外伝6-4 夏のある日
夏休みも中頃になったある日のこと。遥さん、奈菜さん、そして僕の三人は駅前の商店街へとやってきていた。
「外は暑そうね」
「暑そうじゃなくて、暑いだろ」
真夏の晴天下。気温は35度を余裕で越える猛暑日。窓の外に見える道路からは陽炎が立ち上っていた。道行く人は無慈悲に降り注ぐ光をその身に浴びて、吹き出る汗をハンカチでしきりに拭っている。地獄とも言える外の光景を眺めながら、ミルクティーに口を付ける。夏場に涼しいところで温かいミルクティーを飲むのは凄く贅沢だと思う。
一週間に一度は会おうという約束に従い、三人の時間が空いている日は出来る限り集まるようにしている。とは言え、特に何をするわけでもないので、大抵はこうして喫茶店に入り、雑談して過ごしていた。外で遊ぶのは暑い、そして僕が長く外にいられないことから却下だ、と遥さんは言った。体質的に汗をかきにくく、見た目には涼しく見える僕も、実際はこの夏の暑さは並みの人以上に堪えていた。それを遥さんは見抜いていた。
喫茶店の冷房は弱冷房というところで、お客さんの中には扇子を仰いでいる人もいるけど、僕には丁度良かった。邪魔にならない程度に流れるBGMと、配慮の行き届いた店員さん。お客さんもみんな静かに自分の時間を楽しんでいる。まさに快適空間。
しかし、
「ねえ、遥さん」
「なんだ?」
「今日はこれからどうするの?」
いくら居心地が良くても、ここにこうして一時間もずっと座っているとさすがに飽きてくる。何か変化がほしくなった。
「んー、そうだなあ……。アタシとしてはこのままここにいてもいいかなと思ってるんだけど。楓の顔と声を近くで見て、聞けたら、それでいいからさ」
「それは僕も同じだけど、さすがにそれだけで一日中ずっとというのは」
遥さん、そして奈菜さんとこうして話をしているだけでも
「……あんたたち、真顔でよくそんなこと言えるわね」
ブラックのコーヒーを眉間に皺を寄せることなく口にする奈菜さん。そんな大人の彼女に遥さんが首を傾げる。言葉の意図するところが分からないらしい。遥さんはこういうところが少し鈍感だ。もちろん僕は分かっている。つまり奈菜さんはこう言いたいのだ。
「喫茶店に長居するのはお店に悪いし、そろそろ出ない?」
僕達はお客だし、それなりに注文しているので、まだまだここにいても文句を言われることはないだろう。しかしそれにも限度がある。良識的に、そろそろお店を出る頃合いだと思う。
どうだと奈菜さんに視線を送る。でも何故か微妙な顔をされてしまった。あれ、間違ってる?
「あー、店のことなら気にすんなって。ここ、アタシの親が経営してる店だから。混まない限りは居座っても文句言われないよ」
「このお店、遥さんの両親がオーナーなの?」
驚いて遥さんを見ると、彼女はとある一点を指差した。お店の壁と天井の間際。そこに崩して読みづらくしてあったが、ローマ字で『minase』と書かれていた。もう何度もここには来ているのに、今初めて気付いた。恐るべし水無瀬財閥。喫茶店にまで手を出していたとは。
「ほんと手広いのね。毎度の事ながらあなたのご両親には驚かされるわ」
そう言うわりには驚いているようには見えない。文字通り毎度のことだから慣れてしまっているのかもしれない。
「喫茶店を経営することが母さんの夢だったんだと」
「素敵な夢ね」
「開店数ヶ月で本人は飽きて、今は英会話の教室開いてるけどな」
「……さすがあなたのお母さんね」
だろ? と遥さんが胸を張る。そこは褒めてるんじゃないと思う。
「で、楓もさっき言ってたけど、お店を出ない? ここに居続けるのは、ちょっと時間が勿体ない気がするわ」
言葉を選ぶように、奈菜さんがいつもより多めに区切って言う。
「勿体なくはないだろ。楓がいるんだぞ?」
女の子にしては少しだけ大きな手と腕が伸びてきて、僕を抱き寄せた。見上げると、頭をクシャリと撫でられた。
「あなたのその楓至上主義、なんとかならないの? あ、楓のことを悪く言っているわけじゃないのよ?」
分かってる、と奈菜さんに頷く。
「無理だな」
「即答ね。あ、店員さん。コーヒーのおかわりください」
しばらくは無理だと悟ったのか、奈菜さんは通りかかった店員に声をかけ、カップを目線まで掲げた。店員は立ち止まって振り返り、カップを受け取ると少々お待ち下さいと会釈して去って行った。
「でもまあ、楓がどこか行きたいって言うなら、ここを出るのもやぶさかじゃない」
「なんでそんなに上から目線なのよ」
「アタシの方が身長高いからな」
物理的なことを言ってるんじゃないと思う。
「行きたいところ……」
特にない、と返そうとして思い止まる。奈菜さんが眼光鋭く「ここから出たい」と訴えていた。眼鏡とその奧にある目を輝かせる彼女は少し怖かった。
僕も奈菜さんと同様のことを考えていたので、特にない、以外の答えがないか考えてみることにする。
商店街なのだから、ウィンドウショッピングがまず頭の中に浮かぶ。却下。こんな暑い中を歩いていられない。それにまた前のように遥さんに更衣室へ押し込められても困る。じゃあ映画とかは? 却下。この前集まったときに行ってしまった。それなら一度やってみたかったボウリングは? 即却下。ボウリングのボールは凄く重いらしいので、この暑さでバテて低下した体力では不安だ。プラネタリウム。却下。商店街からだと遠い。カラオケは? ……却下。人前で歌なんて歌ったことない。
「うーん……」
頬杖をついて店内、外と視線を巡らせる。何かきっかけになればと思うけど、そんな都合の良いものがあるはずもなく、いい案は浮かばない。
「ないのか? だったら――」
「ちょっと待って。今考えてるから」
「無理しなくて良いぞ。考えないと出てこないところなんて、別に行きたいところってわけでもないだろ」
「遥は黙ってなさい。今楓が必死に考えているんだから」
「奈菜の方が必死そうに見えるんだが……」
ペットショップ。いいかも。……やっぱりナシ。犬に吠えられるのは怖い。
「……え、なに。二人ともそんなにどこか行きたいのか?」
「ええ」「うん」
二人同時に頷く。同じ場所に座り続けるというのも結構疲労する。そろそろ体を動かしたい。
「楓が言うんじゃ仕方ないな。さて、どこへ行くか……」
「やけにあっさりね。あたしはどうなのよ」
「奈菜は別にどうでも」
「幼馴染みの扱いが雑すぎるわ」
「いつものことだろ」
そうねと奈菜さんがため息混じりに苦笑する。店員さんが持ってきたコーヒーを受け取り、また砂糖もミルクも入れずに口をつけた。
「うーん……」
「行くところが決まらないのなら、ゲームセンターでいいんじゃない?」
「ゲーセン? なんでまたそんなところに?」
奈菜さんからそんな提案があるとは思わなかったのだろう。遥さんが目を丸くしている。
桜花の生徒は、その大多数がゲームをしない。したとしてもカードゲームとかその程度。家庭によってはゲームは勉学に支障を来すとして禁止しているところも多いらしい。奈菜さんのところも禁止しているわけではないが、許可してもいなかった。それを彼女も理解していたので、遥さんがたまに誘っても全て断わっていたそうだ。
「別にゲーム自体には興味がないのよ。でもゲームセンターにはプリクラというものがあるらしいじゃない。あたし達って個々に写真を撮ったりすることはあっても、三人一緒に撮ったことはないでしょ? それで写真が撮れたらいいなと思ったのよ」
「おー。それはいいな。そうしよう。さあいこう!」
言うなり立ち上がった遥さんは伝票を掴み財布を取り出した。
「ちょっと待ちなさい。まだあたしコーヒーのおかわりが届いたばかり――」
「残すか一気に飲めばいいだろ。時間がないんだ。とっとと行くぞ」
「時間がないのは誰のせいよ」
奈菜さんがコーヒーを飲み干し、口元を紙ナプキンで拭って立ち上がる。そして振り返り、僕を見る。その横には遥さんもいる。
『さあ、行くぞ(わよ)』
二人が手を差し出す。それを握りしめてテーブルを離れる。
「ここのお金はあたしが持つわ」
「いーよいーよ。アタシが払っとく」
「あなたはゲームセンターの分よろしく。そっちの方がきっと高いから」
奈菜さんが遥さんの手からサッと伝票を奪い取ってレジへと向かった。その後ろ姿を睨み付ける遥さん。不意を突かれたとはいえ、伝票を奪い取られたことが悔しいらしい。
「プリクラで奈菜の目だけ有り得ないくらいでかくしてやる……」
でかく? その意味が分からず首を傾げる。
喫茶店を出ると外は暑かった。すぐにふつふつと汗を滲ませる二人とは違い、特に変化のない僕。
「楓、大丈夫か?」
「うん」
それなのに遥さんは心配してくれる。背中に手を回して、そっと体を支えてくれた。
「そんじゃ行くか。ゲーセンはすぐそこだ」
ニッと笑ってポンと背中を叩く。足を前に進めると、少し遅れて遥さんと奈菜さんがそれに続いた。
その後、遥さんのいうプリクラという撮影機で何枚か撮って、出てきたプリントシールを三人で分けた。半目の奈菜さんに笑ったり、背中から伸びた手に驚き、それが遥さんの手だと分かってほっと胸を撫で下ろしたりと、小さなシールに三人顔を寄せ合って一喜一憂した。
そうして今日も楽しい時間は過ぎていった。