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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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外伝6-6 明日は何の日?(バレンタイン1)

 桜花に入学して10ヶ月。新しい年が始まって一ヶ月が経った2月。いつもは静かな校舎がざわめいていた。


「どうしたの、楓?」


 休み時間。ぼーっと廊下を見ていた僕に奈菜さんが話しかけてきた。彼女が近くに来ると、前の席に座っていた女の子が立ち上がり、奈菜さんに席を譲った。「ありがとう」と微笑む奈菜さんに女の子は緊張気味に、しかし何処か嬉しそうに素早く会釈して教室を出て行ってしまった。


「うーん。いまだにここのシステムに慣れない……」


「システム? ああ、さっきの子? まあそうよね。あたし達はこれが普通だから何も変とは思わないけど」


 彼女が奈菜さんに席を譲ったのは、彼女が奈菜さんよりも序列が下だから。彼女の両親は国家公務員を務めている。単純に双方の両親の立場だけを見れば奈菜さんの両親も公務員なのだから同じなのだけど、奈菜さんは遥さんの親友。その遥さんは財閥の一人娘。遥さんという友人を持つ奈菜さんは、彼女よりもかなり上の序列に位置することになっている。交友関係をも含めた暗黙の序列付け、この学校にはそんな慣習が存在するのだ。二学期に生徒会長に選ばれてからは、さらに奈菜さんの序列が上がった気がする。


「こればかりは慣れるしかないわね」


 奈菜さんが肩を竦めて苦笑する。一応それが普通とはかけ離れているという自覚はあるらしい。きっと僕は卒業するまで慣れることはないんだろうなと、小さくため息をつく。


「それで、廊下をじっと見ていたようだけど、どうしたのかしら?」


「ん? んっと、やけに今日は騒がしいなと思って」


 奈菜さんが僕の視線の先を追う。廊下を見やり、「ああ」と呟いた。


「騒がしくもなるでしょ。明日は何の日だか知ってる?」


 何の日? 明日は2月14日。特に何もなかったような……。首を捻っていると、奈菜さんが苦笑して後ろを指差した。


「……そっか」


 カレンダーを見てようやく気付いた。14日に書き込まれた赤い花丸。その下には大きな文字で――


「明日はバレンタインだ」


 ◇◆◇◆


 授業が終わり、寮へと帰ってきた僕は下校中に立ち寄った購買で購入した材料を持って奈菜さんの部屋のドアを叩いた。


「あら、楓じゃない。どうしたの?」


「帰ってきてすぐにごめんね。あ、あの……」


 やや熱くなった顔を俯かせて、出てきた奈菜さんを見上げる。怪訝な顔をしていた彼女の表情が少しだけ苦しそうになる。


「相変わらず、それの破壊力は凄まじいわね……」


「それ?」


 何のことか分からず首を傾げる。奈菜さんはゆっくりと目を閉じて、僕の頭を優しく撫でた。


「自覚ないのも困りものね……。それで何の用? まあ、その手に持った物を見れば察しはつくけれど」


「あははは……。え、えっと、今理香(りか)さんはいる?」


 理香さんとは2年3組に在籍する奈菜さんのルームメイトだ。いつもは奈菜さんが僕達の部屋へ来るから、彼女とはあまり面識がなかったりする。


「いないわよ。別の部屋で友達と明日の準備でもしてるんじゃないかしら」


「そうなんだ……」


 ほっとして、すぐに気を引き締める。こんなこと頼めるのは奈菜さんしかいないし、他の人に見られるわけにもいかなかった。……だって恥ずかしいから。材料の入った袋をぎゅっと抱きしめる。


「奈菜さんは、今暇?」


 遠慮がちに聞くと、奈菜さんは何も言わず数歩下がり部屋へ招き入れた。


「回りくどいことはなし。いらっしゃい。一緒にチョコを作りましょ」


「い、いいの?」


「いいに決まってるじゃない。楓からの頼み、ましてやそのチョコをあげる相手が遥ともなればなおさらよ」


「な、なな、なんで僕が遥さんにチョコあげるって知ってるの!?」


 思わず声を上げて慌てて口を押さえる。キョロキョロと周りを見回し、誰もいないことに胸を撫で下ろす。奈菜さんはクスッと笑いながら僕を招き入れ、ドアを閉めた。


「楓がチョコをあげる人なんて、遥以外にいるのかしら?」


「うぅ……」


 笑いを含んだ言いように、僕はさらに顔を赤くする。


「エプロンは持ってきた?」


「うん」


 袋から淡い色の花柄がプリントされた、フリルやらレース満載のエプロンを取り出す。どこまでも少女趣味なデザインに気分が落ち込みそうになる。しかしクローゼットを漁ってもこれしか出て来なかったのだから仕方ない。間違いなくおじさんの趣味だ。


「それじゃ、さっそく始めましょうか」


 いそいそとエプロンを着けてキッチンに立つ。料理という物を生まれてからほとんどしたことがないから、こうしてキッチンに立つのも初めてで緊張してくる。


「楓はチョコを作るのは初めてよね。誰かにあげるのも……もちろん初めてよね?」


「う、うん」


 小学5年までは男で、それから女の子になって去年までずっとおじさんの家にいたんだ。女の子として、バレンタインをバレンタインとして迎えたのは今回が初めてと言っていい。だから、あげるのも作るのも初めてだ。


「でも突然どうしたの? 楓が遥にチョコだなんて、しかも手作り」


 台所に広げられた材料を見て奈菜さんが言う。図書室で読んだ料理の本通りに買いそろえた板チョコや飾り付け用の生クリームなどが並ぶ。


「……遥さんには言わないでよ?」


「ええ」


 奈菜さんが頷く。


「僕って遥さんに助けられてばかりでしょ? あ、もちろん奈菜さんや沙枝さんにも助けて貰ってるんだけど、遥さんはルームメイトだし、いつも一緒にいてくれるから」


 朝起きたら枕元にいてくれて「おはよう」と、髪を梳いて貰って、一緒に朝ご飯を食べる。登下校も一緒で、休み時間にはよく僕の所に来てくれる。夜は取り留めのない話をして、「おやすみ」と言って眠りにつく。僕の毎日は遥さんと共にあると言って良いくらいに、お世話になりっぱなしだ。


「なのに、僕はあまりありがとうって言えなくて、だからせめてこういう機会に手作りのチョコを渡してきちんとありがとうって、気持ちを伝えられたらいいなって思ったんだ」


 明日がバレンタインだと知ってすぐ、遥さんにチョコを渡そうと思った。日頃の感謝を伝える。普段じゃできないから、イベントを使って、ちゃんと形にして、気持ちを伝えたかった。


「そんなに遥のことを思ってくれて、幼馴染みとして、とても嬉しいわ。でもね、遥に気を遣う必要なんてないわ。大丈夫。ちゃんとあなたの気持ちは届いてるから。結構鋭いのよ?」


 本人の前で褒めることはあまりないけど、僕の前では包み隠さず話してくれる。そういう時の奈菜さんはとても優しい笑みをする。


「そうかな。そうだったら嬉しいな」


「ええ。だから気負わずに、ね」


 奈菜さんからボールを受け取る。綺麗なガラス製のボール。よく見ると食器や調理器具の多くがガラス製だ。奈菜さんはガラス製品が好きなのかな。


「それに細かく刻んだチョコを入れてね。あたしはクリームを作るわ」


「うん」


 そうして奈菜さん監修の元、チョコ作りを始めた。作るのは口の中でとろける食感が楽しい生チョコだ。これなら安っぽくないし、遥さんに渡しても恥ずかしくないだろう。


 まな板の上にチョコレートを並べ、細かく刻む。その間、隣の奈菜さんはお鍋に生クリームとアールグレイの葉を入れ火にかける。リズミカルとはとても言い難い包丁さばきでチョコレートをそれなりに刻んだところで、奈菜さんが温めたクリームをこしながら注ぎ入れた。それにバターを入れ、さらに混ぜる。……が、チョコレートを刻むのも混ぜるのも力仕事で、すぐに腕がパンパンなってしまった。ぜえぜえと荒い息をついていると、「あとはあたしがやるわ」と奈菜さんが交代してくれた。最後まで自分が、と言いたいところでも、手がフルフルと震えてしまっていて、見るからに限界だった。ちょっと気落ちして「ごめん」と謝ると、奈菜さんは何でもないと笑顔で首を振った。


 それから一時間とかからずに生チョコの生地は出来上がった。あとはこれを型に入れて冷蔵庫で5~6時間冷やし固めたものを程良い大きさにカットしてココアパウダーを振りかければ完成だ。自分の部屋で冷やすと遥さんにバレてしまうので、奈菜さんの部屋の冷蔵庫で冷やして貰うことにする。


 明日の朝、もう一度奈菜さんに部屋に集まることを約束して、その日は自室に戻った。やたらソワソワしている遥さんを見て、やっぱり遥さんでもバレンタインはドキドキするものなのかなと、いつもと違う彼女に微笑ましく思ったけど、チラチラとこちらばかり見てくるのはちょっと困った。

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