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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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第72話 まずは歩み寄ることから

 朝がこんなに遠く感じたのはいつぶりだろう。入院していた時、もしくはおじさんの家で暮らすようになった最初の一週間。たぶんそれ以来だと思う。


 物音を立てないようにベッドから起き上がる。枕元の時計を見てから、松葉杖を持つ。力を込めて立ち上がり、部屋の出入り口ではないもう一つの扉を開ける。思った通りそこは洗面所と脱衣所を兼ねたスペースで、その奥にトイレと浴室があった。


 片手で服を脱ぎ去り、浴室でシャワーを浴びる。体を洗いたかったけど、片手じゃ無理だし時間がかかる。早々に諦め、髪と顔を洗って出る。体と松葉杖の水分を拭き取り、制服に着替える。髪をドライヤーで乾かして、洗面所を出た。


 水無瀬さんはまだ起きていなかった。シャワーやドライヤーの音は結構大きいので、たぶん起こしてしまっただろうと思っていたけど、今もすやすやと寝息を立てている。防音設備が整っているのかもしれない。


 机に座り、鏡を覗く。目の下に隈を見つけ、顔色隠しも含めて、ファンデーションやチーク、コンシーラーで隠す。化粧道具を机の中に片付け、鞄に筆記用具その他日常的に必要な物を詰める。今日は始業式だから授業もなく半日で終わる。一睡もしていないので体力は全然だけど、午前中だけならなんとかなるだろう。鞄を背負い、まだ夢の中の水無瀬さんを一瞥し、部屋を出た。


 風月館を出て、涼風館にある食堂へ向かう。昨日の夜は何も食べていなかったので、朝は少しでも食べようと思った。朝早いせいもあり、食堂は空いていた。レストランのような内装の凝った食堂にはメニューはなく、学校の寮だというのに、ホテルのように豪華な料理が並ぶバイキング形式をとっていた。さすがお嬢様学校と感心しつつ、胃に重そうな料理を見て吐き気を覚える。おかゆがあったので、それとオレンジジュースだけ貰い、隅の方の席に座った。


「あら、依岡さんじゃない」


 聞き覚えのある声に顔を上げる。そこには高峰さんがいた。


「朝早いのね」


「高峰さんも」


「あたしは明日の校内模試に向けて早く起きて勉強していたの。そういうあなたは?」


「……目が覚めたから」


 一睡もしていないとは言えない。僕は嘘をつくことにした。


「初めての寮生活で緊張したのかしら。でもすぐ慣れると思うわ。案外ここ居心地いいから」


「うん」


 たしかにおじさんの家よりは居心地が良さそうだ。あの家にいるといつもおじさんとおばさんに申し訳ない気持ちになって泣きたくなる。


「……言いたくなかったら言わなくていいわ」


 高峰さんはそう前置きして話し始める。


「遥と喧嘩したらしいわね」


 目をそらし、小さく頷く。「やっぱり」と高峰さんが呟く。


「遥の悪いところが出たのね。あの子、自分では気付いていないけど、口調がちょっと荒っぽいから。あと馴れ馴れしいし」


 自分が思っていたことと同じことを言われ、ハッとして高峰さんを見る。彼女はやんわりと微笑んだ。


「あなたの気持ちも分かるけど、あれが彼女なの。彼女もあれでいろいろ考えているのよ。そういうところは分かってあげて」


 高峰さんと水無瀬さんは友達。ふとそう思った。水無瀬さんのことを気にかけて、それで僕とこんな話をしている彼女はとても友達思いなのだろう。羨ましい。


「……お前って言われた」


「え?」


「水無瀬さんにお前って言われた」


 ほとんど食べていないおかゆの乗ったお盆を持って立ち上がる。


「僕は依岡楓だ。お前じゃない」


 それだけ言って、彼女の元を去った。


 意地になっているのは分かっている。ただ、水無瀬さんに『お前』と言われたとき、突き放されたような気がした。それが凄く寂しかった。


 ◇◆◇◆


 誰もいない教室はしんと静かで、ちょっと怖かった。窓際の後ろから三番目。そこが僕の席。鞄を置いて松葉杖を窓と机の間に置く。そうして僕はホームルームが始まるまでずっと外を見ることにする。体はすでに疲労を訴えているけど、眠くはない。ぼーっと過ごすのは慣れている。このまま時間が過ぎるのを待つだけだ。


 三十分後。少しずつ登校してくる生徒で教室が賑やかになっていく。お嬢様らしく丁寧な言葉を使う人もいれば、僕みたいに普通に喋る人もいる。全てが全てお嬢様というわけではないようだ。


「あらぁ。あんた、見たことない顔ね」


 人の神経を逆撫でする声に、不快感を露わにして見上げる。


「な、なによ」


 彼女は僕の目を見て怯んだ。なんだ、彼女は見た目だけだ。中身は弱い。僕のように。


「あんた、転入生ね?」


「そうだけど、なに?」


 金髪碧眼。ハーフのようだ。身長も腰の位置も高い。ついでに目線も高いようだ。


「あんたのご両親は何をしている方なのかしら?」


 予想はしていたけど、ほんとに聞かれるなんて。お嬢様と聞いて呆れる。外面はどうであれ、中身は変わらない。答える必要はない。そう思った僕は彼女を無視することにする。


「あら、言えないのかしら?」


 彼女は鼻でふふんと笑う。君の両親がどれだけ凄い人でも、それは君の両親が凄いのであって、君自身の功績ではない。それを笠に着て、何とも思わないのだろうか。


「なに、まだ無視する気? いい加減こっちに――」


 ふいに彼女の声が途切れる。気になって目を向けると、そこには今朝食堂で会ったばかりの高峰さんがいた。彼女は金髪の少女の腕を掴んで睨み付けていた。


「た、高峰さん……!?」


 金髪の少女が目を見開く。


「あなたは朝から何をしているの?」


 高峰さんの彼女を見る目は冷たかった。


「あ、あたくしはただ彼女と話していただけ――」


「あたしにはそうは見えなかった。どいてくれる? 依岡さんに用事があるのよ」


「……くっ!」


 彼女は悔しそうに歯を食いしばって走って行ってしまった。それを目で追う僕と高峰さん。見えなくなったところで、高峰さんが向き直る。


「呆れたでしょ? 外ではもてはやされているけれど、そんなにお利口なところじゃないのよ。ごめんなさい」


「……どうして高峰さんが謝るの?」


「あの子があなたに会いに来るのは分かっていた。それなのに止められなかったから、かしら」


 彼女はそう言って、「正義の味方気取りよ」と苦笑した。


「……あたしのことが鬱陶しいと思っているのならそう言ってね。善処するわ」


「善処、なんだ」


「ええ、善処よ」


 関わりを絶つことはない、ということか。


「なんでそんなに僕に関わろうとするの?」


「遥のルームメイトだから。それと、なぜかあなたとは友達になれる気がするの」


 前半はともかく、後半は曖昧だ。友達になれそうだから? そんな理由で性格の捻くれた僕の相手をするというのか?


「あら、あたしの勘は案外当たるのよ」


 高峰さんがくすっと笑う。いい人だ。底抜けに。まるで蓮君のように。


 僕は小さくため息をついて、肩の力を抜く。蓮君みたいな人をないがしろにはできなかった。


「僕なんかでいいの?」


「いいに決まってるじゃない」


 彼女が微笑む。自分が求められている。理由はよく分からないけど、素直に嬉しかった。


「……やっぱり似ているわね」


「え?」


「ううん。なんでもないわ」


 高峰さんが首を振る。何か言ったような気がするけど、聞き取れなかった。


「さて、そろそろかしらね」


 そろそろ? 不思議そうに彼女を見つめると、「すぐに分かるわ」と言って教室の出入り口に目を向けた。


 それとほぼ同時だった。ガラッと勢い良くドアが開いた。現われたのは息を切らせたルームメイト。水無瀬遥さんだった。


「ごきげんよう」


「おはようございます」


「おはようございます。水無瀬様」


 クラスメイトからの丁寧な挨拶を一切無視して、ズンズンと歩みを進める。


「おはよう、遥」


「おはよう」


 高峰さんがクスクスと笑いながら挨拶する。誰よりもいい加減な挨拶だったのに、水無瀬さんが返事したのは彼女だけだった。


「覚悟は出来たのかしら?」


「覚悟ならとっくにできてる。足りなかったのはアタシの気持ちだ」


「その気持ちは?」


「もう折れない」


 薄く笑いを浮かべる高峰さんと、真剣な表情の水無瀬さんが見つめ合う。教室の誰もが二人に注目していた。もちろん、僕も。


 水無瀬さんは高峰さんから視線をそらし、僕を見た。突然のことにびっくりして、目をそらすことを忘れてしまう。揺れる瞳。その目からは昨日のような傲慢さは感じない。強く、そしてどこか儚げだ。


「か、楓……いや、楓さん!」


 教室が騒然となる。その理由が分からない僕は内心動揺する。


「昨日は悪かった。楓さんのことを何も考えずに、ズケズケと入り込んでしまった。あのあとで奈菜に怒られたよ。あんたは何様のつもりだって……」


 僕は席についたまま彼女を見上げ、彼女は立ったまま僕を見下ろしていた。


「今は反省している。だから、もう一度チャンスをくれないか? もう絶対お前なんて言わない。楓さんの前でも、楓さんがいなくても、一生言わないって誓う。だから」


 水無瀬さんが深く頭を下げる。また教室が騒然となる。それはさっきよりも大きかった。


「あたしと友達になってください!」


 叫ぶように水無瀬さんが言う。騒然としていた教室はしんと静まりかえり、いくつもの視線が僕と水無瀬さんに向けられていた。どうして? そう聞こうとして、高峰さんと目が合った。彼女は笑って肩を竦めて見せた。


『理由なんてないわよ』


 そう言っているようだった。友達を作るのに理由はいらない。テレビか何かで聞いたセリフだ。


 大きくため息をついてから、松葉杖を持って立ち上がる。まったく、こんなに注目されて、これで僕が断ったら完全に悪者じゃないか。でも、嫌な気分じゃなかった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 水無瀬さんと同じようにお辞儀する。彼女はバッと顔を上げ、目を輝かせる。こんな表情もするんだ、と見入ってしまう。


「ありがとう、楓さん」


 僕の左手をぎゅっと握りしめる。笑顔の彼女を見て、断らなくて良かったと、なんとなく思う。


 蓮君と同じくらい、仲良く出来るだろうか。少し不安はあった、けれど、水無瀬さんと高峰さんとなら友達になれる。理由はないけど、そんな気がした。まだ心は重く、暗い。それでも、光を探して手を伸ばすくらいはしてみよう。

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