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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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外伝6-7 いつもとは違う朝(バレンタイン2)

 翌朝。枕の下に忍ばせた携帯電話で奇跡的に目を覚ました。遥さんに気付かれないようにと、振動機能だけで目覚ましをセットしていたので不安だったけど、なんとかなって良かった。小学校の頃の遠足前日みたいに気分が高揚しているせいかな。


 こっそりと布団を抜け出してベッドから足を下ろす。ぼんやりする頭を軽く振って、ぐっと床を踏みしめてみる。が、思うように力が入らない。ちょっときつい……かな。滑り落ちるようにして床にペタンとお尻をつけ、ベッドの下に手を伸ばす。引っ張り出した松葉杖を支えに、ようやく立ち上がる。朝は体に力が入りにくいので、まだこうして時々朝だけは松葉杖にご厄介になっているのだ。


 遥さんは僅かないびきを伴って気持ちよさそうに眠っていた。枕周辺に置かれたいくつもの目覚まし時計はまだまだ鳴る様子はない。


『目覚まし買うなんてもったいない! アタシが起こしてあげるから買わなくていいって』


 生粋のお嬢様である遥からもったいないなんて言葉をあの時初めて聞いた。でも、もったいないというのなら、このいくつもある目覚ましこそもったいないんじゃないかなと思う。遥さんが言うには、『これぐらいないと起きられないからもったいなくはない、必要だ』らしいけど、そうまでして起きるぐらいなら、その中から一つ僕が貰って、僕が遥さんを起こした方が目覚めはいいんじゃないかなと提案したら、何故か断固として拒否された。理由は教えてくれなかった。


 目覚ましで時刻を確認。けたたましく鳴り始めるまであと1時間。それまでに戻ってこないと。


「起きませんように……」


 たぶんそんなことはないだろうけど、一応小さな声でお願いする。寝癖だけ簡単に直して、丈の短いガウンを羽織り、部屋を出た。


 明かりのついていない廊下。しかし各部屋の小窓から溢れる光が足元を照らしていたから、歩くのに支障はなかった。漏れ聞こえる楽しそうな声を耳にして、ああそうか、みんなも同じなんだと感慨にひたる。


 桜花の寮は冷暖房完備。24時間空調が行き届いているので、朝早くても部屋も廊下も暖かい。ただし僕は人より寒がりだから、廊下に出るときはパジャマの上にもう一枚着ないといけない。ちなみに部屋の中では遥さんに協力してもらって設定温度を上げている。


 カツンカツンと松葉杖の音を響かせながら奈菜さんの部屋を目指す。だけど暗いせいか、いつもとは違う廊下の様子に、どこが奈菜さんの部屋か分からなくなってしまった。色鮮やかな生け花を前に、T字の中央で立ち往生。右、左と見て、うーんと首を捻る。たしか右の壁に雲海の絵画があった近くの部屋のはずなのに、それがない。記憶違いかな。


「ああ、こんなところにいたのね」


 後ろからの声に振り返ると、グレーのパジャマを着た奈菜さんが立っていた。どうしてこんなところに? 考えが顔に出ていたのだろう。奈菜さんはふっと笑った。


「迎えに来たのよ。時間を過ぎても来ないから、もしかして道に迷ってるんじゃないかと思って」


「ま、迷ってないよ。ちょっとど忘れして、右か左か困ってただけで――」


「あたしの部屋、手前を右よ?」


「……あれ?」


 元来た廊下を目で追う。視界の奧。僕が左に曲がった突き当たりを右に行ったところの右壁に小さく絵画のような物が見えた。


「号室を覚えていれば、迷わずに済んだと思うのだけれどね」


「号室なら覚えてるよ。二一八号室」


「じゃあどうして迷うのよ。案内板がちゃんとあるのに……」


「あ、あはは……」


 奈菜さんが頭に手を当ててため息をついた。案内板があることをすっかり忘れていた。壁の要所要所に貼られているんだった。


「まったく。立ち振る舞いはそこそこ良くはなったけど、相変わらず言葉遣いはそのままなのに、加えて方向音痴も直さないといけないだなんて」


 大変だ。奈菜さんのお小言が始まった。


「な、奈菜さん。今は時間もないんだし、部屋に行かない? 早くチョコを仕上げないと」


「そういえばそうだったわね。この話はまた明日にして、急ぎましょうか」


 明日またするんだ……。がっくりと肩を落として奈菜さんを追った。


 やっとのことでたどり着いた奈菜さんと理香さんの部屋。理香さんのベッドはもぬけの殻で、奈菜さんにそれを尋ねると「あなたと同じで、今頃友達の部屋でチョコを作ってるわよ」とのこと。みんな張り切ってるんだなあ。


 冷蔵庫から取り出した生チョコは昨日と違い、型の中で分厚い板チョコになっていた。そっと取り出し、まな板の上で3センチくらいにカットしてココアパウダーをまぶす。出来上がった生チョコをあらかじめ用意してあった箱に形が崩れないよう注意して詰めていく。それをチョコレート色の包装紙で三角に包み、てっぺんに同じ色のリボンを結ぶ。これで完成だ。


「どうかな?」


「上出来よ」


 両の手の平に乗せたチョコを覗き込むようにして見て、奈菜さんが深く頷いた。良かった。僕は満足のいく出来映えにほっとして、奈菜さんにチョコを差し出した。


「奈菜さん、手伝ってくれてありがとう。それと、いつもありがとう」


 奈菜さんが目をぱちくりする。


「これ、あたしに?」


「うん」


 奈菜さんの手を取って、そこにチョコを置く。彼女は呆然と手のひらのチョコを見つめ、しばらくしてから視線を僕に移した。


「あ、ありがとう。貰えるとは思わなかったから、とても嬉しいわ」


「あげないはずないよ。奈菜さんにだって僕はいつも助けて貰ってるんだから」


 ニコリと意識して微笑む。ビクリと奈菜さんの肩が揺れた。


「……あたし、ノーマルよね?」


 頬に手を当て、視線をそらし呟く奈菜さん。ノーマルってなんだろう? 様子を覗っていると、何でもないと手を振られたので気にしないことにした。まだ遥さんと沙枝さんの分をラッピングしていないから、それを済ませないといけないのだ。


 沙枝さんの分は奈菜さんと同じ包装紙とリボンでで、遥さんのは……同じ包装紙だけど、リボンはピンク色で一回り大きいものを結んだ。ちょっとだけ特別。


「遥さん、喜んでくれるかな」


 出来上がったチョコを前にして期待を口にする。


「泣いて喜ぶんじゃないかしら」


 奈菜さんがクスッと笑う。遥さんが泣いているところなんて見たことないから、それは比喩的に言ったのだろう。それでも、泣くほどに喜んでくれたらとても嬉しいと思う。


「いつ渡そうかな」


「学校はやめておいた方がいいわ。あなたも遥も忙しいだろうから。渡すなら寮へ帰ってきてからね」


「忙しい?」


 遥さんはなんとなく想像できる。あの人気だ。きっと何人もの女の子からチョコを貰うのだろう。生徒会長である奈菜さんも同様に。でも、僕も?


「もう自分が千桜祭で何位だったか忘れたのかしら……?」


「奈菜さん何か言った?」


「いいえ、なにも。もう少しすれば分かるわよ」


 そう言って奈菜さんは曖昧に答えて微笑んだ。どことなく引きつって見えたのは気のせいかな。


 ◇◆◇◆


「楓。朝だぞ」


「ううん……」


 いつものように、今起きたようなフリをして目を開ける。寝たふりをしていて気付いたのだけど、遥さんはかなり無理をして朝一人で起きているみたいだった。いくつもの目覚ましが鳴り響くなか、忌々しげに唸り声を上げて体を起こし、親のかたきのように目覚ましのボタンを叩き押していた。……なんで僕は毎朝これだけの物音がしているのに起きないんだろう。


 その後僕のベッドの端に腰を下ろし、数十秒……いや、数分そのままだった。さすがにばれないよう目を閉じていたので何をしていたのか分からないけど、たぶん僕の顔をじっと見つめてたんだと思う。僕の体調管理でもしてるのかもしれない。


「おはよう、楓」


「おはよう、遥さん」


 いつものように、頭を撫でられていた。心地良い感触に目を細める。このままずっと撫でられていたいのだけどそうもいかず、起き上がり、制服に着替える。


「ほら、ブラと制服。今日は緑の水玉だよな?」


「う、うん。ありがと」


 朝は普通に歩けないので、遥さんに手伝ってもらっている。僕は自分でなんとかすると言ったんだけど、譲ってくれなかったのだ。


 パジャマを脱ぎ、パンツとお揃いのブラを付ける。ブラは夏休みの間おじさんの家にいた頃、おばさんに大量にプレゼントされたものだ。曰く「中学生ならブラを付けないといけないわ」とのことらしい。よく分からないけど、胸の大きさ的にも付けるべきなのだとか。


 ブラを付けるなんて、元男としてはかなり恥ずかしく、着け心地も良いとは言えないけど、おばさんからのプレゼントだし、なによりブラをすると胸の痛みがなくなって安心できるから、今では毎日付けるようにしている。付けないと遥が煩いし……。


 ストラップを肩にかけ、前屈みになって胸をカップで覆い、ホックを留める。軽く締め付けられるような感覚に違和感を覚える。夜に外したらストラップのところが痣になるし、不便に思う。仕方のないことなんだろうけど。


「楓は肌が白くて綺麗だから、服なんかで着飾らなくてもいいくらいだな」


「それってどういう意味? あと、じろじろ見られるのは恥ずかしいんだけど……」


 制服で体を隠しながら、遥さんをじろりと睨む。


「毎日見てるのにまだ恥ずかしいのか? アタシは楓に見られても恥ずかしくないぞ」


「他の人よりはマシだけど……うぅ」


 僕と同じ下着姿の遥があっけらかんと言う。身長もそうだけど、中学生とは思えない胸の大きさだ。


 そそくさとワンピースタイプの制服を頭から被り、背中のファスナーを締める。遥に髪を梳いて貰っている間に靴下を履き、鞄に教科書を詰め、冬服用のジャケットを着た。


 僕が準備出来る頃には遥さんも準備万端。僕の用意を手伝っているはずなのに不思議だ。


 遥さんにあげるチョコは冷蔵庫の中。奈菜さんと話したとおり、帰ってきたら渡すつもりだ。だから鞄の中には沙枝さんの分のチョコだけ入っている。


 松葉杖をベッドの下に戻し、通学用のコートを腕にかける。耳当てとマフラー、手袋も忘れずに。


「今日も重装備だな」


「寒いのは苦手なんだよ」


「ははは。耳当てをした楓もかわいいから、アタシはいいんだけどな」


 ぽんぽんと遥さんが頭を軽く叩く。


「よし、んじゃ食堂に行くか」


「うん」


 遥さんと並んで廊下を歩く。さて、今日はどんな一日になるだろう。

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