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 その夜、「こむぎや」に来た康太くんは、いつもと変わらなかった。

「そういうわけで、ちょっと予定より早く暇になっちゃったんで、パン屋でバイトでもしようかと思ってるんですよねー」

「はぁ? なに言ってんの、康太。あんたにはこれから、やることがあるでしょう?」

「やること?」

「受験勉強」

 祥子さんの言葉に「げー」なんて言いながら、康太くんが頭を抱える。

 いつもと変わらない二人のやりとり。いつもと変わらないはずなのに、私の気持ちはなんとなく重い。


「で、隼人は?」

 一通り言い合ったあと、ちょっと真面目な顔で祥子さんが言う。

「今日は帰った」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、あいつは。明日になれば、けろっとした顔でパン買いに来る」

 康太くんが私の前にお金を置く。私は奥からパンを持って来て、康太くんに渡す。

「康太は?」

 そんな康太くんに祥子さんが言った。

「あんたは大丈夫なの?」

「なにが?」

 一瞬動きを止めて、康太くんは祥子さんに振り返る。祥子さんは穏やかな顔つきで、康太くんに笑いかけた。

「悔しかったんじゃないのかなぁ、なんて思ったからさ」

「負けたから?」

「そうじゃなくて。本当は思ったでしょ? もし自分が投げてたら……って」

 何か言いかけてやめた康太くんの前で、祥子さんは振り向き、今度は私に微笑んだ。

「ま、人生いろいろあるよね。頑張ってもどうにもならないこととか。いっぱい」

 祥子さんの話が長くなりそうなのを察したのか、伝助さんがさりげなく椅子を差し出す。祥子さんは「よっこらしょ」なんてお腹を抱えながら、私たちの前に腰をおろす。

「私はさ、あんたたちよりちょっと長く生きてるから言わせてもらうけど。生きてると、悔しいこととか悲しいこととかたくさんあるのよ」

 そう言って祥子さんは、愛しそうにお腹をなでる。

「だけど私はね、不器用でも一生懸命生きてる人が好き」

 祥子さんが康太くんを見て、そのあと私の顔を見る。

「そういう人が好きなのよ」

 祥子さんは穏やかにそう言った。

 いつも明るい祥子さんにも、悔しいこととか悲しいこと、いっぱいあったんだろうなって思う。

 私は祥子さんみたいになれるかな? 今は自信ないけど……なれたらいいな。


「祥子さんって怖いよな」

 生ぬるい夜風を受けながら、康太くんと坂道を歩く。また明日から雨が降り出すらしく、空気はじっとりと重かった。

「俺が持ってる腹黒い気持ちとか、全部祥子さんに見透かされてる」

 康太くんは私の隣で少し笑って、夜空を仰ぐ。

「隼人の前では偉そうなこと言ってるけどさ、実は内心思ってる。なにやってるんだよ、あいつ。あいつなんかより俺が投げてれば……って」

 康太くんの頭の上で、桜の木がざわっと揺れる。

「とか言って、俺が投げても、結果はさらにボロボロだろうけど」

 乾いた笑い声を立ててから、康太くんがふと立ち止まる。私も足を止めて、康太くんのことを見た。

「そんで、そんなこと考えてる自分に、たまらなく腹立つ。俺って結局、全然成長してないんだよなぁ」

 康太くんの視線が私に移った。私は深く息を吸い込んでから、少しずつ想いを吐き出す。

「でも、頑張ってると思う」

 私の声が、静かな空気に浮かぶ。

「康太くんは……一生懸命、生きてると思う」

「志乃ちゃん……」

 康太くんが真っすぐ私のことを見た。私は恥ずかしくなって、さりげなく視線をそらす。


「あー、やっぱり俺、間違ってなかった!」

 急に納得したような声で、康太くんが言う。

「やっぱり志乃ちゃんにしてよかった!」

 わけがわからないまま、康太くんを見る。康太くんはなんだか嬉しそうに私を見ながら言った。

「この前の約束」

「え……」

「ちょっと予定より早かったけど……いいよね?」

 どうしよう……私の心臓、ドキドキしてきた。

「日曜日の午後、祥子さんに言って休みもらいなよ。どこか遊びに行こう?」

「えっ、あ……でも……」

「『でも』とかなし! 日曜日、迎えに行くから。ねっ?」

 勝手にそこまで決めて、康太くんは私の顔をのぞきこむ。

 お願いだから、そんなふうに私のこと見ないで? どうしたらいいのかわからなくなる。

 康太くんの前で、こくんと小さくうなずいた。康太くんは笑って、そしてゆっくりと歩き出す。私は少し戸惑いながら、康太くんのあとを追いかける。

 一歩ずつ、一歩ずつ……康太くんに近づいていけたらいいなって思った。

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