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「それで雨が降ってきたから、そのまま家まで送ってもらって……おしまい?」
祥子さんの前でこくんとうなずく。祥子さんは納得したような、していないような、微妙な顔つきで私のことを眺めている。
日曜日、康太くんとどこに行ったのか、祥子さんにしつこく聞かれて、私はありのままを話したんだけど……。
「まあ、健全といえば健全だけどねぇ……」
祥子さんは苦笑いをすると、自慢のカツサンドを作りながら私に言った。
「で、志乃ちゃんはどう思っているわけ?」
「え?」
「康太のこと」
並んで手伝いをしている私を見て、祥子さんが意味ありげに笑う。
「どうって……」
「好きとか、嫌いとか……ま、嫌いだったら、一緒に出かけたりはしないだろうけど」
手を動かしつつ、さらりと祥子さんは言ったけど、私は返事に困ってしまった。
好きとか、嫌いとか、答えられない。そんな簡単な言葉では、康太くんへの想いは表現できない。
祥子さんが私を見ている。そのまなざしがとてもあたたかくて、私はゆっくりと自分の想いを口にした。
「康太くんは、いつもやさしくて……一緒にいると、すごく……安心できるの」
黙ってうなずいて、祥子さんは次の言葉を待っている。私は小さく深呼吸してから、言葉をつなぐ。
「だから私も……康太くんにとって、そんな存在になりたいって思うんだけど……でも、なにもできなくて……」
私の頭に浮かぶのは、文句を言いながらも息が合っているように見えた、康太くんと弓香さんの姿。
いろいろ世話になってるって言ってた。本当は康太くん、弓香さんのこと、すごく頼りにしてるんじゃないのかな……。
だけど私は、康太くんにやさしさをもらうだけで、きっとなにもしてあげられない。
言葉の代わりにあふれそうになった涙を、ぐっとこらえる。なにもできない自分が情けなくて、どうしようもなくもどかしい。
「志乃ちゃん」
とんっと肩を叩かれた。おどおどと振り向いたら、伝助さんが私にパンを差し出した。
「はい、焼き立て。元気が出るよ?」
私の手のひらにのった、あたたかいパン。甘くてやさしい匂いが、すうーっと体の中に入り込む。
「志乃ちゃんの正直な気持ち、康太に伝えられるといいね?」
祥子さんが言った。
「だけど私は思うよ? 志乃ちゃんはね、自分が思ってるほど、なにもできない子じゃないって」
にっこり祥子さんは微笑むと、「はい、食べて、食べて」と伝助さんにもらったパンを勧めた。
私は焼き立てのパンを一口食べる。
甘い香りが口の中に広がって、またもう少し、頑張れるような気がしてきた。
夏休みは一回だけ、康太くんと出かけた。
隼人くんが出る練習試合を見に行こうって誘われたのだ。
どうしようかと悩んでいたら、祥子さんに「行っておいで」と背中を押された。
真夏の太陽の下、マウンドに立った隼人くんは、あの日ぼろぼろ泣いていた隼人くんでは、もうなかった。
野球のルールとかよくわからなかったけど、真っすぐ前を見つめて思いっきりボールを投げている隼人くんの姿は、ものすごくカッコよかった。
そしてそんな隼人くんやチームの仲間に、大声で声をかけている康太くんも、私にはカッコよく見えた。
みんな一生懸命頑張ってる。私は頑張っているだろうか?
夕暮れの帰り道を康太くんと歩いた。試合に勝ったからか、康太くんは機嫌がよかった。
「志乃ちゃん」
「はい?」
「今日は付き合ってくれてありがとな」
ありがとうだなんて……お礼を言われるようなこと、なんにもしてないのに。
私は首を横に振って、康太くんに言う。
「私こそ……誘ってくれて、ありがとう。来て、よかった」
康太くんが笑って、空を見上げる。オレンジ色の太陽が、康太くんの横顔を照らしている。
「あ、バス来た」
少し先のバス停に、私たちの乗るバスが近づいてきた。
「走るぞっ」
康太くんが私の手をぎゅっとつかんで、そのまま手をひいて走り出す。
この空の色も、風の匂いも、つないだ手のぬくもりも……全部このまま、閉じ込めてしまえたらいいのに……。
そしたら私――それをずっとずっと大事にする。
息を切らしながらバスに飛び乗った。「間に合ったー」なんて言いながら、二人で空いている席に座る。
暑くて、髪は乱れてて、でもお互いの顔を見つめ合ったらなんだかおかしくなって……私は康太くんと一緒に、素直に笑えた気がする。




