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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部二章 それは昔の話
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第71話 大嫌いだ

「遥、入るわよ」


 二〇九と書かれたドアを高峰さんがノックする。内心緊張しながら彼女の背中を見つめる。


『どうぞー』


 中から気の抜けた言葉が返ってきた。高峰さんがドアノブに手をかけて振り向き、「いい?」と聞いてくる。特に反対することもなかったので頷く。彼女は微笑み、そしてゆっくりとドアを開いた。


 純和風な廊下と違い、室内は洋風な造りだった。シングルというには少し大きめなベッドに、本棚と勉強机とクローゼットが左右に一つずつ。床には濃い赤色のカーペットが敷いてあり、壁や天井は白を基調とした壁紙が貼られている。左を見ればもう一つドアがあった。入寮案内のパンフレットで見た限りでは、おそらくあのドアの向こうには洗面所とトイレ、浴室があるのだろう。


 室内はドアの位置を中心に、右と左でそれぞれの生活スペースとなっているようだ。その左側のベッドに、女の子が一人うつ伏せに寝転がっていた。ティーシャツにジャージというラフな格好の彼女は漫画に夢中でこちらに振り向かない。セミショートの茶色の髪がぴょんと跳ね、もう午後だというのに、寝起きのように見えた。


 それにしても、と彼女の足先から頭へと視線を動かす。僕より20センチは高いだろうか。彼女は高身長だった。足も長く、まるでモデルのようだ。多少なりとも自分の身長にコンプレックスを持つ僕の彼女への印象は最悪になった。部屋を尋ねたのに高峰さんを無視するというのも僕の神経を逆なでした。それは僕が蓮君にとっていた態度と一緒だったから。


「あなたのルームメイトを連れてきたわ」


「おー、やっとか。待ちくたびれ――」


 彼女が体を起こして振り返る。僕に視線を固定し、動きを止めた。彼女は目を見開いていた。人の顔を見て驚くなんてどういうことだ? 怪訝な顔をして彼女を見つめ返すが、すぐに目をそらした。


「依岡楓さんよ。それじゃ遥、あとはよろしく」


「あ、ああ」


「依岡さんも。また明日」


「……っ」


 高峰さんは僕に微笑みかけると、踵を返して部屋の外へと向かう。「ありがとう」の「あ」の口をしたまま、彼女を見送る。閉じてしまったドアを睨み付け、何も言えなかった自分を嫌悪する。


「ん、どうした? ドアの前に突っ立ったままで。そっちのベッドがお前のだから、とりあえず座りなよ。話でもしようじゃないか」


 疲れていたこともあり、素直に彼女の言葉に従う。ベッドの縁に腰を下ろし、サポーターを外して松葉杖をベッドに立て掛ける。一息吐き、室内を見回す。僕の勉強机と本棚には教科書や参考書の類が収まっていた。


「さっき引っ越し業者がきて、全部やっていったぞ。そこのクローゼットにも服やらなんやら入れてた」


 無言で彼女を見つめる。名前は……なんだろう。たしか高峰さんは「遥」と言っていたようだけど。


「アタシは水無瀬遥。二年一組だ」


「依岡楓。転入生」


「楓、か……。よし、楓って呼んでいいか? これからルームメイトで、同じクラスなんだし、仲良くしようってことで」


 初対面で呼び捨て。いくら仲良くしたいからってあまりにも厚かましい。僕は無視することにした。


「あれ、気に入らなかったか? ってそりゃそうか。会ったばっかりだもんな。うーん……そんじゃ、楓ちゃんでどうだ?」


「楓でいい」


 ちゃん付けにされるぐらいなら呼び捨てにされるほうがマシだ。渋々言うと、彼女は嬉しそうに笑い、右手を差し出した。


「改めてよろしく、楓。アタシのことも遥でいいからさ」


 彼女の手を握ろうとして、気付く。右手が疲労で小刻みに震えていた。それを悟られたくなくて目をそらした。数秒の沈黙。僕が握手に応じることがないと分かると、彼女は苦笑して手を引っ込めた。ちくりと良心が痛む。静寂は耳に痛くて、たまらず僕から話しかけた。


「さっき水無瀬さんはクラスも同じって言ったけど、どういうこと?」


「遥でいいって。どういうことってそのままの意味だ」


 そういうことを聞きたいんじゃない。どうして僕が水無瀬さんと同じ二年一組なことを知っているのかを聞いているんだ。


「まあまあそんなに睨むなって」


「別に睨んでない」


「分かったって。なんでクラスが同じなことを知ってるかだろ? 楓は風月館にはどうやってやってきた?」


 睨んでないと言ってるのに無視された。


「花月館から涼風館を通ってここに」


「やっぱり。始業式の前日になると各館の正面玄関にクラス分けが張り出されるんだよ。そこに同じクラスに見慣れない名前があったから覚えてたんだ」


 なるほど、と僅かに頷く。正面玄関へは靴と傘を置きに行っただけで、他には目もくれなかった。たしかに今思えば結構な人がいたような気がするし、結構な数の視線を浴びた気がする。良かった、気がつかなくて。気がついていたらきっと冷静ではいられなかっただろうから。


「それにしても、転入なんて珍しいな」


 僕は何も言わず、その先を促すように水無瀬さんを見つめる。


「ここは幼等部から短大まで一貫して教育を受けられる一貫校なんだよ。アタシやさっきの奈菜みたいに、大半の奴は幼い頃からここに通っていて、短大卒業まで居続けるのが普通なんだよ。一応入試で入れるようにはなっているから、途中から受験に合格して入ってくる入試組もいるが、それは全体から見れば2割か3割程度。転入組はさらに少なくて年に一人いるかいないかぐらいなんだよ。で、珍しいな、と」


「閉鎖的な学校だね」


 話を聞いて思ったことを口にする。寮の存在に惹かれてここを選択したけど、間違ったかもしれない。エスカレータータイプの学校と言うことは、たとえクラス替えがあったとしても、一人や二人はクラスに友達がいるだろう。友達関係が出来上がってしまっているところに部外者の自分が入るのはとてもやりづらい。


 と、そこまで考えて僕は苦笑する。友達なんて作るつもりだったのか、と。ここは女子校で、僕は元男。話が合うはずもない女子と友達になるなんて夢のまた夢だ。それに今の僕じゃ、たとえ相手が男子でも友達という関係になれるかどうか。あんなに大事にしていたはずの妹さえ邪魔だと思ってしまった僕と、誰が友達になってくれるのか。


「たしかにな。新しい出会いがなくて、面白くない。他の学校だったらもう少し毎年のクラス替えを楽しめたんだろうかって、思うことがある」


「水無瀬さんならここより私立の普通校の方が似合いそうな気がする」


 ここはお嬢様学校だ。ここへ来るまでに何人かとすれ違ったけど、どの子も姿勢はしゃんとしていて、話す声は控えめに、口調も中学生だというのにどことなく品があり、醸し出す雰囲気はお嬢様のそれで、ここがそういう学校だというのを嫌でも理解した。それなのに、さっきの高峰さんや目の前の水無瀬さんからは他の子のような近寄りがたい雰囲気は帯びてなかった。いや、よく見れば細部で品というものを感じさせるのだけど、それが他の子のように鼻につかないのだ。あくまでも自然。だから僕も彼女とこうして話していられる。


 彼女はここの女の子達よりも僕達に近い。こんな閉鎖的なところよりも、もっと外へ出るべきだ。僕はそう思った。


「ふーん。そうか。お前にはそう見えるのか。って、アタシのことは遥でいいって言ってるだろ」


「さっき会ったばかりの人を呼び捨てにはできない。君こそお前なんて言うな」


「アタシが呼び捨てにしろって言ってるんだ。楓は素直にそうすればいいんだよ」


「そんなこと、僕の勝手だ」


「お前なあ~……」


 不機嫌さを隠すことなく、水無瀬さんは僕を睨み、立ち上がる。僕はベッドに座ったまま彼女を見上げる。見上げた彼女は僕より一回りも二回りも大きくて、少女らしい体つきの中にも強さを持っていた。対して僕は通院以外では四六時中ベッドの上にいた半病人。手足は細く、顔は青白い。化粧でどうにか顔色を修正しているくらいだ。もし今彼女に手を上げられたら、簡単に僕は負かされるだろう。元男として悔しいけど、それが現実だ。


 ぎゅっとシーツを掴み、彼女を見つめ続ける。しばらくすると彼女は大きくため息をついて、頭を掻きながら座り直した。


「……ひ弱なくせに度胸だけはあるんだな」


「ひ弱なんて言われる筋合いはない」


「どう見てもそうだろ」


「うるさい」


「お前……」


「だからお前って言うな」


 水無瀬さんの顔が紅潮する。今度こそ叩かれるかなと他人事のように思う。しかし彼女は「くそっ」と呟いて枕に拳を振り下ろした。


 気付かれないように息をつき、軽く目を閉じる。視界を遮ることで、心臓の音がやけに大きく響いた。なんでこんなくだらないことで意地になっているんだろう。お前って呼ばれることぐらい許してあげればいいのに。しかし、そんな気はさらさらなかった。きっと僕は負けたくないんだ。悩みなんて何一つなく生きてきた、裕福な彼女に。


 突然彼女は立ち上がった。ビクッと体が揺れる。


「ご飯とお風呂だよ。お前も行くだろ?」


「行かない」


「お前本当に――!」


 声を荒げる彼女を手を動かして制する。


「夜はご飯食べないんだ。お風呂も大浴場には行きたくない。部屋のシャワーを使うよ」


 正確には、夜にご飯を食べても喉を通らない、松葉杖の必要なこの体では大浴場へ行くのに酷く体力を使う、なのだけど、彼女にそれを説明する必要はないだろう。


「……勝手にしろ!」


 バタンと勢い良くドアを閉めて、彼女は出て行った。それを見届けてから、ベッドに横になる。


 疲れた。もう動けない。疲労感が体を包む。それなのに眠気はまったくない。一応睡眠薬は持ってきたけど、初日から飲むのは躊躇われる。まあ、もう指一本も動かしたくないのだ。睡眠薬を取るのも面倒だ。今日はこのまま明日まで横になることにしよう。


 水無瀬さんのベッドに背を向けて、布団を被った。ふいに目の前が霞み、それを涙だと思いたくなくて、僕はきつく目を閉じた。

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