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「おつかれーっす!」
いつものようにそう言って、シャッターをくぐり抜けてきた康太くんの後ろに、見たことのない男の子が立っていた。
「あ、こいつ俺の後輩の飯島隼人ね」
祥子さんに言われたとおり、ちゃんと後輩を連れてきた康太くんは、やっぱり律儀な人なのかもしれない。
「どうも、飯島っす。康太先輩が、カツサンドおごってくれるって言うんで」
「バカ! そうじゃねぇ、この『おばさん』がおごってくれるんだ」
ぺこりと私たちにお辞儀をした彼は、伸びかけでぼさぼさ頭の康太くんと違って、キレイな丸刈りだ。
背も康太くんより高くて姿勢もよくて、身だしなみもキチンと整っている。顔だって……なかなかイケてるかも。康太くんには悪いけど。
「まぁまぁ、よく来てくれたわねぇ! 『お姉さん』若い男の子大歓迎よ!」
祥子さんは「お姉さん」って言葉を強調しながら、さりげなく康太くんの頭を小突いている。
そして私の耳元でこそっとささやく。
「ねぇ、この子、『白馬の王子様』って感じじゃない? 髪の毛伸ばしたら」
「白馬の王子様」かどうかはわからないけど、礼儀正しい男の子ではあると思う。
「はい、隼人くん。どうぞどうぞ、ここに座って」
祥子さんはすっかり隼人くんが気に入ってしまったらしく、奥から椅子を出して来て勧めたりしちゃっている。
「祥子さーん、俺のは?」
「あんたはいらないでしょ。いつも立って食べてるじゃない」
「はぁ? 隼人だけビップ扱いかよ。タダ食いのくせに」
カツサンドにコロッケサンドまでサービスしている祥子さんを横目に、康太くんが小銭を私の前に置く。
「いつもの、ください」
「はい」
私は奥からあんぱんを一つ持って来て、康太くんに渡す。
「ありがとう、ございました」
私が言うと、康太くんはふてくされた顔をゆるめて、いつもみたいに笑った。
それから隼人くんは、時々康太くんと一緒に店に来るようになった。
そしてそんな日の帰り道は、私と康太くんと隼人くんの三人だ。
康太くんたちとは帰る方向は同じだけど、出身校は違う。二人は小学生のころから、同じ野球チームにいたという。
「志乃ちゃんって、おとなしいんすね?」
何度か一緒に帰るようになった頃、隼人くんが私に言った。
私が心に傷を持っていて、うまく会話ができないってことを、康太くんは知っていたけど隼人くんは知らない。
「志乃ちゃんの声、あんまり聞いたことないし」
最初にお店に来たときより、隼人くんはよくしゃべるようになっていた。三人でいると、隼人くんが一人でしゃべっているような感じだ。
初対面の印象っていうのは、たいしてあてにならない。
「お前がおしゃべりなだけだろ?」
康太くんが横から口をはさむ。
「そんなことないでしょ? 康太先輩だっていつももっとしゃべるくせに、志乃ちゃんと一緒だとほんと無口になりますよね?」
「ほっとけ」
突き放すように康太くんが言った。もしかしてこの二人、あんまり仲が良くないのかななんて、なんとなく思う。
「志乃ちゃん。志乃ちゃんって高校中退なんでしょ? なんかあったんすか?」
私の隣で隼人くんが言う。
「祥子さんに聞いたんだけど、志乃ちゃん西高だったんだって? あそこめっちゃ進学校じゃないすか? すっごい頭いいんすね」
隼人くんの言葉は、私が頭の隅に無理やり押し込めていた記憶を、チクチクと刺激していた。
「西高の二年に、俺、知り合いいるんですよ。志乃ちゃん知らないかなぁ、松木っていうやつなんですけど」
隼人くんの声が、ゆらゆらと遠ざかっていく。口がカラカラに乾いて、手足が小さく震えるのがわかる。
いや。思い出したくない。思い出したくないの……。
「あ! やべえ」
隼人くんの声を遮るように、康太くんの声が聞こえた。
「財布忘れてきた」
「は? どこに」
「『こむぎや』。さっき金出すとき、確かカウンターの上に置いた」
「ふうん、そうすか」
「だからお前取ってきて」
「はぁ? なんすか、それ!」
「チャリこげばすぐだろ」
「なんで俺が……」
「先輩命令聞けないっつーのか! さっさと行って来い!」
隼人くんがもう一度「なんで俺が」って言いながら、自転車にまたがる。そしてその姿が視界から消えた時、私はその場にしゃがみこんでしまった。
「大丈夫?」
頭の上から聞こえてくる康太くんの声。
「志乃ちゃん?」
息を整えようとするけど、うまく呼吸ができない。
「もう、大丈夫だから。いやなことは何も聞かないから。志乃ちゃんが落ち着くまで、俺ここにいるから」
康太くんの言葉に、私はただ小さくうなずく。
康太くんは私のこと、どこまで知っているんだろう。でもたぶん、こんなになっちゃった私を見て、きっと戸惑っているだろうな。
ごめんね、ごめんね……気を使わせてしまって、ごめんなさい。
そんなことを考えていたら涙が出てきた。
道の隅にしゃがみこんだまま、膝に顔を押し付けて泣いた。こんな自分が情けなくて、今すぐこの場から消えてしまいたかった。
そして康太くんは何も言わないで、私の隣でずっと待ってくれていた。