外伝6-5 生徒会長
運転手さんに荷物を預け、クルリと振り返る。玄関先にはおじさんとおばさんが寄り添うように立っていて、僕のことを見つめていた。
「楓ちゃん、向こうでも元気にやるんだよ……」
おじさんの目には涙が浮かんでいた。僕との別れを惜しむように、眉をハの字に、カメラを持った両手を僅かに震わせ、体全体で悲しみを表わしていた。それだけ僕のことを本当の子供のように大事に思ってくれているんだろうけど、オーバーリアクション過ぎて苦笑が漏れてしまった。
「あなた、しっかりしなさい。楓ちゃんが困ってるわよ」
おばさんも僕同様、おじさんの酷い悲しみように呆れていた。僕と目が合うと小さく肩を竦めて見せた。
「し、しかしだな、昨日までずっといた楓ちゃんが、今日からいなくなってしまうんだぞ? 悲しくなくてなんだと言うんだ」
「一ヶ月前まではそうだったじゃない」
「一度贅沢を知った者は生活水準をなかなか下げられないように、一度楓ちゃんのいる生活を知ってしまったおじさんは、もう楓ちゃんなしの生活なんて想像できないんだよ」
「まったく大袈裟ね」
こういうとき、僕はなんて答えたら良いんだろう。微妙な顔をして二人の様子を覗っていたら、ふいに眩い光に包まれた。
「とにかく、今この瞬間の思い出も残していかないとな」
カメラを構えたおじさんが再びフラッシュを焚く。長い望遠鏡のような物が僕を捉える。
「楓ちゃん。ほら、笑って笑って」
この状況で素直に笑えたら、その人はモデルか俳優になれると思う。当然僕にはできなくて、ただただ頬を引きつらせた。
「次は楓ちゃんの隣におばさんも。そうそう、いい感じだ。原田さん、三人で撮りたいから、撮るのを代わってくれないか?」
最後には運転手さんにも手伝って貰って、三人で一枚。幾分慣れたので、三人の写真はそこそこいい表情ができたと思う。
その後、おじさんおばさんと言葉を交わし、「いってきます」と挨拶して、車の後部座席に乗り込んだ。
「毎日電話するからな」
「娘に親が迷惑をかけてどうするの。やめなさい。楓ちゃん、面倒だけど楓ちゃんの時間が空いているときに電話をかけて貰えるかしら? 三日に一度くらいで良いから」
「うん。分かった」
三日に一度も結構な頻度じゃないかな。心の中で呟き、次は何曜日になるだろうと頭を巡らせる。
お風呂に入った後なら、時間もちょうどいいかな。
「体には気をつけなさい」
「おじさんとおばさんも元気でね」
別れ際の常套句。なのに何故かおばさんまで涙ぐんでしまった。変だったかなとアタフタする僕に、おばさんは「何でもないわ」と微笑み、涙を拭った。
八月三十一日。長いようで短い、今までとは随分違う僕の夏休みは、おじさんとおばさんとの距離をぐっと縮めてくれた。五ヶ月前には到底考えられなかったこと。これも遥さんや奈菜さん、沙枝さんのおかげだ。
動き出した車の中で後ろを向き、遠く離れていくおじさんおばさんに手を振り返す。見えなくなると名残惜しくも前を見て座り直した
別れは僕も寂しい。だけどそれ以上に桜花の寮に戻れることが嬉しかった。何故ならまた遥さんと毎日会えるのだから。
さあ、明日からは二学期だ。
◇◆◇◆
それは10月も半ばを過ぎた頃の話。
「なんであたしなのかしらね」
木製の大きな机に頬杖をついた奈菜さんがため息をついた。その彼女を正面から見つめる僕は何と返事していいか分からず曖昧な表情を浮かべ、遥さんと沙枝さんは隠すこともなく大笑いしていた。
「あははははっ! 奈菜、その机似合っとるで!」
「奈菜も案外人気あったんだ。ぶふっ!」
ぶふって。一応桜花の文化祭、千桜祭の目玉である生徒会選挙で見事一位を取った千年姫の笑い方じゃない。二位で百年姫となった沙枝さんもバンバンと机を叩かないで欲しい。みんなが今の二人を見たらどう思うのかな。
千年祭を終えて一週間が経った放課後。遥さんの「生徒会長の席に座った奈菜を写真に収めたい」という言葉に僕と沙枝さんが同調し、乗り気じゃない奈菜さんを伴って生徒会室にやってきていた。
『千年もの長き月日に渡って繁栄しますように』とか何とか、そんな願いを込められて名付けられた桜花の文化祭。内容は入場者が桜花の関係者、しかも生徒から入場券を貰った人しか入れないことを除けば、一般の学校と変わらないのだけど、やはりそこは桜花ということで、お茶やお花といったお稽古事が主な出し物なあたり、少し毛色の違う文化祭となっていた。僕達二年一組の出し物も一般的とは言い難いダンス教室で、有名なダンスの先生を招き、僕達をパートナーとして踊って貰おうというものだった。桜花は初等部からダンスの授業があり、みんなそこそこ以上に踊ることができた。おかげで当日は普段あまりダンスに縁のない方から趣味として続けられている方まで、多くの人に来て頂き概ね好評だった。ちなみに僕はダンスに参加せず、受付を担当した。理由は『依岡さんのダンスも儚げで素敵よ? でも、どうしても依岡さんには受付を担当して貰いたいの!』と、ホームルームでクラスの実行委員長に名指しで頼まれてしまったからだ。転入生の僕はいまだダンスを上手く踊ることができなかったので当然の役割だと思い、快く引き受けたのだけど、何故だか頼んだ張本人がとても残念そうな顔をしてたのを覚えている。
その千桜祭において、最も人気のある催し物が毎年行われる生徒会選挙だ。奈菜さんは伝統ある生徒会選挙で、見事生徒会長に選ばれたのだ。
「まさか奈菜が八位とはね。アタシ達はともかく、ここまで来るとある程度まとまった票がないと無理なんじゃないか?」
「たぶん剣道部の子達が自分のクラスで票集めでもしたんやないか? 奈菜は先輩からも後輩からも慕われとったからなあ」
「……それもあるだろうけど、一番の原因はあなた達よ。間違いなく」
面白可笑しく話す遥さんと沙枝さんに対して、どんよりと顔を曇らせる奈菜さん。奈菜さんの気持ちが少しだけ分かり、同情する。
生徒会選挙には変なルールが存在する。まずこの生徒会選挙は立候補形式ではなく、全学年全生徒を対象とした自由投票となっている。必然的に姫である遥さんや沙枝さん、そして名立たる家系を持つ面々が上位を占めることになり、結果も一位、二位が遥さんと沙枝さん、三位から五位が二、三年生の有名な方々が名を連ねた。普通であれば、生徒会選挙という名目上、彼女達が役職に就くことになるはずなのだけど、何らかの理由により役職に就けない者、卒業を控えた三年生、そして慣例として、一位から五位までに選ばれた生徒は生徒会役員に選ばれないことになっている。その理由は日頃から注目され続ける遥さんや沙枝さんを見ていると納得できた。
このルールのもと選出されたのが、八位の奈菜さんだった。
「なんであたしなのよ……」
奈菜さんが頭を抱えてしまった。
「まあまあ。それだけ慕われているってことで、いいじゃないか」
「あたしは部活で忙しいのよ。生徒会長なんて……」
「この学校の生徒会はあってないようなもんやし、適当にやれば大して負担にはならんやろ?」
「あたしの性格的に無理なこと分かって言ってるでしょ、それ」
奈菜さんがギロリと鋭い目を向ける。沙枝さんは「ばれた?」と悪びれた様子もなく笑って答えた。
奈菜さん、荒れてるなあ。そんなことを思っていた時だった。
「本当なら楓がここに座るはずだったのに」
『――えっ?』
突然奈菜さんから思いもかけなかった言葉が紡がれた。三人共にきょとんとして、間抜けな声を漏らす。
生徒会選挙は五位までの順位と役職に選ばれた生徒の順位と名前しか発表されない。奈菜さんが八位で生徒会長だから、六、七位は三年生だと思っていたのに……。
「生徒会選挙は生徒会が取り仕切るもの。会長となったあたしはその資料を閲覧することが出来るの。楓、あなた六位よ。まだ転入して半年と短かったから役員に選ばれることはなかったけれど」
「……僕が六位?」
「さすが楓やな。私らとは違う本当の人気とこの短期間でそこまで駆け上がるとは」
「桜花の奴らも目は腐ってなかったってことか」
沙枝さんが動揺する僕の肩をポンと叩いて和やかな表情を浮かべた。遥は腕を組み、ウンウンと何度も深く頷いている。
「な、何かの間違いじゃ」
「誤字脱字等の無効票を省いた間違いのない結果よ。別におかしくはないでしょ? あたしも初め知ったときは驚いたけど、よくよく考えれば妥当な結果だったと思うわ」
その自信はどこから湧いてくるのだろう。遥さんも沙枝さんも頷かないでほしい。
「楓が注目されることを嫌がっているのは知っているわ。でも、それもいいんじゃないかしら? 注目されればされるほど、あなたも立ち振る舞いに気をつけなければならないのだから」
「立ち振る舞い?」
聞き返しつつ、そろそろ立っているのが疲れてきたので、手近にあった椅子を引き寄せて腰掛けた。それを見て奈菜さんが「それよ」と指差した。
「自由に歩けるようになってきたせいか、最近の楓はどうもがさつになったように見えるのよ。今も椅子にストンと座ったわよね? 脚も開いていたし、少しみっともなかったわよ」
「そ、そう? 次から気をつけるよ」
今も少し開いていた脚をこっそり合わせる。前と特に変わってはないはずなのにどうしてだろう。あ、そうか。杖を使っていたときはどうしても動きが緩慢だったから、丁寧に見えたのかもしれない。まあ、そんなに大したことでは――
「今のは大丈夫だったけれど、この前教室で座ったとき、下着が見えてたわよ」
……えっ。
「み、見えたの!?」
勢い良く立ち上がり、奈菜さんに詰め寄る。顔に熱を感じ、赤くなっていることを意識させられる。
立ち振る舞い云々はともかく、下着が見えてしまったことは問題だ。夏休み前までならまだ良かった。でも今は夏休みの間におばさんと、何故かおじさんから贈られた下着を着ていて、そのデザインが少々……いや、結構女の子女の子しているので人には見られたくないのだ。着け心地が凄く良く、前のは全て処分して手元にはない。だからそれを着るしかないのだけど。
「ええ。楓に良く似合った、可愛らしい下着が、ね」
「うぅ……」
顔から火が出そうだ。頬を押さえる僕を見て奈菜さんが小さく笑う。
「恥ずかしいでしょ? そうならないためにも、今度からは気をつけることね。ああそうだわ、せっかくの機会だし、今日からあなたの立ち振る舞いと、ついでに言葉遣いを矯正しましょうか」
奈菜さんが名案だと言いたげに目を輝かせてポンと手を鳴らす。同意を求めるように視線を巡らせた。
「面白そうやな」
「面白いとか言うな。重要なことだ。奈菜、良いこと言った」
二人には概ね受け入れられたらしい。勝手に周りで話が進んでいく。立ち振る舞いはたしかに必要だと思う。僕も今じゃ心はともかく体は女の子で間違いないのだから、多少なりとも女の子らしい所作を学ぶべきだと思う。男と女では服の構造が違うし。例えばスカートとか。
しかし、言葉遣いは矯正するほどでもないと思うのは僕だけなのだろうか?
「あの、立ち振る舞いは、僕からもお願いしたいくらいなんだけど……言葉遣いは別にいいんじゃないかな?」
おずおずと申し出る。すると三人が一斉に僕を見て、首を横に振った。
『良くはない』
綺麗に声が重なった。
「楓の言葉遣いは、一言で言うと少年なのよね。それも人によっては良しとするのかもしれないけれど、あたしとしてはもっと女の子らしくなってほしいの」
「女の子らしくって、僕は元々男だし……」
遥に過去のことを調べられ、知られていることから隠すこともないと、三人を信じて二人にも僕の昔のことは話してあった。僕が元は男だったこと。そして僕の中には彼女がいることも。
「それでも今のあなたはれっきとした女の子なのでしょう? だったら女の子であることを努力しなくてどうするの」
「ジェンダーフリーだと声高々に言っても、結局は男と女は違う生物。違うのは当然のことだ。それに、この学校に在籍している以上はそういうことも受け入れないと行けないんじゃないか?」
お嬢様学校である桜花は存在自体が時代錯誤だ。しかしこういう学校が必要とされていることも事実。その学校に入ったのだから、郷に入れば郷に従え、ということだろう。
しかし、そうなると一つ納得いかないことがある。
「じゃあ遥さんはどうなの? 僕よりも男っぽい喋り方だと思うんだけど」
言っちゃいけないかなと思いつつも、我慢できずに言ってしまった。
「よくぞ言った。でも残念っ。遥は使い分けが出来てるんよ。大人の前に立ったときの遥は見物やで」
「沙枝、うっさい。余計なことを言うな」
遥さんにギロリと睨まれた沙枝さんがニシシと笑う。使い分けって……ああ、おじさんと携帯で電話した、あの時みたいな感じかな。遥さん、ずるい。
「いいかしら、楓?」
「……うん」
渋々同意する。というより同意しないと帰らせて貰えないと思った。三人とも笑ってはいるけど、目は真剣だったから。
「まっ、優しく教えるから安心しろ」
「あなたは楓に甘いから期待していないわ。沙枝、頑張りましょうね」
「二人で頑張ろうな」
「こいつら……」
遥さんをシッシッと手で払いながら、仰々しく沙枝さんと握手する奈菜さん。遥さんは機嫌悪そうに二人を睨み付けた。
「それじゃ手始めに、自分のことを僕じゃなくて、私って言ってみましょうか」
「い、いきなりそこから?」
初めから難易度が高すぎると思う。
そうしてこの日の放課後は生徒会室で雑談に花を咲かせた後、当初の予定通り会長の席に座り鋭い眼光を放つ奈菜さんを一枚写真に収めて寮へと帰った。




