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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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外伝6-10 期日前日(君の名前1)

「やめー! それじゃあ今から15分休憩」


『はーい』


 道場に奈菜さんの声が響く。元気の良い返事がして、一斉にみんなが正座、面と頭に巻いていた手ぬぐいを取り去った。傍らで素振りをしていた僕も木刀を壁に立て掛け一休み。紙コップに麦茶を注ぎ、お盆に載せていく。


「はい。お疲れ様」


「あー! また楓お姉さまがお茶配ってる! そんなことしなくても私達が自分でしますって!」


「いいのいいの。僕は練習に参加してないし、疲れてないんだから」


 汗だくの彼女にお茶を渡す。「ありがとうございます!」と律儀に頭を下げる彼女は水洗寺すいせんじさんと言って、僕のことを慕って先月入部してくれた子だ。


 今の剣道部の部員は奈菜さんを入れて16人。廃部ラインの5人を大きく上回っていた。先月に一年生が10人も入部したからだ。要因はさだかじゃないけど、奈菜さんは「新入生歓迎会のおかげね」と笑っていた。新入生歓迎会とは、一年生が三年生をパートナーとしてダンスをする、新入生と在校生との親睦を深めるためのパーティだ。三年生である僕も、もちろん慣れないドレスを着て参加していたけど、特に何かあったわけでもないような……。


 しかし今思い出しただけでも顔が熱くなってくる。あの時の格好は恥ずかしかった。おじさんからの贈り物のドレスは、胸元から肩がむきだしのチューブトップで、ウェストのあたりに大きな黒のリボンが結ばれた真っ白なシフォンワンピースだった。ふんわりとしたデザインが可愛らしいと、おばさんにも遥さん達にも好評だったけれど、当の本人は違和感しかなくてずっと挙動不審だった。ちなみにあとで遥さんに小動物みたいだったとからかわれた。


「お姉さま。今日の私はどうでしたか?」


「うーん。いいとは思うんだけど、やっぱり面の時の振りが大きいから、もう少しコンパクトにした方が良いと思う」


「そうですか。これでも気をつけてはいるんですけど……」


 水洗寺さんが苦笑する。面に打ち込む際に大きく振りかぶってしまうのは彼女のクセらしく、入部以来あまり変化はない。それでも初等部の頃から剣道をしていたというだけあって、一年生の中では誰よりも上手だ。事故からずっと防具をつけていない僕よりもきっと上手なはずなのに、彼女は決まってアドバイスを求めてくる。おかげで先輩として変なことは教えられないので、実技書を読んで勉強して知識ばかりついてしまった。


「ところで、そろそろ僕のことはお姉さまじゃなくて、奈菜さんみたいに先輩って呼んでくれないかな?」


「お姉さまはお姉さまです!」


 力強く拒否されてしまった。良い子なんだけど、ちょっと頑固なところが玉に瑕だ。


 部員みんなにお茶を配り終えた後、奈菜さんの隣に腰を下ろした。


「はい、お茶」


「いつもありがとう」


 眼鏡をしていない奈菜さんがお茶を受け取る。彼女は練習の時だけは眼鏡がズレるからとコンタクトを入れている。僕としては眼鏡がないほうがいいと思ったのでずっとコンタクトにしてはどうかと言ってみたけど、「眼鏡がないと落ち着かないの」と譲らなかった。


「楓、調子はどう?」


「うん。調子良いよ。足も思うように動かせるようになってきたし、そろそろ練習にも参加しようかなって思ってるところ」


「順調そうね。でも無理だけは禁物よ」


「分かってる」と頷くと、奈菜さんは嬉しそうに目を細めた後、視線を上げ、僕の髪に触れた。


「ほこりがついてたわ」


 小さな綿埃。さっき体育倉庫に入ったときについたのかもしれない。他にもまだついてないかと両手で髪に触れると、奈菜さんが「もう大丈夫よ」と笑った。


「奈菜先輩と楓先輩って、姉妹みたいですよね」


「うんうん。奈菜先輩がお姉さんで、楓先輩が妹」


「あたしも奈菜先輩みたいなお姉ちゃんがほしかったなあー」


 いつの間にか集まっていた一、二年生が口々に言う。奈菜さんと僕が姉妹。そんなこと初めて言われた気がする。でも僕が妹、か。うん、たしかに奈菜さんの方がしっかりしているから、そう見られても不思議ではないけど。うーん……。


「奈菜先輩みたいなお姉さんなら優しく叱ってくれそう」


「あら、あたしは案外身内にはきついこと言うわよ?」


「そうなんですか?」


 不思議そうに首を傾げる二年生の子に、奈菜さんがにやりとする。あ、遥さんによくする悪い顔だ。なるほど。身内に、っていうのは遥さんに対するそれなのか。だったらちょっときついかもしれない。


「ねえ、多恵子はどっちがお姉さんだったら良かった?」


「私は楓先輩がお姉さんだったら良かったと思います」


 胸がドキリとする。お姉さん。僕にとっては嬉しいような、悲しいような、ほろ苦い言葉だ。少し気分が沈む。けれど悟られないよう表情を作る。


「そう?」


 どういう理由で僕なんだろう。ちょっと気になる。奈菜さんみたいに優しく叱って欲しいとか? 結構しっかりしてそうな子なのに。


「はいっ。楓先輩がお姉さんだったら、毎日楽しくご奉仕できそうです!」


 ……はい?


 ◇◆◇◆


 部活では可愛い後輩ができ、クラスでは遥さん達以外の友達もできて、交友関係の広がった僕には、最近大いなる野望があった。


「楓ー。大浴場行かないか? 今日は草津の湯らしいぞ」


「いいよ僕は。遥、さん一人で行ってきて」


 お風呂セットを片手にした遥さんから逃げるように、寮部屋の脱衣所に飛び込んだ。すぐに鍵を閉めた脱衣所の扉がノックされる。


「一度くらいいいじゃないか。まだ楓は入ったことないだろ? ここの大浴場は広いぞ。なんと全面強化ガラス張りの疑似露天風呂もある」


「へ、へぇー。それは凄いね」


 強化ガラス。一体何から守っているんだろう。


「だろ? よし、じゃあ行くか」


「行かないって!」


 何故かここしばらくの間、毎日のように遥さんは僕を大浴場に誘うようになった。以前に「元男だからお風呂はさすがに無理」と断り、以来誘ってくることはなかったのに、どういう風の吹き回しだろう。


 桜花の寮の大浴場は定期的に現地の温泉からお湯を汲んでくるという、それどこのスーパー銭湯? と言いたくなるようなサービスがある。露天風呂があること自体驚きなのに、温泉まで調達ってちょっとスケールが違いすぎる。


「まったく、楓は頑固だなー。風呂ぐらいいいじゃないか」


「全然ぐらいじゃないよ! 周りみんな女の子なんだよ!? 裸なんだよ!?」


「そりゃまあ風呂だからな。全裸の男がいたら大問題だろ」


 いたら警察沙汰だ。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて。


「元男って言っても、もう3年も前のことなんだろ? ノーカンだって。それとも楓は女の裸を見て興奮したりするのか?」


「そ、そんなことはないけど……」


 自分の体を見られたせいか、それとも長く女の子としてやってきたからか、女の子の裸を見ても興奮することはない。ただただ他人の裸を見ることが恥ずかしいのだ。これは別に女の子に限ったことじゃなく、男の裸を見ても同様に恥ずかしい。なんか凄く損した気分だ。


「じゃあ行くか!」


「行かない! 僕は部屋で済ませるから、遥……さんは奈菜さんか沙枝さんでも誘って行ってきてよ」


「アタシは楓と一緒に入りたいんだよ!」


「気持ちは嬉しいけど無理なものは無理!」


 その後もしばらく問答が続き、やっと諦めてくれた遥が「今度の登別の時は絶対連れて行くからな!」と捨て台詞を残して部屋を出て行った。


 体育の着替えやトイレでさえ身を削るような思いをして入っているのに、大浴場なんて行ったら体がもたない。温泉には惹かれるけど、お風呂はさすがに入れない。桜花に修学旅行なるものがなくて良かった。あったらホント困ってた。


 制服、下着を脱ぎ、浴室へ。体と髪を洗い、長い髪をバレッタでとめてアップにする。あらかじめお湯を張っていた湯船に体を沈めると、じんわりと染み入る暖かさに、思わずほっとため息が漏れた。遥さんからプレゼントされたローズマリーの入浴剤を入れたお湯は薄い赤色に染まり、両手で掬って鼻に近づけると良い香りがした。


 手足をんっと伸ばし、力を抜く。後輩の誰よりも小柄な体。ただ胸だけはみんなと同じくらい順調に成長している。両手を当てるとそこにはたしかに柔らかな膨らみがある。胸なんかよりも身長が伸びて欲しかった。去年一年なんて0.5センチしか伸びなかったし……。


 ぽんぽんと頭のてっぺんを触る。今計れば、髪をアップにしている分、身長高くなるかも。などと考えた自分が悲しくなって、ふっと苦笑が漏れた。


 ここに来たときから置いてある黄色いアヒルのおもちゃにお湯をかける。遥さんの物なんだろうけど、遥さんの趣味とはほど遠いおもちゃ。実際遥さんはこれで遊んでいるわけじゃなさそうだし、むしろ僕がこれで遊んでいる。主に愚痴を言う話し相手として。


「はあ。今日も駄目だった」


 水面をゆらゆらと移動するアヒル。こっちにお尻を向けたので、手のひらに乗せてこっちを向かせる。


「今日こそはって思ってたんだけどね」


 話しかけてもアヒルは反応しない。それでもこんな愚痴、このアヒル以外に言えるものじゃなかった。


「ただそう呼べばいいだけなのにね。遥さんも奈菜さんも沙枝さんも、絶対許してくれる。ううん。むしろ喜んでくれるかも」


 アヒルを戻し、膝を抱える。留め方が悪かったのか、バレッタが外れ水面に黒髪が広がる。奈菜さんに見られたら怒られそうだ。


 遥さんを『そう呼ぶ』と心に決めてから明日で一週間。期日である一週間目。無理だった場合、それからもずっと今まで通りに呼び続けると決めてまで僕を追い込んだのに、いまだ成功していない。


「明日。明日こそ。明日こそ絶対に頑張ろう」


 首筋に張り付いた髪の毛が少し気持ち悪くて、首までお湯に沈める。装飾が施された照明を見上げて、ポツリと呟く。


「明日こそ呼ぶんだ。遥、って……」

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