21
年が明けて二か月が過ぎた日曜日。「こむぎや」に顔を出した康太くんは、晴れ晴れとした顔つきだった。
「やだ、久しぶりじゃない。その顔、忘れちゃったわよ」
「どうも……」
苦笑いしながら康太くんが答えて、それから店の隅のベビーカーで眠っているこむぎちゃんに気がついた。
「うわっ、生まれてる!」
「そうよー、あんた全然来ないんだもの。『こむぎ』っていうの。女の子よ」
「へえー」
康太くんはこむぎちゃんに近づいて、嬉しそうにのぞきこんでいる。
「祥子さん、抱っこしてもいいすか?」
「もちろんよ。抱っこしてあげて」
康太くんはそっとベビーカーに手を差し入れ、こむぎちゃんを抱き上げた。
「うはっ、ふにゃふにゃ。首、すわってねーし」
「でもあんた、手つきいいわね」
「弟や妹で慣れてますから」
「ふーん」
「それから俺、保育士になろうかと思ってるんです」
「まあ!」
祥子さんが少し驚いた顔で康太くんを見た。康太くんはこむぎちゃんを抱いたまま、祥子さんに言う。
「親に言われるまま普通に大学行って、普通に就職しようかとも思ったんだけど。やっぱ、やりたいことやってみたいよなーって思って……専門行って資格取ることにしました」
「そうだったの」
祥子さんは感心したように、うんうんとうなずく。康太くんはこむぎちゃんに「大きくなったら遊んでやるからなー」なんて言ってから、私のことを見た。
久しぶりに見る、康太くんの顔。もっとよく見たいのに、恥ずかしくて見れない。
「あ、そうだ。今日は志乃ちゃん、もうあがっていいわよ」
「え?」
「ずっとお休みとってないでしょ? いいわよ、今日は私がいるから」
「でも……」
「大丈夫。たまには遊んできなさい。康太と一緒に」
祥子さんが言って、康太くんの手からこむぎちゃんを受け取る。康太くんは一瞬戸惑った表情をしたけど、すぐに笑って私に言った。
「じゃあ、どっか行こうか? 志乃ちゃん」
恥ずかしくて、でも嬉しくて、私は素直にうなずいていた。
少しだけ春めいてきた町を、康太くんと歩く。
駅前の繁華街に来たのは、初めて康太くんと出かけた日以来。あの日私はあまりの人ごみに、具合が悪くなってしまったっけ。
だけど今日、「どこに行く?」という康太くんの問いかけに、私はこう答えた。
「買い物に行きたい」
買い物なんて、もうずっと行ってない。何度もお母さんに誘われたし、祥子さんにも誘われたけど、どうしても気が進まなかった。
だけど私には買いたいものができた。それを買いに行きたいと思った。
駅へと続く商店街を歩く。人があふれかえる日曜日。ちょっとふらふらと頼りない私の足取りを見て、康太くんが気遣ってくれる。
「大丈夫?」
「うん。平気」
康太くんがさりげなく私の手を握る。私はその手に引かれながらゆっくりと歩く。
康太くんと一緒だったら、今よりもう少し遠くまで行ける……そんな気がした。
「わぁ……かわいい……」
駅前のデパートの中で、私は淡いピンク色のベビー服を見つけた。
これ絶対、こむぎちゃんに着てもらいたい。
「自分のもの、買いに来たんじゃないの?」
さっきから子供服売り場ばかり見ている私に、康太くんが不思議そうに言う。
「こむぎちゃんに、買ってあげたいの。まだ、お祝いもあげてないし」
「ふーん」
康太くんは私から目をそらすと、小さなシューズを指さした。
「ちっちぇー靴! けどこれ、どう?」
「すごくかわいい! でもまだ早くないかな?」
「伝助さんだったら、もう買ってるかもな」
「お腹にいるときから、三輪車買おうとしてたもの」
「げ、それ、早すぎ!」
康太くんが笑った。私も少し笑った。そして私は、いつの間にか自然に会話をしている自分に気がついた。
「でもやっぱ、これがいいかも」
康太くんは、私が最初に見つけた、ベビー服を手に取った。
「いいじゃん、なんか、春らしくて」
「うん。それにする」
ピンク色のベビー服は桜の色。去年の桜の季節に、康太くんにもらった花びらを思い出す。
綺麗な包装紙でつつんで、リボンをかわいく結んでもらう。
こむぎちゃんがこの服を着た姿を思い浮かべて、自然と口元がゆるんだ。




