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duplices  作者: rakia
24/71

一抹の不安

 この前、祭りに友人と行ってきたら、笑い過ぎで頭痛くなって、風邪引きました。



随分と遅くなってしまった。でも―――漸く納得の出来る作品が出来たと思う。数日掛けただけ、満足出来る出来になった。

 寒気が手袋の上からでも、手の先を悴ませる。空気は冷たくて、澄んでいる感じがした。

 あの子はちゃんと待っていてくれてるだろうか? 電話で晩御飯は私が作ると言ったけど、もしかしたらお菓子でも食べているかな…。

 前髪を留めている、ヘアピンを触りながら、曖昧にそんな事を考える。娘から貰った物だ。

 

「フフフ…待っていてくれてると良いな…」


 私が帰ってきたと分かった途端、ソファに座った娘が背中の後ろに何か隠す光景を想像すると、微笑ましくて笑みが零れてしまう。また、「お母さんが遅いんだよ!」って反論されるのかもしれない。

 ここ何日かは出来合いの物しか食べさせてあげられなかったから今日は、うんと美味しい物を作ってあげよう。クラムチャウダーなんていいかも。そろそろ寒くなってきたし―――うんそれが良い。

 帰ったら少し羽を伸ばそう。あの子と一緒に何処か行こう。前から行きたい所があると言ってた気がする。いつもは構ってあげられないから、その分だ。夫を失ってからはあの子が支えてくれてるのだから、せめてそれぐらいはしなければ。

 む…クラムチャウダーを作る材料は在ったか? シーフードミックスだけはあったかな……いや…いいか…とにかく一度帰って、それからで良いだろう。帰ってあげないと…私を待ってくれてる人の為に。

 ああ、もう玄関だ。楽しい事が待っていると思うと、人はこんなにも時間が早く過ぎて行くのか…。

 ガチャ…

 ……? いつもなら鍵が―――掛け忘れたのか?


絵理えり―――…? ただいまー…」


 居ないのか? 学校はもう終わっている時間の筈だけど…。

 ぎしぎしと軋む板張りの廊下を抜け、リビングへと歩く。

 夜遊び? …そういう年頃かもな…変な事をしてなければある程度は許すんだが……言ってくれれば良いのに…。


「絵理? 居るのか…?」


 開けなければ良かったんだ。そうしてれば知る事も無かったし、私の宝物が壊されている光景を見る事も無かった。知らない振りして、見ない振りして、ずっと帰らなきゃ良かったんだ。


 「………あ――――あ…あ…あ」


 これは―――悪い夢だ。何でこんなに、現実的で赤いんだ…? まるで絵の具みたいだ…ああ…そうだよ…こんなのは夢に決まっている…私の娘は…生きてて…私を待ってってくれてるだからこんなのは嘘に決まっている…

 …だって確証だって無いじゃないか…家のカーペットはこんな赤黒くなんて無いし…それに…私の娘は…厚めの唇が印象的な子で……だって…これには………口が無い………そうだよ…私の娘は生きてるんだ…。生きてるんだ…待っててくれてるんだ…。だから…こんなの嘘だよ…。



 待っててくれてる筈だったのに――――――――




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「……!! やっぱり…分かるんですね…!」

「そりゃまぁ…隠してもこんなに近くじゃ誰でも分かる」


 さも当然だ、と言わんばかりに古雫楼花は葎に答えた。

 警戒すべきなのか、それとも――――

 葎が対応を迷っていると、楼花は画材道具を手早く片付け、葎の肩に手をポン、と置いた。


「人手が要るな」


 ヒトデ? こんな林の中にヒトデなんて居るのか…? それとも気を逸らそうとしてるのか…?

 楼花は突然、葎の手を掴んだ。 

 しまった…!! 先手を打たれた…! 


「はい」

「……………………????…」


 彼女は葎に片付けた画材道具の一部を彼の手に握らせ、そのまま上へと続く石段を登っていく、この石段は葎が最初に滑り落ちた所に繋がっていて、現在葎と楼花が居る地点に遠回りな形で続いている。

 そのゆるやかなカーブを描く階段を彼女はスタスタと登っていった。そして階段を半分より少し上まで登った所で突然後ろを向き、葎を呼んだ。葎はその間、呆気に取られていた。 


「どうしたんだ? えー…栖小埜君? 早く登ってきなよ」

「あ、はい」


 じゃなくて!! 「あ、はい」じゃないよ! ヒトデって人手かよ! 自然な動き過ぎて、何も言えなかったよ! 

 楼花が画材道具を渡す動作に違和感が無さ過ぎて、葎は思わず彼女の荷物を受け取ってしまった。


「あ…いや…! そうじゃなくて…!」

「うん? ………あぁそうか、そうか。すまないね…いやぁ…若い子は親切で良い」


 彼女は自分で持っていた分の道具も葎の手に握らせると、肩が凝っていたらしく、軽く回してから、さ、行こう、と言って、また歩き始めた。

 …………………増えた…!! 正確には増やされた…!!

 一体どんな流れでこうなってしまったのだろうか? 益々、古雫楼花という人物がどういう人物か掴めなくなってしまった気がする。


 ――多分彼女には君が荷物持ちの顔に見えたんじゃないかな。ハハ――


 こっちはこっちで、むかつくな…。


「…荷物持ちってどんな顔だよ…ってそれよりか、あの人は何なんだ…俺、初対面だろ…」


 ――ふむ…人見知りではないだけじゃないかな? 単に。それよりも私はどういう感じで人の過去が見えるという点の方が興味がある――


「ああそれか。俺も知りたいな、どんな感じか。てか、お前には出来ないのか?」


 ――まあね…しつこい様だが、二重存在は魂だけであるが故に、その能力は内面的要因が深く関係する。当然、向き、不向きもある訳なのだよ――


「へぇー。じゃあさ? 俺が未来とか、過去とか見たいと思ったら出来るの?」


 ――思いの強さだね。君が本当に心の底から願うなら、魂の形は容易に姿を変える。まぁ…応えてくれるかどうかは知らないがね――


「何でもありだな…」


 ――何でもありだよ。だって君、考えてもみたまえよ。この星や私達が居る事自体が奇跡に近いのに、身近な自分を変えるっていう奇跡が起こせない筈無いだろう? どういう形であれ奇跡は起こるのさ――


「奇跡ねぇ…そうだ! 大量のメロン―――――」


 ――そういうのは欲望と呼ぶのだよ。純粋な願いこそ叶えられるべきだ。例えば、葎の頭が少しは良くなりますように、とか、葎に友達が出来ますように、とかね――


「お前それ…一見、俺の事気遣っているみたいだけど、違うだろ」


 ――そんな事無いよ! 私は君への友情で満ち溢れている!――


 ドブ色の?


 ――日々、君の将来を慮って、欠点を見出す事を楽しみにしてるんだ!――


 楽しみにしてんじゃねぇか。本音が駄々漏れだよ、少しは隠せ、悪徳紳士。 


「全く…今更だけど、何なんだよ…お前は…」


 ――君の相棒――


「む~…何でそんなに相棒ってのに、拘るんだ?」


 ――……………………――


 何だよこいつ…いきなり黙りやがった…。訳分からない…。

 重大な意味でも含まれているのだろうか。どことなく空気が重苦しい。


 ――ほら――――何ていうか…語呂が良いじゃないか!――


 真剣に聞こうとした俺が馬鹿だった。

 前を見ると、前を歩いていた楼花は、扉の前で葎を待っていた。


「ご苦労様。それと中へどうぞ」


 彼女は、自宅とアトリエ兼ねている建物の扉を開いて、葎を中に招き入れた。


「おぉ……」


 扉の向こうの情景は、中学や高校の音楽室に似ていた。床はキャラメル色で、ワックスの艶が美しい。その床の上には運んできたのと同型のイーゼルが幾つか、それと大小のキャンバス。端っこに水道があり、近くにぽつんと机があった。雑多物が秩序無く置いてある。パレットナイフ。筆の先が枝分かれしている筆。あれは布だろうか。一番眼を引いたのは、招き猫。あれはどう考えてもただの趣味だと思う。どこにでもある感じの白い奴で、顔に愛嬌がある。見るからに縁起が良さそうだ。もしかしたら、彼女の名声に一役買っているのかも。


「少し待っていなさい」

 

 楼花は葎が答えるのも待たず、奥にある扉に引っ込んでいった。あの奥が住居スペースらしい。

 彼女は直ぐに金属の缶と、消毒液のボトルを持って戻ってきた。


「手を出して」

「あ…ありがとうございます…」


 消毒液は傷口に良く染みた。黙々と手馴れた様子で作業する楼花の手が葎には母の手に重なって見える。細くて、絵の具が爪の先に入り込んでいる手。

 そういえば―――母さんにも良くこうして貰った…。

 転んだ時もそうだったが、今日は頻繁に子供の時の事を思い出してしまう。最初に転んだ時。この部屋も、この人の手も。何よりもその瞳が――――母親のそれと被っている。

 手当てを済ませ、楼花は高らかな声を発した。


「よし! こんなもんかな? さぁ行くぞ!」

「へ…? 何処に?」


 思わず敬語を忘れて聞き返した葎に、楼花はニヤリと笑って返した。


「人手が要ると言ったろう?」


 その顔は何となく自分の中に居座っている、すかした紳士服の人物に似ていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 過去が見える女性か…。

 葎が行った後の天儀屋で、真は一人耽っていた。彼の周りには普段通り、五色の光球が浮いている。それの一つ、赤い光にに彼は話しかけた。

 

「あれからもう結構経ちましたね…俺もとっくに成人ですし…」


 ――――俺達からすれば、お前なんて、まだまだだよ


「…そうでしょうか?」


 ――――年でもないのに老けた事を言うな


「ははは…ですね…」


 ――――慶吾の方が若く見える


「それは心外です」


 ――――それよりも他に心配する事があるだろうが


「………? 何ですか?」


 ――――…………おい…お前本気で言っているのかよ?


「今一、何が言いたいか分からないんですが」


 ――――…無自覚って罪だと思うぞ…


「だから、何がです?」


 ――――はぁ……狭吊さつりにでも聞けよ…


「良く分かりませんが、そうします」


 ――――あーおい、真…違うぞ、今のは冗談だ。察しろ。


「………………からかってるんでしたら、怒りますよ?」


 ――――分かったから、睨むな…


 ブーーー…ブーーー…

 電話か…。

 ブーーー…ブーーー…ブーーー…ブーーーッ…ピッ…

 

「はい。天儀屋です」

「始めまして。貴方が不儀真君か?」


 知的な声だ。しかし…こんな声は覚えが無い。誰だ…?


「そうですが――――僕に御用でしょうか?」


 とりあえずは業務的態度で接しておこう。相手の素性が分からない限りは何も出来ない。


「ああごめん。不躾だったね。私は古雫楼花という者だ。しがない絵描きだよ」


 古雫楼花……何故、彼女が俺に……? まさか……葎君に何か…!


「おいおい……君が怒るような事は私はしてないよ…そんなこっちからでも分かる様な殺気出さないでくれないか…? というか、殺気って本当にあるんだね…初体験だよ…君何者?」

「………何で俺に電話を…?」

「うん。それだけど――――お宅の栖小埜君少し貸してくれないか?」

「…………………は?」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「古雫さん…古雫さん? 古雫さん! まだ買うんですか!?」

「こういう時ぐらいしか買い溜め出来ないからね、さ、頑張って運んでくれ」


 さて…俺はこの人に二重存在について話を聞きに来たんじゃなかったかな? 

 手いっぱいに紙袋を持ちながら、葎は疲れた笑みで、足元に眼を落とした。袋の中には色とりどりの油絵の具や、顔料が鮮やかな色を覗かせている。こういう物はインターネットで注文するべきだと思うのだが、彼女の主義に反するらしく、実物を見なければ気が済まないという。難儀な事だ。そうなると、店で選んでから配達して貰えば良いんじゃないか? と言ったら、「それはそうだが、微妙に気が引ける。若い人手が居るのだから、自分達で運ぶべきだ」と返された。ならば、殆ど面識の無い俺を顎で使うのはどうなんだろうか。彼女は二重存在のよしみだと言っていたが、関係無い気がする。そして何よりも不思議というか、理解し難いのは、真さんに連絡した所、すんなり俺を少しの間、俺を使って良いと、真さんが承諾した事だ。正にどうしてこうなったか分からない。本来の目的が何処かに消えてしまっているし。目的は家出でもしたのだろうか。

 真さんは、「悪いけど、彼女に付き合ってくれないか…後で二重存在については聞かせてくれるらしいから」って…。そりゃないぜ…。


「次はお昼の材料でも買いに行こうか」


 手が千切れる…。あ…三角筋と腕橈骨筋に宇宙的なエネルギーが溜まってる気が…おかしいな…ストレッチはしてない筈だぞ…。


「もう良いでしょうよ…」

「り…葎…!」


 まずいぞ…面倒くさそうなのに出くわしてしまった…。

 げっそりとした顔の葎の前には、高校生の三人組、風早燐太、南屋灯、柳葉藍子の三人が三者三様な表情で彼の方を凝視していた。


「葎……! あんた…!その人…彼女!? 人妻!? 横恋慕!?」


 ぬぬぬぬぬ。


「誰です~その人~? お姉さんでっすかー?」


 …うむ。


「やりますね…年上趣味なんて…二人同時攻略なんて…真似出来ないですよ…」


 ぬぬぬ。


「よし、分かった。おい、南屋さんは合格だ。風早と柳葉さんはこっち来い。発想に問題があるので、説教してやる」

「えっ…違うの?」

「違うも何も、お前のはボールが投げられる前から、バット放り出して、ベースに走って行く様なもんだからな? どうして人妻なんて発想出てきたんだよ…」


 こいつの頭は年中こんな事ばっか考えてんのか…。柳葉さんにいたっては勘違いしてるみたいだし…。


「ん? 私は人妻だぞ」

「うぇっ? そうなんすか!?」

「そうなんす」


 とてもそうとは思えない…。生き血でも啜ってんのか…古雫さんは…いや…? それでいくと真さんも…。


「君達も栖小埜君の知り合いかな。それだったらお昼一緒にどう?」

「え…ちょっと…古雫さん!?」

「良いんすか! 夏休み前だから昼無いからな! 行くぞーお前等~!」

「おー! ささ…藍子ちゃんも!」

「え!? ……お~…?」


 こういう展開になってしまったか…しかし、益々この人の目的が分からないな…当然風早にも、南屋さんにも気が付いてるだろう…敵意があるとしても三対一では勝ち目が無い…すると、やはり俺達をどうこうするつもりは無いと…? あ…。


 葎はすぐさま、燐太を自分の方に引き寄せた。


「な…何だよ…葎…」

「お前…気が付いてないのか?」

「何に…?」

「あの人だよ。二重存在だろ?」

「うん。そうだな」

「そうだなって…そんだけかよ…」

「だってよ、あんたと一緒に居るって事は姥季淡慈みたいなのじゃ無いって事だろ」

「そうとは限らないよ…気を付けようとは思わなかったのか?」

「良い人だって見れば分かるだろうが」

「適当だなぁ…お前は…」

「結構、直感って馬鹿にならないぜ? 意外と当たってたりするもん」

「……お前…俺と最初に会った時、思いっきり疑ってたよな? 俺の事」

「ま…まぁそれは…俺以外の二重存在に出会ったのが初めてだったからってので…」

「ホントにー…?」

「当たり前だろ。あんたは陰気な空気を発しているけど、悪そうには見えねぇよ」

「陰気ね…」

「とにかく、お腹空いたろ!」

「身の安全と食欲だったら、食欲を優先すんのね…」

「なーに! 食ってからでも倒せる!」

「しょうがないな…じゃあ、ほれ、これ持て」

「え~~~」

「え、もあ、も無い! いいから手伝え」

「うっ…昨日怪我した腕が…っっ…」

「風早が怪我してるのは頭だろうが」


 笑いながら、葎は紙袋の一部を燐太に押し付けた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「美味しいでっす、これ!」


 口をもぐもぐと動かしながら、灯が朗らかに言った。口の端っこには頬張った時のだろうか、白いソースが付いている。


「灯ちゃん、口にソース付いてるよ」


 藍子がそう言いつつ、灯の口元を指で拭った。


「お代わり!」


 燐太がもう四回目となる、その言葉を繰り返した。彼等が食べているのは、白身魚のフライの上に具沢山の白いソースがかかっている物を固めの歯ごたえのあるパンで薄切りのトマトなどと一緒に挟んである一品だ。


「これは…! いける!」


 葎も随分と美味しそうに舌鼓を打ちながら、味の感想を脳内で繰り広げていた。

 一見、揚げ物と濃厚そうなソースでくどいと思いきや…! 隠し味の謎の酢と…トマトやソースの中のタマネギとか何とかが全体の味を引き締めている…! 噛み応えのあり、黒い粒粒が入ってるこのパンも良い引き立て役になっている!! 何よりさっくりとキツネ色に揚がった、衣と淡白な魚の身との見事なハーモ二ー! …………という感じで味の感想を料理漫画チックに考えてみたけども…普通に「美味い」で良くね…?

 そもそも、自分は批評するという行為には向いていないのだ。使ってる食材を当てた所で、どうにもならないし。美味しい料理を食べてる時はそれだけで満足なのだから、色々考えるよりそれを楽しんだ方が有意義だと、葎は自らに突っ込みを入れた。感想らしい感想を言うとしたら、チキン南蛮の白身魚版という所か。

 ……毒とか…入ってないよな? ………ええい! 皿まで食べてやる!


「すいません! 俺も良いですか!?」


 決心した彼は、燐太と同じくお代わりを所望した。


「久しぶりに作り甲斐があるよ」

「料理お上手なんですね。私にもレシピを教えて欲しい程です」

「君も料理やるの?」

「ええ、多少は…」

「すっごい上手なんでっすよー藍子ちゃんは!」

「……卵焼き以外はな…」

「口にダンクシュート決めて欲しいの? 燐太?」

「卵焼きを!?」

「手伝いますよ~」

「手伝うな! 南屋!!」

「風早君………尊い犠牲になってくださいねっ!!」

「料理の犠牲になんなきゃなんねぇの!?」


 多分、人を印象だけで判断するなら、今の古雫楼花の姿は意外だろう。画家が自宅で揚げ物をしている姿など、想像もしないのが一般的だ。空調は万全で場所も区切られてるとはいえ、彼女の仕事は絵を描く事。油分は絵を描く上で敵にもなりうる。それに、画家の命でもある手が怪我する可能性もある。だが、彼女はそんな事はお構い無しに、香ばしい香りのする、魚のフライを揚げている。

 どういう事なのだろう? 職業柄、繊細だと思っていたが、それは自分の抱いていた画家という職業に対しての理想だったのか。それともただ単に、彼女だけがこんな感じなのか?

 全く本題に移れてない事はさて置いて、随分と嬉しそうだ。人妻と言っていたからもしかして子供も居るのかも知れないな。

 

「ふぅ…コレで最後かな」


 作り終え彼女は自分の皿を持って、自宅スペースのキッチンから出てきた。灯と藍子は既に食べ終え、満足そうに楼花が白身魚のサンドチッチと一緒に出したやけにさっぱりとしたお茶を啜っている。


「美味しかったです」

「です~」

「喜んでくれて何よりだ。また来ても良いよ。絵のモデルになってくれるならね」

「それって裸婦が――――ブゴッ!!」


 即座に燐太の言葉に反応して、藍子が彼の後頭部を引っ叩いた。


「すいません…一年中こうなんです、こいつは昔から」

「裸婦画か…挑戦した事は無いが、やってみようかな」

「え? え? え?」


 乗り気なんすか…あなたは…。


「ま、手伝う気になったら何時でもそこの栖小埜君に声を掛けてよ。少しの間彼は私を手伝ってくれるらしいから」

「はぁーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 何で? 何で、そんな事態になってんだ!? 今日、この後、少し話したら終わりじゃないのかよ!?


「さ、君達はとりあえず帰りなさい。栖小埜君は残ってね」

「そうですね。じゃあ、また。…………裸婦画は流石に駄目だけど、普通のなら良いですよ。行くよ! 燐太!」

「あい…」

「ご馳走様でした~!」

 

 藍子と灯は燐太を引きずりながら、外へと出て行った。

 会ったばかりの人物に、お昼をご馳走になるなんて芸当、俺には出来ない…今時の子は恐ろしいぜ…。


 ――君が根暗なだけでは?――


「根暗じゃない! っておい…ガラ、お前今人の心読まなかった!?」


 ――私を誰だと思ってる。紳士だぞ――


 紳士は人の心が読めるのか…? 

 楼花は彼等を見送ってから、葎に口を開いた。


「さ、話してもらおうか。君の用件を私の中の彼の事なんだろう?」

「……はい。じゃあまずは俺とあなたの中に居る…うーん…人…かな? 彼等について話します…」


 そして俺は話した。二重存在の事を。彼等が自分の魂とは違う別の魂である事、彼等の能力についても、俺が彼等に関わる事になった事件もだ。能力については彼女は既に俺より熟知してる様だった。しかし、俺の中に二重存在が現出した経緯とガラの話をしたら、彼女はどうしてか訝しげな表情をした。それ以外はすんなりと飲み込んでくれた様だ。元々、自分の中の二重存在という生き証人が居るのだから、理解するには容易かったのだろう。


「二重存在って言うのか。ま、人格では無い、個人だからそうなるのか…」

「そうだね。始めまして、古雫楼花。私が葎の二重存在であり、ただならぬ間柄である、ガラだ」


 ――あらぬ誤解を招く様な言い方は止めやがれ!――


「ここからは私が引き継いで説明しよう。JRPCというのだ―――――ん?」


 ガラが話の続きを始めようとしたのを楼花は身振りで制した。


「いいよ、もう。私はここまで分かれば十分だ。彼の事を知りたかったから君の話を聞く気になった

のだからね。それだけでは無いと言ったら嘘になるが――――どうだい? 葎君? しばし、私の仕事を手伝ってみないか?」


 いいって…そんな事よりか、仕事…


「俺、仕事ありますし……」

「そうかい? さっき不儀君に聞いたら、暇な時間が多い仕事だって聞いたけど? 彼も快く了承してくれたし、駄目かな?」


 何時の間に……真さんもオッケーしちゃったのね…。


「俺は何も出来ませんよ…?」

「雑用だけで良い。それで困ってたんだ、男手があればそれに越した事は無いよ」

「どう思う? ガラ」


 ――別に良いと思うよ。君もいつも暇そうじゃないか――


「んーーー………」


 彼女の絵には興味がある。問題がある様な人には見えない…ここは思い切ってみるか…。


「分かりました。少しなら…」

「本当か? それは良かったよ!」


 ここで断って置けば、後の事を知る事も無かったんだろう。多分ここが別れ道だったんだと思う。


「いやぁ~良かった。それでは昼寝でもしようかな」

「…昼寝? 今から寝るんですか!?」

「作品に集中すると寝るのを忘れてしまうからね。寝溜めだよ。じゃあお休み――――あ、それじゃ今日は帰って良いよ、明日はとりあえず、不儀君の所に寄ってから来てくれ。寄ってからだと、十時ぐらいになるかな? 多分」


 楼花は言うだけ言うと、バタンとテーブルに突っ伏してしまった。


「くかーーーー…くかーーーーー…」


 すっげぇ…マジでもう寝てやがる…つうかこんな所で寝るなよ…。


「ガラ、悪いけど手伝ってくれ、この人運ぼう」


 ――置いといたらどうだい?――


「そういう訳にもいかないだろ…」

「…いや、その必要は無い」


 さっき寝たばかりだと思っていた楼花の口が動いた。しっかりとした口調だ。

 起きてたのか…? いや…こいつは古雫さんじゃ無い…?


 先程までの彼女の纏っていた空気と違い、きびきびとした張り詰めた印象を葎は受けた。


「あなたは…楼花さんの二重存在?」

「そう。彼女は俺が運んで置く。だからお前等は帰れ」


 それと―――とその二重存在は言った。


「早く行け…それと覚えて置くといい…仕事が終わった後の彼女は危険だ…絶対に近づくな」

「!? どういう意味――――」



 ――――痛い目に遭うぞ?



 扉の閉まる音と共に、昼下がりの日差しが弱まった気がした。




 

 書いてみると、以外に最初の設定と違う展開になってたりします(笑)

 

  

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