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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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第77話 少しの変化は大きくて

 瞼が柔らかな光に照らされる。ガチャリと窓の開く音がして、爽やかな風が部屋に流れ込んでくる。覚醒にはほど遠い状態で朝の気配を肌で感じていると、僅かな重みを持った何かが、そっと額に触れた。ゆっくりと目を開ける。そこには優しげな笑みを浮かべた水無瀬さんがいた。


「おはよう、楓さん」


 なぜこんなにも近くに彼女がいるのか。訝しげに見つめる僕に、彼女は小さく苦笑する。理解したのは数十秒後、寝ぼけた頭が動き出す。気長に待ってくれている彼女に気恥ずかしさを覚えつつ、「おはよう」と返した。


「もう熱はないようだな」


 水無瀬さんが額から手を離す。意図せず目で追うと、クシャリと頭を撫でられた。優しいその手つきに、目を細める。


「学校行けそうか?」


 体を起こしてみる。昨日まで続いていた熱っぽさと気持ちの悪さがすっかりなくなり、支障なく体を動かせた。


「うん。大丈夫」


 ベッドから立ち上がろうとすると、水無瀬さんが手を伸ばしてきた。やんわりと断り、自らの力で立ってみせる。杖を受け取りながら、枕元を見る。アラームを止めていた目覚まし時計はいつもより数十分過ぎた時刻を刻んでいる。それでも学校の予鈴が鳴るまでには充分な時間があった。気分はすっきりしているが、体は汗でベタついている。


「軽くシャワー浴びてくる」


「おう。乾かすのは任せろ」


 いつの間に準備したのか、コンセントにさしたドライヤーと櫛を構えた水無瀬さんが得意げに言う。数瞬思案してから「お願い」と短く答えて、脱衣所へと続くドアをくぐった。


 暖かな日差しが差し込む平日の朝。水無瀬さんと喧嘩して、熱を出して寝込んだ日から四日後のこと。


 四日ぶりにベッドから起きた僕は、四日前と何も変わらないようで、何かが少しだけ、違っているように感じた。


 ◇◆◇◆


「あなた達、何かあったの?」


 定位置と化した食堂窓際のテーブル。先に来て味噌汁を啜っていた高峰さんが、一緒にやってきた僕と水無瀬さんを見て、開口一番にそう言った。


「ん? いや、別に何もないぞ。な、楓さん」


「う、うん。何もない」


 僕と自分の分のお盆をテーブルに置きながら、隣に座る水無瀬さんが同意を求める。僕はその通りだとコクコク頷くが、高峰さんは納得することはなく、眼鏡の奥で光る目を鋭くした。


「怪しい……どころじゃないわね。露骨すぎるわ。ねえ、沙枝?」


 高峰さんの隣で、朝から重い豚の生姜焼き定食を平らげていた浅野さんが顔を上げる。しばし僕達をジッと見て、ニヤリと口の端を釣り上げる。


「まあなあ。それじゃあ誰が見ても気付くやろ」


 言われてすぐに水無瀬さんと目を合わせる。おかしな所なんてない。そう言い返すつもりだった。だけど、何というか……水無瀬さんの顔はふにゃっとだらけていた。


「遥、その顔、なんとかしなさい」


「顔?」


 水無瀬さんが両手でペタペタと自分の顔を触る。しばらくして首を捻った。


「何かついてるか?」


「そういうことじゃなくて。にやにや笑って気持ちが悪いのよ」


 高峰さんがバッサリと言い切った。いくらなんでも言いすぎだ、水無瀬さんが怒って喧嘩が始まったらどうしようと心配したが、高峰さんが悪びれることもなく、浅野さんに至っては口元を押さえて笑いを堪えていた。


 そして水無瀬さんは、


「え、アタシそんなに笑ってる? 参ったなあ~」


 全然参ってなかった。むしろ嬉しそうだ。ふにゃっとした顔はそのままに、照れくさそうに頭を掻く。高峰さんはため息をついた。


「まったく。この学校の代表たるあなたがそんなことでどうするの」


「代表は生徒会長の秋子だろ?」


「役職的にはそうでしょうね。でも、実質的にはあなたなのだから、ちゃんと自覚しなさい」


「自覚ねぇ……」


 たしなめられても水無瀬さんはどこ吹く風で気にしない。それを分かっていたのか、高峰さんもそれ以上言うことはなかった。


「ん、楓さん、全然おかゆ減ってないじゃないか。朝は少しくらい無理してでも食べないと。ほら、あーん」


「も、もう自分で食べられるから」


 奪い取られたスプーンを奪い返し、そのまま口に運ぶ。そこはかとなく残念そうな顔をする水無瀬さんを横目にモグモグを口を動かすと、ほのかな梅の酸味が口の中に広がった。梅なんて入れたかな。


「体が疲れている時は酸っぱいものだよな」


 水無瀬さんだった。僕を思ってのことなんだろうけど、味の強い物は好きじゃないので、できたら入れてほしくなかった。とは言え、ニコニコと笑顔な水無瀬さんに、勝手に入れないでほしいとは言えず、「そうだね」と頷いた。


「あーんって……。あなた、食堂をなんだと思っているの?」


「いやだって、楓さんが寝込んでた時はこうしてご飯を食べさせてあげてたし」


「今は寝込んでないでしょ。それにそういうことじゃないの。ここは食堂だと言ってるのよ」


「ははははっ! あーんて、遥があーんて! あの遥が献身的とかありえんわ。ははははっ!」


 高峰さんが水無瀬さんをジロリと睨み、浅野さんはお腹を抱えて笑っていた。二人の様子からして、今の水無瀬さんは異常らしい。たしかに四日前と比べると僕との接し方が違う。なによりこんなに笑うことはなかった。


 ……僕、何かしたかな? そりゃ日頃溜まった疲れが原因で熱を出して寝込んで、病院には行きたくないと駄々をこねる僕のために水無瀬さんの権限で寮に医者を呼んで貰って、朝は僕の体温を計ってから渋々といった様子で学校に行き、終われば一直線に帰ってきて、夕食も部屋で食べるほど、僕が寝るまで付きっきりで毎日看病してくれたことで、僕と水無瀬さんは前よりもずっと仲良くなったとは思う。正確には、熱のせいで虚勢の張れなくなった僕が水無瀬さんに頼りっきりになっただけで、どちらかというと彼女にかなりの負担と迷惑をかけただけなのだが、水無瀬さんはそれを苦と思わなかったようで、むしろ楽しそうにも見えた。まあ、実際はどうなのか、本人に聞かないと分からない分からないけど。とにかく、水無瀬さんのおかげで熱は引いたし、いろいろと話をすることもできたので彼女との距離もだいぶ感じなくなったのは良かったと思う。ただ、あくまでもそれは僕からすればの話。水無瀬さんからすればいつものように話して、いつもより手間をかけただけのはず、なんだけどなあ……。


「何言ってんだ。アタシほど献身的なヤツもそういないぞ?」


「まあそうやろうな。いざとなると遥は案外優しいもんな。けどギャップありすぎて……ぷっ、はははは――っ」


 水無瀬さんと浅野さん。ただでさえ知名度の高い二人が同じテーブルにいるというだけで注目の的なのに、浅野さんが声を上げて笑うものだから、食堂にいる生徒全員の視線がこのテーブルに集中していた。なんとも居心地が悪い。


「でも、本当に元気になって良かったわ。遥がどうしても看病するっていうから任せていたのだけど、心配したのよ?」


「え、えっと……心配かけてごめん」


 どう返答していいか分からず、迷った末に頭を下げた。


「謝る必要はないわ。何も悪くはないのだから」


「そうそう、楓さんは何も悪くない……って奈菜、その言い方だとアタシの看病じゃ不安だって言ってるように聞こえたんだけど?」


「ええ。半分くらいは正解ね」


 高峰さんがクスリと笑い、水無瀬さんがふんっと鼻を鳴らす。


「だってあなた、包帯も巻けないじゃない。クラスで一人だけミイラみたいになって、慌てて先生が解こうと近寄ったら、振り回していた右手が運悪く先生の顎に当たって卒倒させちゃって。大変だったわよね」


「なんでそんな昔のこと掘り返すんだよ! 包帯が巻けなかったのは初等部の低学年の頃だろ。今は完璧だ」


「遥はそんなことしてたんか。そういや心臓マッサージだとか言って人形に正拳突きをたたき込んでたこともあったなあ」


「それも初等部の時だ!」


「クラスメイトが喉を詰まらせたときは迷いなくボディーブロー。避難訓練の時は、こっちの方が早いとか言って、二階の窓から飛び降りたよな」


「だからなんでそんな昔のこと覚えてんだよ。しかも最後のはまったく関係ないじゃないか! もういいから静かにしてろ!」


 水無瀬さんは頬を赤く染め、テーブルを挟んで向かい側にいる浅野さんと高峰さんの口を塞ごうと手を伸ばすものの、上体を反らすだけで軽くかわされた。その後もテーブルを挟んで行われる小さな攻防。


「あはは」


 それがおかしくて、笑っちゃいけないと思いつつも、つい笑ってしまった。


「おぉ」


「あら」


 三人が一斉にこちらへと振り向く。高峰さんと浅野さんは何故か驚き、声を上げる。やっぱり笑うのはまずかったのか、心配になって水無瀬さんに視線を送る。彼女はきょとんとしたが、すぐに理解してくれたようで、「誰も怒ってないって」と、僕の頭に手を乗せて言った。


「奈菜も沙枝も、楓さんの笑った顔があまりにも可愛くて驚いてるんだよ」


 ……え? 思考が数秒止まり、再び動き出した後でも水無瀬さんの言っていることが分からなかった。なんで笑っただけで驚く? そんなに珍しい? 疑問符が頭上に浮かぶ。


 そういえば、前に笑ったのはいつだろう。


「なっ。楓さんが笑うと可愛いだろ?」


「なんであなたが誇らしげなのよ。可愛いのはたしかだけど」


「ああ、そうやな。遥の品のない笑顔とは雲泥の差や」


「はっはっは、そうだろそうだろ。沙枝は後で体育館裏な」


 僕の頭を撫でながら、水無瀬さんが胸を張る。盛り上がる三人。僕はそれについて行けず当惑していると、ふと目の合った高峰さんは微笑んで、こう言ってくれた。


「あなたが笑ってくれて、とても嬉しいのよ」

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