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duplices  作者: rakia
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背中の重み

 えっとですね…これを読んで、何だこれ? と思う人が居るかもしれませんが、その内、謎は明かしていくので勘弁してね…。




「ほら、寧さん…しっかりしな…」

「は、はいおぇぇぇ…………」

「吐かないでよ…?」


 とても年頃の女性が出すとは思えない声を、寧は発している。

 原因はケーキの食べ過ぎである。今は葎の肩に捕まりながら、辛うじて歩いている状況だ。

 彼女や燐太達は楼花の家でご馳走になったケーキ類にノックダウンされたが、葎だけは何故か何事も無かったかの様な顔をしている。

 何でこの人は平気そうなんですかね…? う…う~お腹痛い…。

 寧は嘔吐と我慢の狭間で揺れる思考を何とか食い止めながら思った。栖小埜葎という人物は鉄の胃でも持っているのか? と。後から来たので量が少なかったという事も無く、彼が飛び込んで来た時も、RPGの無駄に強い中ボスキャラ宜しく、寧の前に立ちふさがっていたケーキ達は健在であった。

 葎曰く、「メロンパンで鍛えておる」だそうだが、何か色々間違っている気がする。

 というかこの人物はどうして太らないのだろうか? それが彼女には不思議でならない。

 嗚呼…白い悪魔だ…白い悪魔がぁぁぁ…。もう当分、生クリームは見たくない…。見ただけでも駄目だ…。それに…暫くは甘い物や油物は控えないと…ってもう見たくも無いけど…。

高校生組は回復が早かった様で、最初は辛そうな表情をしていたが、数時間も経つと元気そうに帰って行った。途中で別れたので、今は彼等と一緒ではない。


「栖小埜さん…」

「どうしたの…? トイレ行く?」

「生クリームが…襲ってきます…」

「寧さん、生クリームは襲ってこないよ…」


 千鳥足で歩き、倒れそうになる寧の肩を葎はしっかり支えた。

 彼女を支えていると、酔っ払った上司を介抱している全国のサラリーマンに尊敬の意を示したくなる。 最近は飲みに行ったりするのも少ないと言うが、その辺はどうなんだろうか。


「やっぱり…もう年なんですね…胃が…」

「えーーー……」


 年って…。まだ成人してないよね…?。 

 凄く気分が悪そうだ。背中でも擦ってあげた方が良いのだろうか。

 

「あっ、そういえばさ、古雫さんの所に戻る前に電話切れたじゃん。あれ…どうしたの?」


 曲がりなりにも自分が大恥をかく一端を担ったのだ。聞いて置かねば気が済まない。


「あ…ああ…あれですか…うぅ…電池が切れただけですよ…心配してくれたんですか?」

「まぁ…うん…してた」


 おかげでフライングダイブしました。

 葎は虚ろな眼で口元をヒクつかせながら無理に笑みを捻り出す。


「…っっぷっ……」


 寧はおかしそうに少し笑った。


「笑う事ないだろ…」

「いえ…だって、いつもあなたは人の為に必死になりますよね。あたしの時も、風早君や灯ちゃんの時もそうだったらしいじゃないですか。あたしは好きですよ。栖小埜さんのそういう所」

「あ…えーあ…」


 褒められた? ……照れるぞ? 良いのか?

 面と向かってこういう事を良く言えるなぁ、と葎は訳の分からない関心をした。


「えーっと…その…必死っていうか…だから…うーん…危ない目に遭ってる人は放っておけないでしょ…? つまりはそういう事で…」


 何と言えば良いのやら…。

 返答に困ってしまう。多分これと言った理由は存在しない。

 自分の中で微妙な感情のしこりが残るのが嫌だからというのあるのかも知れないが、自分はとにかく助けたいと思ったから助けたのだと思う。危ない目に遭っているのが嫌いな人間だったら、助けたかどうかも分からない。まぁ、それもその時になってみなければ分からないが。

 それに自分の行為は人を助けるって程のものでは無いだろう。買いかぶり過ぎだ。


「じゃあ――――また、あたしが危ない時は助けてくれますか?」


 二コリと微笑む寧を前にして葎は考える様に小首を傾げる。


「それは…状況と場合と被るであろう被害を自分の中で相談して決める!」


 とてもキリッとした表情で葎は言った。


「………そこは嘘でも助けるって言いましょうよ…」

「甘いな…逃げ道を残して置くのが定石セオリーだ!」

「何の定石ですか」

 

 寧は口をへの字に曲げる。


「…でも…多分あなたは助けてくれると思いますよ」


 そう言って笑った彼女の顔は、蒼白い光に照らされたからか、葎には一寸だけ眩しく見えた。

 何で――――そんなに言い切れるのだろうか。


「いや!? 分かんないよ? 見捨てるかもよ?」

「それを本人の目の前で言うって事は……覚悟出来てるんですね?」


 怖いよこの人…眼が…眼が怖い…邪眼だ…いや? 蛇眼か?。


 ――馬鹿め――


「寧様…寧様…その荒御霊をお鎮めくださいませ…」

「全く…。冗談ですけど…。…ところで荒御霊って何ですか?」

「…気にしなくても生きていけるから…うん」

「………?」

「そ、それはそうと、もうお腹が痛いの治った?」

「…話してる内に楽になりました!」

「そっか」

「はい」

「……………………………………」

「……………………………………」


 話が止まった。お互いが、お互いから顔を逸らした。それは話題を探す為でもあるし、気恥ずかしかったからでもある。通行人からすれば、彼等の動きは挙動不審ととられても仕方の無いものだった。

 そして、『あ――』と同時に彼等は間延びした声を出した。声が重なってしまい、今度は二人共黙りこくってしまう。葎はここは後手の方が良いと判断し、寧の言葉を促す事にした。


「……どうぞ?」

「……寧さんこそ…」

「…………………………」

「…………………………」


 促され返し…だと…。

 寧の返事で、また二人は沈黙の真っ只中に突入するはめになった。


「…………静かですね…」

「…………そうだね…」


 やけに音が無い。夏の雰囲気というのだろうか、気分が高揚する様な、何ともいえない感情が湧いてくる。しみじみと夏の空気を吸い込むと、草の匂いがした。空にはもう星が輝き始め、夜である事を実感させる。それは彼女も感じているらしく、やけに遠くを見る様な眼で、黒になりかけの蒼い空気をみつめている。ジロジロと見るのはどうかと思ったが、自分の横を歩いている彼女の横顔を気付かれない様に盗み見た。風で髪がサラサラと靡いている。僅かな光を反射している彼女の顔は――――…。

 とりあえず、少しばかりいけない感情を抱きそうになったので、自分の顔をぶん殴る事にした。


「んばぼッっ!!」

「うわぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!!?」

 

 ――ぬ…――


「な…な? どうしたんですか!? 蚊ですか!? 蚊なんですか!? 何が起きたの!?」

「これはだね…先人達の教えに従い、邪な煩悩を断ち切る術を実行した結果…げふ…」

「栖小埜さぁぁぁぁぁぁん!!」


 -―……そして葎は死んだ…終わり、っと…――


「しっかりー! まだ助かりますよー!!」

「頼みがある…俺の墓はメロンパンに…」

「………頭の方は前から怪我してたみたいですね」

「えーー」

「『えーー』じゃないです。変な事やってないで帰りますよっ」


 寧が頬を擦っている葎の前を歩く。

 丁度、十字路に差し掛かった。この辺りは住宅街の近くなので、自動車や人の数もまばらである。道路標識には学童注意の文字。道は狭く見通しが悪い、確かに書いてある通り注意しなければいけないだろう。民家からは灯がポツポツと洩れている。もう大半の家が夕食時なのだろう。

 少し前を行き過ぎた寧が葎の方を振り返る。

 彼女が微笑んでいるのが分かった。それが葎にとっては現実に見えなかった。

 時間の狭間。

 昼から夜の境目。

 幻みたいに触れば消えてしまいそうな、全ての像。

 虚像では無い筈なのに。虚像に見えてしまう。

 先程までの感情はとうに消え失せている。

 代わりに冷たい感覚が自己を満たしていく。段々と自分が冷めていく。

 否、自分が冷めている訳では無いのか。冷めているのは周囲の空気なのか。

 狂っている。それは自分でも目の前の女性でも無い。

 多分ここは平常なのだ。異物が紛れ込んでいるだけで。

 その異物の眼に見えない存在感が大き過ぎるから、自分達が現実味を失っている。

 間違っているものが、間違っていない様な顔をしているから自分達が間違っている気がする。

 だから、全てが幻に見えてしまう。

 ――――その異物とは何だ? 何が――――。 


「――――栖小埜さん?」


 寧さんが、俺の顔を戸惑った様に覗き込んでいる。

 その瞬間、現実が戻ってきた。音が、色が、一気に元に戻る。

 正面に立っている寧にも現実感が戻った。

 こうもまじまじと見られると――――眼に毒だ。

 葎は慌てて横を向き、視線をずらした。

 

「………?」


 俺の右斜め。今通っている十字路を右に曲がり、更にそれを左に曲がった所に。

 壁に少し隠れていたが、女の人――――。

 

「…!?」


 違う。女じゃない。あれは…あの顔――――横からだが見間違える筈が無い。

 あんなに印象深い顔なのだ。忘れる訳が無い。

 性別の無い顔。いや、性別の境界が無くなっている顔。

 作り物の髪。女性物の服。そして僅かに纏う血の匂い。

 あれは―――あの顔は――――姥季淡慈だ。

 今更何故ここに…? 俺や風早に仇を返しに来たのか? 


「ガラ…見えるな…? あれは…俺の見間違いとかじゃ無いな…?」


 ――ああ…! だが…おかしい…あれでは――――彼女そのものが二重存在みたいに見える――


「…? 意味が分からないぞ…そりゃ、あいつだって二重存在は居るだろうよ」 

「何かありました…?」


 不審気に寧が葎に尋ねた。

 姥季淡慈の姿が壁に隠れていく。

 あいつが行ってしまう。追わないといけない。


「寧…さん! 直ぐ戻るから待ってて! 頼む!」

「あ? ええ? 何がなんだか…あっ!」


 葎のただならない様子に、寧は頷くしか無かった。

 急いで葎は、さっきまで姥季淡慈が居た地点まで走った。

 居ない。

 何処に居る。

 居た。あそこの電柱の所だ。

 ポケットに入っている携帯電話が揺れる。

 追いついたか?。

 いや、追いついていない。

 今度はあそこの道だ。

 そこまで駆けた。追いつく様に。

 また――――居ない。

 次は何処だ。

 あの場所だ。看板がある辺り。

 走った。

 何故、追いつかない。

 追いつかない。 

 追いつかない。

 追いつかない。

 全力で走っているのに。

 実体の無い映像みたいに、追いついたと思った瞬間には既にあいつはもう次の角を曲がりかけている。

 こちらの方など見向きもしない。

 次の曲がり角を曲がった時、姥季淡慈の姿は消えていた。

 周辺を探してみたが、その姿は無い。

 その内俺は走るのを止めた。


「はぁ…はぁ…な…んでッっ…居ないんだよっ…! 何処消えやがった…は…あんにゃろう…」


 ――何だったのだ…? 奴は何をしに来た…?――


 そんな事俺が知るか! と突っ込みたかったが、息が絶え絶えなこの状態では出来る訳が無く、断念する他なかった。


「………ところでさ…はぁ…ここ…はぁ…どこ?」


 ――………君は……はぁ…駄目だこれは…――


 知らない道。知らない光景。

 どうやら、道に迷った様だ。全部同じ道に見えてしまう。おまけに暗い。

 時間を忘れて突っ走った結果がこれだよ…。


「みっ道に迷っちゃった…! てへ?」


 ――はっきり言おう。君がそんな風に『てへ?』とかやっても気持ち悪いだけだ。まぁ、誰がやってもきついが、君がやると一段と痛々しいから止めてくれ――


 叱られた…ガラさんは真剣に怒っていらっしゃる様で…痛々しいのは分かってたけどさ…。


「と、とりあえず…寧さんが何処に居るか聞かないと…ケータイ、ケータイ…あ…電池がヤバイ…」


 携帯電話の充電バッテリーの残量は殆ど無かった。

 寧さんに電話を掛け何とか合流した時には既に画面は黒く、何も写っていなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 

 あれは気配を隠しもせず、私達がこの場所に着くまで一切動かなかった。

 そして、今私達は暗闇の中に居る。誘い込まれたか…?。

 正直、怖い。あれはどう考えても異常な存在だからだ。

 自分の勘違いだと思いたかったぐらいだ。

 とにかく呼びかけてみよう。危険なら、即逃げる。

 自分の髪を留めているあの子から貰ったヘアピンを触って、何とか心を落ち着かせようとした。

 もしかしたら、今夜自分は死ぬかもしれない。そんな予感も無いとは言い切れない。私には未来は見通せないから、どうなるか分からないのだ。

 死んだらあの子が待っているかな。奇妙な期待を寄せてしまう。

 だが、まだあの子の所に行くには早過ぎる。

 逢いたいが――――逢いたいのだが、今逝ったら、きっと怒られてしまう。私は決めたんだ。せいぜい足掻いて、生き抜いてやると。じゃないと、突然死んでしまったあの子に、絵理に顔向けできない。あの子から奪われた生を私がみすみす手放す訳にはいかない。

 それに――――いや…大丈夫だ…私は死なない。寿命まで生きてやる。そうして最期の時にあの子に笑顔で逢うんだ。面白い子達にも出会えたんだ。死ぬなんて勿体無い。

 もう一度、死んだ娘と唯一繋がっている髪留めを触る。

 …死んでたまるか。


「そろそろ、出ておいでよ。覗き魔」


 





 けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。






 嫌な風が吹いて――――。

 闇から生まれた様に。

 闇そのものの様に。

 それは現れた。


「          」

「……君は………」

「                                       」

「それで…? 君は私達をどうするつもりなんだい? ただの覗きって事は無いだろ? こんな年増を覗いても意味無いしね…」

「                             」

「…というと…やっぱり…それは…君のは…」

「           」

「何の事…?」

「             」

「何で君がっ…それを…」

「                                      」

「……!! じゃあ…君が……全部…」

「                 」

「…………………」

「                         」

「…君って可哀想な奴なんだね…それで…そうやって…自分を失くしていくの?」

「                              」

「いいや…君は…君っていう人間はもう居ない。断言できる。君――――自覚無い? 自分が無いって」

「                                」

「ほんっと…とことん可哀想だわ…」

「                                             」

「怖いんだ?」

「                                 」


 会って、漸く分かった。この子は人の皮を被った怪物だ。


「私に未来は見えない…過去しか見えないさ…だけどね…一つだけ言える事がある……君はいつかきっと破滅する。彼等は絶対に君にたどり着く、そして彼等の手で君は終わるんだ」

「                           」                            

 手が。


「はぁ…死んじゃうのか…嫌だなぁ…ねぇ…最期まで付き合ってくれるよね?」


 ――ああ…最期まで。俺は貴女の傍に居る――


「ありがとね。名前は死んでから考えるから許してね」


 手が。


 ――くくっ…貴女らしいな…――


「ああ…一つ心残りなのを忘れてた…栖小埜君って私達の敵討ちとか、してくれるのかな?」


 手が。無数の手が。


 ――どうだろうな…会って僅か三日の人間だぞ?――


「そうかな? 彼はしてくれるんじゃないかな?」


 亡者の手が。私を掴んで。


 ――どうしてそう思うんだ?――


「山勘!」


 ――……最期なのにこれじゃあなぁ…――


「あの子達なら大丈夫だよね」


 蠢いている。


 ――ああ、そうだな――


「それじゃ――――じゃあね」


 何かを探す様に赤い無数の手は動く。助けを求める様に。仲間に引き込む為に。

 ゆらゆらと。ゆらゆらと。

 彼等も被害者なんだろうな。それじゃあ……やっぱ嫌だなぁ。でも彼等が助けてくれるよね。

 妙に穏やかな気持ちになってしまった。

 それは多分希望があったから。

 そして私は無数の手に掴まれて。あ、私の―――――。







 …ガリ…ガリ…ブチュ…バリバリ…グチャ…グチャ…クチャッチャ…ガリ…ッチャッ…ゴリ――――…。


 





  ……………けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。




 

                 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「今夜はっ!」

「今夜は!?」


 真剣な顔で高らかに言う葎に、寧も真剣な顔で応じた。


「何とっ!」

「何と!?」

「素麺ですっ!」

「………また?」


 充電の切れてしまった携帯電話を電源プラグに繋いで充電し直し、夕食を作った。

 夕食と言っても、自分は寧さんと違い大層な物は作れない。

 なので素麺。夏だから素麺。とにかく素麺。時々、メロンパン。

 寧さんはまたか、とほとほと呆れ顔だが、見縊られちゃ困る。工夫はちゃんとしてあるのだ。


「そう言わずに、このボールの中を見てみると良い」

「…? 素麺と何ですか? トマトとキュウリ? それとこれは麺つゆですよね…」


 ボールの中には素麺、大雑把に切ったキュウリとトマト、それと市販の麺つゆ、隠し味にごま油を入れて軽く混ぜてある。かなりシンプルで直ぐ出来るが、これが結構さっぱりとしていて美味しい。しかもごま油のコクのお陰で、飽きずに食べられるのだ。前に料理番組でやっていたのを見て、真似し、自分の少ないながらも多少はある料理のレパートリーに加えた。本来は塩昆布が入る筈だが、自分にはしょっぱかったので割愛した。


「まぁ食べて!」


 皿に取り分けた素麺を葎は寧の前に置いた。


「じゃあ…いただきます………おや? 結構美味しいかも…? 手抜きかと思っていたんですけど…」

「お穣ちゃん…俺を舐めちゃいけないよ…」


 寧は思った。

 普通に美味しいという表現は変な気がするが、正にこれはそんな感じだ。

 中の上。普通よりもちょっと美味しい。

 だけど…この自慢げな顔を見ると…言い出せないな…。

 ん? 栖小埜さん…眼と眼の間が離れ始めたぞ…? え…怖い…。

 その内、自慢げに料理語ったりしそう…。むぅ……そうなったら困るから、ここいらで鼻っ面へし折っときますか…。栖小埜さんごめんね!。


「でも言うほど美味しく無いですね」

「…………!!!!」


 …「な、なんだってー」って言いそうな顔になっちゃった…。


「いやー…でも…あたしは好きですよ! ホントホント! っていうか、あたし居候なのに、こんな事偉そうに言える身分じゃ無いですよね~…」

「………………」


 よし…! 何とか治めたか…? 

 寧は内心ガッツポーズをする。

 ………ニョキ。

 こ、今度は…顎がせり出してきた…!?。


「あ、あ、栖小埜さん…? け、携帯もう充電いいんじゃないですか?」


 何とか気を逸らそうと、寧は咄嗟に目に付いた携帯電話の事を口にした。


「そうダナ。じゃなくて…そうだね。もう良いか」


 顔を元に戻しながら、葎は携帯電話の電源を入れた。画面が一気に明るくなる。

 遅れて、電源が切れていた間の電波が届き、受信物が表示された。


「留守電? 誰だろ…? ……古雫さんから…?」


 葎は躊躇いも無くそれを再生した。



 ピ―――――……栖小埜君? 私だけど…夜分遅くにごめんね。昨日のあれの事なんだけどさ。

 ほら、あの視線。あれがまた見ていたんだよ…。


 聞いてはいけないものを聞いた気がした。どこかそれは不吉さが香っている。

 今日見た、あの黒服の人物と同じ。得体の無い不吉さ――――。


 それでね……今日、君達が帰った後にまた、その視線を感じたから…どうしようかと思ってね…。

 いい加減気味が悪いから、これから、ちょっと後を付けてみようかと思っているんだ…。


 胸が締め付けられる様な感覚。嫌な考えが脳髄を満たしていく。

 あれを追ってはいけない。

 あれを追えば、きっと彼女は帰って来れない。


 ははっ…大丈夫、安心してよ…彼も一緒だから……同じ二重存在なら、私達だってそこそこやれる。

 それでも怖いけどねぇ~…それだからまぁ…一応、あれが逃げていった場所を言っておくよ…。

 場所はえーと…石動体育会館っていうのかな? 多分そこに行ったんだと思う。これ聞いたら連絡頂戴ね。ピンチの時は助けてね…ふふ…冗談だけどさ…それじゃ――――…。


 血の気が引くのが自分でも分かった。


「ガラ…行くぞ…」


 ――視線とは今日の帰り際に言っていたものかね?――


 「うん…!」


 それだけ答えると、俺は急いで玄関に向かい、そのまま外に出た。

 自分の予感なんて当てにならないって知っているのに。それでも俺の中から不安は拭えない。


「栖小埜さん! どうしました!?」


 背後から追う様に寧さんの声が聞こえたが、その声が俺には聞こえている様で聞こえていない。

 頭の中には、あの時の視線が溢れ返っている。

 音が消えている。それは外に出ても一緒だった。寧さんと帰っている時もそれは感じた。

 何故今日は音が姿を消している。もしかして――――俺だけに音が聞こえていないだけなのか。

 静寂が。音の沈黙が。耳に染みていく。

 石動体育会館だと言っていた。確かここからそんなに遠く無かったと思う。とにかく行かなければ。

 道が暗い。灯が圧倒的に少ない。暗闇が世界を支配している。

 無闇に走っても意味が無い。時間の無駄になる。

 

「はぁっっ…はぁ…ガラっ! 暗くて道が分かんねぇっ! 案内、頼む!」


 ――ああ…!――


 おおよその道順なら頭に入っている。目印をガラに伝えて、俺は走るのに専念する事に決めた。

 すっかり冷たくなった頭の中とは裏腹に、俺の体は夏の外気に中てられ、火照っている。

 奇妙な感覚だ。寒いのに暑い。矛盾している。

 気持ちが悪い。

 気味の悪い予兆がする。

 とにかく、今は足を動かそう。

 今回も多分勘違いだ。俺の予感なんて当たる訳が無い。

 そうであって欲しい。そうじゃなければいけない。

 汚泥の様な闇が邪魔だ。視界を遮り、自分の内に巣食う不安感を増長させる。

 硬い地面を蹴り続ける。体は前に進む。足の裏が熱い。走り続けているから当然だ。

 汗が流れ出て、服が湿っていく。

 気持ちが悪い。


「はぁ…はぁ…はぁ…ガラ! こっちで大丈夫か!」


 十字路、一本道、交差点、歩道橋、見た事のある信号。全部同じに見える。

 頭の中が真っ白で俺は自分が知っている道すら、ガラに聞かねば判らなくなっている。

 不味い。冷静にならなくては。気が動転し過ぎているのが自分でも解る。


 ――こっちで合ってる……葎…少し落ち着け…!――


 解っている。そんなの解っているんだ。でも――――落ち着けない。内臓が凍る様な不愉快な感覚が押し寄せている。寒気がする。

 ああ嫌だ。小学生の時――――親や教師、大人達から怒られる直前の感じに似ている。

 結末が分かってしまう。嫌な結末が。

 何だこれは。頭の中がかき回されたみたいだ。

 考えがまともじゃない。俺がおかしいのか。


「はっ…はッ…嫌な…はぁ…予感が…はぁ…するんだ…」


 結局予感や感覚でしか、俺は判断出来ていない。

 もしかしたら、古雫さんには何も起きてないかもしれない。

 あの独特な悲しそうな微笑で、やっぱり何も無かったよ、と言うかもしれない。

 そしてその後、ガラと一緒に笑いまくって。

 それでも良い。全く構わない。何も無いならそれで良い。

 俺が今走っているのが徒労に終わったとしても、笑い話で済むなら――――。


「っはぁ…はぁ…はぁ…着いた……………居ない…じゃ……」


 居ないじゃないか。

 そう言う筈の俺の口は、最後まで言葉を言い切る事が出来なかった。

 ジィ…ジィ…ジィ………。

 蝉が啼く。今年は啼かないと思っていたのに。


 ――葎…あれを見ろ…――


 体育会館前は広場の様になっている。

 一面が石畳。中央に噴水。ベンチや僅かにある街灯を除けば、それら以外に物は無い。

 視界を遮断する物は殆ど皆無に等しい。眼を凝らせば、ほぼ全域を見通せる。

 何も無い。そう思った。

 でも直ぐに分かった。

 噴水に近い場所に月明かりを反射する物が見える。

 そこには葉を模った髪留めが落ちていた。

 

「……! あ―――――…あ…う…そ…だ…」


 ジィ…ジィ…ジィ………。

 蝉が啼く。

 銀色にキラキラとしたビーズの鮮やかな色。古雫さんが娘から貰ったと言っていた物。

 無くならないか確かめる様に触っていた物が。

 それが落ちていた。


「ガ――――ガラっ!! あの人は――――古雫さんはどこだ!! ここに居るんだろ!」


 ――居ない…。気配も無い。完全に消えてしまっている…これでは…まるで…――


 姥季淡慈の時の様だ、とガラは言った。

 それを聞いたら、何だか胃に何か重いものが沈んでいく気がした。


「じょ…冗談止めてくれよ…消えたって…人が消える訳無いだろ…どっかに居るに決まってる…」


 じゃあ、彼女がこれを置いていくか? 自分の声が自分自身に反響する。

 忘れただけだろ…。

 大事な物なら忘れる筈無い。

 落としただけじゃ。

 それなら何で探さない。

 そもそも、彼女は何処だ?。

 そんなの…。

 答えられない。

 そういえば――――彼女は何処だ?。

 俺は落ちていたヘアピンを拾った。赤い物が付いている。絵の具みたいだけど、生臭くて、ぬるぬるしている。少し乾きかけたそれは、血だった。


「これ…何でっ…血っ……」


 死んだ? いや、それは早計過ぎる。怪我しただけかもしれない。

 

 ――…葎…――


 ガラが俺を呼ぶ。

 止めろ。言わないでくれ。それも―――それも分かっているんだ。

 違うだろ? 俺は何も分かっていないじゃないか。分かっている気になっているだけだ。知らないから想像を巡らせて、脳内補完しようとしているだけ。此処で何が起きたのかも知らない。


 -―…彼女等は何処に消えた…?――


 止めろよ。そんなの知る訳無いじゃんか。俺に聞かないでくれ。

 彼女は――――古雫楼花は何処に消えた。

 知らない…。

 何処に?。

 知らない…!。

 何処に? 誰が?。

 知らない!! 頼むから黙ってくれ…!。

 黙れって――――これは俺自身が知りたいんだろ?。

 人が独りでに消えるなんて在り得ない。

 誰かが彼女等を何処かにやった。誰かがやらない限りはこんな事は起きない。

 何処だ。何処に居る。

 水を居れ過ぎたコップみたいに葎の中身が溢れ出して、零れていく。

 きっと…きっと…あの視線だ。あいつがあの視線の持ち主が古雫さんを…。

 自分がもっと早く来ていれば、結末は変わったのか。それともこれも必然か。

 怒りが沸いてくる。それは自分自身にでもあり、件の視線に対しても変わらない。

 恐怖、自己嫌悪、憤り、憤怒、それらが混ざり合ったドロドロとした感情が生まれる。それを受け止められる程、葎の心の器は大きくない。

 いつしか、彼の零れだした感情は、叫びに変わった。


「……あの人を――――あの人を何処にやりやがった!!!」


 当てもなく、ただ怒りのままに葎の声が木霊する。しかし、その声も見えない誰かに聞こえる事なく、空しく夜の空に消えていく。


「出て来いよ…!! 出てきてあの人達を返せよ…!!」


 娘を失って、それで今度は彼女自身が消えるなんて…。そんなの…おかしいだろ…!。


「返せよっ!!!」


 ジィ…ジィ…ジィ………。

 また、蝉が啼いた。

 視界が白く染まっていく。

 意識が一瞬遠くなり、気付いた時には葎はあの白い庭――――ガラの精神世界に立っていた。

 

「葎…!? 何故……!」

 

 え…? 俺…何でここに?。

 白い花、スノードロップ。紛れも無く、あいつの庭だ。

 

「あれは――――」


 ガラはギョっとした顔でこっちを見ている。あはは…変な顔。こいつ…どうして驚いてんだ?。

 目線を辿ってみると、どうやら俺では無く俺の後ろを見ている様だった。

 何を見ているんだ?。気になって後ろを向く。

 背後には真っ赤な扉があった。

 門程大きくは無いが、それでも大きい。

 血液の様に紅い。眼が痛くなる。

 燃える様な赤色を見ていると、またさっきの怒りが蘇った。

 そうだ、これが俺の――――。

 激情が肌の内側を這いずる様な感覚。怒りの灯火が大きさを増す。


「う――――うぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

「――――葎――――か――――――――! ――――――――――」


 ガラが俺に駆け寄る。何を言っているか殆ど聞こえない。

 俺は倒れたのか。

 世界が逆になっている。

 倒れた自分の眼に映ったのは紅い扉。

 ああそうだ。これが俺の望んだもの。

 そう理解した瞬間、俺の意識は白い庭から再び自分の体へと戻った。

 掌には地面の感触。俺は現実でも倒れている。

 徐々に意識が遠のく。眼を開けていられない。


 けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら。

 

 闇が俺を嘲っている。

 ちくしょう。ちくしょう。あの人達を返せ――――。

 世界が黒く染まった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 




「栖小埜さん…栖小埜さん…?」


 今日も…彼は元気が無い。

 古雫さんが失踪したと聞いた時は本当に驚いた。

 有名女性画家、謎の失踪。それは世間を賑わせる程の話題では無かった。

 一週間もしたら、他のニュースや話題に取って代わられてしまったのだ。

 あたしも最初に聞いた時は意味が分からなくて、漠然とした気分になった。

 栖小埜さんは彼女が最後に電話した人物として、警察で事情を聞かれた。直ぐに戻ってきたが、戻ってきても何があったかなんて、あたし達には話してくれなかった。不儀さんだけは事情を把握しているらしい。多分、失踪なんて方便だと思う。何かあったのは間違いない。

 無理には聞けない。それは、風早君や藍子ちゃん、灯ちゃんも理解している。そんな事をすれば、彼の心に余計な傷を増やす事になるからだ。だから――――それは出来ない。

 あたしも遣り切れない気持ちはある。数日の付き合いだが、古雫さんは女のあたしから見ても不思議な魅力溢れる女性で、とても良い人だった。涙は出ないが、悲しい。

 

「栖小埜さん…な、何かやりますか? それとも何処か行きます? せっかくの休みなんだし、少し気分転換しましょうよっ!」

「あぁ…うん…そうだね…何処か…か」


 あの夜から、彼はこうしてボーっとしている事が多くなった。何を言っても上の空で、ぼんやりとしている。「天儀屋」でも仕事はちゃんとこなすのだが、何となく気が抜けている。そして、時折、古雫さんから貰ったという絵を眺めて、顔を歪めている。これなら八つ当たりでもしてくれた方がずっと楽だ。

 見ているこっちが辛くなってしまう。あの人は自分を責めているのだろうか。でも、どうして?。少しでもその原因を吐露してくれれば――――いいや…嘘だ。聞いても何にもならない。  

 この人はどちらにしろ辛いんだろう。言ったら言ったで、自分でその傷を抉ってしまう。言わなくてもその苦しみは内側を痛めつける。あたしには何も出来ない。分かり切っている。だからせめて、空元気でも良いから、この人の前では明るく振舞おうと勤めている。それしかあたしには出来ない。


「って…もう夜じゃないですかー!」

「…あぁ…うん…」 

「かー……」


 ノリ突っ込みも反応なし…。さっきと返事同じだし…。


「あ、え…と…あたしコンビニ行ってきますけど、何か欲しい物ありますか…?」

「…じゃあ、うーん……何だろう…」


 何だろうって何だろう…。


「ごめんね、適当に…何でもいいよ…」

「分かりました~…それと、もう暗いですから灯つけてくださいね」


 そそくさと、あたしは逃げる様に外に出た。

 コンビニに行くって言ったのも、少し気不味かったからだ。

 あんなに反応が薄いと人形と会話している気分になる。

 空は茜色、空気はこの前よりは涼しい。夜が近いからかも。

 哀愁溢れる空を見ていたら、突然大声を出したくなった。


「もーーーーーーーーっ!! 何か喋ってよーーーーーーーーーーーッ!!」


 ガチャ…。

 扉が開く音がする。しまった不味い、栖小埜さんに聞こえたか。

 

「ちょっと…アンタ…」


 振り返ると、ご近所のおばさまが…睨んでい…恫喝していた。貫禄のある人だ…。


「は、はひ…」

「アンタ…ここの人と同棲してる人ね…痴話喧嘩か知らないけど…仲良くしなきゃ駄目よ」

「えええええ!? どどどっどどっせい? ちわわわわ!? 」

「とにかく、静かにしなさいな。そして彼と仲直りするのよ!」


 ビシッ、とおばさまはあたしに指を指して帰って行った…。

 と、とりあえず…コンビニに行こう…。

 エレベーターのボタンを押す。

 ……………同棲……。………え…。

 到着したエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押す。

 ……ま、まぁ……うん…。

 携帯を見ると、灯ちゃんからのメールが入っていた。風早君と、藍子ちゃんからも。全て彼についてのものだ。皆、心配してる…。

 呆けている間に自動ドアが開いたので、慌てて出た。

 コンビニまでは近い方だ。歩いて数分と掛からない。とぼとぼと歩道を歩いて向かう。

 中は涼しい。目に付いた、アイスやらお菓子、ジュースなどを買ってレジに進む。会計を終え、再び来た道を引き返した。エントランスに入り、今度は階段を使って戻る。

 何となく戻る時間を延ばしたかった。時間が欲しかった。

 決めよう。今日こそは。

 …うんっ。

 部屋の前までたどり着き、ドアノブを捻る。

 …暑い…夏は階段使うもんじゃないな…アイス溶けてなきゃいいけど。

 玄関は暗かった。電気を点けていないのか。困った人だ…。


「栖小埜さーん…戻りましたよー…」


 返事は無い…か。リビングに行くと、案の定電気は点いていなかった。

 彼はソファーにも座らず、カーペットに胡坐をかいている。そしてこんなに暗いのに、また絵を見ている。果たして絵は見えているのか。あたしにも気が付いていない様だし…。

 電気を点けていない割りに妙に明るいなと思っていたら、窓が開いていた。吹き込む夜風が冷たい。

 あたしはそっと、彼と背中合わせになる様に座った。身長が違うので、あたしが彼の背中に寄りかかるような感じになってしまう。


「あ…寧さん。お帰り」


 やっと気付いたか…。


「…眼…悪くしますよ?」

「…分かってる。ごめん」

「何で謝るんですか?」

「…癖かな」


 静か……。

 カーテンが風で揺れる。月明かりは実家程では無いけれど、明るい。


「あは…変な癖ですね…」

「真さんも言ってたよ…」


 背中から体温が伝わる。彼のはあたしのよりも少し高い気がする。


「…聞きますよ」


 沈黙が空気に溶けて、広がった。

 少ししか言葉を交わしていないのに何時間も経った様な気分になる。


「………悪い。言えない」


 何の事を言っているか彼には容易に察しがついたのだろう。あたしが考えていたのと同じ答えだ。

 分かっていた。彼は多分こう言うと確信めいたものがあった。それでも…。


「…分かりました聞きません――――せいっ!」

「痛ッ!? な、何?」


 あたしは彼に自分の後頭部を思いっきりぶつけた。正確には彼の背中に一撃見舞った形になる。流石に彼も無反応という訳にもいかず、少し調子が戻ったかの様な声を出してくれた。…ところでこれ、凄く痛い。涙出てきた。


「あの…栖小埜さん。痛い…じゃなくて! あたし…あなたに感謝してるんですよ…」

「…? いきなりどうしたの…」

「いいから聞いて」

「は、はい」


 我ながら有無を言わさぬ声だったな…さっきのは…。


「舞が化物に取り憑かれて、おかしくなって、あたし…どうして良いか分かりませんでした。でもね…あなたに怒られた時に眼が覚めた気がしたんです。自分と向き合わなくちゃって…」


 本当にあの時はどうすれば良いか分からなかった。舞には消えて欲しくない、それだけだった。それをあたしは自分勝手な事だとこの人に言われるまで気が付きもしなかった。


「あれは…その場のノリというか…雰囲気で言っちゃったんだよ…」


 分かっている。分かっているけど、それでもあたしにとっては重要な言葉。

 彼は前に進むと言った。でも、それでも、彼だって立ち止まる。多分、今がその時なのだろう。


「…それでも良いんですよ~~~」

「いでっ…ちょっと…痛いって!」


 ゴンゴンと連続で頭を打ちつける。ああもう、感覚が麻痺してきた。


「…それでもね…あたしは救われたんですよ。痛みを自分で背負う覚悟が出来たんです。でまかせだろうが、何だろうがそんなの関係無いです」


 痛みを自分で背負うのは辛い。今の彼も辛いだろう。心の傷は、歌のように月明かりが癒してくれるものじゃない。自分で治すしか無いんだ。自分の傷を見ない限りはその傷を治す事も出来ない。

 

「……一人で背負うのは辛いですか」

「正直…辛い」

「そうですよね…重いですよね…」

「ああ…」


 あたしは彼の背中に自分の頭を持たれ掛けさせた。益々伝わる温度が高くなる。


「…支え切れなくなったら背中ぐらいは貸してあげます。辛くなったらそこで休んでください。だって、あたし達友達でしょ…あたしはあなたの言葉に支えられた…これで…貸し借り無しですよ…葎さん」


 星が明るい。こうしていると、子供の時を思い出す。舞と一緒に星を数えていた事を。彼女には背中は無かったけど。


「……………」

「………ねぇ葎さん…」

「………ん………」


 言葉は小さく返ってくる。本当に小さい。でも確かに返ってくる。


「………月、綺麗ですね」

「……あぁ……」


 夏の夜は音も少なげに更けていく。儚げな夏風が二人の肌をやんわりと撫でた。

 重い。これが彼の痛みの重さ。重いなぁ…。これは一人じゃ無理だ。

 だから――――今日ぐらいは少し近づいて、一緒に支えても良いよね。

 


  

  




<了>

 件の謎ですが、あの笑い声とか、何でガラと葎は襲われなかったとか、あぼーんした筈の淡慈さんが何で居たとか…etcで考えてくれれば良いと思います。

 あ、それとあの赤い扉とかもね。ちなみに紛らわしい複線もあったり…。

 短編を連載形式でまとめました。新作もあるので是非どうぞ!

 URL:http://ncode.syosetu.com/n0087bi/


 おまけ 本編の最後の辺りのガラさん。


 あの件以来、葎とは気まずい感じになっている。

 お? 寧が葎に背中を…。ふむ…。

 ガラは自分の背中を肩越しに見た。

 背中はあるが、体が無い…。

 ガラはちょっと落ち込んだ。


 終わりだよ!

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