふぁあふぇだふぁ。とふぃふぇふぇふふのほひはほへふぁいふぉふぉ」
広尾の鋭い牙が雅峰の肌に更に食い込んだ。
「ああ……ああ……食べないで……僕は食べても美味しく無いです……。代わりなら用意しますから、助けて……。そしてせめて日本語で……」
広尾の口が緩み、雅峰の手から広尾が外れた。
「…………わあ、ぐっしょり……」
自分の手は涎でテカテカと輝いている。
雅峰は皮膚が融けていないか指で突っついた後、小さな丸テーブルの上にあるポケットティッシュで自分の手を拭った。
「三人だ! 若い子を用意しろ! とっても可愛い子な!」
「何かアレですよね。先輩って悪の親玉とか、すっごい似合いそうですよね」
「あっはっはっはっは!! 口が上手いな! このこの~」
――――褒めてませんけどね。
とてもそんな事を言い出せる雰囲気では無かった。
うっかり本意を悟られてしまったら、色々と危ない。自分の命が失われる危険性もある。
雅峰は手に汗握りながら、広尾の気を逸らそうと話題を変えた。
「そ――――そういえば……何でわざわざ、ダブルの部屋取ったんですか?」
広尾は雅峰の質問の意味が解らず、小さな首を可愛らしく傾げた。
それはまるで、年頃の少女の様に雅峰には見えた。
そう、彼女は外見と仕草だけなら可愛らしいのだ。本性を知る雅峰には、幾ら可愛らしくてもピンとこないが。
それらしい理由を思いついたのか、広尾は傾げた首を元の位置に戻し、困った奴だ、とでも言わんばかりに眉根を寄せ、八の字にした。
「…………安心しな。同じ部屋でも襲わないから」
「逆です。普通は俺が先輩を襲うのを心配する感じになるんじゃないんですか……?」
「襲えるなら襲ってみろ! 来いよ!」
「いや……幼女趣味とか無いんで。そもそも襲いませんし」
「じゃあ、ワタシがお前を襲う! というか齧る!」
広尾は眼をクワッと開き、口を大きく開けた。
奈落の底の如き広尾の口内には、鋭い犬歯が山脈の様に生えている。
――――何て男らしいのだろう。
その歪みの無い姿勢に雅峰はある意味感服した。
雄雄しく挑発する広尾は、さながら歴戦の猛者(男)と言った所か。
しかし、言うべき事を言わねば自らの身に降りかかる火の粉だ。感服している場合じゃない。
雅峰はベッドの上で姿勢を正し、足を揃え、柔らかいシーツの包まれたマットレスに手を付きながら頭を垂れた。そして心の底から嘆願した。
「襲わないでください。齧らないでください」
――――齧られるのか。齧るのか。助けて神様。日頃、自分は真面目に仕事をしています。それに毎日サボテンへの水遣りも欠かしていませんし、努力も惜しんでいません。先輩の肩と腰は毎日マッサージしてます。「雅峰ェ! お腹減った!」と言われれば、ファーストフード店にダッシュしますし……。とにかく自分は悪い事をしていないので、助けてください。
雅峰は祈りながら覚悟を決めた。隙あらば獲物を捜し求める蛇を自分如きが繋ぎ止めておける筈が無い。このままでは確実に齧られる。
しかし必ず齧られるからといって気を抜いたら駄目だ。意識を集中して死ぬまでの時間を出来るだけ引き延ばそう。でなければ直ぐに齧られてしまう――――。
物理的意味でがじがじと、スルメの様に齧られる。そして明日の朝刊に掲載されるのだ。
「ホテルの一室から、謎の遺体。遺体には齧られた形跡がある模様」と。
着実に「齧る」が雅峰の中でゲシュタルト崩壊していく中、部屋のインターホンが鳴った。
「すいませーん。ピザのお届けに来ましたー」
雅峰ににじり寄っていた広尾の注意は、声がする方向へと逸れた。広尾は余所行きの声を作り、ドアの向こうから聞こえた声に返事をする。
「あ、はーい。ちょっと待ってくださーい!」
広尾は愉しげに扉へと向かった。
――――た……助かった……!
「お疲れ様でーす! あ、お釣りはイイです~。……親? 一人ですが? ええ、ああ、はい、じゃ!」
会計が終わったのだろう、広尾はニコニコしながらピザの箱とその上に乗るサイドメニューだと思われる箱を危なっかしく抱えながら、雅峰の方に歩いてきた。
箱が動いている。雅峰にはそう見える。ピザの紙箱も十分に大きいが、それ以上というかそれ以下に広尾が小さいのである。助力は彼女の有り得ない筋力を考えれば必要ないだろうが、それでも一応――――という事で、雅峰は広尾の抱える箱を彼女の細腕から持ち上げた。
「持ちますよ……。先輩が運ぶには大き過ぎるでしょう?」
「おっ? ああ、悪いな。喜べ! ピザだよ! ピザ!」
はしゃぐ広尾の姿は子供にしか見えない。どうしてピザごときで、こう無邪気に喜べるのだろうか。
彼女を無邪気か否かで判定するなら、否一択なのだが。そんな事は微塵も感じさせない悦びようだ。
ベッドの脇の丸テーブルには聊か大きいピザ箱を、卓上からはみ出させながらも雅峰は無理矢理置いた。
広尾は自分のベッド――――雅峰の向かい側のベッドに、飛び込む様に腰掛け、足をバタつかせ、雅峰に「早く開けろ!」と眼で催促してくる。雅峰は子供染みた催促に応じ、ほかほかとした温かさを感じる箱を開けた。
「うわっと……」
一気に立ち昇る湯気に雅峰は瞼を閉じる。熱気が彼の顔を包むやっと眼を開けた彼の前にあったのは、ごちゃごちゃとしたトッピングが懐かしい、昔ながらのジャンクフード的ピザであった。
最近は珍しくも無くなった、単純な具が乗ったピザではなく、マヨネーズやら、トマトソース、サラミにチーズ、ソーセージにポテトにアンチョビなどが乗った、野菜の「や」の字が何処にも見当たらない、不健康かつ魅力的なピザである。
「……何でよりによってピザ……?」
「あ? …………それはさぁ……。流石に出張中まで寿司やらなんやら、和風の物が食べたくないからよ。とにかく飽きた! 和物なんて、家でもっと美味しいのが作ってもらえるし……」
「お金持ちってナチュラルでそんな事を言っちゃうから腹が立ちますよねー……」
魚の死んだような眼で雅峰は言った。
「だって、たまにはこういうのが無性に食べたくなるでしょーっ? 毎日魚やら、山菜だの、どっかの珍味だの……いい加減飽き飽きなんだよ! 肉食わせろって言ったら、カモシカとか熊の手とか訳分かんないのばっかりなんだぞ?」
広尾はプーっと頬を膨らませて雅峰に抗議した。
「熊の手……。美味い……んですか?」
「熊? 硬いよ、アレ。それと臭い。んな事よりピザ食べよ! 冷めちゃう!」
「油っこいもの食べてると太りますよ。夜にこんなの食べちゃ体にも悪い……」
「じゃあ、お前食べなくて良い! ワタシだけ食べるから」
拗ねた様な表情で広尾は、大きな箱を丸テーブルから奪い取った。
「先輩! 一人じゃ食べきれないですよ! 誰かが手伝わないと! はい!」
「……………………」
そう言って手を差し出す雅峰に、流石の広尾も閉口した。
この男は何て調子が良いのだろう。綺麗に掌を返す雅峰は笑顔で手を出し続けている。
仕方なく広尾は熱々のピザを、通常とは逆向きに雅峰に渡した。
「あっつう!!」
「次――――顔いっとく? ワタシが食べさせてあげるよ?」
「ぼ……暴力反対! そんな事やってると嫌われますよ!?」
「はぁ? 何言ってんの? 嫌われるのなんて痛くも痒くも無いんだけどぉ?」
ニヤリと広尾は笑った。
「……タイムで」
「やだ。タイムは無しでぇーす」
「いやー……ふがっ」
広尾は雅峰の口に、火傷するには十分な温度を保っているピザを突っ込んだ。
雅峰は声にならない悲鳴を出しつつ悶えた。
満足した広尾は紙箱からピザを一枚手に取り、ベッドに寝そべった。
片手にはまた携帯電話を持ち、画面上に眼を凝らしている。
愉しそうに鼻歌を歌いながら、手の中で携帯電話を転がす。
「……都市伝説ねぇ? …………ふふ」
彼女の口が弓形に大きく裂ける。
広尾は掴んだピザを大きく開いた口で噛み千切った。
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「もっと声しっかり出しなさいよ!」
イライラしている。
練習なのだから、もう少し楽にやっても良い筈なのに、ついこんな態度を取ってしまう。
自分が上手く歌えないからというのもある。だが、それは主な理由ではない。
昨日の出来事のせいだ。まだ背中に湿ったゴムの様な感触が残っている。
背中をずるずると這う白蛇。冷ややかでざらついた表皮。舌の鳴る音。そして――――。
自分の背中を軽く触った。制服越しに自分の体温を感じ、少しだけ安心した。
あの蛇は一体何処から現れた? いきなり蛇が落ちてきていきなり消える筈が無い。誰に聞いても蛇など見かけなかったというし……。私だけが見ていた……という事か?
それこそありえない……。あって堪るか。
急に出てきた蛇も気になっているが、それ以上に気なっている事がある。昨日の放課後、私が八つ当たりの標的にした少女である。他校の制服だったので、転校生か何かだろう。
枝の様に広がった黒い髪の少女。顔の作りは人形の様に白く精巧に出来ていた。体は小さく華奢であり、女の私でさえ庇護欲を持たざるおえなかった。小さくて、小動物の様で、今にも壊れてしまいそうな――――。
しかし――――しかし、何か影がある。
私の暴言に対しても顔色一つ変えなかったが、その顔の向こうに得体の知れない影が潜んでいた。それは気のせいなのかも知れない。だけどあの子は私に蛇が落ちてきた時――――。
哂っていた。
端正な口元を大きく引き上げ。哂いを噛み殺すかの如く。
下を向いていたから顔は善く見えなかったが、あの子は絶対に哂っていた。他人を嘲笑うなど、あの少女からは連想も出来ないのに――――。
少し背中が寒い。室内が寒いのではない。自分の体温が下がっているのだ。
あの子が哂う。それが脳裏にこびり付いている。
――――蛇の様な口が。
いいや……全部まやかしだ。あんな子に何が出来るものか。
振り払うように私は胸元を掴んだ。
「和泉……そんなに大声出さなくても……。皆怯えてるよ?」
心臓が跳ねる。
「あ……藤……か……」
嫌な汗が首を伝う。
気付けば後輩や、同級生達がこちらを凝視していた。
――――また……そんな眼で見るの……?
原因が自分にあるのは解っている。この視線は今に始まったものではない。三年生になり、最上級生になってから止む事無く浴び続けている視線だ。
きつい言動。厳しい態度。それは私が積み重ねてきた業である。
口下手――――とは少し違う。言葉を口に出そうとすると、それが捻くれた聞くに堪えない罵詈に変わってしまうのだ。それついていい訳するつもりは無い。私がそういう言葉を発する事で誰かが傷ついているならば、私はその人にとって、紛れも無い悪人なのである。
捩れて曲がって捻くれて。一度湾曲を始めたら止まる事が出来ない。硬い悪癖という名の板はしなり切ったまま戻らない。どれだけ力を籠めても徒労に終わる。
私だって直そうとしなかった訳ではない。直そうとしても直らないから悪癖なのだ。
悪言を吐いて、人を嬲る。習慣化したそれは何時の間にか快感にも変わっていた。普通なら快感になど成りはしないのに、捻じ曲がった私の中ではそれがまかり通り、ストレスの捌け口にしてしまう。
昨日の少女にだって、私は初対面にも関わらず理不尽な暴言を叩き付けた。
きっと泣いて――――泣いて――――ああ、そうだ私の勘違いだ。彼女が歯を噛み締めていたのが哂っていた様に見えていたのだ。そうだ、そうに決まっている。あの状況で哂う人間が居るものか。
嫌な幻想から引き戻された私は、大きく息を吸った。音楽室特有の落ち着く空気が肺の中を満たす。
漸く落ち着きを取り戻し、何とか声を出した。
「えっと……じゃあ……もう一度始めます……。今度はしっかり声出してね……」
駄目だ。あの子の影が頭をちらつく。
考える程に影が広がる。あの嘲笑うかのような口元が脳裏を掠める。哂って――――いないのに。
考え過ぎなのだろうか。妙に引っ掛かる。……駄目だ……やっぱりイライラする。
「それじゃ――――……」
楽譜を確認してから続きを始めようとした時、教室の扉が開いた。
其処には顧問の日下部先生と、その隣にあの少女が哂って――――。
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太陽が熟れた林檎の様に赤みを増し、日暮れも近い昼の午後。穏やかな顔の老教師と、さして特徴の無い好青年然とした男性が緩やかに廊下を歩いている。
人の気配が薄い。生徒が居ない午後の校舎ではこんなものであろう。寂しい匂いが哀愁となり、気にも掛けられない校内の備品に染みていく。
窓を閉め切っているせいか、空気はどんよりと淀んでいた。それは校内に蔓延するある空気のせいか。それとも単に換気が滞っているだけなのだろうか。
青年の背後にはもう一人、小さな少女が小さな足で前を行く二人に追従していた。
影が伸びる。どこまでもどこまでも伸びる。陽光と対比の如く、ねっとりとした粘性を這わせながら、さながら大蛇の様に伸び続ける。他の影を飲み込みながら、するするとするすると這って行く。あの影は何を呑み込むつもりなのだろう。それは蛇だけが知っている。闇さえ呑み込み次の獲物を捜し求める蛇は、日の光を避けつつ白黒の対極図の様に分裂した。そして再び影の流れの先で他の影と結び付く。
さぁ、次は何を呑む? 余りある獲物でさえ丸呑みにする顎の外れた口で何に噛み付く?
蛇の様な影の出所を辿る。枝分かれした影は青年と老教師の下から出ている。
いや――――違う。
二人からも小さな影と大きく歪に重なった影が出ているが、それは蛇ではない。
影はその背後。少女の足元から這い出ている。
身の丈をはるかに超えた影を持つ蛇は艶やかに微笑んでいた。
「――――それで? 先生はその教室で見たんですね? 二回も」
少女は――――正確には少女に見えるだけの女性は老教師に尋ねた。
「私が錯乱してなければ――――ね……。もしかしたら幻覚だったかも知れない……」
「でも、貴女はご友人と貴女の二人でそれを見たんでしょう? それと自分でももう一回」
「集団幻覚とか」
「集団幻覚なんて特定の条件下でしか起きませんよ。ましてや二人に一人。あれはその名の通り集団でしか起きないんですから。それに貴女の話を聞く限りでは妙な興奮状態にあった訳ではない。とすればそれは幻覚以外――――と考えられませんか? まぁ……信じなくても信じても結構ですが」
「信じない……とは言わないけど、すんなりとは受け入れられないわね……」
紗苗は腑に落ちない表情で言った。
「違う世界なんて、さっさと忘れてしまった方が良い。……でも貴女は不意に垣間見えたそれが忘れられないみたいですねぇ?」
嫌味っぽく笑い掛ける広尾に、紗苗は優しく笑い返した。
「……そうね……忘れられないからこうして悶々としているのでしょう……。それでも良いわ……あれはあれで青春の思い出だもの」
皺の一つ一つに記憶が刻まれている。勿論嫌な思い出も。
しかし紗苗には、それすらも大切な宝物に思えるのだ。酒が樽の中で熟成する様に、嫌な思い出さえ甘く味わい深く感じる。だからこそ紗苗は自分の見た教室が気になって仕方が無い。
広尾に協力する気になったのも、掴み所の無い思い出をハッキリとした輪郭で捉えたいという願望が彼女の内にあるからであろう。
「……青春……。やけに抽象的な事を言いますね?」
広尾の顔から笑顔が消え、彼女の顔はどこか飢えている様な表情に移り変わった。
「抽象的では無いわよ。青春はいつだって具体的なの。過ぎた日々は曖昧でも、私の中では鮮明な記憶として残っている……。ああ――――やっと素顔を見せてくれたわね」
意味が解らず広尾と雅峰は首を同時に傾けたが、意味が解った途端、広尾は不機嫌そうに顔を歪めた。
「……先生って性格悪いって言われません?」
「あんまり言われた事無いわね。……貴女、そっちの表情の方が取り繕ってる時よりずっと良いわ。だけど、笑った方がもっと素敵。そんなに可愛らしい顔をしているんだもの」
「……笑ってます」
「それは本心じゃない――――と言ったら怒るかしら? ……合唱部にも一人そういう子が居るのよ。……その子は貴女とは違う方向で素直じゃないけどね……」
「…………話……戻しても結構ですか」
小さく舌打ちしてから、広尾は苛苛とした口調で言った。
「あら……ごめんなさい。年を取るといけないわ。つい説教臭くなっちゃう」
嫌味の無い笑い声を老教師は発した。
老獪では無いが飄々としている。それだけでも広尾の心は十分に乱される。
広尾は話を仕切り直した。
「……先程のお話――――誰かに話したりしましたか?」
「教え子に数回ね……。だけど、最近は話してないわ」
「それでは、それを何処か――――例えばネット上に掲載したりは?」
紗苗には広尾の質問の意図は読めなかった。
そもそも機械音痴である紗苗に、そんな事が出来る訳無い。
「私、パソコン全然使えないの。……ところでそれは――――」
「関係ありますよ。ふふっ……。この学校に現在在籍している生徒には話していないという見識で良いですね?」
崩した表情を作り直し、広尾はクスクスと笑った。
「え……ええ……」
「先輩……何の話ですか?」
口を閉じていた雅峰が、小声で広尾に尋ねた。
「ひ~みーつー! ……その内解るさ――――と……もう直ぐ音楽室だね! お兄ちゃん!」
広尾の言う通り、音楽室は目前まで迫っていた。
「うえぇぇ…………」
「おいこら、『うえぇぇ』って何だよ。喜べよ!」
「ハハハー。ワタクシハステキナイモウトヲモッテ、トッテモシアワセダナー」
「何だそれは! やる気あるのか! まったく……世間では妹ブームっぽいのに!」
「あ、すいません。俺一人っ子なんですよ。見ず知らずの妹はクーリングオフで」
「がうッっ」
広尾が雅峰の指に噛み付いた。
「痛い!!」
紗苗は噛み付かれている雅峰を見て、可笑しそうに口を押さえた。
「二人は仲良しなのね」
「仲……良し……!?」
雅峰には、ちょっと紗苗の言ってる意味が解らなかった。「仲良し」というのは一般的に言う「仲良し」なのだろうか。いいや、それはありえない。この惨状を見て雅峰と広尾が「仲良し」であるという勘違いをする筈が無いのだ。考えられる結論としては、紗苗が何らかの拍子に某有名少女漫画雑誌の事を口走ったに違いない――――との結論を雅峰は弾き出した。
「いやあ、ぼくはコロコ――――ぎゃー!」
指の骨が危ない音を立て、雅峰は悶絶した。
そして広尾は、口を拭いながら文句を言った。
「何て緊張感の無い叫び声なんだ! もっと確り悲鳴を挙げろ!」
「駄目ですよ。お兄さんにそんな事をしては」
老教師は呑気な声を出した。
「お兄ちゃん大丈夫!? 痛かったでしょ? ごめんね!」
本気なのかどうなのか判じ難い表情で、広尾が雅峰の背中に駆け寄った。
壮絶な痛みを手を抑えることで堪えていた雅峰は、その変貌ぶりに痛みを忘れた。
先程まで火が付いた様に感じていた彼の手から熱が引いていき、心なしか体温まで引いている気がする。なるほど人は想像だにしない出来事に遭うと痛みが消えるのか。彼はまた一つ新しい発見を得た。
「……うっわぁ…………」
「……お兄ちゃん、どうしたの? 痛むの? …………何とか言えや? あ゛ん?」
「いえ! 先輩があまりにも格好良くて眩しくて、眼を奪われておりました!」
「やれば出来るじゃないか」
広尾が子供の様に笑った。邪気が抜けた笑みである。実際は邪気そのものであるが。
急に広尾の耳がピクンと動いた。何かが聞こえる。そう、それは彼女の大好物達の声。
それは直ぐ近く――――音楽室から伝わって来ていた。
中学生達の澄んだ歌声。まだあどけなさが抜けない――――そんな声だ。
――――……ほう……。ほう……! ほう! ほう!!
感情が高ぶり始めた広尾に、紗苗が声を掛けた。
「そういえば――――どうして生徒達に話なんて聞きたいの?」
「……いやね? 先生。学校の事は教師に聞くより、生徒に聞いた方が分かるんですよ」
冷めた眼でせせら笑う広尾の影からは、先が二つに別れた長い舌が伸びていた。
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竹見和泉は一見機嫌を損ねた様な険悪な表情で、合唱部の拠点である音楽室に残っていた。他の同級生や下級生の殆どは練習を終え、帰る者が大半であったが彼女はあえて残った。
理由としては部長が休んでいる為、副部長の責務として未だに帰らず、音楽室に屯している下級生を監督しなければならないと彼女が考えたからである。本当はそんな事はしなくても良いし、普段はしないのだが、今日に限っては別だ。
和泉は不安だったのだ。責任感もあったが、それ以上に不安の方が大きかった。
姿の見えない大きな影が、自分とその周囲にとぐろを巻いている様な感覚を彼女は感じた。
それは和泉の視線の先に居る。そう、現在和泉の後輩達にちやほやとされながら囲まれている瑞樹神広尾の存在が、和泉の不安感を煽った事に他ならない。
彼女のなりに後輩を心配しているのである。彼女の場合、それが押し付けがましい一方的な形として現れているから、現在の様な奇妙な空気が室内に流れているのだ。
音楽室には和泉を含め、四人の生徒と部外者が二人。その内の一人が広尾である。合唱部の顧問である日下部紗苗は広尾に何やら耳打ちされると、部屋から退出していった。
そして、広尾は和泉を除く三人の生徒。つまり和泉以外と愉しげに会話をしている。彼の兄と生徒達に紹介された伊井都雅峰は、正に空気の様な存在感でただ居るだけであった。流石に居心地の悪い和泉は彼と接触を取ろうとも思ったが、雅峰から発せられる。「頼むからそっとして置いて」、という気を酌んで、話しかける事はしなかった。
だから和泉は無言で訝しげに広尾を観察している。
「瑞樹神さんって何処から来たの?」
広尾を取り巻いている内の一人、近藤亜矢が広尾に朗らかな声で聞いた。
「関西ですよ。でも、ずっと前にこっちの方に来ているからあんまり関係無いかな」
「へぇ、関西かあ。京都とかそっち? 何か京都っぽいからさ、雰囲気が」
「あ~確かにそうだよね。和風っぽいっていうか。餡子っぽいっていうか!」
彼女と同じ、二年生の江上晴香が笑いながら言う。
「餡子っぽいって違いませんか……? 江上さんの例えって、いっつも食べ物に変換されますよね……」
これは一年生の東堂詩依だ。この中で一番年下であるにも関わらず、和泉を除く三人の中では、彼女が人間的に落ち着きがある。
「良いじゃんか。和風っぽいでしょ? シェーはいちいち細かいんだよ!」
晴香が詩依に言い返した。
「だからー……、そのシェーってあだ名止めてくださいよぉ……」
「だって語呂が合ってるんだもん。シェー。何で嫌がるシェー」
「シェーってシェーみたいじゃないですか! だから嫌なんですっ!」
「そもそもシェーって何だシェー」
「語尾をシェーにしないでくれます!?」
「おいおい、そんなに嫌がるなよシェー。反省したからさシェー」
「してないですよね!?」
「晴香はそんなに……し、し……し……シェーを苛めないであげなよ!」
亜矢が詩依を庇う様に言った。
「近藤さんも同じ事言ってますからね……」
詩依はもう色々と諦めた。何を言っても無駄だと。
落ち込んでいる詩依を必死で慰めようとしている亜矢や、それをからかっている晴香を余所に、和泉は一人広尾に視線を向けていた。一般的にそれは睨んでいる様に見えるのだが、和泉は広尾を睨んでいるのではなく、真実様子を窺っているだけであった。
――――判らない……。これは哂っているのか……。それとも笑っているのか……。
微笑みを絶やさない広尾を見て、和泉の中に彼女は本当に昨日の少女なのか? という疑問が首を擡げていた。広尾は愉しそうに和泉以外の三人を愉しそうに見ている。そこには嘲りなどの感情は含まれていないのは和泉にも解った。ただ――――。
嘲りも無いが、それ以外の感情すら無い気がする。顔は笑っているのだが、心の方が抜け落ちているかの様な。
いや、それは――――勘違いだ。和泉は疑念を振り切りつつ俯いた。
「先輩?」
「えっ……」
いきなり名前を呼ばれた和泉は、先刻と同じ様にぎこちない反応を見せた。
和泉が顔を上げると、亜矢が彼女に気遣い気な視線を送っていた。上の空で考え事をしていた和泉はオロオロと視線を泳がせる。それを見た亜矢の顔もオロオロと視線を動かした。
「せ……っ! 先輩っ? 大丈夫ですかっ? な、何か調子が悪そうに見えますけどっ?」
「え……あ……ええ。そ、そっちこそ……」
「わ、私はっっ! 無事であります!」
「はあ……無事であります……? ……どうしたの……? 一体」
「えーと……先輩が心配で……ハイ……」
――――心配なんかしていたのか。
和泉は困った顔で落ち着きを無くしている後輩が急に可笑しく見えて、失笑してしまった。
「ははっ……。……あ……」
「……?」
亜矢はいきなり笑った和泉に首を傾げた。
「い、いや……何でもない……から」
「そうですか……? あっそうだ! 先輩も話に入ってきてくださいよ!」
「へ……?」
「黙ってるから具合悪いって勘違いしちゃったんですね~。だから先輩も話しましょう! だんまりは厳禁です! 体にも悪そうだし!」
「ええっ……」
滅茶苦茶だ。それでも和泉には、亜矢のどうにかして自分を会話に引き込もうとしてくれている熱意は伝わってきた。だが、どうして自分にそこまでしてくれるのかが解らない。自分の事など嫌っている筈なのに。それなのにこの後輩はどうして自分をここまで構うのだろうか。和泉の胸中に新しい疑問が湧いて出てきた。
その時だった。
「そうですよ」
繊細だが良く通る声が、和泉の耳に届いた。
「遠慮なんかしないで下さい」
広尾の甘い声が和泉の鼓膜を震わす。
蜜の様に甘美であり、危うさが伴った声が。
甘い囁きは何よりも魅力的に聞こえた。和泉は広尾を見た。
笑っている。哂っているのではなく、笑っている。広尾はその顔に優しい笑みを浮かべているのだ。
和泉は何と返して良いか判らず、言葉を詰まらせた。
「わ――――私――――昨日――――あの――――……」
切れ切れにどうにか言葉を発したが、それはどれも意味が掴める様なものではなく、全くもって理解不能な単語の羅列になっていた。
思考が安定していないからこの様な意味が無い、場繋ぎの言葉しか出て来ないのだ。
和泉はこんな事なら何も言わなければ良かった、と後悔した。
「昨日の事? ああアレ。ワタシは気にしていませんよ。人間なんですからああいう時もあるでしょう。それより色々な話を聞かせてくれませんか? それでチャラって事で!」
もっと何か言われるものかと思っていた和泉は、虚を衝かれたかの様に頭の中が真っ白になった。
「色々な話……?」
オウム返しに和泉は聞く。広尾は笑顔のまま頷いた。
「例えば、そう……この学校の噂とか」
「それだったら、『黄昏教室』なんてどうよ!」
横から割って入った晴香が、大きな声で言った。
「『黄昏教室』って何ですか?」
広尾が問う。
上手い具合に食いついて来たと思った晴香は、得意気にふふんと鼻を鳴らした。
「この学校の怪談話ィ! 最近流行ってんだ。あれ……? もしかして……先輩も知らなかったり?」
「う、うるさいわね……! 知ってるわよ……そんなの……」
和泉の様子を見た晴香は、ぽりぽりと額を掻いた。
事実、和泉はその様な噂話を聞いたことが無かった。彼女はその手の話に、全くと言って良いほど興味が無いのである。
「それ面白そうですね! 聞いてみたい!」
興味津々といった感じで広尾は晴香に続きを促した。
晴香はもったいぶるかの如く咳の真似事をすると、話し始めた。
「ええっとね……まぁ又聞きだから、何とも言えないんだけど。……この学校ってさあ……古い校舎が昔あったんだって……。で、よくあるでしょ? 学校の怪談ってやつ。あれがどうもこの学校にもあったみたいなんだよ。その『怪談』に出てくる妖怪達が、一つの教室に集まる事があるんだって……。それは、そうこんな夕暮れ。今は少し雲が出ているけどね。こういう夕暮れの時刻に、ある忘れ物をした生徒が忘れ物をしたの。その子は友達と自分の二人で、音楽室に忘れ物を取りに行った――――」
悲鳴に近い声が挙がった。詩依が臆病な声で晴香の話を中断させたのだ。
「ちょ……ちょっと待って、江上さん!? それって音楽室にその……妖怪達が集まってるってパターンですよね!? 止めてくださいよぉ……!」
この手の話が苦手なのだろうか、詩依の顔は蒼くなっている。
晴香は詩依に怖がり過ぎだよ、と言うと音楽室を見回した。
「だってこれ、今はもう無い旧校舎の話だぜ? 似ているだけで妖怪までそっくりそのまま出てくるなんて無い無い。……良い? 続き話すよ? あーもう、嫌なら耳でも塞いどけ!」
「そんなご無体な~……ここまで聞いたら続きが聞きたくなるモンですって……。ん……この『怪談』って近藤先輩は知ってるんですか? 一年の方じゃこんな『怪談』聞いた事無いですけど……?」
詩依が眼を潤ませながら亜矢に問うた。
「二年の方だと、結構皆知ってるよね?」
そう言い亜矢は晴香の方を向き、晴香は頬に手を当てた。
「そうだなー。ここニ、三ヶ月で一気に広まったんだよな? これ」
「うん。と……都営電鉄の降りる駅がどうたらこうたらって!」
「違うでしょ……。都営電鉄じゃなくて……。あ~なんだっけ…」
「江上さん! 続きは!? このままだと話がどこかに行きそうですよ!?」
どんどん話が逸れていくのを感じた詩依は、話を元に戻そうと声を絞った。
「シェーも聞きたいんじゃないか。素直に言えよな~。えーっと? どこまで話したんだっけ……」
「音楽室に忘れ物を取りに行った所まで――――ですよ」
ごく自然に広尾が晴香の言葉を繋いだ。
「そうそうそれだ! 悪いね、瑞樹神さん。音楽室だよね――――」
音楽室にはね、何も居なかったんだよ。そこは暗いただの教室。鍵は壊れていたのかな。その子達が入れたって事は壊れていたんだよね。
忘れ物を無事取り戻した二人の生徒は廊下を歩いていたんだ。
うん、薄暗い廊下。蛍光灯は点いてたけど、昔は点いていてもすごく暗かったの。
だからだろうね、灯が点いていると良く分かるんだ。
二人は教室を次々に通り過ぎながら階段を目指した。
今の学校って変な位置に階段があるよね? その位置と同じ位置。音楽室は端にあったから、階段に行くまでに教室を幾つか通り過ぎるの――――って瑞樹神さん以外は知ってるか。まぁそれは良いや。
とにかく二人は廊下を歩いていく。誰も居ない教室を通り過ぎていく。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
そう四つ。四つ目。
ここで二人の内の一人が気付いたの。何か光っていないか? って。
そうしたら階段の直ぐ横が光っていたの。今で言うと――――多目的教室か。
そこから怪しい光が洩れていた。二人はね、誰かがまだ教室に残っているのかなって。
覗いたんだよ。扉の隙間から。
教室の中には七不思議に出てくる妖怪達がぎっしり。
二人はそれがどうしようもなく気になって、教室の中に入ってしまった。
扉が閉まり、妖怪達の視線が二人に向く。
人間だ。
どうして此処に?
見られてしまった。
まあ、どうせ来てしまったんだ。
食べてしまおう。
いや、それより首を捥いで遊ぼう。
じゃあ足はこっちにくれ。
眼ん玉はこっちだ。
どうしたの、泣いているの?
お嬢ちゃん。
そして二人の生徒は――――。
「がりがりがり~! ぐちゃぐちゃごろごろどすんどすん! ぐああああああ! びたーん!」
「………………無いっすわ」
「晴香ぁ……」
詩依は白けた顔になり、亜矢は呆れた表情になった。
「最後ので台無しね……」
「そうですか? 面白かったですよ」
和泉が呟くと、広尾が微笑んだ。
ぶち壊しだ。最後の最後で恐怖が失せてしまった。続きを勝手に作るにしろ、もう少し上手く出来なかったものかと、和泉は後輩に対して内心溜息を吐いた。
「皆して何だよー! そこで話が終わってんだからしょうがないだろー?」
憤慨した晴香は顎を突き出した。拗ねた様な表情で
「その生徒達はどうなったんでしょうねぇ?」
恐ろしく冷たい声だった。『怪談』の内容よりもそっちの声の方が和泉には冷たく思えた。
声は広尾の口から出たものである。ただ声とは違い、表情は未だに人形の如く笑っている。
「死んだのかな」
「死んだって……」
亜矢が消え入る様な尻すぼみの声で言った。
影が――――長い影が伸びている。この部屋の中に長く大きい影が。その影の出所を和泉は辿った。
その先は――――。
雲雀の如き甲高い声がそれを遮った。
「冗談ですよ! 冗談!」
広尾は明るく、裏表の無い様な笑顔を振り撒いた。
和泉はそれにより、現実に引き戻された。
亜矢が言う。
「じょ、冗談か……」
「そうですよ、冗談」
表情とは裏腹に、感情豊かに広尾は伸びやかな声を発した。
「ビビリ過ぎだぞ……みん――――」
顔中の筋肉を引き攣らせた晴香がそう言った瞬間、音楽室の扉が勢い良く開け放たれた。
「なあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
晴香の絶叫が全員の耳を劈いた。
音楽室に入って来たのは、合唱部の顧問である日下部紗苗であった。
「おおっ、相変わらず良い声ね、江上さん」
絶句している晴香を余所に、何食わぬ顔で紗苗は室内に歩み進んだ。
「あ゛……あ゛~! 吃驚させないでよ! 紗苗ちゃんっ!」
「そんな事言われてもねえ? さぁ、帰りましょう。もう遅いですから」
「先生」
広尾が紗苗の前に立った。
「……話は聞けたかしら」
「はい――――これからそれを見に行きますけど――――先生も行きます?」
「……分かりました。でも、まずはこの子達を帰してからね……」
誰にも広尾と紗苗の会話の内容が解らなかった。
広尾は雅峰に目で合図をすると、和泉達にペコリとお辞儀をしてから、それでは、さようならと言った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生徒達を全員帰してから、私は音楽室の前にあの少女と向き合った。彼女の背後には存在感が希薄である青年が控えている。これから何が行われるのか見当がつかない。
日はすっかり暮れ、殆ど沈み切っている太陽が僅かに顔を出している。陰影がやけにはっきりとする時間帯だ。私にも影が射し、体が黒々としている。
しかし、眼前の少女の影は私の影よりも一層黒く見える。体は小さいのにそれ以上の影が彼女を取り巻いているのだ。巻き付く影は、少女を縛る縄の様であった。
「それじゃあ、始めましょうか」
そう言って、彼女は歩き始めた。
私は何も言えないまま、彼女について行く。青年と並び歩く形である。
「――――そうそう、先生。さっき面白い話を聞いたんですよ」
前を向いたままの彼女が突然口を開いた。
「面白い話? あの子達から?」
「単なる噂話ですよ――――。『黄昏教室』って話なんですけどね」
『黄昏教室』……? 聞いた事が無い話だ。
一つ目の教室を通り過ぎた。
「忘れ物をした生徒が居たんですって」
嫌な予感が胸を横切った。
二つ目の教室を通り過ぎた。
「その子は友達と二人で音楽室に忘れ物を取りに行った」
待て、その話は……。
「……それは本当にあの子達から聞いたの……?」
「ええ、そうです。音楽室から忘れ物を回収した二人はこうして廊下を歩いていた――――」
そう――――今の様に私は廊下を歩いていた。
三つ目の教室を通り過ぎた。
「一人が気付いたんですって。『何か光っていない?』ってね。……聞き覚えありません? その言葉」
聞き覚えがあるも何も……それは……。
あの時恵子が言った言葉じゃないか。忘れもしない言葉。
記憶の角に焦げ付いて離れない、幻想的で恐ろしい記憶。その引き金になった言葉。
四つ目……そうだ……また此処だ。階段の脇に在る教室。
「此処で見たんですよね、先生は」
「そ――――そう……よ……私は此処で」
見たのだ。
人で無い者達の教室を。怪しく狂っている宴を。
「じゃあ――――今はどうですか? その教室はどんな風に見えますか」
「え――――そ、それは…………」
「見てみましょうよ」
その教室。いや、その教室ではない。位置関係が同じであるだけで、此処はあの教室では無い筈なのだ。それなのに。それなのに――――。
教室の前に立った彼女は、教室の扉を僅かにずらした。
教室の中が垣間見える。切り取られたかの様な細長い視界には誰も居ない筈。それなのに。
――――何で。
眼に痛い赤色や紫の毒毒しい光が見えた。教室の窓には暗黒が広がっている。
あの時と同じ光景だった。
聞こえる……。聞こえる……! 悲鳴にも聞こえる壊れた笑い声が。脳味噌を揺さぶられるあの声が。
一緒、あの時と一緒。聞こえる声も、光も、教室の中も。
教室の中で誰かが踊っていた。ふざけた踊りだと思う。それは次第に、増えていった。
艶やかな黒のおかっぱ頭。剥き出しの筋繊維や内臓が露出している人形。仏頂面の時代錯誤とも言える服を着こなしている男。下半身が無い人間。背中に薪を背負う石像。紫色の醜悪な老婆。自らの首をボールの様についている学生服。赤い手、青い手。彼等はまた愉しそうに踊り狂っている。
「怪談」の登場人物達が――――。存在しない者達が――――。歪な笑みで。
何故居るのだ。
あの時と同じ。あの時と。あの時。あの時? おかしい。違和感が。
同じ事を繰り返している様な、この先を知っている様な、気持ちの悪い感覚。
そういえば。あの時とはどの時だ?
あの時とは、私が学生だった時の事か? それとも一年前の九月の事か?
判らない。どっちなのだ、私が今見ている光景は。
「ほら、また繰り返してる」
そうだ。私はまた繰り返している。
それでは、この先の続きは――――。
肩を叩かれた。振り返り後ろを見る。
其処には眼鏡を掛けた細面の生徒が立ち竦んでいた。その背後には三人の生徒。
ああ同じだ。だが、今度は見覚えがある。
「た……竹見さん……どうして……帰ったんじゃ……」
「先生……。何を……見ているんですか……?」
唖然としている生徒達の視線は、私の先。教室の中へと向いている。
見られてしまった。
闇が辺り一辺を呑み込み始める。日は完全に沈み切ろうとしていた。
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「……何話してんでしょうね……あの二人」
どうしてこんな事に。私一人で隠れる筈だったのに。
私は階段の陰に身を潜めていた。一人ではない。邪魔なおまけが三つもくっ付いている。
何を話してるじゃないよ、近藤綾香。あんたの方が何をしてるの。
溜息が出そうだった。
「こんな距離からじゃ聞こえる訳無いでしょ……っていうかさぁ……。何で居んの……あんた達……」
「そりゃー竹見先輩。何か面白そうな空気を感じ取ったからですぜ。それに先輩だって一人で抜け駆けしようとしていたじゃないですか」
バカ、もっと声を小さくしろと私は江上晴香に言った。
聞こえたらどうするんだ。聞かれて気付かれたら全てがそこで終わってしまう。
まあ……尤も日下部先生の事だ。怒りはしないだろうが、そういう問題ではない。
――――先輩だって一人で抜け駆けしようとしていたじゃないですか。
その通りだ。私は日下部先生に早く帰る様に言われた後、無性に私達が帰ったその後が気になり戻って来たのだった。一人で戻ろうとした私を、目敏く一年の東堂詩依が引きとめ、こんな事になってしまったのである。
気になるのだ。あの少女の事が。気になって気になって仕方が無い。
悪い人間では恐らく無いのだろう。昨日の事は全て私の勘違いだった。だからこそ、彼女が。瑞樹神広尾が最後に見せた表情や声色が解せなかった。
氷の様な声。そしてそれに釣り合わない、感情の無い人形面。
日下部先生と瑞樹神の関係性も分からない。孫ではないと思う。同じ親類の雰囲気というものがないからである。似ていないというか、同じ血の匂いが全くしないのだ。親類ならば、どこかしら似通った部分があってもおかしく無い筈なのに、日下部先生と彼女の間にはそれが決定的に無いのである。では教え子の子供というのはどうだろう。それもまた違う気がする。
全部私の勝手な想像なのだが、彼女は、瑞樹神広尾はこの場にそぐわない。
異邦人の様に、浮いている。
「先輩……先輩……!」
殆ど床に寝転がっている様な格好で、壁から顔を出している東堂が私に向かって声を押さえ気味に言った。私はそれに、同じく声を小さく、何、どうしたの? と返した。
「あの――――……日下部先生なんですけどーっ……。顔色悪くなってません……?」
本当だ。顔色が悪い。蒼褪めている。先生は瑞樹神が口を開く度にどんどん蒼くなっている。
「どうしたんだろう……」
不安げに近藤が言った。
あの子の……せいなのか……? 心の中の波が激しくなる。
不安感、それは瑞樹神がこちらに近づいて来る毎に強まっていく。
ん……? と近づいて来る? ………………しまった。
先生と瑞樹神は私達の目前までに迫って来ていた。とりあえず私は地面に寝ている東堂の足を引っ張り、横の江上を膝蹴りし、後ろの近藤を背中で押し込め、出っ張っている壁の後ろに身を隠した。
幾分狭いが、並列すれば何とか隠れる事が出来る。と思っていたのだが、よくよく考えれば一番後ろに隠れている私の姿など、廊下側から見れば完全に丸見えだった。
声が近づく。階段にもその音が響く。押さえた息遣いが先生達に聞こえていないか心配だ。
声は階段に差し掛かる前に、手前の教室の前で止まった。
「此処で見たんですよね、先生は」
此処で見た? 何を見たというのだ。
気になってしまう。
好奇心に押し負けた私は身を隠すのを止め、階段から出た。私の行動が理解出来ない後輩達は、身振り手振りで戻れと示してきたが、私は廊下に出てしまった。
日下部先生は教室の方を、蒼白の顔で見詰めていた。瑞樹神は教室の扉の横で門番の如く先生と向き合っていた。瑞樹神の兄は先生の後ろである。
「先輩……! 出たら気付かれますって……! …………あれ?」
背中のワイシャツを引く近藤も、その異様な光景に言葉を無くした。
怪しい光が微量だが、零れている。赤い色。紫に青。あんな色の光がどうして教室から洩れているのだ? あれではまるで――――。
「か、怪談だぁ……!」
臆病な声を東堂が出した。
私は日下部先生の視線の先が見てみたかった。あの先には何がある? どんな光景が待っている?
足が勝手に進み出す。止めようと頭では分かっていても、止められなかった。
「だ、駄目っすよ! 怒られる!」
江上の制止は耳には入って来たが、矢張り足は止まらない。
瑞樹神の兄は私に気付いた様だが、何も言わなかった。瑞樹神は――――。
私の事など見てもいなかった。そんな事はどうでも良い。私は先生が見ているモノが見たい。
先生の肩を叩く。日下部先生が、幽霊でも見たかの様な表情で振り向いた。
「た……竹見さん……どうして……帰ったんじゃ……」
「先生……。何を……見ているんですか……?」
扉の向こうには。
――――教室の中には七不思議に出てくる妖怪達がぎっしり。
見てしまった。
学校の怪談が現実になっている。これは現実なのか。それとも幻想なのか。
解らない。
干上がった喉から、自然と声が出た。
「よ、妖怪が……! 『怪談』の妖怪が……!」
私の声に、隙間から見えた妖怪達が一斉に反応した。
一挙に私に向かって視線が注がれる。洞の様な黒い瞳。それを見た私はとてもそちら側に行きたくなった。足は先程と同じく勝手に進む。私の意志とは関係無しに。
異界との境界に片足を踏み入れる。本能的に私の居た世界とは違うのだというのが解った。
行きたい。いや行きたくない。どちらなのだ。私は行きたくない――――。
足が止まった。足は進もうとしているのだが、腕を何者かに掴まれ、それ以上先に進めないのだ。
誰が……一体……。
「何……やってんですかッ! 行っちゃ駄目です……ってぇッ!!」
私の腕を掴んでいたのは、江上だった。
彼女は私の腕を放すまいと、必死に両手で私の腕を掴んで離さない。だが、見えない力はそれ以上に強く、江上すら引き摺って前に進もうとする。
霞が掛かっていた私の頭が、冷や水を浴びせられたかの様に明確になった。
「江上……離しなさい! あんたまで引き込まれるよ!」
「嫌……っすよっ! 見捨てるなんて出来ない!」
「何でよ……! あんた、私の事あんなに煙たがってたじゃない!!」
どうして助けるんだ。いつも私が来たら真っ先に嫌な顔をするのは、江上じゃないか……!
「そりゃ、先輩は口煩いですけど……ッ! 私は結構好きですよ! 煩いけどねっ! 殺意が湧くぐらい! でもね、好きなんすよッ! ほら、こいつらだって!」
もう片方の腕も掴まれた。近藤が掴んでいる。
「う……りゃぁ~!!」
近藤は江上よりもずっと体が小さいので、最初から引き摺られている。大人に追いすがる子供の様な奇妙な格好で両足が擦れた音を立てている。
この子にだってかなり厳しくした筈なのに……。
私の両足に棒切れの様に細い腕が抱きついた。それは床に伏した東堂のものだった。
「うあ゛ー」
この中で一番小柄である東堂は、正に文字通り体を張って止めている。
顔面から床に突っ伏している彼女の方が、自分よりも心配になった。
「早く離しなさいって!! 何やってんの!! 離してって!!」
「嫌っす!!」
江上が強く言った。
「竹見先輩を見捨てられないで……すよッ!!」
珍しく近藤までもが、きつい口調で言う。
「い゛あ゛ー」
……多分「嫌」と東堂は言ったのだと思う。
胴を掴まれた。
「竹見さん……頑張って……」
日下部先生の声――――折れそうな腕で私を抱き止めている。
無理をしている。老人の体では無理だ。
見えない力は益々強くなっていく。
不意に声が聞こえた。瑞樹神の声だった。
「雅峰ェ……手出すなよ?」
「先輩、性格悪いですよ……助けちゃ駄目ですか?」
「駄目」
どういう事……? あいつが何か関係してるの……?
力が強まった。皆の腕が振り解けていく。体が翻る
私の世界が遠ざかる。ああ離れていく。
一度離れた江上の手が私の手を掴む。しかし、それすら直ぐに解けた。それだけ、私を引き込もうとする力は強かったのだ。皆が遠ざかっていく。手を出してもその手は誰にも届かない。
私は「怪談」にある妖怪達が集まるという教室へと吸い込まれた。
……影……? 視界の端に何かが映った。が、それを視認する前に教室の扉が閉まり始めた。
嫌な光彩が暗闇の中で輝く。音が消える。二つの世界の入り口は閉ざされてしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
閉じ込められた。私と外界は遮断されてしまった。
暗所に光が満ちる。それは異界の光だ。光であるのにも関わらず暗く汚らしい。優しい光などではなく、身を汚される様な混ざり切った色。吐き気が込み上げてくる。
扉を叩く。開かない必死で叩いても開かない。横に引こうが、押そうがどうしても開かない。
教室の中は、普通の教室とは違い、机も教卓も無く、妙な奥行きがあった。
――――妖怪以外に……誰か……居る?
不意に人の気配を感じた私は、横を向いた。
真横に小さい影が立っている。悲鳴を挙げそうになった。
「……っ――――! ……あ……瑞樹神……。何であなたが居るの……?」
「………………」
影そのものであるかの様な瑞樹神は、私の呟きに似た質問には一切答えず喋ろうともしない。
巻き込まれてしまったのか? だけど、この子はあの時何も――――。
私は再度瑞樹神に話し掛けた。しかし、瑞樹神に反応は無い。
本物の人形の如き佇まいである。良く見れば彼女は下の方をずっと見ている。長い髪が邪魔でハッキリとは分からないが、泣いているのかも知れない。
慰める言葉も見付からず、私は彼女から視線を外し、教室内へと眼を向けた。
花子さん。音楽室のベートーベン。二宮金次郎。紫ばばあ。テケテケ。人体模型――――……他にも名前が分からない『怪談』の妖怪達がこちらを見ている。古典的であり、懐かしみすら感じる彼等は皆、残虐な闇をその眼に宿していた。殺意、好奇心、悪意。そういうものが綯い交ぜになった視線が私と瑞樹神に注がれる。
紫色の老婆がしわがれた声を発した。
「人間ダ」
……これは。
赤いスカートの花子が続けて言う。
「ドウシテ此処に?」
狂ってる。これじゃあまるで。
厳格な顔付きのベートーベンが腕を組む。
「見らレテしまっタ」
『怪談』に私達が紛れ込んでしまったみたいじゃない……。
二宮金次郎の石像から、篭った声が聞こえる。
「まあ、ドウセ来てしまったンダ」
そうか、この教室は『怪談』の中なのだ。
赤い口を歪ませてテケテケが笑う。
「食べてシマオウ」
この教室の中に足を踏み入れた瞬間から、私達はこの『怪談』の登場人物になってしまった。
首の無い体に弄ばれている人の頭部が口を利いた。
「イヤ、それより首を捥いでアソボウ」
だとすれば――――これから私達は――――。
再びテケテケが笑う。
「じゃあ足ハこっちにクレ」
殺される。
片目の無い人体模型が私に向かって手を差し出した。
妖怪達は次第に私達に近寄って来ている。獲物を追い詰めるかの如く距離を詰める。
何て陰湿なのだ。にじり寄る恐怖は何よりも心を腐食させる。
「眼ん玉ハこっちダ」
嫌だ、まだ死にたくない。殺されるなんて――――。
俯いていた瑞樹神がふらふらと前に進みだした。
駄目だ。そっちに行っては殺される。私は彼女の手首を掴んだ。
「瑞樹神……そっちは……駄目……殺されちゃう……!!」
「………………」
どうして何も言わない……!
無言のまま、瑞樹神は私の手を静かに外した。
彼女の向かう先、其処には紫ばばあが、四つん這いの格好で待ち構えている。
「どうシタの、泣イてイルの?」
その先だけは駄目だ。その先は――――。女の子は――――。
紫色に変色した伸びっ放しの長い爪が、瑞樹神の胸ポケットを薄く切り裂いた。切り開かれた胸ポケットからは無数の白く長細い紙が舞い落ちた。
助けなくてはいけない。私は瑞樹神の肩を掴み、後方に引いた。瑞樹神の乏しい体躯は簡単に倒れそうになり、私が背中から支える形で何とか持ち堪えた。
枯らした声で瑞樹神に叫ぶ。
「何をやってんの……! 殺されるって言ってるじゃない!」
向き合ってもやっぱり表情は頑として掴めない。
か細い声が聞こえた。
「……ッく…………んくっ……」
泣いているのか。でも言い過ぎでは無いだろう。一歩間違えば死んでいたかも――――。
「くくっ……」
泣いて……いる……?
私にはそれは哂っている様に聞こえた。
闇の中に硝子の如き光沢が見える。瑞樹神の瞳だ。彼女の瞳の瞳孔は蛇の様に収縮していた。
「瑞樹神……?」
思わず肩から手を離した。
瑞樹神は再び紫の老婆の方に向いた。
「お嬢チャン」
私に獲物を取られた老婆は戻ってきた獲物に舌を鳴らした。
鋸の様な歯が暗闇の中で映える。紫の老婆は人間ではありえない程の大口を開け、瑞樹神に狙いを定めた。
「いただキマス」
人の頭など易々と入るであろう洞穴の如き口が瑞樹神に迫る。
瑞樹神の足元に落ちていた紙切れが、光を放った。それは神々しい光で、室内に溢れる汚い光とは異質のものであった。紙の周りに銀の様な鱗が現れ始め、一瞬の内に固まっていく。
気付いた時には、巨大な蛇が瑞樹神の足元に絡み付いていた。
老婆は止まる事が出来ず、瑞樹神に齧り付こうとした。だが、その前に巨大な白蛇に、頭から叩き付けられる様に飲み込まれた。関節が外れた顎が老婆の頭部を咥えたまま動く。入り切らない体を喉に押し込んでいく。紛れも無い捕食の光景であった。
「……っくっくく……ハハハ……お穣ちゃんねぇ? んふふふふっ……あッっはッはッはッはッは!! ……お前等みたいな奴らは大好きだよ……。簡単に騙されてくれるんだから……。……好き過ぎてさぁ……食い散らかしたくなっちゃう……!!」
彼女は泣いているんじゃない。瑞樹神は――――。
哂っている。
蛇の様な、口が裂けた凶悪な笑みで。さもおかしそうに哂っている。
「因達羅、ぜぇーんぶ――――食っちまえ」
白い体が濁流の様にうねる。長い体に紫電が帯び、雷光が闇を引き裂く。大蛇の虹色の瞳が全ての者を睨む。誰も声を出せないし、誰も動けない。神の裁きというものがあるならば、多分これがそうなのだ。
大蛇は鈴の音に似た綺麗な啼き声を発した。清流の如きその声は、毒の様に感覚を鈍くさせる。一身に感じるのは、恐怖ではなく畏怖。天から下ってきたかの様な、白い蛇への畏れ多さだった。
白い裁定者が動く。蛇はまず、内臓が剥き出しの人体模型に俊敏な動きで這い寄った。刀剣の類であるか様な牙が人体模型の腹を突き刺す。白蛇の牙が刺し貫いた怪異は身を反らし、三度身悶えすると、暗闇に融けて消えた。後には鋭い牙のみが残っている。
呆気ない。あんなに恐怖を感じた相手なのにあっさりと死んでしまった。現実感が無くて、突飛で捩れている。統合性が無いどころか、現実が散漫に散らばっている。これでは夢の中と大差が無いではないか。だが、多分――――これは現実だ。
一つ悲鳴が挙がった。それが契機となり、妖怪達は逃げ惑い始める。蛇はそれを這い、追う。ずるずるとした湿った音が恐怖の声にかき消され、それが本来の蛇が這う音であるかの如く摩り替わった。
次に白蛇はおかっぱの少女の眼前に首を擡げた。少女は何かを言う間も無く蛇に呑み込まれる。明らかに蛇の体は先程よりも大きくなっているのが分かった。成長しているのだ。獲物を飲み込み、糧とし、力とする。悪しきを喰らった白蛇の鱗は陽光の如く光り輝く。
――――どこまで大きくなるのだろう。立ち竦む私は、ぼんやりとそんな事を考えていた。
狂乱の中、下半身のみの妖怪――――テケテケが、瑞樹神の元へ肘を足の様に使い、走り寄っていくのが見えた。殺す気なのか。だけど、それは無理だ。彼女は立派な化物なのだから。
瑞樹神の足を掴もうとしたテケテケの手は、突如として伸びた白く強靭に撓る大蛇の尾に阻まれた。それを見た瑞樹神は残忍な笑みのまま、テケテケに向かって言った。
「あははっ! ワタシを狙うっていうのは悪くないよ……。弱いからね、ワタシ。だけど……自分が弱いって分かってる奴が何も手を打たない訳無いだろう? ンフフッ……ハハハハ!!」
弾き飛ばされたテケテケの背後に、蛇の頭が浮かび上がり、ゆっくりと口を開いた。
「特別サービス。滅多に無いよ?」
テケテケの胸から白い大蛇の牙が飛び出た。テケテケはもがき、逃げようとするが、反った牙から抜け出すことは出来ない。
瑞樹神は、満面の笑みをその顔に浮かべた。それは表情が無い人形が無理矢理に笑った様だった。
「その牙さ、電気が通るんだよ。それでなんだけど――――体に牙ぶっ刺したまま電気通したら、どうなるでしょーか?」
雷撃が牙を通り抜ける。激しい稲光に私は目頭を押さえた。
恐る恐る瞼を開く。テケテケは跡形も無く消えていた。
「正解の前に消えちゃったかぁ? ……もう飽きたな、殺っちゃえ」
瑞樹神の言葉を聞いた蛇は迅速に妖怪達を絞め殺し、噛み殺し、焼き殺し、駆逐した。
なす術も無くおぞましい怪異は喰らわれていく。一方的にも程がある。抵抗すら出来ないのだ。否、抵抗はしたのだろうが、意味が無かったのである。最後の妖怪、首なしの学生服をも呑み込んだ大蛇は、音も無く空気に融け、姿を消した。教室には瑞樹神と私の二人だけが残された。
静かだ。さっきまでの事が全部嘘だったみたい。
妖怪達が消えた教室は静寂そのものだった。窓の外は元の世界の闇が外の明かりに照らされている。
「帰りましょうか」
瑞樹神は私に歩み寄ると、笑って、言った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「せんぱあ゛あ゛~い゛……」
「あのさぁ……」
どうしたものか、というか、どうしたら東堂は鼻水だらけの顔を私の制服か離してくれるのだろうか?
嬉しいか嬉しくないかで言うと、嬉しいのだ。その気持ちはよお~く解ったから、もう勘弁してくれ。
「おい! シェー、離れろよなー! 先輩困ってるじゃん」
「いや……だから……」
そういうアンタが率先して私を後ろから抱き締めている腕を離せば、東堂も万に一つ離れるんじゃないのか、江上よ。それはそうと力が強過ぎないか? そろそろ骨が危ない気が……。
「何はともあれ、良かった良かった……!」
離れてくれたらもっと良いぞ。後、袖を引っ張るな。お婆さんか、近藤。
「良かったけど……全員まず、速やかに離れろ」
「硬い事は言わないでえ゛え゛え゛」
硬いもへったくれも無い。とりあえず、私のワイシャツは硬いどころか、ぬるぬるしている。だから、もう顔を埋めないでくれないか、東堂……。
校門にて、ぎっちりと身を囲まれている私に、人懐こそうな声が飛んできた。
「愉しそうですね」
…………この子か……。
眼を向けると瑞樹神が日下部先生と自分の兄を伴って、こちらに笑い掛けていた。
瑞樹神の事は誰にも言っていない。だけど、日下部先生だけは薄々何があったのか気付いている様だった。瑞樹神が何者で、この学校に何をしに来たのかは分からないが、一先ず詮索するのは止すとしよう。
知っても、それは私の世界には何の影響も無い。他の世界の出来事であるのだから。
「貴女は――――」
「ちゃんと自分を見てくれる人が居るんですから、大切にしないと罰が当たりますよ」
私が何を言おうとしたのか、彼女は知っていたのだと思う。
「……そうね……一つだけ言わせても貰っても?」
「どうぞ」
「笑った方が良いよ」
瑞樹神は呆気に取られたかの様に、口を開けた。
「……この学校の人達は皆同じ事を言いますね……」
「少し良いかしら」
日下部先生が瑞樹神の肩を叩いた。
「……あの教室の事が詳しく知りたいんですか? 先生」
「いいえ、もうそれは良いの。あの『教室』があるというのが分かっただけで十分よ。ありがとう。それが言いたかったの」
「そう――――ですか。では、ワタシ達は帰ります。お兄ちゃん行くよ!」
校門から出ようとする瑞樹神達に、私以外の三人の後輩は口々に別れの言葉を言った。
「じゃあね! 転校したらヨロシク!」
「それと合唱部に絶対入ってなー!」
「合唱部では、私の方が先輩ですからねーッ!」
振り返った瑞樹神は微笑を浮かべつつ、頭を軽く下げた。
「また――――それじゃ」
日下部先生が去り際に瑞樹神に言葉を投げかけた。
「瑞樹神さん。私、貴女の事嫌いじゃないですよ」
再度振り返った瑞樹神の顔に、表情と呼べるものは無かった。
彼女の口が素早く動く。
後輩達には、瑞樹神が何を言ったの解らなかったみたいだが、私には理解出来た。
彼女はこう言ったのだ。
――――ワタシは貴女達の事が嫌いだよ。
そう言って、何処から来たのかも分からない蛇は去っていった。
後輩達に固められたまま、空を見上げる。雲はもう少しで全部消えそうだ。
「ねえ竹見先輩。あの子――――瑞樹神さんは本当に転校してくるんですかね?」
唐突に近藤が私に聞いてきた。
「……どうして?」
「いや……何となく……」
「……あの子は転校して来ないんじゃないかな」
それどころか、もう一生逢う事も無いのではないか。
確信は無いが私はそう思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
通学路を広尾は足早に歩き進んでいく。
「あのー先輩。未だにオレはどういう事なのか意味が分からないんですが」
「……煩いなぁ……機嫌悪いから話しかけないでくれる? 餌にするよ?」
「やだな、ボクは先輩がそんな事をしない優しい人間だって知ってますよ」
「いん――――」
「お夜食は何が宜しいでしょうか?」
「ホットドッグ! 映画館のやつな! それとそれと、マスタードはたっぷりで!」
「じゃあ、事情説明してくれますね?」
「……フライドオニオンは?」
「えぇ勿論付いてますとも」
「仕方ないなあ。そうだな――――何から聞きたい?」
「あの『黄昏教室』っていうのは何ですか?」
「『怪談』の具現化。元ネタがややこしいんだよね、ほら、あの日下部先生っていらっしゃったじゃん? あの人が――――どうしたの?」
雅峰がニヤニヤしているのを怪訝そうに広尾は睨んだ。
「時々、育ちの良さがでますよね――――……痛いっ!」
広尾は雅峰の背中に小さな拳で何回も突きを入れた。
「せいっ! せいっ! とうりゃ! 今回だって! 役立たず! こいつめ!」
「あぁ、これって肉体的な痛さよりも、精神的にきますね」
雅峰はうな垂れた。
「ふう……。で、日下部先生が昔あの教室を見たって言ったじゃんか?」
「それがあの教室?」
「違うよ。まあ聞け。先生は『黄昏教室』を三度見てんだよ。それらは全部違うものなのさ」
「一緒じゃないんですか。てっきり全部同じものかと……」
「二回目に関しては一旦置いといて。問題は一回目と三回目――――」
「三回目は……今回先輩が閉じ込められたやつですね」
「わざと入ったんだ! あんなのに閉じ込められる訳ねーだろ。……一回目は本当に見たんだろうな。だけど、二回目からは全部贋作だよ。ん~違うか。似ているけど別物なんだわ」
「別物?」
「先生が『黄昏教室』を見たっていう『話』がありますぅー。これが『一回目の怪談』ね。先生はその『話』を数回教え子に話した、と言っていましたぁー。つまりどういう事だ!?」
「分かりません!」
雅峰は躊躇いなくそう言った。
「何格好付けてんだ、アホ。もうその時点で『話』は噂になってんだろうが。つまりな、その教え子が『話』を誰かに伝える度に変化していって、『二回目の怪談』になり実体化した」
「変化したんですか? そうも簡単に?」
「簡単じゃないよ。現に何十年も掛かってる。そんで『二回目の怪談』の内容は『二人の生徒が忘れ物を取りに音楽室に行ったら何も無かったけど、その帰る途中の廊下でおかしなものを見ました』って内容になる。だからーんー日下部先生が見た『黄昏教室』はあくまでその『二回目の怪談』の中に出てくる『黄昏教室』であって、日下部先生が昔見た『黄昏教室』ではないって事よ。最後に三回目なんだけど、これ見て」
広尾は雅峰に携帯電話の画面を見せ付けた。
「都市……伝説の鳥籠?」
「そう、このサイトに書いてあるんだよ。おかしな事に今日の事が」
「それは――――おかしいですね……」
「だろ? まあそれも一旦置いとくよ。さっきの話に戻るけど、日下部先生が、昔『黄昏教室』見たっていうのが回り回って『二回目の怪談』になった。――――ここまではオーケィ?」
「まっ待ってくださいよ……! それ、何十年も前の噂ですよね……!?」
「そうだよ。とにかく最後まで聞いて下さいね~。質問はそれからですよ~」
「はぁ……」
「実体を持った『二回目の怪談』を日下部先生は、もう一度見た。これが去年の九月で、二回目の目撃な」
「なるほど……二回……」
「問題は三回目……これが問題だ。そして、その何だ、『都市伝説の鳥籠』か。それの内容でもある」
「……変化があるんですか? 二回目からの」
「うん、二回目からの変更点は、その『怪談』に日下部先生の存在が何故か組み込まれているって所だ……。三回目、それは日下部先生がその『二回目の怪談』を目撃したという事実を知っている人間が作った『怪談』なんだよ」
「それは……」
「だからさぁ、日下部先生が『二回目の怪談』を目撃した時に、それを覗き見していた奴が居たって事」
「覗き見した人が『三回目の怪談』を作ったと?」
「そう。そいつは日下部先生が『二回目の怪談』を見ましたっていう話をそのまんま『三回目の怪談』にしたんだ。そして今日ワタシ達がそれを追体験した――――」
「……その『三回目の怪談』を作った人間は誰なんです?」
「……分かんない。一つだけ分かっているのは、『都市伝説の鳥籠』っていうのに関係している人間だっていう事だけかな――――」
「よくそんな事まで調べましたね……。『黄昏教室』の位置とか……」
「だって、『黄昏教室』の出し方も『都市伝説の鳥籠』に書いてあるんだもん」
「え゛そんなゲーム隠しステージの出し方みたいなノリで……?」
「夕暮れに音楽室から、一つづつ教室を数えながら進む。四つ目で止まり、四つ目の教室の中を覗く――――で出現」
「マジっすか……。危ないなぁ、それは……」
「やる奴は滅多にいないし、それにこの学校でやらなきゃ意味が無いから問題無い!」
「ところで、先輩……監視カメラならぬ、監視蛇を教室中に仕掛ける必要があったんですか」
「少なくとも、ワタシの眼の肥やしになります。映像は家で楽しみますから安心しろ」
「安心できないんですが」
「監視カメラは仕掛ける事に意味があるんだ!」
「ええぇ……」
「おっと! それよりあっちが気になるから電話しないとね!」
広尾は携帯電話のキーを小さな指で押した。
「誰にです?」
耳に携帯電話を当てた広尾は、生返事をした。
「真にだよ――――……あっ? 真? ワタシ、瑞樹神! 結婚して! えっ? 駄目? あ、うん分かったー。それでさ-―――『都市伝説の鳥籠』っていうの知ってる?」
「怪談」は繋がっている。
竹見先輩だってちゃんと意味があるんですよ!? ……多分……。
最後の方は殆ど会話だけになってしまいましたが、自分でも分かり難いと猛省しておりまして……。なので、ズバズバ言ってくださいね! 何とか書き直しますから!
あ、後、最後の方では少しネタバレしてます。
では次回! と思ったらおまけだよ!
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寧「あたしの扱いが最近ぞんざいじゃないですか!?」
葎「いきなりそれか……」
寧「だってこうして番外編だけしか出番が無いんですよ!?」
葎「いや、ほら寧さんってサザ×さんで言う、中×のポジションだからしょうがないよ」
寧「中×……!? じゃ……じゃあ、『栖小埜~野球しようぜ!』なの!?」
葎「平たく言うとそうだね……。まあ、そこそこに出番のある脇役って感じ?」
寧「り、葎さんはどうなんですか! ポジション的に!」
葎「俺……? 聞いちゃう……? それ……」
寧「納得がいかないので是非聞かせてください! どうせメインの――――」
葎「俺さぁ……いささ×先生ポジションなんだってさ……」
寧「……あぁ……ごめんなさい……」
葎「お互い様だ……」
寧「……夕焼けが目に染みますね……」
葎「泣くな……まだ、泣くには早い……!」
寧「今回の話も……瑞樹神さんが活躍してましたしね……」
葎「言うな……! もう……! 自分の傷口を抉っている様なもんだぞ……!」
寧「……必殺技とか考えます……?」
葎「必殺技か……。ああでも、キャラが立つかも知れないよね……うん……やってみるか!」
寧「じゃあ、お互いの必殺技名を考えるという事で!」
葎「オッケー」
寧「それではあたしから……『フールメロン』(メロンパン馬鹿)で!」
葎「おおっ! すっげえ! カッコイイ!」
寧「そうでしょう、そうでしょう。じゃあ、葎さんどうぞ!」
葎「『アンフォーチュネイルビューティー』(残念美人)!」
寧「ビューティーって照れますねぇ」
葎「いやいや」
寧「でもこれって……必殺技っていうより名前っぽいですね……」
葎「……いっその事、名前で良いんじゃない?」
寧「そうですねー!」
こうして、葎の名前は「フールメロン」(メロンパン馬鹿)に!
寧の名前は「アンフォーチュネイルビューティー」(残念美人)に決定した!
そして終了!




