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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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第75話 それだけは許さない

 桜花に来て一ヶ月が過ぎた。この学校に転入してからというもの、僕の環境は大きく変化した。2年半もの間、おじさんの家に閉じこもり、たまに外へ出ても病院へリハビリを受けに行くくらいだった僕が、今では学校へ通い、普通に授業を受け、それなりの交友関係を保っている。あの頃の僕を知っている人が見たらさぞ驚き、そしてきっとおじさんやおばさんのように「良かった」と胸を撫で下ろすことだろう。


 だけど、実際はどうだ。環境は劇的にまで変わったのに、やってることと言えば、作業的に学校と寮の往復を繰り返し。この学校の先生は基本生徒とあまり関わりを持とうとしないし、胸を張って友達と言える人もいない僕は、勉強以外に特に何もしていなかった。病院とおじさんの家を往復していた2年半とたいして変わってないんじゃないかと思う。ただ場所が変わっただけ。結局、おじさんやおばさんを安心させるため、自分を変えるため、という前向きな考えではなく、僕を知る人がいないところへ行きたいという後ろ向きな考えでここへやってきた僕では、早々変われないということなのだろう。大切なただ一人の友達だった蓮君と別れてまで、ここへやってきたというのに。


 そんな僕なのに、「友達になろう」と手を差し伸べてくれた人もいる。水無瀬さんや高峰さん、浅野さんだ。特に水無瀬さんからのアプローチは凄まじく、なし崩し的に友達のようになってしまった二人とは違い、彼女の場合はなかば強制的にその手を握らされてしまった。あの朝の出来事だ。かなり強引すぎるとは思ったけど、別に怒ってはいない。むしろ嬉しかった。今の僕でも友達になってくれる人がいることを知れたから。


 それでも、僕は三人のことを胸を張って友達とは言えないでいる。いや、「友達になろう」と言ってくれた水無瀬さんの手を取った手前、一応対外的には彼女と友達になってはいるのだろう。しかしそれはあくまでも表面上のこと。すぐその下では「なんで僕なんかと友達になりたいんだろう。お金持ち特有のただの気まぐれ?」と、口にすれば怒られてしまいそうなことを常に考えてしまっている。きっと僕は人間不信に陥っているのだろう。……人間、というより、僕自身に、かもしれない。僕は僕が信じられなかった。


 そんな僕なのに、いまだ水無瀬さんは付きまとい、高峰さんも水無瀬さんほどではないにしろ、タイミングを見計らっているかのように、毎日僕と朝食を一緒にしていた。


 姫(水無瀬さんも浅野さんもこの呼び方は嫌っているようで、実際は誰も彼女達に対して使うことはない)である水無瀬さんと、その彼女の友人である高峰さんと仲がいい僕は、彼女達に取り入ろうとする人達からすれば格好のいじめの的だと思う。しかし、誰が見ても水無瀬さんが一方的に僕に関わろうとしていることから、誰も僕をいじめようとする人はいなかった。むしろ何人かは僕に取り入ろうと媚を売ってくる人もいたくらいだ。本当にこの学校はどうかしている。


 そして今日も、朝の食堂で高峰さんに会い、水無瀬さんと学校へ行き、昼食では浅野さんと合流した、放課後のこと。


「悪い。三年のヤツに用事を頼まれたんだ。すぐに済ませてくるから、ちょっと待っててくれ」


 そう言って、僕の返事を待たずに水無瀬さんは教室を出て行った。年功序列ではないこの学校で、水無瀬さんに用事を頼むような人は先生といえどもほとんどない。たしか三年には水無瀬さんや浅野さんには劣るものの、中堅ゼネコンの社長である父を持つ生徒会長がいたはず。名ばかりの生徒会という組織を、それなりの権限を持つ物に立て直したと噂の人だ。彼女ぐらいしか水無瀬さんに用事を頼む人はいないだろうから、きっとその人だろう。


 別に水無瀬さんの帰りを待つ必要はなかった。二人で一緒に帰るのは、彼女から毎日のように誘われ、それが定着化したからだ。特に約束はしていない。しかし、帰ってすることもない僕が、彼女を置いて先に帰る理由もなかった。僕は人の数が少なくなった教室で一人、彼女の帰りを待つことにした。


 十数分経った頃だろうか。読みかけの小説が半分ほどまで来たところで、ポケットの中の携帯電話が揺れた。相手は水無瀬さんからだった。携帯電話の使用が制限されていないので、気にせず受話ボタンを押す。


『ほんっと悪い! 用事が長引きそうだから、先に帰ってくれ』


「分かった」


 短く答えて電話を切った。鞄と杖を持って立ち上がり見回すと、いつの間にか教室には誰もいなかった。杖をつきつつ教室を出て昇降口へ。いつもならこのまま真っ直ぐ寮へ帰るのだけど、今日は少し気分を変えようと思い、遠回りすることにした。


 そういえば、体育の時以外グラウンドの方に行ったことがない。そっちへ行ってみよう。クルリと向きを変え、体育館の方へ歩いて行く。たしか体育館ではバレーとバスケットボール部が、その近くの道場では剣道部と合気道部が部活動をしているはずだ。お嬢様という人種がどういう部活動をしているのか、少しだけ興味が湧いた。


 ◇◆◇◆


 この学校は全ての施設に冷暖房が完備されている。それなのに道場の扉は大きく開いていて、中に入らなくても外から様子を覗うことが出来た。中では予想通り、合気道部と剣道部が道場のちょうど真ん中に衝立のような物を置いて区切り、それぞれの場所で練習に励んでいた。目の前を通っていく女の子達が、僕を見るやいなや慌てた様子で「ごきげんよう」と挨拶をしていく。ここでも水無瀬さんの威光を感じつつ、軽く会釈を返して剣道部の方へ目を向けた。そして、そこに見知った顔を見つけて、僕は目を丸くした。


 剣道場の隅の方に、道着と防具を着た高峰さんがいた。彼女は竹刀を片手に、素振りをする部員達に檄を飛ばしていた。あの様子からして、高峰さんは剣道部の部長なのかもしれない。


 もうここにきて一ヶ月も経つのに、高峰さんが剣道部だったことに今更になって知った。それ以前に、部活をしていたことさえ知らなかった。僕は何も知らないんだな。でも、それはそうか。僕が何も知ろうとしていないんだから。


 威勢の良い掛け声と、竹刀の音が道場内に響き渡る。お嬢様だから怪我を気にして、練習はそこそこにかと思ったけど、見た限りは誰も手を抜いているようには思えなかった。ただ、やはり先生はここでも口を出すようなことはなく、基本生徒主導で部活動は行われているようだった。剣道部も合気道部も、先生はたまに指導として口を挟む程度で、それ以外は市民プールの監視員のように、椅子に座って練習風景を眺めているだけだった。


 僕も三年前までは、あの胴着と防具を着て、竹刀を持ってたんだよな。少し前のことのはずなのに、凄く昔のことのように思えてしまう。


 見下ろした手はとても白く、細い。きっと小手なんて打たれてしまったら、簡単に内出血してしまうだろう。竹刀だって、昔のように振れるかどうか……。


「あれ、楓さん?」


 呼ばれて振り返る。水無瀬さんは何やら書類の束を持っていた。一番上の書類を盗み見ると『今年度の部費について』という文面が読めた。おそらく生徒会の手伝いの最中、といったところだろうか。僕の読みは当たっていた。


「こんなところで何してんだ?」


「寄り道」


「いや、それは見りゃ分かるけど」


 なんとなく、今ここに僕がいたことは知られたくなかった。それが露骨に態度に出てしまって、素っ気ない返事をしてしまう。水無瀬さんがちらりと道場の方を見やった。


「剣道か? 見学したいなら奈菜に言って――」


「別に良い。本当にちょっと寄ってみただけだから」


 心がささくれ立つ。水無瀬さんが親切心から言ってくれたのは分かっている。だからこれ以上何か言ってしまう前にここを離れることにする。


「もう帰る。頑張ってね」


 書類に視線を送りつつ、踵を返した。水無瀬さんに背を向け、寮へ帰ろうとしたその時、


「剣道、やらないのか?」


 低い水無瀬さんの声。びっくりして振り返る。


「……どういう意味?」


「どういう意味って、そのまんまの意味だよ。楓さんはまだ部活決めてないだろ?」


「元々どこにも入るつもりはないよ。この学校はみんなどこかの部活に入らなくちゃいけないってルールはないはず。実際、水無瀬さんは部活に入ってないようだし」


「まあ、アタシはな……」


 水無瀬さんが言い淀む。彼女の言いたいことは分かる。運動の得意な水無瀬さんのことだ。どこの部に所属しても活躍できるぐらいの技量はあるはずだ。それでも部に所属していないのは、彼女が自分の立場を理解しているからだろう。同じ姫でも浅野さんと同じように、水無瀬さんも自由に部活動ができるとはかぎらない。水無瀬さんと浅野さんの間にも大きな開きがあるのだから。それほどまでの大きな存在が、水無瀬さんのバックには存在しているのだ。


「楓さんは昔、剣道をやってたんだろ? 辞めるなんてもったいない。続けたら良いじゃないか」


「なんで君が決めるの? それに、どうして僕が剣道をしてたって知ってるんだ?」


 睨み付けながら言葉を返すと、水無瀬さんはハッとしたあと、ばつが悪そうに目をそらした。快活な彼女にしては珍しい。しかしそれを見て理解した。


「人のこと調べるなんて、さすがお金持ちはやることが違うよね」


 お抱えの探偵か何かに僕の身辺調査でも頼んだのだろう。僕の読みは当たったらしく、水無瀬さんは大きく頭を下げた。


「本当に悪いと思う。でも、体育の時間に見学してる楓さんの姿が寂しそうに見えてさ、その……足が治らないのかどうしても知りたくて、な」


 それはつまり、僕が通院していたおじさんの病院まで調べ上げたということ。プライバシー侵害にも程がある。


「この際だ。はっきり言おう」


 なのに、水無瀬さんはさらに何か言うつもりのようだ。吹っ切れた顔をして僕を見据える。


「なあ、楓さん。本当はその足、もう治ってもおかしくないんだろ? それなのにいまだ治る気配はなし。ずっとリハビリはしていたのに」


 そんなことまで調べ上げたのか。その情報収集力に驚き、そして僕の触れられたくない深いところまで調べられたことに怒りを覚える。それを知ってか知らずか、彼女は言葉を続ける。


「主治医は心の問題だと言っていた」


「……それが何?」


 それ以上言うな。そう思いを込めて水無瀬さんをきつく睨む。しかし、思いは届かなかった。


「楓さんは一人で抱え込みすぎなんだよ。人はそんなに強くない。ましてや楓さんは人一倍弱いのに――」


 パシンッと乾いた音が響く。気付いたときには、水無瀬さんの頬を叩いた後だった。自分の取った行動に驚愕し、けれど後悔はなかった。たとえ誰であろうと、僕のことを、僕の心を、『弱い』だなんて言うことは許せなかった。その言葉はあの時の僕を思い出すから。


 足と、水無瀬さんを叩いた手が震える。それを隠すように、彼女に背を向ける。叩かれることを覚悟していたのか、とくに彼女は驚いた様子もなく、平然としていた。……いや、泣きそうな顔をしていた。


「……のほほんと幸せに暮らしてきた君には、分かったように言って欲しくないよ」


 それだけを言って、僕は振り返ることなくその場を去った。初めて人を叩いた右手をぎゅっと握りしめて。

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