二重存在
今の所見ている人はいませんが、お暇でしたら是非!
――マッタク…アンナノニケオサレルナンテ――
――ナサケナジャナイカネ――
――ムカシノホウガキモガスワッテタンデハナイカ?――
昔? こいつ何を言っている?
――マァ、アブナイトキハワタシヲヨビタマエヨ――
影が遠ざかる。
ああ…現実に引き戻されるのだろう。
ガバッ
「待てよ!!」
朝の日差しが眩しい。
朝か…ソファーでそのまま寝ちまったのか。
自動車事故の後から、葎は頻繁に変な夢を見る。医者からはストレスからくるものだから直ぐ治まると言われてるが、葎にはとてもそうとは思えないでいた。
シャワーでも浴びようか、頭をすっきりさせるにはそれが一番だ。おまけに昨日は風呂も入らずそのまま寝てしまったので、汗がベトベト体にまとわりついて気持ち悪い。
蛇口をひねると暖かい湯が彼をつつむ。
あの影は…昨日の出来事といい、最近俺ついてないのかな…
彼はため息をついた。
シャワーを浴びたら幾分スッキリしたと思う。タオルで頭ごしごしと拭く。
朝食は…昨日のパンがあったな。
出かける支度をしてから、昨日買ったパンを開ける。
一口食べて彼は顔をしかめる。
う~む、やっぱこのメーカーのメロンパン美味しく無い。そういや―――この近くに良さそうなパン屋あったな、今日辺り寄ってみるかな―――
パンと一緒に買った牛乳を飲み干し、よし出かけるかと葎は玄関へと向かった。
外はカラリと晴れていて、雲ひとつ無い。
うん、いい天気だ。
背伸びしながら彼はそう思う。
鍵をかけ、さぁ行こうとした矢先、葎は大切な物を忘れている事に気付いた。
再度鍵を開け、部屋に入る。面倒だが、忘れた自分が悪い。
そして寝室の枕元に置いてあるそれを手に取る。
「…これ忘れちゃだめだよな」
忘れ物というのはシルバーのペンダントだ。スノードロップという花を模してある。
これを買ったのは、たしか中学の時に買った物だったと思う。
このペンダントは元々は対になっていたが、片方が何時の間にか壊れたのか、失くしたのか、忘れてしまったが、今は片方の花しか無い。片方しかないが、なんとなく気に入っており、いつも身に付けているある種お守りのような物である。それと同時にこれは、見た目に無頓着な葎の精一杯のおしゃれだ。
手に取ったそれを首にかけ、シャツの下にしまう。
しまってしまえば、アクセサリーとしての意味が無いのだが、何となく気恥ずかしいのだ。
その事を友人にも突っ込まれたが、やはり恥ずかしいものは、恥ずかしい。
「後は…っと無いな」
他に忘れている物が無いか確認して、再び玄関を出た。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-ーーーーーーーーーーーーーーー
「寝不足か? 顔色悪いぞ」
青い顔の葎に真が声をかけた。それに葎は頭を振りながら答える。
「いえ…ちょっと疲れただけです」
店に着くなり、真に体調が悪いんじゃないか? と葎は言われた。実際ガラスに映る自分の顔は少し疲れているように見える。
昨日の夜の出来事を真に話そうかと思ったが、自分でも信じられない話だし、なにより真に余計な心配をかけてしまう。
なにせ、数人の男性が一人の女の子に袋叩きにされていたのだ。信じろという方が無理がある。
だから適当にはぐらかしておく事にした。真は心配そうな顔をしたが、無理はするなよ? と言ってそれ以上は聞いてこなかった。
「悪いけどこの順番で商品を並べてくれ。タグが無いやつはチェック入れてな?」
真から、数枚の紙が挟まっているバインダーとボールペンを渡される。
「え~と…この紙の通りで?」
パラパラと紙に眼を通す。
「ああ。頼む」
早速渡された陳列表を見ながら整理を始めた。
殆どは既に真によって並べ直されていて、そんなに大変な作業ではない。
「これはっ……! …………ハニワ!?」
何たってこんなもんがあるんだ…? 本物だったら事だぞ…
整理している最中も昨日の出来事が自然と脳裏に浮かんでくる。仕事に身が入らない、どうしても気になってしまう。
あの子の数人の男を圧倒する力………一体、彼女の細い腕のどこにあんな力が? 仮に腕力が強くても、相当の反射神経がなければいくつもの拳をかわせるだろうか? それに…
「同類…か」
この言葉が気になる。
葎は自分は身長が平均より多少高いだけで、特に目立った才能も無いと自覚している。だから尚更、彼女が耳元で呟いたあの「同類」と言う言葉が理解できなかった。
「うーむ……」
そんなことを考えていると、不意に真が葎を呼んだ。
「葎君、ちょっと来てくれるかな?」
「あっ、はい! 今行きます」
乱雑な思考を一時中断して、真の元へと葎は向かった。
「なんでしょう?」
「いや、ちょっと用事が出来たから、今日は早く店を閉めようかと思ってね」
「用事ですか?」
「ああ。非常に面倒な用事でね? まったく…」
真はため息を吐く。
「わかりました、じゃあ帰り支度した方がいいですか?」
「その方が良い―――…それと…今のと、全く関係無い話だが…昨日の噂…あれ覚えているかい?」
「はい? それがどうかしましたか?」
急に昨日の話をしてきたので、不意打ちを食らった気分になる。
何か知っているのか? この人…
内心、昨日のアレが関係してるのでは無いかと、ドキリとする。しかし、真は一瞬間を空け、首を振っただけだった。
「いや…やっぱりいい…夜は気を付けてくれ」
「はい……?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結局、今日は昼過ぎには終わった。
まだ日も早いし、気になっていた店でも見て回ろうと思い、葎は店を出てそのまま駅の近くに向かってた。
石動駅の近くの表通りは小奇麗な感じで、カフェなども多い。
この表通りから横道に入ると裏通りに出る。こちらの方は飲み屋や未成年立ち入り禁止の店も少なくない。雰囲気もどこと無く、暗さが漂う。
昼は表通りが賑わい、夜は裏通りが賑わうというバランスである。
「う…これは…美味い! 美味すぎる!」
表通りの一角で、葎は何故か大量のメロンパンを抱え、それをむしゃむしゃとパクついていた。
「いや~こりゃ買って正解だな」
うん、良い買い物をしたと一人で頷く。いつもの彼からは想像もつかないほどのテンションの高さだ。
「今度真さんにも教えてあげよう。あ、そうだ、一個残して置いて、明日持って行くかな」
その場にしゃがみこみ、ごそごそとカバンに先ほど買ったメロンパンをしまう。葎がパンをしまい終わり立ち上がろうとすると勢い良く、人にぶつかってしまった。どちらかと言えばぶつかって来たというのが正しいだろう。
「あ…すいません」
反射的に彼は謝った。元からそういう性分なのである。
「いえ! こちらこそよそ見しててすいません!」
「怪我とかしてないで――――」
話しながら振り返った葎の目の前には、昨日の少女がいた。
「!!」
言葉が出てこない。紛れも無くこの少女は昨日、葎が見た危険な匂いのする少女だ。少なくとも、外見上はピッタリと一致している。
「あのぅ…どうかしました?」
「あっ…あんた昨日の…!」
声が上ずり、動揺が隠せない。
「え? どこかで会いましたっけ?」
こちらを見上げてくる少女の瞳には昨日のようなギラついた感じは無かった。口調もいたって普通である。寧ろ、快活な印象を受ける。
……あれ? …人違い? でも昨日見たの、この子だよな?
彼は首を捻った。
「いや…ごめん。人違いだったみたい」
「…? そうですか。じゃあ私もう行きますね」
「…ちょっと待って」
葎は思わず引き止めてしまった。少女は足を止めた。
「一応聞いておくけど、君…昨日夜コンビニにいなかった?」
何やってんだ俺…呼び止めてどーする…
少女は気を悪くした素振りも見せず、いたって普通に答えた。
「コンビニですか…? 夜になんか行ってないと思いますけど…」
「…そっか。ああ、ごめん変な質問して」
「いえ、それじゃあ」
少女は葎に一瞥すると歩き去って行った。
「やっぱ別人か…?」
ベタだが双子とか―――いや…でも……確かにあの子だ。
いくら雰囲気が違うとはいえ、自分が見たのはあの子…のはず! …はず。……はず? あれなんだか…自信なくなってきたかも……ま…人違いかもしれないし………とりあえず帰るか…
日はすでに沈み、建物に明かりが灯り始めていた。彼は表通りから横の細い路地に入り裏通りから帰る事にした。この裏通りは治安が悪い。背が高くいかつく見えてしまう葎は目立ってしまうので、気乗りしないのだが、彼の家はこちらの方が近いのだ。
裏通りには数回ほどしか来たことはないが、自ら進んで行きたくなる所では無い。なぜなら酔っ払いやら、危なそうなお仕事の人やら、はてはギンギラギンのお姉さん?までいる。口には出さないが、彼らに極力関わるのはご遠慮願いたい。
「やめてください!」
葎が注意しつつ歩いていると女性らしき声が聞こえた。
「いーじゃん。ちょっとカラオケでお話しよーよ」
すぐ近くのようだ。葎はぐるりとあたりを見渡す。
あれは―――さっきの子じゃないか。
先程の少女が男達のグループに囲まれている。近くにいる人達は助ける気が無いようで遠巻きに見ているだけだった。
「マジかよ…」
最近…不良に絡まれるの流行ってんのかな……
昨日の状況と、どことなく被ってしまう。
いかん! いかん! それより警察呼ばないと!。
葎は携帯を取り出そうとした。
「あっ! さっきの人!」
少女はこちらに気付き、葎を呼んだ。
「助けて…助けてください!」
え!? そこで俺呼んじゃう!?
突然の事に冷や汗が出始める。
「何。知り合い? アンタ?」
葎に気付いた茶髪の男が詰め寄ってくる。
これは――――まずい状況だ…。
「いっいや…俺は…」
ごめんなさいっ!! と、そう言って葎は少女の手を取って走り出してしまった。右に曲がり、次に左に曲がる。少女の手を引きがむしゃらに走った。
「はあっ…! はあっ…!」
三分は走っただろうか。後ろにはだれもいない。息も上がりつつあった彼は足を緩めた。この辺りは二人以外いないようだ。ゼイゼイと息を吐く。葎ほどでもないほどだが、少女も息が苦しそうだ。先に息を整え、口を開いたのは葎の方だった。
「…ふぅ…君何であんな所にいたんだい!? 最近この近くに越してきたばっかりだけど、あそこは女の子一人で来るようなところじゃないぜ?」
最初はキョトンとしていたが、何の事か理解したようで、いやぁと、少女は照れくさそうに笑いながら答える。
「裏通り通った方が私ん家に近いんですよぉー」
彼女の回答は至極平和なものだった。
なんだよ…俺と理由一緒じゃん…。
思わずため息がでる。
「それにしても…いきなり走り出すとは思いませんでしたよ~」
「あー。あれは物の弾みというか…なんていうか…ごめん」
「いえいえ! とんでもない! あなたが助けてくれなかったらどうなっていたことか!」
少女は首をブンブンと振る。
「あ…私、南屋灯っていいまっす!」
「助けてくれて、ありがとうございました!」
少女はペコリと頭を下げる。
「あ~そんな礼なんていいのに…それより怪我とか無い?」
「はい! 大丈夫でっす!」
元気だなぁ…と葎は苦笑いした。やはりこの子は昨日のあの少女とは別人か…。
不意に後ろから、軽々しい声が聞こえた。二人は同時に振り返る。
彼等の背後には先程の連中が軽薄な笑みを浮かべつつ、葎達を見ていた。
「なんでいきなり逃げちゃうのー? 俺たちが悪いことしたみたいじゃん?」
葎に声をかけた男が言う。すると灯がいきなり前に出た。
「あの、私ちゃんと断ったはずですよ。それなのにこんな所まで追いかけてきて…迷惑してるんですよー! こっちは!」
おいおい。そんなこと言ったら…。
「調子のんなよこのアマァぁぁ!!」
…そら見ろ。
茶髪の男が灯に殴りかかった。
灯に拳に届く前に、葎が男の手首をつかんだ。
「放せや!」
葎の手を無理やり振りほどく。茶髪の男の仲間が葎を羽交い絞めにした。
「おら! やっちまえ」
ドスッ!
茶髪の男が葎に膝蹴りを喰らわせ、そのまま後ろにいた男が彼を地面へと突き飛ばす。
倒れた拍子にメキッという音がした。携帯電話がポケット中で壊れたのだろう。苦しい。何とかしなければと思うが体が動かない。
「早く…にげっ…」
倒れている葎に目もくれず、男達は灯に迫る。
「ほらっ! 次はてめーだ――――…ガッ……!」
何が起きた!? その場にいた全員に沈黙が訪れる。
葎に昨日の時と同じような悪寒が走る。理解した時分には、灯に手を伸ばしたはずの男が倒れていた。
「お前らさぁ……? 舐めた真似してくれたなぁ…? あぁん!?」
その恫喝するような声は灯の口から出たものだった。先ほどの彼女からは考えられない口調である。そして、その瞳に凶暴な光が宿る。
「ひっ…!」
茶髪の男が彼女の纏う異質な空気に気付いたのか、その場から逃げようとした―――が彼の肩に灯の腕がが巻きつく。
「ねェ…どこ行くの?」
灯…否、灯であって彼女ではない者がその場に不釣合いな笑顔で男に語りかける。
「…だ~か~ら~さぁ? どこに行くかっつてんだよォォ!!」
彼女は男を引き倒すと馬乗りになり男を殴りつけた。
「遊んで欲しいんだろぉお? 遊んでやるよ………一人も逃がさねェから安心しろ!!」
ハハハハハハハハ!!
彼女の笑い声が響く。
葎は混乱していた。
さっきまでの彼女とは違う。人が変わったなんてレベルじゃない…まるで別人それこそ二重人格の様――
灯はひとしきり殴り終えると、ふうと一息ついた。
「さぁ!! お次は誰だ!?」
次の獲物へと飛び掛る、それは肉食獣の様である。悲鳴がその場を覆う。瞬く間に一人の少女によってその空間は制圧された。
「ん~寝るの早すぎなぁい?」
「た…助け…」
男の一人の顔を覗き込み、面白くねェなあ? と、灯で無い者はそう言い、仰向けになっている男の腹を足で蹴りつけた。
ぐぇと男が呻く、それを聞いて彼女は嬉しそうに顔を歪める。
「南屋さん! やりすぎだっ…!」
葎は見かねて叫んだ。
「ああっ? 俺は灯じゃねえよ」
蹴り続けながら灯で無い者は、こともなさげにそう言う。
ガッ!
足が止まった。
灯で無い者が蹴りつけたのは男の腹ではなく――――葎の腕だった。
葎が地を這って、男の近くに行き、腕で男を庇ったのだ。
ミシッと、腕が嫌な音を立てる。
「…オイ…どけ」
「ッっ…もう…いいだろう…もう…十分…だ…」
「十分じゃねえよ。これからだろうが、お楽しみはさぁああ!!」
脇腹を蹴り上げられ、体が浮く。苦しすぎて呻きすらも声にならない。
「そこで大人しく見とけ」
灯で無い者は、また続きを始めようとした。
「待て…ってっ…」
葎は精一杯の力をふり絞って立ち上がった。彼女の眉間にしわが寄る。
「…邪魔すんなって昨日言ったよな? あのよ…お前さ、さっきまでこいつらにやられてなかったかぁ? なのになんで庇うんだよ?」
「アンタが…やっている事…が気に入らないからだ…確かにあい…つらが…やった事は間違いだ…。だけど…だけど! 抵抗できな…い人をい…たぶるアンタはもっと間違っ…てる…!!」
「むかつくなぁ…お前…俺が助けてやんなきゃ誰が助けたんだよ!?」
「俺が…助け…たさ…這…いつくばってでも…」
「ハッっ! 初めて俺を見た時にビビッて動けなかったお前がか? チキン野郎が!」
「チキ…ンでもな…目の前で…助けを求めてる人をっ…ほっとけないっっ…!!」
「……………………」
彼女は無言で葎の頭を殴りつけようとした。葎は後ろに下がる―――というよりも転がるようにそれを避けた。
そんな…ありえない…
彼は目を見開く。彼がさっきまでいた場所が少女によってえぐられていたのだ。
何よりも、硬いレンガの地面を砕いたその拳には、傷一つ付いた様子は無かった。
「話しても無駄なようだから…体に分からせるしかねェよなぁ? …非力じゃあ誰も助けられねぇんだよっってな!!」
間を空けず葎に蹴りを繰り出す。腕で防ぐが衝撃で吹き飛ばされてしまう。
「がっ…はっ…」
廃業した店のシャッターに叩きつけられた。
アイツっ…! 人間かよ…! 普通、蹴りで人を吹っと飛ばすなんて出来ねぇよ…! ……やばいさっきので腕折れたかも…。
腕に力をいれるが入らない。
――ワタシヲヨベ――
声が聞こえた。
誰が言ったのかと、周りを確認する。だが、まともに会話出来そうなのは、葎か、直ぐ前にいる獰猛な少女のみである。
いや…!ここには倒れている男達と少女しかいないはずだ…!
同時に頭がズキリと痛む。
何だってこんな時にっ…
――ハヤクワタシヲヨビタマエ――
これは―――これは夢の―――?
――ホラ、モウメノマエマデキテイルゾ?――
声はどこでもない、葎の中から響いていた。
「お前なら…お前ならどうにかできるのか?」
――アア――
「俺はどうなるんだ?」
――ドウニモナラナイサ――
――ワタシニスベテユダネロ――
――ダイジョウブ、シンパイハイラナイ。ゼンインスクッテヤルサ――
正体が分からない物に自分を任せるのは不安だ。だが、もうそれしか自分には出来ない。
選択肢は無い。
どちらにしろ地獄が待っているならば、僅かでも可能性のある方を選びたい。
「分かった…お前に全部任せる…!」
それは数秒の出来事である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
灯の中にいるその人物は、無性に腹が立っていた。
力が無いくせに人を助けたいというあの男、その全てが「彼」の神経を逆撫でする。
気に入らない、徹底的に潰してやりたい。二度と甘い事を言えなくなるように。
「…さぁ…死ね」
彼の拳は確かに葎の顔面を捉えた筈―――だった。だが、そこには葎の頭部は無かった。
ガシャッ!
閉まっているシャッターに穴が開く。
あの野郎…どこへ?
「…やれやれ、いきなり死ねとはご挨拶だな」
彼の背後から声がする。そこに葎はいた。
こいつ―――まさか…!
「…お前、こいつの中にいた奴かっ…!」
「如何にも」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
葎はこれが自分がやった事とは思えなかった。完全に自分の顔に当たるはずの打撃をかわしたばかりなく更にあの少女の背中を取ったのだ。正確には自分がやったわけでは無いのだが。
「呆けている時間は無いぞ?」
今まではっきりと聞こえなかった声が聞こえる。夢の中ではノイズが入ったように聞こえにくかったあの声が。
「舐めるんじゃ…舐めるんじゃあねぇェェェ!!」
「ふむ…私はいたって真面目なのだが」
掴みかかろうとするが、掴めない。殴りかかるが、かわされる。蹴りを放つが、当たらない。その攻撃全てがするりと避けられてしまう彼にすれば、柳の木を相手にしている様なのだろう。
彼は徐々に、しかし確実に焦りを感じていた。
「はぁっ…! はぁっ…! ク…ソがぁああああああ!!」
「婦女子に手を上げるのはいささか気が引けるが―――状況が状況だ…反撃させてもらおうか」
葎の体を使い、彼と入れ替わった者は鋭い突きを繰り出した。それらが灯の体を捕らえる。
一発、一発は、さほど威力は無いが、彼は容赦なく、灯の体にそれを叩き込む。
灯で無い者も当然かわそうとするが、眼が追いつけない。体が反応しない。
葎と入れ替わったその人物は、圧倒的な力の差を、灯の中の「彼」に見せ付けていた。
「か…はっ…!」
葎の一撃は灯の喉元に入り、呼吸が一瞬出来なくなる。
続けざまに容赦なく追撃が灯を襲った。
俺じゃあこいつに勝てない…? 馬鹿な…! そんな事あってたまるかッ!!
認めたくない。認めない。
彼は獣のように激昂する。
「あぁアアアアアアアアアアァ!!!」
「叫んでも私には当たらないぞ?」
くそっ…くそっ…くそ、くそ、くそっ! これは………恐怖? そんなはずはない、そんなはずは…! 負けてたまるかっ…!
気が狂ったように暴れ灯の中の者は後ろに飛び退く。
屈辱の中の思案の末、ここでは勝ち目が無いと感じた彼が選んだ選択は―――逃亡であった。
「おや、逃げてしまったな。追いかけるかね?」
――ああ! 頼む!――
二つの影が夜道を駆ける。段々と人が多くなっていく。その間を二つの影は縫うように走る。
なんだ? 痴話喧嘩か? 女の子を男が追いかけてるらしいよ? よくやるよねぇ。そんな声が聞こえる。
確かに傍から見れば、そう見えないことも無い。しかし前を走る少女の憤怒の形相と、後ろから追いかける青年の冷静な表情を見れば、その温度差に違和感を感じるだろう。
灯の中にいる者は再び人気の無い方向へと進む。
目的の場所はもうすぐだ。あそこなら人目に付かないし時間も稼げる。それに―――多少暴れても問題は無いだろう。
必死で駆け抜ける。
あと…少しだ。
「わざわざこんな狭い所を進むなんて………ふむ、何か目的が…?」
――……廃ビルだ。あいつは駅の離れにある廃ビルに逃げ込もうとしてるんだ――
「なるほど、確かにビル内は隠れる場所が多い上、暗がりから襲う事も出来なくは無い…うまくすれば私達を巻いて逃げられる……という所か」
――多分そうだと思う――
葎の体を使っている彼はニヤリと微笑む。
「その程度で逃げられると?」
うわぁ…いじめっ子の笑顔だ…。
葎の知り合いの中にもこんな表情をする奴がいる。悪い奴では無い…筈…。
――あのさ、アンタの事、なんも知らないけどさぁ…若干楽しんでない?――
「何を言うんだね? 失礼な…フフ」
真面目な顔でこいつは言うが、すごく嘘っぽい……しかし妙な気分だな…
ガラスに時折映る自分の顔は、いつもとは違う雰囲気をかもし出している。自分はこんな表情も出来たのかと、そう彼は感じた。
「それで…その廃ビルとはここか」
駅のはずれにその廃ビルはある。このビルは数年前まではそこそこの中小企業が使っていたのだが、不況の煽りを受けて倒産してしまった。駅の近くという、なかなかに立地条件が良い物件なのだが、何故か買い手が決まらないでいた。外見は綺麗なのだが、裏口の鍵を誰かが壊して侵入したらしく、中は荒れている。
――薄暗いな…―-
葎は何度かこの近くを通りかかる事があった、もちろん葎は入った事は無い。夜に通ると、幽霊でも出そうなこの建物に好んで入ろうとする者は殆どいないだろう。そう、それこそ身を隠さなければならない理由が無い限りは。
「どうやらここから入ったようだね」
関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉が、半開きになっていた。一階は受付カウンターの跡があるだけだった。両脇には階段がある。
「ここは隠れる所も無さそうだ」
ガッシャ!!
ガラスの割れる音がした。
――!!――
急いで二階へと上がる。一階と違ってオフィスらしい広さだ。
異常は無かった。窓が一つだけ開いていて、埃っぽい室内に風が吹き込む。
「…どうやらここにも居ない………か」
三階、四階、五階。次々に調べていくが、タバコの吸殻やアルコール飲料の空き缶などがあるだけだった。
――ここじゃなかったのか…?――
「いや、確かに最初はここに入った筈だ」
葎に‘彼の体に居る者はそう答えた。
窓を覗く。窓のすぐ目の前には同じようなビルがある、こちらはまだ現役で使用されている。
――さっきガラスが割れるような音がしたよな?……もしかして…その時にあの二階の窓から逃げたんじゃ―――?――
「…仮にそうだとしても、彼女…いや‘彼‘の性格で私達から背を向けて逃げるだろうか? ‘彼‘の荒々しさは君がよく感じたんじゃないのかね?」
――そうだけど…でも…あいつ、アンタから逃げたじゃないか!?――
「あんな表情でかね? 君も見ただろう、あの顔を。逃げる前なんてこっちを心底憎そうに睨んでいたじゃないか。ここに入ったのも、私達から逃げるというより、何か策があったからと思ったのだが---」
クルリと窓に背を向ける。とたん、ハッとした表情に変わった。
「…そうか!! そうい―――――」
「気付くの遅ェよ」
凶暴な声が聞こえた。
パリーン!!
ガラスが飛び散り、背中に衝撃が走る、それと同時に葎の体は前へと投げ出された。そう、隣のビルから襲い掛かった‘彼‘によって。
「いきなり襲いかかられるのには慣れてねぇようだなぁアアアア!!」
グッ…!
直ぐに体勢を立て直すが、すでに‘灯の体に居る者‘はすでに姿を消していた。
どこだ…? どこにいる…!?
頭上に気配を感じた。
「上か!!」
「正ぇえ~解イィーーーーーー!!」
真上より‘灯の体に居る者‘は殴りかかる。とっさに腕で防ぐが、その時にはまた‘彼‘の姿が見えなくなった。
――おい! 大丈夫かよ!――
「…ああ。だが…」
‘彼‘は私達を暗闇でいたぶるつもりかっ……!
既に目は慣れていたが、相手は天井などを縦横無尽に飛び回る。致命傷を取られる事は無いが、ジリジリと確実に追い詰められていく。
「これでは、いかに私でも分が悪い……!」
首元に吐息がかかるのを、感じた。
ガリッ
肉を齧る音がする。葎は痛みは感じなかったが、‘彼の体に居る者‘は顔を引きつらせる。すぐに跳ね除けるが、空を切るだけだ。
「…女の子にしては色々乱暴じゃないか?」
「余裕だなぁーー?オォォーイ?」
――くそ…! 負けるのか…――
「いや、それはさせない」
葎の中の者が葎に言った。
「…まぁ見ていたまえ」
――でも…どうやって?――
「こうやるのさ」
灯の中にいる者は葎の口が暗闇の中を笑みをこぼした事に気付く事は無かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
葎の体の動きが急に動きが鈍くなった。
勝てる。
灯の中にいる者は勝利を確認しつつあった。
一時はどうなるかと思ったが、主導権をこちらが握ってさえしまえば、いくらあちらが強かろうと脅威では無い。このまま体力を削ぎ落として、確実に仕留める!………それにしても…最初見た感じではあの葎という男の中にいる奴は自分と同じような匂いがしたが、どうやら違うのか?、それにあの異常な強さ………まぁいい。どうせここで終わるのだ。アレが何者であろうと自分は消されるわけにはいかない。 自分の為にも、そして---彼女の為にも。
「ほらほらァアアーーーーーー!! とろくなってきたんじゃねぇかァァァ?」
「もう…だめかっ……!」
これで決める。後頭部へと‘灯の中の者‘は両手を組み、渾身の力で振り下ろした。
ドサッ
葎の体が力なく倒れた。
…終わった。だが…やけに手ごたえが軽かったような―――
「………やっと捕まえたぞ?」
しまった…! こいつ…これを狙ってやがったのかっっ…!!
葎の手はしっかりと灯の足首を掴んでいた。
「はっ…! 離せェええええ!!」
「私も殴られっぱなしで帰す程、お人好しでは無いんでね」
‘葎の体にいる者‘は立ち上がり、足首から吊るされ身動きがとれない灯の体を壁へと叩きつけた。
「テッ…メッ……!」
寸前で受身を取ったが、バランスを崩してしまう。体勢を立て直す間も与えず、‘葎の中にいる者は容赦無く追撃をしかけた。顎を跳ね上げられ、腹に数発食らう。
「ゴハッ…!」
そして――――
「これで――――終わりだ――――」
側頭部への一撃、それにより勝負は決した。
次は‘彼‘の回想と物語の顛末まで書けたらいい・・・かな?
5月14日一部改正しました




