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「おつかれーっす」
「こむぎや」に聞きなれた声が響く。
明日が大事な試合という日の夜、少し早めに練習が終わった康太くんたちがお店に現れた。
「あー、汗かいたー。祥子さん、水ー」
「あのね、うちは喫茶店ではありませんから」
そんなことを言い合っている康太くんと祥子さんはいつも通りだ。こんな二人を眺めているのが、私は好き。
「ほら、今日は特別サービス。その代わり、明日絶対勝ちなさいよ」
少しお腹の膨らんだ祥子さんがスポーツドリンクを持って来て、康太くんと隼人くんに渡す。なんだかんだ言っても、祥子さんは康太くんたちにやさしい。
「おい、隼人。あれ、祥子さんに見せてやれよ」
祥子さんにお礼を言って、スポーツドリンクを受け取った康太くんが言う。隼人くんは「えっ」と、ちょっと戸惑った表情をする。
「なあに? 私に見せるものって」
「いや、べつに、たいしたもんじゃないです」
「いいから見せろ! 先輩命令!」
康太くんに怒鳴られて、隼人くんはしぶしぶバッグの中から何かを取り出した。
私はカウンターの中から顔をのぞかせる。
「……これ、もらいました」
「あら、すごい! 背番号じゃない! さすがエースね!」
「そんなんじゃないです。控えですよ、控え」
そう言いながらも、十一番の背番号を持った隼人くんは嬉しそうだ。だけど素直に喜べないのは……きっと康太くんのことを気遣っているから。
私は康太くんのことをちらりと見る。そうしたら康太くんも私を見ていて、目が合ってしまったからあわててそらした。
「まぁ、隼人がここまで成長できたのは、俺のおかげってわけだな」
「よく言うわ。康太のおかげなんかじゃなくて、隼人くんの実力よねぇ」
「俺もそう思います」
「お前……いっぺん殺す」
康太くんが隼人くんの首を抱え込んで、隼人くんが「志乃ちゃん、たすけてー」なんて叫んでいる。祥子さんはけらけら笑っていて、伝助さんは厨房からそんな様子を、目を細めて眺めていた。
後から聞いたんだけど、この日隼人くんは、ものすごく緊張していたらしい。そんな隼人くんの気持ちも、きっと康太くんはわかっていたんだろうなって思う。
祥子さんと伝助さんに挨拶をして外へ出た。お店の前で康太くんが、私のことを待っている。
「そんじゃ、先輩と志乃ちゃん、お先にー」
隼人くんが自転車に乗って、私たちの脇をすーっと通り過ぎる。
最近隼人くんはいつもこうだ。「遠慮してる」なんて言うけれど、私と康太くんは別に何もないんだから、遠慮する必要なんてないのに。
「帰ろうか」
「うん」
私が答えて康太くんが歩き出す。ほんの短い会話。いつもと同じペース。
康太くんと並んで歩くのは、やっぱり心地いい。
「志乃ちゃん」
公園の、桜の木の下を通りかかったとき、康太くんが言った。
「頼みがあるんだ」
顔を上げて康太くんを見る。康太くんはちょっと照れくさそうに笑ったあと、私から視線をそらしてつぶやく。
「この大会が終わったら、俺たち引退なんだけど……そしたらさ、二人でどこか遊びに行かない?」
「え?」
康太くんの言葉は、私が思ってもみなかった言葉で、私は思わず足を止めて聞き返していた。
「あ、いや、まだ当分負ける予定はないからね? だからまだずっと先の話」
康太くんもあわてたように立ち止って、言い訳みたいにそんなことを言う。
「でももし約束してくれたら……なんかすごく頑張れそうな気がする」
康太くんの隣で、私は戸惑っていた。
どうして? どうしてそんなこと言ってくれるの? 私なんかといても、楽しいこと、なんにもないはずなのに……。
「志乃ちゃん?」
康太くんが私の顔をのぞきこむ。黙り込んだままの私の心臓は、おかしいほどドキドキしていた。
やがて康太くんが、私から視線をそらして言った。
「あー、やっぱ迷惑だよな? じゃあ取り消し! 今のなし! 全部忘れて!」
康太くんがはははっと笑って、背中を向けて歩き出す。
違う、違う、迷惑なんかじゃない。
私は――ものすごく嬉しかった。
「康太くん!」
自分の声に驚いた。こんなに大きな声、久しぶりに出した気がする。康太くんが振り返って、やっぱり驚いた顔をして私を見ている。
「あ、あの……私でいいの?」
「他に誰がいるんだよ?」
康太くんが笑った。
「志乃ちゃんじゃなきゃ、意味ないじゃん」
頬が熱い。指先が震える。恥ずかしくて、でも嬉しい。
――志乃ちゃんじゃなきゃ、意味がない。
私で……いいんだ。
「約束、してくれる?」
「……はい」
「よっしゃ!」
小さくガッツポーズして、でも照れくさそうに笑う康太くんは、子どもみたいでなんだか可愛い。
恥ずかしいから顔を合わせないようにして、二人で歩いた。
いつもと同じ道なのに、今夜の帰り道は、いつもとちょっと違っていた。




