表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

 私の声が出なくなった理由。それは他の人からみたら、本当に些細なことだったと思う。

 私自身、なんでこんなことでそこまで悩むのって、いつも自分の心に問いかけていたから。


 私には、初音っていう親友がいた。

 初音とは小学校の頃から仲良しで、中学のときは部活が一緒で、高校も同じ学校に合格した。

「志乃ぉ! 志乃とおんなじ高校行けて、あたし死ぬほど嬉しいよー!」

 高校の合格発表の日。初音は私に抱きついてそう言った。私もすごく嬉しかった。

 ちょっと人見知りしてしまう私と、誰とでも仲良くなれる初音。

 いつも友達に囲まれている初音は、密かに私の憧れで……。

 そんな初音が「一番の親友」に選んでくれたのが、この私だった。

「ね、志乃。高校行ったら、何部に入る?」

「やっぱりテニスかな?」

「バイトもやってみたいよねー」

 そしてあの頃、たぶん初音にはもうひとつ、嬉しいことがあったと思う。

 それは、初音がずっと好きだった柴田くんも、同じ学校に受かったこと。

 私たちは幸せな高校生活を送れるはずだった。

 私が――柴田くんに呼び出されたあの日までは……。


「俺、好きなんだ。志乃のこと」

 春風の吹く校舎の屋上で、真新しい制服を着た柴田くんが、私に言った。

「付き合って……くれないかな?」

 柴田くんの前に立って、私は意味がわからなかった。

 どうして? どうして私なの? どうして初音じゃないの?

「……なさい」

「え?」

「ごめんなさい……無理です」

 私が言うと、柴田くんは眉をひそめた。

「志乃……俺のこと、嫌い?」

「嫌いとか、そういうんじゃなくて……柴田くんとは、ずっと仲良かったし……でも……」

「でも、なに?」

「だって初音が……」

「初音がなんだよ」

 柴田くんは煮え切らない私に、イライラしているみたいだった。はっきり言えよって、せかされているみたいだった。

 はっきり言わなくちゃ……柴田くんのためにも、初音のためにも。

「だって初音が、柴田くんのこと好きだから。ねぇ、私じゃなくて、初音ともっと仲良くしてあげて?」

「なんだよ、それ。意味わかんねーし」

「ごめん。でも……初音はずっと柴田くんのこと好きで……」

「初音、初音って……俺はお前の気持ちを聞いてるのに……」

 柴田くんはそこまで言って、私から顔をそむけた。

「もう、いいよ」

「柴田くん……」

 柴田くんが、私の前から去って行く。

 そしてその翌日には、初音が柴田くんのことを好きだという噂が、あっという間に広がっていた。


 噂がどうして広まったのかは知らない。

 柴田くんが自分で話したのか、誰かが私たちの姿を見ていたのか。

「どうして私のことなんて言ったのよ」

「ごめん……初音」

 噂はさらに深みを増し、柴田くんが私に告白したことも、私が初音を理由に断ったことも、何もかもが初音の耳に伝わっていた。

「好きだって言う時は、自分で言いたかったのに。たとえふられるとしても……」

「だから、ごめん。私、初音と柴田くんにうまくいって欲しくて……」

「うまくいくわけなんかないじゃん! 柴田くんは志乃が好きなんでしょ! 実は志乃、柴田くんにコクられて喜んでるんじゃないの!」

「そんなことないよ!」

 初音はふっと私から目をそらして、それきり口をきいてくれなくなった。


 教室の中で、私は一人ぼっちだった。

 初音はクラスの女の子たちといつも一緒にいて、私のことを悪く言っている様子はなかったけど、みんな噂のことは知っていて……私は自分からなんとなく、距離を置くようになっていた。

 休み時間も、お弁当の時間も、放課後も……いつも私は一人。

 時々教室で初音と目が合いそうになるけど、初音はごく自然に私から視線をそらす。

 初音の視界に、まるで私なんかいないかのように……。


 無視されるのはつらかった。いないものとされるのはきつかった。

 でも悪いのは私だから、初音が許してくれるまで待とうと思った。

 だけどやっぱり……私を無視する初音が、他の女の子たちと笑っているのを見るのは悲しくて……。


 なんであんなこと、言っちゃったんだろう。

 そうだね、余計なお世話だったよね。

 ごめんね、ごめんね、初音。

 どうしたらこんな私のこと、許してくれるの?

 私が二度と口をきけなくなれば、初音、私のこと許してくれる?


 ***


 外は雨が降っていた。

 私はパン屋のバイトを、もう三日間も休んでいた。

「志乃ちゃん? 入ってもいい?」

 コンコンとドアをノックする音とともに、祥子さんの声が聞こえてくる。

「……どうぞ」

 私が答えると、笑顔の祥子さんが私の目に映った。


「元気になったらさ、またお店手伝ってよね」

 祥子さんは、私が勝手に何日も休んでいることを責めたりしない。

 私が休んだ理由を聞こうともしない。

 ただいつものように笑って、明るく私に話しかけてくれる。

「志乃ちゃんいないと、お客さんみんな寂しがってるしさぁ……」

 そこまで言って思い出したように、祥子さんは一通の手紙を取り出した。

「そうそうこれ。康太から預かってきた」

 康太くんから? 私はほんの少し震える手で、祥子さんから手紙を受け取る。

「ラブレターかもしれないよ?」

 うふふと笑って、祥子さんは私に背中を向けた。

「じゃあね、志乃ちゃん。ゆっくりでいいから……待ってるね」

 ぱたんと静かにドアが閉まり、祥子さんの姿が消える。


 私はベッドの上に座ったまま、祥子さんからもらった手紙を見つめた。

 ただの真っ白な封筒に宛名はない。ぴりりと破いて中を見ると、入っていたのは半分に折りたたまれたメモ用紙。

 私がそれをそっと開くと、ひらりと小さなものが膝の上に落ちた。

「花びら……」

 桜が満開だった夜。康太くんと歩いた坂道を思い出す。

 淡い色の花びらを手のひらにのせて、メモに書かれている文字を読んだ。


 ――志乃ちゃんのいないこむぎやで、うるさいおばさんにいじめられてます。早く帰って来て。


 黒くて太いマジックで書かれたその文字は、お世辞にも綺麗とは言えなかったけど、それはとても康太くんらしかった。

「……へんなの」

 メモ書きされた汚い字と、やわらかな花びらを見比べる。そうしたらなんだかおかしくなって、私はほんの少しだけ、笑うことができた。


 外はまだ、しとしとと雨が降り続いている。

 この雨で今年の桜は、全部散ってしまうだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ