外伝6-2 変化する日常
「楓、これも着てみろ。絶対似合うから!」
「まだ着るの!? もう疲れたよ……」
試着室の中に備え付けられた椅子に座り、大きく息を吐く。遥さんは鼻息荒くまた新たに持ってきたのは袖と裾がフレアなシルエットになった水色のシフォンブラウスにショートパンツ。ちなみに今着ているのは白のワンピースの上に丈の短いデニムシャツ。その前に着ていたのは花柄のシャツとフリルのスカートだったっけ。たぶん次で8着目。最近ようやく体力が付き始めたとはいえ、それでも普通の人よりはないのだから、もうへとへとだ。
学期末テストを終え、あとは夏休みを待つだけとなった日曜日。遥さんに誘われて近くの商店街へショッピングにやってきた。奈菜さんと沙枝さんは部活ということで、僕と遥さんの二人だけ。剣道部も柔道部も大会を控えているらしく、テスト期間中の休みを取り戻すのだと二人は息巻いてた。
「何をそんな甘えたこと言ってんだ。楓は自分に疎すぎる! そんなに可愛いのに、それを活かす服を持っていないのは非常に惜しい、惜しすぎる。だからこうして買い物にやってきたんだぞ。分かってるのか!?」
「は、はい。それは分かってるけど……」
もの凄い剣幕で思わず頷いてしまった。何が彼女をここまで駆り立てているのだろう。
ショッピングに行こうと言い出したのは遥さんだった。昨日クローゼットからパジャマを取り出していたとき、特に他意はなく、本当に何気なく中を覗いたのだろう。制服と僅かな外出着だけが並ぶ、スカスカのクローゼットを見た途端に遥さんが発狂。僕に一言断りを入れてからクローゼットを漁りだし、数分後振り返って、「明日は買い物に行くぞ」と重々しい口調で言ったのだ。
そしてこの有様だ。なんとなく僕の服を買いに来たことは分かっていた。ただ、これほどまでに女の子の買い物が疲れるものだとは思わなかった。着せ替え人形のようにこれを着たら次はそれ、それを着たら次はあれ、あれを着たら……と、永遠に続くとも思われるサイクルに囚われてしまった。女の子は大変だ。
「ほら、次はこれだ」
突き出すようにして渡された服を胸に抱え、試着室のドアを閉める。ドアの外では早くも次の服を探しに行ったのだろうか。遥さんらしき足音が遠ざかっていく。まだ続くことを知ってげんなりする。
「……僕のことを思って、だもんね」
自分に言い聞かせて立ち上がる。ここ最近の頑張りで杖がなくても立ち上がれるようになったことを実感しつつ、立ち上がっても両手がフリーなことに軽い感動を覚える。またこうして歩けるようになったのも遥さんのおかげ。そう考えれば、これくらいはどうってことないと思えた。疲れることに変わりはないけど。
「よし、もう少しだけ頑張ろう」
むんっと気合を入れてから服を脱ぐ。そうして、遥さんが持ってきたショートパンツに手を伸ばした。
◇◆◇◆
結局あれからまだ数え切れないほどの試着を繰り返し、疲れ切った僕を椅子に座らせたままレジへと向かった遥さんは、試着した全てを買うと宣言して、店員さんをびっくりさせた。それはそうだ。いくら見た目が大人びているとは言え、誰が見ても遥さんが成人しているようには見えない。そんな子供が数十万はするであろう服の山とともに黒いクレジットカードを出したのだ。驚愕するのも無理はない。しかし、クレジットカードを裏返すと納得したようで、その後はスムーズに会計を済ませ、お店を出るときは従業員総出でボク達を見送った。
ディスカウントショップから有名ブランド店まで。様々な趣向の洋服店が並ぶこの商店街は桜花の近くにある。桜花の生徒はここをよく利用するらしく、名前を告げればその場でお金を払うことなくツケで購入できるぐらいに桜花の生徒は特別扱いされていた。なるほど。たしかにこれだけ購入するのであれば、お得意様として覚えられていて当然だ。むしろ知らない方がおかしいくらいなのかもしれない。さっき遥さんを応対した店員さん。影でこっそり店長っぽい人に怒られていたし。
しかし、凄い金額を使ってしまった。おじさんになんて言おう。とにかく、すぐ言うべきだよね。
近くのベンチに座り、携帯を取りだしておじさんに電話する。おじさんは僅か1コールで出た。待ち構えていたのだろうか。
『やあ、楓ちゃん。おじさんですよー』
……おじさんってこんなに軽い感じの人だっけ。この前学校へ通い出してから初めて家に帰ったのだけど、あの時からどうも変だ。帰宅した当初は病院の院長とその妻然とした、僕が良く知る二人だったのに、友達が出来たと報告するや否や、おじさん達のテンションは急上昇。根掘り葉掘り学校と寮での生活を聞かれ、話が進む毎におじさんのテンションは上がり続け、おばさんに至っては号泣するというなんとも混沌とした様相を呈した。その日以降、おじさん達はことある毎に携帯へ電話をかけてくるようになり、「次はいつ帰ってくるの?」とか「ほしいものはない?」とか、まるで本当の我が子のように、いや、過保護が過ぎる親馬鹿のように、僕を可愛がるようになった。もしかしたら、元々おじさん達はこういう性格だったのかもしれない、と最近では思うようになってきた。
「あの、おじさん。今商店街に友達と買い物に来てるんだけど」
『買い物……だと……。おじさんも行きたかった……』
絞り出すような声。たぶん本気だ。本気で悔しがっている。乾いた笑いしか返せない。おじさんが落ち着いたところで、話を続ける。
「服をたくさん買っちゃったんだけど」
『ほお、楓ちゃんが服を。一体どんな服を買ったんだい? いや、言わずとも良い。そういうのは楽しみに取っておくものだ。それに楓ちゃんが着ればどんな服もきっと似合うだろう。似合わなかった時は服の方が悪いのだ。おぉそうだ。服と言えば、おじさんも楓ちゃんに似合いそうな服をいくつか買ってあるのだ。今度帰ってきたときにでも着てみてほしい。それを着て写真をたくさん撮ろうじゃないか。夏休みは帰ってくるんだろう?』
「う、うん。そのつもり」
答えた瞬間、電話の向こうから奇声が上がった。おじさんは家にいたようで、遠くから「良かったわね~」とおばさんの声も聞こえた。良かったじゃなくておじさんを止めてほしい。
『はあ、はあ……。すまん。少々舞い上がってしまった。それで、用事はなんだい?』
少々どころじゃない。と言いたかったけど言葉を飲み込んで、ようやく用件を伝える。
「服を凄く一杯買っちゃったんだ。友達が立て替えてくれたんだけど、その……」
金額が金額なだけに言い淀む。しかし、
『なるほど。分かった。して、いくらだい? 100万で足りるかね?』
聞き間違いかと思った。たかだか中学生の買い物にポンと出す金額じゃないはずだ。聞き直そうとしたとき、遥さんにポンと肩を叩かれた。
「代わってくれ」
「え、でも」
「いいからいいから」
口調はやんわりと、その手は力強く僕から携帯を奪い取ると、遥さんは躊躇することなくおじさんと話し始めた。
「はじめまして。水無瀬遥と申します。いつも楓さんとは仲良くさせて頂いてます。……はい。おそらくですが、それで間違いないかと思います。……いいえ、私の方こそ楓さんにはいつも助けて頂いてます。……はい。こちらこそよろしくお願い致します。それで、今回の件ですが、全て私個人の独断、わがままでやったことですので、支払いは全て私が……。はい。はい、そうです。水無瀬聡一郎は私の父です。父とお知り合いでしたか。はい。分かりました。よろしくと伝えておきます。……はい。はい。そうして頂けると父も喜びます」
……えっと、これは誰? 僕の知っている遥さんじゃないんだけど。いつもと表情、口調の違う遥さんは別人に見えた。
電話を終えた遥さんが携帯を僕に返し、頭をグシャグシャと乱暴に撫でた。
「まったく。突然電話をはじめたと思ったら、水くさい。お金の心配なんてしなくていいっての」
「だ、だって全部僕のだし」
「アタシが勝手にやったことだからアタシ持ちでいいんだよ」
「でも」
「ストップ! でももいらない」
そうは言われても、ここまでしてもらっては遥さんにお世話になりっぱなしで申し訳ない。それが顔に出ていたのか、遥さんに額をペシッと叩かれた。
「楓が気にすることは何もないんだよ。おじさんとも話はついたしさ」
「……分かった」
渋々そう答えると、遥さんは歯を見せて笑い、「よしっ」と頷いた。
「ほら、行くぞ」
遥さんが手を差し出す。その手を取り、立ち上がる。今日は杖を持ってきていない。遥さんが「これもリハビリだ」と言うので、杖の代わりに手を繋いでいる。危なくなればすぐ腕に縋り付くことになっている。
そんなわけでさっそく縋り付く。試着の際に立ったり座ったりを繰り返したせいでヘトヘトなのだ。
「ごめんね。遥さん。重かったらすぐに離れるから」
「いいやいい。楓は軽いから、一人や二人楽勝さ」
遥さんはやたらいい顔をして言う。くっついて邪魔なはずなのに、手を繋いでいるときより嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
しばらく遥さんと商店街を歩いていると、ふとスポーツ用品店が目についた。ガラス張りの店内に、昔馴染みだった竹刀が立ててあるのが見えた。
『楓ちゃんの気持ちと頑張り次第で、昔と同じように走れるようになるよ』
一昨日電話したときにおじさんは言っていた。走れるようになれば、ずっと見学している体育にも参加できるようになる。剣道だってまたできるかもしれない。遥さん達と遠くへ遊びに行ったりもできるかもしれない。
「大丈夫か? 無理するなよ」
「うん」
腕から離れ、手を繋ぎ直した僕に遥さんが心配そうに言う。短く答え、震える足で一歩、また一歩と踏み出す。正直ちょっと無理してる。それでも自分の力で歩きたいと思った。だって、楽しいことがすぐそこまで来ているんだから。