第八話 お節介な騎士
月曜日。学生にとってこの曜日がどれだけ憂鬱な曜日なのかは学生を経験したことのある人なら誰もが共感してくれるだろう。
俺はといえば、昨日の朝に見た夢を未だに引きずっていた。
長い間忘れかけていたトラウマを無理矢理思い出したのだ。憂鬱になっても、仕方ないだろ?
そういえば、あの夢はいつから見なくなったのだろうか。中学に入るまでは毎日のように見ていたし、それからも―――――「浮かない顔をしていますね、雅君」
不意に隣から誰かが喋りかけてきた。
「そっとしておく、という選択肢はないのか?」
顔を見ずに答える。
誰かはもうわかっていた。
「すみません。考えもつきませんでしたよ」
確認のため視線だけ動かすと、にこにこと笑みを振りまいているイケメン。尋がいた。
なぜか暗い気持ちが和らぐのを感じる。そういえば、あの夢を見なくなったのは尋と出会ってから――――いや、そんな気持ち悪い考えはよそう。偶々、尋と出会ってからあの夢を見なくなっただけだ。うん、そういうことにしとこう。
「要件は?」
尋がこんな場所にいるってことは、何かあるのだろう。こいつの家からここまで来るのは、学校に行くのに二度手間だからな。
「ええ、これを」
尋が学生鞄から取り出したのは一冊のノートだった。
俺はそれを受け取り、中を開いて――――眉をよせた。
「酷いな」
ノートには、悪口のようなものがびっしりと書いていた。字から察するに・・・・男子が書いたような字もいくつか見られた。
ノートの裏には瑞希ちゃんの名前が。人ってのは怖いもんだ。
一人が誰かをイジメ始めたら、まるでウィルスのように拡大していく。
俺はノートを閉じると、尋に返した。
「たぶん、俺の時より酷いぞ」
尋には俺が人と接するのを嫌う理由を話してある。というか、師匠に無理矢理話せといわれていた現場に尋もいた、という方が正しいか。
「僕、珍しく怒ってるんですよ。妹がこのことを話してくれなかった自身の頼りなさにも。妹にこんな事をして、喜んでいるヤツらにも」
尋の顔はいつもと変わらない、が、そこには確かに怒りが渦巻いていた。
俺もその気持ちには賛同出来る。瑞希ちゃんと出会ってそんなに経っていないけど、瑞希ちゃんがいいこなのは判る。
いつの間に校門の近くまで来ていたのか、周りには沢山の生徒がいた。
俺の気分は思い出したかのように冷めて、具合が悪くなってくる。
「マジ必死扱いて、バカみたいだったよね」
少し前を歩く女子生徒の集団の声が、なぜか耳に残った。いやな予感がする。
「悪い、先に行っててくれ」
「雅君・・・?」
考えろ。あの女子生徒たちは多分一年生だ。
そして集団の中の一人が持っていたのは何だった?あのキーホルダーが付いた携帯電話。あれはたぶん――――。
☆☆☆☆
「瑞希ちゃん!」
必死に走り回り、やっと瑞希ちゃんを見つけた。
瑞希ちゃんは鯉を飼ってある池の中に入り、必死に何かを探していた。
「先輩・・・・」
俺の声に振り向いた瑞希ちゃんの顔に、胸が締め付けられた。
辛いときも笑顔を作っていた瑞希ちゃんが、泣いていたのだ。
制服はびしょびしょに濡れ、池の泥で汚れていた。
「瑞希ちゃ――――」
「ごめんなさいっ!」
瑞希ちゃんは池から急いで出てくると、必死に頭を下げた。
「せっかく、雅君先輩から買ってもらったのに、せっかくやっと勇気を出せて」
瑞希ちゃんの頬を次々と涙が伝う。
買ってもらった?あぁ、あのキーホルダーのことだろ?あんな320円の安物なんて気にすんなよ。
そう思ったものの、言葉にはならなかった。
「ま、待っててください。この池のどこかに投げたって、クラスの子が言ってて」
流石に、我慢出来なかった。胸が熱くて、どうにかなりそうだった。
俺は瑞希ちゃんの頭に手を置くと、震えそうになる声を必死に留めて笑う。
「大丈夫、だから。俺と同じ気持ちは味わわなくていい」
このままだと瑞希ちゃんの能力は発動とともに暴走してしまうだろう。
こんな小さな体に、一体どれだけ不満をためていたのだろうか。
これが爆発したら、能力がどんなものであれ、きっといつか後悔することになる。
そんなのは俺一人でいい。
「尋」
声をかけると近くの木の影から尋が現れた。気配はずっと前からそこにあった。
「止めるなよ」
「まさか。むしろ僕も――――」
「お前はここにいろ」
そんで瑞希ちゃんを安心させてやるんだ。兄妹だろ?
俺は何か言いたげな尋から逃げるように、全力で走った。
☆☆☆☆
「まったく・・・・感情的になりすぎですよ」
それは雅君の良いとこでもあり、悪いとこでもあるわけですが・・・今はとりあえず、こちらが先ですね。
「瑞希、コレを」
僕は先ほど取り返した携帯電話を瑞希に投げ渡す。雅君の様子がおかしいなと視線を動かした先に瑞希の携帯を持ってる女子生徒がいたから、穏便に話をして返してもらったわけですが。
「お兄ちゃん、コレ・・・・」
「それよりも、雅君が今どこに行ったか判りますか?」
僕の言葉に、まさかと息を飲む瑞希。
さて、このまま全部を雅君に任せるのもアレですし、僕も動きますか。
☆☆☆☆
「落ち着けよ・・・」
暴走しそうになる感情を抑える。能力のコントロールはほぼ完璧になっているわけだが、万が一を考えて冷静さを失わないように気をつける。
向かうのは瑞希ちゃんのクラス。朝のHRが始まっているのか、廊下に生徒の姿はなく、各教室から小さなざわめきと、先生たちの声が聞こえてくるだけだ。
そして瑞希ちゃんのクラスの前に到着し、ドアに手をかけたところで動きを止めた。
考えてみろ。今俺が文句を言ったところで瑞希ちゃんに対するイジメはなくなるのか?―――――むしろ、もっとひどくなる可能性だってあるんじゃないのか?
膨れ上がった気持ちが萎んでいく。そうだ。これはただのお節介。俺なんかが何をしても―――――。
「瑞希さんは・・・・遅刻ですか」
担任の先生、声から察するに女だろう。その先生の、またか、といった声が聞こえてきた。
同時にクラスの中で笑いが起きる。
「先生ぇー、どうせ瑞希さんは来ないですよ。なんか、魚と泳ぎたいって言ってましたし」
「魚・・・・?ま、まぁいいです。出席の続きを――――」
先生の声を上書きするように、生徒の声のボリュームがあがる。
「でもさ、瑞希って可愛いし、今度襲わねぇ?たぶんすぐ股開いてくれるって。あいつ弱虫だしさ」
「いいねぇ。ナイフとかで脅せば」
耳に付くような男子の下品な会話。それを囃す女子の声。
もう、いいや。
瑞希ちゃんの泣き顔を思い出す。一瞬で冷めた気持ちが沸騰し、俺は教室のドアを開いた。
集まる視線も気にならない。俺がやることは、歪みを捻って少しでもまともに直す。それだけだ。
よく教室を見渡すと、この前ショッピングモールで絡まれていた女の子と、妹の姿もあった。
瑞希ちゃんと同じクラスだったのか・・・・。
まぁしかし、そんなこと今はどうでもいい。
「誰だよ、おい」
教室の左端の後ろから聞き覚えのある声がした。
コイツはさっき瑞希ちゃんを襲うとか言ってたヤツだ。
確認なんてする間もなく、俺はそいつの席に向かって歩く。
揉め事に慣れているのか、そいつは怯える様子もなく俺を睨んできた。
「俺は、そうだな・・・・ただのお節介な臆病者ってことで」
「・・・・何を言ってげぶぅ!!」
有無も言わさずに顔を殴った。たぶん鼻くらいは折れているだろう。
「大丈夫。お前゛等゛は人の心を傷つけた痛みを受けるだけなんだ。瑞希ちゃんが受けた、痛みを」
俺にその痛みは計り知れないだろう。けど、孤独の痛みや苦しみは知っている。
俺の場合は自業自得だけど、瑞希ちゃんはそうじゃないはずだ。
だからこそ、瑞希ちゃんをイジメていたこのクラスの奴らは、死なない程度に痛めつける。
もう、このなんともいえない気持ちを抑えつけるのは無理そうだ。
何人かがこの教室から逃げだそうとするも、窓も、廊下に繋がるドアも開かない。開くはずがない。
「この教室は世界から捻り離してあるから。逃げられるわけないんだけど」
さて、とりあえず一人づつ。時間は十分にあるさ。