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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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外伝6-1 名前で呼ぶのは難しい

 最近、周りの様子がおかしい。


「か、楓。そんなに服を強く引っ張るなよ。伸びるだろ」


「だるんだるんに緩んだ顔で言っても全然説得力ないわよ」


 僕より頭一つ以上高い遥さんと奈菜さんが何か話をしている。しかし今の僕はそれどころじゃなく、内容までは耳に入ってこない。ぐっと手を胸の前で握り、周囲に視線を巡らせる。見えるのはここ二ヶ月ほどで馴染みとなった桜花の廊下に2年各クラスの教室、そして一般人よりも淑女という言葉に近い身なり振る舞いの桜花女子生徒。一見すれば変わらない光景。しかし彼女達が僕に向ける目の色が明らかに変化していた。


「あーもーしょうがないなあ。明日からは新しいのを着ることにしよう。だから楓、存分に引っ張っていいぞ」


「嬉しそうな顔をして、何がしょうがないよ」


 それに気付いたのは昨日だった。いや、違和感自体を覚えたのは数日前からだ。しかし当初はそれが何なのか分からず、気のせいだろうと放置していた。そして違和感の正体に気付いたのが昨日だった。


「まあ、あれだな。伸びてしまう服の方が悪い」


「また無茶苦茶なことを」


「両親に頼んで、引っ張られても伸びない制服を作って貰うとするか」


「軽々しく言ってるけど、オーダーメイドにいくらかかるか知っているの?」


「さあ。でもこの何の変哲もない学校指定っぽく作ったオーダーメイドの鞄に何百万もかけるよりかは有意義だと思うぞ」


 以前の彼女達が僕を見る目は無関心、物珍しさ、もしくは媚びを売るものだった。水無瀬遥というこの学校に置ける絶対権力者と僅か一ヶ月にも満たない短期間で友達の枠に収まった僕、依岡楓。僕の背後に見える遥さんに目を付けられないよう、廊下ですれ違えば挨拶だけしてくる名前も知らない人。遥さんと比べたら大した家柄でもない僕がどうやって友達になれたのかと興味を持って話しかけてくる人。僕と仲良くなることで遥さんとの繋がりを作ろうと画策する人。僕を見ているようで、その実、誰も彼もが遥さんを見ていた。この学校の体質からして、それが普通だと思っていたから気にすることはなかった。


「……相変わらず、おじ様とおば様は超がつくほどの過保護なのね」


「だよな」


「理解しているなら自重なさいよ」


「自重すると心配して泣き出すんだよ。娘が私達を頼ってくれないってさ」


 今は違っていた。もちろん未だに僕を通して遥さんを見ている人はいる。しかし、その多くが遥さんではなく、僕自身を見ていた。特に何かしたわけでもなく、僕自身の家柄が大きくなったとかそんなこともない。僕は今も依岡楓で、おじさんの養子のまま。突然の周囲の変化の理由が分からず、戸惑うばかりだ。


「……さすが水無瀬家。それでよくあたしと同じ金銭感覚も持っていられるわね」


「お前……じゃなかった。奈菜がいてくれたからだよ。小さかった頃にアタシを駄菓子屋に連れて行ってくれたおかげで、小銭を知らないような馬鹿にならずに済んだ」


「代わりに、親同士で添加物云々の口論があったらしいけど」


「親馬鹿も度が過ぎればただの馬鹿だよな……」


 理由は分からないが、敵意がないのは不幸中の幸いと言える。どちらかと言えば好意的な視線。ただ、中には気味悪い笑みを浮かべて見つめるくる人もいるものだから、気にせず無視するというわけにもいかない。原因を知りたかった。


「それで、楓はどうしたの?」


 ポンと肩に手を置いて、奈菜さんが言った。ビクッと体を震わせて視線を上げる。何故か僕を見下ろす奈菜さんが小さく呻き、目をそらした。


「……反則だわ」


「だろ?」


 見合って、深く頷く二人。幼馴染みだから詳しく説明しなくても意思の疎通ができるのだろう。まだ僕と二人の仲は浅い。いつの日か、僕も二人のようにわかり合えるくらいの友達になりたい。


「……こほん。そ、それで楓はどうしたのかしら?」


 咳払いをして、もう一度問いかけてくる奈菜さん。でも目を合わせないようにしているのはどうしてだろう。


「えっと……ここじゃちょっと」


「そうね。じゃあ屋上へ行きましょうか」


 奈菜さんが周りを見回してから遥さんに言う。


「そうだな。誰か、アタシ達が屋上使用することを先生に伝えておいてくれ」


 遥さんが声を張り上げる。途端に数人の生徒が弾けるように返事をして走って行った。人気があることは重々承知していても、それを実際目にすると驚かずにはいられない。


 遥さんが歩くと群衆が壁際に並び、塞がっていた道が開く。そこを遥さんと奈菜さん、そして僕が通っていく。二階から三階、屋上へ。途中までついてきた生徒も三階以降は見送り、誰一人としてついてくる人はいなかった。


 屋上は立ち入り禁止のはずなのに、毎日掃除しているかのように綺麗に整備されていた。埃のない手摺りに体を預けた遥さんが僕を見る。その時手から何かがスルッと抜けて、ようやく自分が遥さんの制服を掴んでいたことを知った。


「ここなら誰もいないだろ? 遠慮なく話してみろ」


 言葉遣いはきつくても、表情は柔らかい。僕は肩の力を抜けて口を開いた。


「みんなの様子が変だなって」


「様子?」


「ああ。みんなのあなたを見る目が違う、ということね?」


 遥が首を捻り、奈菜さんが言いたかったことを要約してくれる。頷くと、何故か遥さんは奈菜さんを睨み付けた。奈菜さんは顎に手を当て、考える素振りを見せる。


「おそらく、遥があなたのことを呼び捨てに、そしてあなたが遥のことを『遥さん』と呼ぶようになったから、かしら?」


 僕は目を丸くする。たったそれだけで、みんなの僕を見る目が変わるのだろうか。


「遥が他人を呼び捨てにすることは、まあ比較的ないことではないのだけど、むしろあなたが遥のことを名前で呼んだことにみんな驚き、見方を変えたのでしょうね。一応これでも桜花全生徒の憧れだから。家柄がなくても、ね。こんなのでも、それなりに慕ってくれる子も少なからずいるのよ」


「こんなとはなんだ。こんなとは」


「あら、一応褒めてるのよ?」


 頬を膨らませる遥さんを見て、奈菜さんがクスクスと笑う。それは僕も分かる。女の子しかいないこの学校で、スポーツ万能で男子並みに背の高い遥さんはよく目立つ。モデル体型の彼女が体育の時間に活躍する姿は、たしかに格好いいと思って目で追ってしまう。慕われるのも頷ける。


「楓が遥を名前で呼び、遥がそれを受け入れている。このことでみんながあなたに興味を持ったのよ」


「そ、そうなんだ」


 理由がやっと分かり、ホッと胸を撫で下ろす。分かったところで現状が変わることはないけど、知っているのと知っていないのとでは心構えが違う。今度からはもう少し余裕を保てそうだ。


「どう? 少しは楽になった?」


「うん。ありがとう奈菜さん」


「どういたしまして。あなたも奈菜と呼び捨ててもいいのよ?」


「そ、それはもう少ししてからで……」


 あらそうと残念がる奈菜さん。申し訳なく思いつつも、考えは変わらない。まだそれは僕に早い。


「焦んなって。しつこいと楓に嫌われるぞ?」


「そういうあなたこそ、あの時一番呼び捨てさせようと必死だったじゃない」


「うぐっ……」


 遥が言葉を詰まらせる。奈菜さんがニヤリと笑い、僕は曖昧な表情を作る。


 それは一週間前の日曜日の夜のこと。集まってパジャマパーティなるものをしようと遥が提案、それに奈菜さんと沙枝さんが同調し、即日開催されることになった。遥が有名な海外ブランド品だというティーセットを用意し、奈菜さんがとっておきの茶葉を、沙枝さんが大好物で海外から取り寄せているというスコーンを持ち寄った。僕も何かをと思ったが、紅茶に詳しくないし、そもそもパジャマパーティのような催しに参加したことがなかった。ごめんと頭を下げる僕に三人は慌てた様子で「そこにいてくれるだけで嬉しい」と言ってくれた。そのパジャマパーティ内で持ち上がった話だ。


『なあ。せっかく友達になれたんやから、呼び方もそれっぽいのにしようや』


 発端は意外にも沙枝さんだった。曰くこの数週間、自分だけ「依岡さん」「浅野さん」と、苗字で呼び合うのをずっと気にしていたのだと言う。


『そうだな。そんじゃいい機会だから、お互い名前の呼び捨てでいこうか』


『そうね』


 三人の意見は合致し、後は僕の返答だけと、期待の眼差しを向けてくる。反対する余地はなく、僕もすぐに賛成した。ただし、


『僕はさん付けでいいかな?』


 言った途端に遥さんからブーイング。理由を言えと騒ぐ彼女に、なんとなく、とだけ答えた。


『頑張って呼べるようにするから』


 呼び捨てに頑張るも何もないだろ。そう遥さんに怒られるかなと身構えたけど、「そうか。んじゃ仕方ないな」と少し残念そうに笑うだけだった。


 それでも諦めきれなかった遥さんは、パジャマパーティ中、ことある毎に僕へ話を振ってきた。誰から見ても呼び捨てにさせようとしていることがバレバレだった。


 それが一週間前のこと。ただ呼び方が「水無瀬さん」から「遥さん」になっただけでこの変化。僕が遥さんを呼び捨てていたらどうなっていんだろう。ちょっと知りたくもあり、怖くもあった。


「何はともあれ。楓が気にすることはないわ。いつも通りにしていればいいのよ」


「うん。ありがとう。奈菜さん」


 見上げて、意識して微笑む。無表情になりやすい僕が、ちゃんと気持ちが相手が伝わるように。


 しかし、奈菜さんからの反応はなかった。僕を見つめて固まっている。と、次の瞬間。体を強引に引き寄せられ、胸の中に抱きしめられた。どうして抱きしめられたのか分からず、目をぱちくりとさせる。


「奈菜! ずるいぞ!」


 遥さんが叫んだ。でもずるいってなに?


「はっ。ご、ごめんなさい。つい……」


 遥さんの声で我に返った奈菜さんが僕を解放する。ついってなに?


「奈菜。気持ちは痛いほど分かるが、それは反則だろう」


 遥さんが何故か僕の頭を撫でながら奈菜さんに説教する。そういえば、ここ最近よく頭を撫でられる気がする。朝なんて特にそうだ。随分前に僕の目覚ましが何故だが壊れていて、新しいの買おうとしたら「目覚ましの音は嫌いだから、目覚ましは使うな。代わりにアタシが起こしてやるよ」と言って止められた。遥さんの言葉に甘え、毎朝起こして貰っているのだけど、目が覚めるとよく頭を撫でられている。時折体中を暖かい何かで包まれるような感覚を伴うときもあるけど……うーん。朝は寝ぼけてるから記憶があやふやだ。


「な、なによ。あなただって毎朝同じことしているでしょ? 知ってるのよ。楓を抱きしめるために目覚ましをわざと壊――」


「あーっ!」


 唐突に遥さんが声を上げ、奈菜さんの口を塞ぐ。遥さんの優しい撫で方に気を緩めてしまっていたので聞き漏らしてしまった。


「な、何を言ってるんだろうなコイツは。ははははっ」


 怪しい。でも、悪いことはしていないような気がしたので、追求はしない。毎朝起こして貰っている恩もあるし。


「よ、よし。そろそろ授業始まるから、教室へ戻るとするか!」


「んー! んーっ!」


 遥さんの腕をタップする奈菜さんをそのままに、屋上のドアへと手をかける。そのまま教室まで戻りつもりなのかな。


「えっと……離してあげたら?」


「お、おおそうだった。忘れてた」


 口を塞いでることを忘れるなんて事があるのかな。


「ぷはっ! あんたはあたしを殺すつもりなの!?」


「はははっ。またまた大袈裟な」


 ぜーぜーと荒い息を吐く奈菜さんに、ぎこちない笑みを浮かべて肩をバシバシと叩く遥さん。奈菜さんはギロリと睨みをきかせるが、遥さんには効果無し。すぐに諦め、大きくため息をついた。


「まったく……。ほら、教室に戻るわよ」


 奈菜さんに促され、遥さん、僕、奈菜さんの順で屋上を出る。


「……あなたのその笑顔が、全ての原因なのよね」


「ん、奈菜さん。何か言った?」


「いいえ、何も」


 少しだけ引きつった笑顔で、奈菜さんは首を横に振った。

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