第67話 他人の心配より自分の心配
「ほら、やっぱりこうなった」
彩花さんに案内されてやってきた更衣室で一人愚痴る。本来は図書館に勤めている職員専用の更衣室を学園祭の間だけ図書部が控え室として使わせて貰っているらしく、彩花さんが仕事に戻った今ここには僕しかいなかった。
「何が『もしも』だよ。自分が勝負強いこと知ってるくせに」
止められなかった自分を情けなく思いつつも、あの雰囲気では誰であろうと止めることは無理だったんじゃないか、とも考える。その場の全員が乗り気で反対する者はなし。むしろ唯一の反対派だった僕でさえも雰囲気に飲まれて、彩花さんがせっかく僕の分を作ってくれたのだから、使わないと申し訳ない、とまで思ってしまうほどだった。きっとあれじゃ奈菜でも止められなかったと思う。そう思うことにしよう。無理矢理自分を納得させる。
結局遥は大勢の人が見守る中、見事ダートを盤上に命中させた。もちろん当たった箇所は、彩花さんが作成し、「一度だけだから」と急遽設置された『四条楓』のゾーン。予想通りの結果にがっくりと肩を落とす僕を無視し、追い打ちをかけるようにすぐさま投げられたもう一つのダートは『巫女服』のゾーンに突き刺さった。
『四条楓さんが巫女服のコスプレに決定! みなさん拍手ぅ~!』
商店街の福引きが大当たりしたときに聞くような鐘の音をカランカランと鳴らしながら声高く宣言した彩花さんはとても嬉しそうだった。あの喜びようからすると、さっき僕のことを「好きだ」とか言っていたのはお世辞ではないことが分かる。僕も彩花さんも女の子なのに。ま、まあ、女の子しかいなかった桜花でもそういう人は結構いたから今更驚くことじゃないけど……そ、そうだ。彩花さんのあれは桜花で良く聞いた『好き』じゃなくて、友達的なそういう意味の『好き』なのかもしれない。う、うん。たぶんそっちの意味だ。きっとそうだ。そういうことにしよう。
「お待たせしました」
ノックがして、巫女服を着た坂口さんが更衣室に入ってくる。その手には彼女が着ているものと同じデザインの巫女服がある。
「二着あったんだ。てっきり坂口さんのを着るんだと思ってた」
「衣装は全て二着ずつ借りているんです。今私が着ているのは湊先輩と西森先輩、私用で、これは彩花先輩用です」
彩花さん用か……。敢えて何も聞き返さずに巫女服を受け取り、ベンチの上に広げる。コスプレ用の貸衣装であるそれは実際に神社で見る巫女さんの装束とは少し違い、リボンやフリル、白地に赤のラインが入っていたりと至る所に装飾が施されており、機能性よりもデザイン重視になっている。
まるで伯父さんからもらったフリル付きの洋服みたいだ……。遥のせいで今からこれに着替えないといけない。神事のための正装がコスプレとして一般に普及するなんて、昔この服を考えた人もまさか思いもしなかっただろう。
「手伝いましょうか?」
「大丈夫。たぶん着方は分かるから」
やんわりと申し出を断る。見た感じ剣道の道着と構造は同じだ。違いと言えば、袴が二つに分かれてなく、スカートになっているところくらい。学校の制服もこれくらい長ければいいのに。でもこんなに長いと段差を越える度にスカートを踏んづけないように摘ままないといけないし面倒か。
「分かりました。それでは外で待ってますので、準備できたら呼んでください」
「え、いいよ。僕のことなら気にせず戻って」
たしか喫茶店は満席で忙しかったはずだ。お昼時だし、今は猫の手も借りたいはず。そんな時に坂口さんが抜けるのは大変なんじゃないだろうか。その証拠に、ここに残ると言っていた彩花さんは西森君に「お前まで抜けてどうするんだよ」と首根っこを掴まれて引きずられていった。
「いえ、彩花先輩からよろしくと言われてますし、先輩はああみえて小回りききますから」
小回り……見た目通りな気もする。給仕の間もあっちこっちと忙しくなく、それでも楽しそうに接客する姿は見ていて楽しかった。
「それに一人でフロアに出るのは状況的にちょっと勇気がいると思いますよ?」
「勇気?」
どうしてだろうと首を傾げていると、
「みんな、四条先輩を今か今かと待ち構えています」
「う……な、なるほど」
笑みを含んだ表情で坂口さんは言った。ゾッと背筋に寒気が走る。脳裏に実力テストの結果発表を見に行った時のあの場面が浮かぶ。大勢の人から一斉に向けられる視線。あれと同等かそれ以上。それだけの視線に耐えるのは僕には無理だ。
「それは勇気がいりそうだね……」
「はい。ですから外で待っています。焦らずゆっくり着替えてください」
「お、お言葉に甘えさせて貰います」
後輩に気を遣われるなんて情けないことだけど、背に腹は代えられない。軽くお辞儀をすると、坂口さんは「いえいえ」と少しクマのある目を細くして微笑んだ。いい人だ。どことなく雰囲気が奈菜に似ている気がする。
「坂口さんって、よく面倒見がいいって言われない?」
「いえ、一度も言われたことは……あぁ、西森先輩には言われたことがあります。でもそれだけです。普通ですよ」
「そうかな。でも本当にありがとう。忙しいのに付き合ってくれて」
感謝の言葉を紡ぐと、自然と笑顔になれた。そのことを内心喜ぶ僕の目の前で、坂口さんの顔がサッと赤くなった。
「あれ、顔が赤い。ここ暑いのかな……?」
「い、いえ。もう10月なので暑いはずがありませんし、ちょっと動悸が激しくなっただけで心配無用です。たぶん昨日ネトゲで徹夜したせいで無駄にテンションが高いのですええきっとそうです」
早口で捲し立てる坂口さんの突然の豹変に疑問に思うも、「そ、そう」とだけ返事して追求するのを諦める。しばらくして、呼吸を整え顔の赤みも引いた頃、少し遠慮がちに坂口さんは口を開いた。
「四条先輩のことはいつも彩花先輩から聞いていましたが、その通りの人なんですね」
「その通り?」
聞き返すとやんわりと微笑んで、
「いろいろとありますが、一言で言うと……そうですね。『素敵な人』です」
「……へ?」
す、素敵? 僕が?
「私もファンになりそうです」
「ふ、ふぁん……?」
ぽかんと口を開ける僕を見て、坂口さんは「半分冗談の半分本気です」と笑った。
◇◆◇◆
『みんなぁー! 四条さんのコスプレを見たいかぁ~!』
『おー!』
『どうしても黒曜の妖精のコスプレを見たいかぁ~!』
『おー!』
『きっと凄くかわいくて、絶対彼女にしたくなるけどそれでもいいのかぁ~!』
『おー!』
『でもだめ! 四条さんはボクの嫁だから!』
『お、おぉ……』
「なにあれ……」
「なんでしょうね、あれ……」
事務室からこっそりフロアを覗く。僕も坂口さんも異様に盛り上がるフロアの光景に目を丸くした。僕達に背を向けて立つ彩花さんは蓮池の制服から修道院のシスターが着る服、修道服に身を包んでいた。更衣室にいなかったのに、どこで着替えたんだろう。
「さっき確認したときと雰囲気がガラリと変わっています……。おそらくは乗せられやすい彩花先輩が周りの盛り上がりぶりを見てテンションが振り切れ、さらに周りがそれに釣られたのだと思いますが」
「ふ、ふりきれちゃったの……?」
「はい。ぶっちぎりです。リミットブレイクです。今なら起死回生の大技が繰り出せます。私のお薦めはバッドステータスを付与するタイダルウェイブですが、安定したダメージなら無属性のシューティングスターの方が…………あ、すみません。ゲームのやり過ぎと眠気のせいでリアルとバーチャルの境界が吹き飛んでました」
坂口さんがフルフルと頭を振る。気持ちさっきよりも目のクマが大きくなっている気がする。
「だ、大丈夫?」
「さっきブラックコーヒーと眠気打破をキめて来ましたから大丈夫です。あと10時間は戦えます」
ほ、本当に大丈夫かな……? 坂口さんを心配しつつ、眼前に広がる光景に目を向ける。修道服を着た彩花さんが先端に十字架の付いた杖を振り上げながら「コスプレは好きかぁ~!」と叫ぶと、椅子から立ち上がったお客さんが「おー!」と声を上げる。何かいけない集会を覗き見ているようだ。
「これは私でも一人で出て行くのは無理です」
「だ、だよね。あはは……」
お客に混じって、一緒に騒いでいる遥を見つける。僕がこうなった要因を作った張本人なのだから、一番盛り上がって然るべきだとは思うけど……あとで一言言ってやる。
「こんなに盛り上がって……期待外れだったらどうするんだろ」
自分の姿を見下ろす。リボンやフリルでとても女の子らしい巫女服。果たして似合ってるのだろうか。みんなの期待に応えられるのだろうか。
「無用の心配です。今の四条さんは、気付いたらこの手に携帯を握りしめて動画撮影をしてしまうくらいに似合ってますよ」
「そ、そう? 似合ってる?」
「はい」
力強く頷く坂口さんを見て、ほっと胸を撫で下ろす。良かった。少なからず坂口さんは似合ってると言ってくれてるのだから少しは……ん? あれ。さっき坂口さん変なこと言ってたような……。携帯がどうとか。
「えっと、坂口さん? その携帯……」
「はい、携帯がどうかしまし……あ」
気付いた坂口さんが一瞬にして携帯をポケットにしまい、「冗談です」とぎこちなく微笑んだ。冗談ならどうして携帯をしまうのか。
『そろそろ準備はできたかな~? 芽衣ぃー』
「は、はーい! さ、彩花先輩に呼ばれたので先に行きますね」
「あっ、ちょっと待って」
僕の制止を無視して坂口さんは事務室から出て行った。……逃げられた。
『四条さんの準備はばっちり?』
「はい。凄く似合っているので、みなさん期待してください」
さ、坂口さん。さらに出にくくしてどうするの……。ああもう帰りたい。帰って家でごろごろしたい。ごろごろしてると椿がくっついてくるから自制してるけど、今帰れるならいくらでもくっついていい。それくらい帰りたい。
『それじゃご登場願いましょ-! 四条さんかもんっ!』
死刑宣告のような彩花さんの声がこだまする。こうなったら今更逃げられない。……が、頑張ろう。坂口さんのため、彩花さんのために。遥は後でおしおきだ。
「頑張れ、僕」
声に出して自分を鼓舞する。そして高鳴る心臓を押さえながらゆっくりと事務室を出て、みんなの前に姿を現わした。
次の瞬間、僕は愛想笑いを浮かべることも忘れて、引きつった顔で両耳を押さえていた。