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第十六話

「昨日の質問って、『何があったのか』ってことで良いんだよな?」

「うん」

 俺はその蓋を取り除くように息をつき、昨日の晩に整理したことを引っ張り出した。

 同じクラスだからかも知れないが、何故か俺のことを気にかけてくれてた人だ。何が起きているのか分からないなりにも、力になろうと頑張って、失敗して、それでも今その失敗を超えて、俺に近づこうとしてくれてる存在だ。

 俺はなんと恵まれていることか。どうしてこんなにも、彼女を軽視してきたのだろう。そんなことを本人を目の前にして考えると、歯が浮いて飛んでいってしまいそうなことだが──。

 俺はできるかぎり笠原の目を真摯に捉えて、言った。

「欲求不満だった」

「えっ?」

 平岡と笠原、二人して綺麗に声が揃う。俺は勢いに圧されるように、

「何をしても毎日同じことの繰り返しが嫌だったんだ。今は良いかも知れないけど、卒業して社会人になったら、もう目標の無い延々とした日々を続けていくのかと思うと、今何かをしないと、って思うんだけど、でも何も起こらない。そんな乾燥した日々が、本当にダメだったんだ。それが、その──、中間考査直後のことか」

 俺は失敗していた。それでも、失敗していたことに気づかず、ずっと足踏みをしていた。そうしてただ待っていることに気づかず、同じ場所に留まり続けて、いつまでも失敗していた。

「そんで、ついに叔父に相談しにいったんだよ。その、叔父っていうのが占い師やってて、なかなか当たるし、昔のよしみもあったからね。でも、そこで少しトラブっちゃって、部活休んじゃったわけなんだけど」

 ここは少し脚色した。流石に、あの世やら幽霊やらと言えるはずもない。叔父には悪いが、喧嘩したことにして、家用の辻褄を合わせることにする。

「まぁ、それが片付いて、なんとなくスッキリした気分になってたんだけど、なっただけだった。結局変わらない。──昨日、声をかけてもらったことは嬉しかった。それでも、どうにも心が開けなくってな。逃げちまった」

「…………そうなの」

 笠原が俯き気味に言った。

 何とか言えた。問題はここから先だ。そして、それは俺の管轄ではない。

 あくまでも、相談、なんだからな。

「ええっと……、俺は、どうすれば良いんだと思う?」

「──」

 我ながら情けない質問だ。笠原は一瞬瞠目して、それから黙ってしまった。平岡の方を見ると、意図がよく分からない表情をされた。何だかこいつに至っては、悟っているんじゃなかろうかと思うが。

 笠原はやがて、自信が無さそうな顔を俺に向けた。

「うちが倉敷君だったら……、きっと、映画を見に行くと思う」

「映画……」

「後は、本を読んだり、音楽聞いたり、とにかく何でもいいから、そういう気持ちを忘れようとする。部活が忙しいから映画は無理かもしれないけど、本は読みたい。そういうとこからは逃げないと、いつまでもぐるぐる回りっぱなし、だもん……」

 映画、本、音楽──、つまりは物語だ。

 今はクライマックス。俺は最強の敵と、これから対峙する。苦境を乗り越えて全知全能の、二人の人間を殺して完成した超人に、勝負を挑もうとしている。今、俺の中で、確かに動き始めている。ほんの少しだけアプローチしただけなのに、これほどまでに大きく、壮大に──。

 忽然と天から降ってくるように道が開けたようだった。弾かれるように立ち上がると、笠原に近づき、その手を握る。

「ありがとう」

「えっ、えっ……!」

 俺の行動が急だったために、笠原は目を白黒させている。でも、手だけはしっかりと握り返してくれた。──柔らかい。

 平岡がしみじみと、

「まぁ、悩みなんてそんなもんだよね……、うちも経験あるもん」

 と言ったので、俺はそちらを見やって、

「へぇ、どんな?」

「え、……忘れた。まぁ、必要なことだけ覚えてりゃいいんだよね、要は」

 凄いざっくりしてる人生観だな。まぁ、それも良いけど。

 平岡に逸れていた意識を笠原に戻すと、彼女の視線は動揺も混じっていもいるが確かに俺という存在を見ていた。それでもって、俺の更に奥を見ようとしている──ような気がする。それほど印象的な瞳で俺を捉えていた。

 突然、扉が勢い良く開いた。それと同時に、一瞬で誰だか分かる声が聞こえてくる。

「よーっす」

「あっ……」

 俺は反射的に手を離した。笠原も同様に手を引っ込める。

 歯がゆい思いで振り向くと、いつもよりも活力が見えない広木先輩が手をぷらぷらと振っていた。

「おはようございます。って、なんかいつもよりもげっそりしてますね」

「あー、最近情緒の不安定さに定評のある倉敷か……、そんなげっそりでもねぇだろ」

 そんな定評がついていたのか、さっさと返上しないと。

 というか、丁度いいところに来てくれた。訊くなら今のうちに。

「あぁそうだ、先輩。部長って、仕事何するんですか」

「あぁ!?」

「いや、そんな雷に打たれたような声で反応しなくても……」

 広木先輩は目を瞠って、俺にずかずかとにじり寄ってきた。

「つまり、それは部長になりますよ宣言ってわけで良いのか?」

「なる可能性が生まれましたよ宣言ですよ」

「どっちでも良い、けどやる気になってくれたなら凄いウェルカムだ、俺が牧場主なら一晩藁のベッドで寝かせてやるくらい歓迎だ」

「エラくケチですね」

「ええ! 倉敷、部長やっちゃうの!」

 平岡が首を突っ込んできた。そういや、先輩に推薦されたときに、こいつも居合わせたんだっけか。俺は意地悪く、

「何でそんな驚いてるんだよ、お前、『皆良いと思ってる』とか言ってたじゃねえか」

「えー、でも実際なる! って宣言を受けると実感が湧いちゃってー」

「なる! じゃなくてなるかも! だよ」

「そんなことはどうだっていいわ! 何でえ、ジメジメして二度寝できそうもないから、なんとなくここ来ただけだってのに、目的ができて良かったぜ」

 先輩は腕捲をしながら、鞄から手帳を取り出した。いっつも持ち歩いている手帳だ。きっと、あれにびっちりと心得か何かが書かれていたりするんだろうか。

「倉敷が部長立候補を決意した! 今日は『倉敷の日』として、後世この部活で語り継がれていくだろう……」

 ──とか思ったら、内容を読み上げながら手帳に書き込み始めている。

「何書いてるんですか!」

「俺のドキュメントだよ」

「そんな要らん考察書かないでください!」

 平岡が隣で笑っている。「倉敷の日って何!」とか笑いの隙間で呟いている。

 そういや笠原は、と思って振り返ると、さっきの場所でぼんやりと手のひらを眺めていた。

「笠原、何してんだ」

「え! わ、な、なんでもないよ!」

 声をかけると急にあたふたしだす。どうしたんだ、こいつは。

 手帳を閉じる軽い音がしたのでまた広木先輩に視線を戻すと、

「よく聞けよ倉敷、部長って言うのは、ただ頑張るだけじゃ意味がない」

 想像以上に真面目な表情で話をし始めた。もうちょっとくだけているかと思ったのに。

 広木先輩はそのまま得意げに部長論について語った。俺はもちろん聞いていたが、平岡も面白がって耳を傾けている。笠原はさっきと変わらずその場所に佇んでいた。何故か、クリスマスにプレゼントを枕元で見つけた子供のような表情をしている。

 俺がしたいことなんて単純だった。ただ、俺がしたいと思ったことを全力で楽しむことが、俺のしたいことだった。臭い言葉で言えば、生きていることを噛み締める、だとか言うんだろうか。でも人だから、慣れると見失うんだよ。仕方のないこと。俺は凄い遠回りでそれに気づいた。

 


 このジャージに腕を通すのはあの時以来だった。もともと、そんなに頻繁に着ないので当然といえば当然だが、それによってゼウスと会う時限定の制服のようなイメージになるのは避けられないかもしれない。

 あれから一週間しか経っていないが、沙実によればもう昇華まで秒読みだという。

「っていうか、楽しみ過ぎだよ……」

 彼女にしては珍しい呆れ顔で言われた。

 勉強は才能フル活用、体育も能力フル活用で周囲をざわめかせ、休み時間もぼうっとすることなく新山たちと気兼ねなく絡めたし、部活もいつも以上に上手くいっているし、笠原から借りた映画のDVDも十本ほどあったが夜なべして全て見尽くし、いかに興奮したかを感想文に書き著すほど楽しんだ。

 ちなみにほとんど眠っていない。最近三日に至っては完撤だ。沙実が呆れるのも無理はない。

 自転車で例の運動場へと向かう。RPGで言えばラスボス前のセーブポイントにいるような、一種の緊張感が俺の中でぴんと張り詰められていた。

 目的地に到着すると、躊躇いなく柵を飛び越してフィールドへ侵入する。俺が満たされたことによって強化された視力によって、以前に来たよりもかなり見通しがよくなっている。

 芝で覆われたフィールドの真ん中に、そいつはいた。

「……よう」

 腕を組んで巌のように佇み、俺を睥睨しているゼウスがいた。その部分だけ重力が二倍近くになっているのではないか、と思うくらい存在感がある。

「こんばんは」

「──見てくれが変わったな」

 挨拶すると彼は剣を抜きながら言った。褒めているのだろうか。

「そりゃどうも、あれからめっちゃ苦労したもんで」

「知っている。お前が何で私に会いに来たのか、その理由もな」

「なら話は早いね」

「ふん」

 ゼウスは軽く鼻で笑うと、手にした剣を俺に投げて寄越した。前回と全く変わらない演出だな。俺は突き刺さったそれを抜きながら、緊張をほぐすように思う。

 その切っ先をゼウスの喉元へ向けたところで、彼は日本刀を引き抜きながら、

「そいつは俺が作った、ゼウスと名付けた剣だ」

「えっ……?」

 俺は声が詰まった。ゼウスはそんな俺をからかうように続ける。

「まぁ、つまりお前はその剣の名前をそのまま俺に命名した訳だが──、何故私がお前の方に不利な西洋剣を渡したか分かるか?」

「分かるわけないだろう」

 この剣には下手したら地球を真っ二つにできるほどの力があったりするのか?

「──私は日本刀が好きだからだ」

 そんな理不尽な。


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