15
久しぶりに歩く駅前の繁華街は、耳障りな音があふれていて、くらくらする。以前はそんなこと、感じたことなかったのに。
「大丈夫? 志乃ちゃん」
人ごみの中で立ち止まって、康太くんが言う。
「なんか顔色悪い」
「ごめんなさい……」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。せっかく康太くんが誘ってくれたのに、私は普通の道を歩くこともできない。
「こういうとこ、ずっと来てなかったから……」
一体どんな生活してるんだよって、突っ込まれそうな私のセリフは、きっと普通の女の子とは違う。康太くん、私のこと、絶対ヘンに思っているよね?
「あー、そうだよね。どこかで飯でも食おうかと思ったけど、やっぱやめよ」
康太くんはあっさりそう言うと、ちょっとあたりを見回してから私に言った。
「志乃ちゃん、ここで待ってて。すぐ戻るから」
私の前から走り去って、コンビニの中に入っていく康太くんの背中を見つめる。
情けなくて、申し訳なくて、なんだか涙が出そうだった。
「ごめん。お待たせ」
そう言って戻ってきた康太くんは、コンビニのビニール袋をぶら下げていた。
「違うとこ、行こう。ちょっと歩くけど、いい?」
うなずくのが精いっぱいな私。そんな私の手にあたたかいものが触れる。
「俺にはなんでも言っていいから。志乃ちゃんがいやなことは、俺もしたくないから」
康太くんは私の手を握ってそう言った。そして少し照れたような笑顔を見せる。
「これは、大丈夫?」
康太くんの右手が、私の左手をそっと持ち上げた。
「……うん」
私の声に康太くんが笑う。そして手をつないだまま、ゆっくりと歩き出す。
空はどんよりとした曇り空。だけど神様お願い。もう少しだけ、雨を降らせないで。
傘をさしたら康太くんの手が、私から離れていってしまうから。
緑の生い茂る公園のベンチに、康太くんと並んで座った。
広々とした芝生と遊歩道。はしゃぎながら走り回る子どもたちや、のんびりと犬の散歩をしている人たちが見える。
「ここ来たことある?」
「うん」
町の真ん中にあるこの公園は、小さい頃、家族でよく遊びにきていた場所だった。お父さんに肩車されて散歩したり、お母さんの作ったお弁当を食べたりした記憶がある。
「俺もよく来た。弟や妹、四人連れて」
「四人?」
「うん。俺、五人兄弟の長男だからさ。チビたちの面倒みるのは俺の仕事、みたいな?」
ちょっと驚いた。私はひとりっ子だったから。
ふと気がつくと、私たちの足もとにピンク色のゴムボールが転がっていた。康太くんはそれを拾うと、遠くでグローブを振っている男の子に大声で叫ぶ。
「投げるぞー!」
康太くんの右手が高く上がる。ゆっくりと腕を動かして手を離すと、ピンク色のボールは曇り空に向かって飛んで行った。
「ありがとー」
ボールがストンと男の子のグローブに収まり、嬉しそうな声が返ってくる。
「ナイスキャッチ。てか、俺のコントロール良すぎだろ」
康太くんは満足そうに笑って、また私の隣に腰かけた。
「子どもっていいよなぁ……」
走り去る男の子を見送りながら、康太くんがコンビニの袋からおにぎりを取り出す。
「あいつらバカみたいに遊んでるだけでさ……でも一緒にいると、いつのまにか自分も夢中になってて……どっちが遊んでもらってるんだよって話」
康太くんはそう言って笑って、私のことを見る。
「そういうのない? あ、俺だけ?」
私はただ、苦笑いを返す。きょうだいのいない私には、よくわからないけど、そんなふうに夢中になれる康太くんは羨ましい。
「好きなんだね……子ども」
「うん。保育士か、幼稚園の先生にでもなろうかと思ってるくらい」
「すごい……」
「べつにすごくないよ。他になりたいものがないだけ。子どもの頃は、プロ野球選手に憧れたりしたけど、現実的にはありえないって知っちゃったし」
康太くんは「今日は俺のおごり」って言って、コンビニのおにぎりを差し出す。
私はそれを受け取りながら、エプロン姿で子どもたちと遊ぶ康太くんを想像して、それも悪くはないなと思った。
「志乃ちゃんは? 将来何になりたいの?」
康太くんが私に聞いた。
将来? 将来の夢なんて……考えたこともなかった。
私って、なんだか、全然だめだ。
そんなことを思ったとき、遠くから女の子の声がした。
「あれぇ、康太?」
私の目に映るのは、あのマネージャーの女の子。ふわふわした小さい犬を連れて、こちらに向かって走ってくる。
「やっぱり康太だ!」
「げっ、弓香。なんでお前こんなところにいるんだよ」
「あんたこそ。ていうか、もしかしてデート?」
「うるさい。いいからさっさと消えろ!」
康太くんが右手を払って「しっしっ」なんて言う。だけど弓香っていう子はにこにこしながら、私に話しかけてきた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
ぱっちりした大きな目で、弓香さんが私のことを見る。私は視線をそらすこともできないで、ただぼうっと座ったままだ。
「同じ学年……じゃないよねぇ? 二年生?」
胸がちくりと痛んだ。
いまさらどうにもならないってわかっているけど……学校を辞めてしまったこと、こういう瞬間に思い出して、後ろめたい気分になる。
「もういいから。帰れよ」
康太くんが立ち上がって、弓香さんの腕をつかむ。私はぼんやりと、彼女に触れる康太くんの手を見つめていた。
「わかった、わかった。邪魔者は消えまぁす」
弓香さんがくすっと笑って、康太くんのことを見る。
「でも彼女、かわいいね? 康太にはもったいないくらい」
「言っとくけど彼女じゃないから。パン屋でバイトしてる子だよ」
「あー、康太がいつも寄り道してるっていう、あのパン屋さんね!」
弓香さんはそう言うと、私を見て言った。
「今度私も買いに行こうかな? すっごくおいしいって康太から聞いてるの」
「……はい」
「弓香! 帰れって!」
康太くんがもう一度言って、弓香さんが「はいはい」なんて答える。そして犬を抱きかかえると、私にちょっと笑いかけてから、背中を向けて行ってしまった。
「まったく、なんでこんな日に、あいつに会わなきゃなんないんだか」
康太くんが文句を言いながら、またベンチに座る。
「あの人……野球部のマネージャーさん、でしょ?」
「ああ、うん。いちいちうるさい女なんだよ。中学んときから、なにかと俺に口出ししてきて」
康太くんは、はぁーってため息をついたあと、ちょっと遠くを見つめてつぶやく。
「いろいろと……世話にもなってるんだけどさ」
そしてコンビニのおにぎりを開けながら私に言う。
「食べよ、志乃ちゃん。腹減ったでしょ?」
「……うん」
康太くんが「いただきまぁす」と言って、おにぎりにかぶりつく。
私はその隣で、康太くんにもらったおにぎりを見つめている。
胸が、ちょっぴり痛かった。
弓香さんが康太くんを見る時の目を、私は知っている。
ずっと前、初音が大好きな柴田くんを見る時、あんな目をしてたから。
空から雨粒がひとつ落ちてきた。降り始めた雨に、周りの人たちが急ぎ足で通り過ぎる。
梅雨明けは、まだ遠いみたいだった。




