第65話 二人きりは久しぶり
『なに二人して油売ってんだよ。芽衣と俺だけじゃ回らないってのに。ほら、戻るぞ』
『えーっ。せっかく四条さんとお話してたのにー。あと少し、あと少しだけ!』
『問答無用!』
『いーやあぁぁ……』
なんていうやりとりをして、湊さんと彩花さんが謎の女の子(遥は口元を押さえて笑っていた)に連れ戻されてから10分後。意外にもお店の回転はいいらしく、そう待たずに僕達は中に入ることができた。お店と言っても、そこは読書スペースに長机を並べて区切っただけの簡単な作りになっている。ただ、長机の上にはお花やヌイグルミが所狭しと置かれ、客席のカラフルなテーブルクロスとあいまって、その空間をとても華やかにしている。
店内では彩花さんと湊さん、そして茶色の長い髪をポニーテールにして、神社で見かける紅白の巫女服を着た女の子が忙しそうに給仕に追われていた。背丈からして一年生かなと思案するも、その考えだと彼女より身長の低い僕は二年生には見えないんだろうなと、少し落ち込む。
「アイツは坂口芽衣。図書部の一年部員だよ」
目で彼女を追っていると遥が教えてくれた。
「ゲームが好きでな、たまに部室へ行ってもゲームばかりしているよ」
「ふ、ふーん」
「ん? どうかしたのか?」
「別に……」
予想通り一年生だったのだけど、僕まで一年だと言われたようで、理不尽にふて腐れる。坂口さんは目を半分ほど閉じて、少しだけ足元をふらつかせていた。寝不足なのかな。
「芽衣のヤツ、またネトゲで夜更かししたな……?」
「ネトゲ?」
聞き慣れない言葉だ。略語だと思うけど、なんの略だろう。
「ネットゲーム。ネットを介してやるゲームだよ」
「インターネットを使ってゲームするの?」
「ああ。ほら、ゲーセンでも格闘ゲームでオンライン対戦だとかやってるだろ? 遠くの人とでも対戦ができるって」
遥に何度か連れて行ってもらったゲームセンターを思い出す。たしかにそういうゲームがあったような気がする。子供の頃の記憶だと、ゲームはコンピューター相手か、目の前の人と対戦するしかなかったはずなのに、技術の進歩は凄い。いつのまにかゲームもインターネット上でプレイするものになったらしい。でも家庭用のゲーム機でどうやってネットに接続するんだろう。ゲーム機をパソコンに繋ぐのかな。
そのとき、図書館には似つかわしくない、わあっという歓声が沸いた。何事かと目を向けれると、湊さんがテレビで見るような大きなルーレット盤の横に立ち、突き刺さったダーツを指さして「大当たり~!」と鐘を鳴らしていた。ルーレットに目を凝らせば、制服、巫女、警察官、バニー、魔法少女などと言う単語が色分けされたルーレットに並んでいた。
ここはコスプレ喫茶らしいから、察するにルーレットでダーツが命中したコスプレをしてくれるということだろう。なるほど、これは楽しそうだ。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
男の子の声が聞こえ、テーブルに水の入ったグラスが二つ置かれた。遥と同時に見上げた先には、さきほど彩花さんと湊さんを連れて行った女の子?が立っていた。長い黒髪を首の後ろあたりでまとめ、薄く化粧をした学園の制服を着た彼女は、お盆を脇に挟み、伝票を構えて注文を待っている。少し大柄だけど、その姿は何処から見ても学園の女子生徒にしか見えなかった。
「うわぁ~……」
「うわぁ~とか言うなよ、遥」
口角をつり上げて声を漏らした遥に、彼女は肩を落とし、ため息混じりに弱々しく言い返した。遥がふっと鼻で笑う。
「そう言われてもなあ……。これが全然似合ってなくていかにも『男が女装しました』って感じだったなら、アタシも似合ってねーって笑い飛ばすところなんだけど、あまりにも似合いすぎてどこからどう見ても女なのに、声はまんま男っていうのがもうなんていうか、凄いもったいなくてさ」
「もったいなくねーっての。俺にそっちの趣味はねーんだから」
やっぱり。薄々どころか確信していたけど、彼女は女の子ではなく男の子だった。
「これならキモいと言われたほうがまだマシだ。もしこの姿を隣の蓮池の奴らに見られて、『嫌だあの子、あんなに女装に気合い入れちゃって、そっちの気があるのかしら?』と思われたらどうするんだよ。絶対明日から後ろ指指されて笑われる。もう外歩けねーよ」
両手で顔を覆って左右に首を振る。仕草が女の子っぽいのは気のせいだと思うことにする。
「好きこのんでこんな姿をしてるわけじゃないのに、無駄に似合いすぎて笑えないことになってるしさ……。さっきも同い年くらいの男が俺のコスプレを希望したんだぞ? 俺が男だって言っても、それを分かった上で指名しているとか訳解らないこと言いやがって……。あ、ちなみにこの化粧は彩花と湊にやられたんだからな? 俺がやったんじゃないからな?」
「はいはい」
手をひらひらとさせて適当にあしらう遥。ふと僕と視線が合い、「悪い」と謝った。
「紹介が遅れたけど、こいつは2年の西森康介。こんなナリだがもちろん男だ」
「女装趣味なんてまったくないノーマルなんで、そこんとこよろしく」
「は、はい」
いやに真剣な表情で詰め寄られ、有無を言わせぬ雰囲気に反射的に頷いてしまっていた。納得した様子でほっとため息を漏らした西森君は髪を払いながら姿勢を戻した。
「その髪はウィッグか?」
「ウィッグ? あー。うん、かつら。こんなに長いのに地毛なわけないだろ」
西森君がポニーテールの先を摘まむ。これウィッグなんだ。ウィッグを直に見たのは初めてだ。こんなに近くで見ても本物の髪のようにしか見えない。
「かつらを被ると頭がかゆくてもかけないから辛いんだよな。ここで脱ぐと罰金だって湊に言われてるし……って、そういえば仕事中の無駄話も罰金だったな。そろそろ仕事に戻るか。で、注文はなんにする?」
西森君がテーブルの脇にあった小さなメニューを中央に置く。
「メニューすくなっ」
「文化祭の出し物なんだからこんなもんだろ?」
「まあそう言われれば……」
対面の僕にも見えるようにメニューの向きを変える遥。それを二人で覗き込む。遥が言うように、メニューはお世辞にも豊富とは言えなかった。それでも飲み物はコーヒーに紅茶、コーラにオレンジジュース、そして烏龍茶などとあり、デザートにはケーキとアイスが3種類ずつにプリンがある。文化祭の、しかも主題をコスプレとした喫茶店としては十分な品揃えだと思う。
「ケーキとプリンは商店街の店から取り寄せた物だからオススメだって彩花が言ってたぞ」
「へぇ~。よく買えたな。そこにはアタシと楓もよく行くけど、放課後には人気のものはほとんど売り切れてる有名店なのに」
「なんでもそこの店長が彩花のことを気に入ってるらしくて、彩花が『文化祭でみんなに食べてもらって、もっとこのお店のことを知ってもらいたい』って言ったら、快く協力してくれたんだってよ。値段もほぼ原価だとか」
「原価って……あぁ、そういやあそこの店長、自分がデカいからか、小さい子には優しいんだよな。この前もアタシの奢りで楓と買いに行ったら、一個おまけしてくれたし」
「へ? あれはよく来てくれるからっておまけしてくれたんじゃないの?」
「口ではそう言っても本心は違うんだよ。楓を見るときのあの表情、あれは間違いなくお得意様の客ってだけで見せる顔じゃないって」
「そうかなぁ~。……って遥。それだと僕が小さいって――」
「康介。アタシはコーヒーをホットで。あとはティラミス」
はぐらかした。わざとらしく目をそらして注文をする遥は僅かに動揺しているように見えた。
「ほら楓も早く。注文もらわないと湊達に怒られるんだって。な、康介?」
「いや、客の遥と四条さんが時間をかけるのは別に――」
「なっ?」
「……お、おぉ」
ぎこちなく頷く西森君。どうみても無理矢理言わせてる。横顔は普通なのに、ころかみに青筋が浮かんでいる。遥に気付かれないよう、小さく嘆息する。そんなに気にしなくてもいいのに。たしかに小さいって言われるのはあまりいい気はしないけど、自分が人より小柄なことはちゃんと理解している。将来的にはもう少し伸びる予定だけど、十中八九このままだろうとも思っている。だから文句や愚痴は言っても本気で怒るようなことはない。きっと、中学の頃に一度だけ本気で怒鳴ったことが原因なのだと思う。
「えっと、僕はレモンティーとショートケーキ」
「遥がホットコーヒーとティラミス。四条さんがレモンティーとショートケーキ、だな?」
遥が頷く。再度西森君は注文を確認してから一礼し、その場を離れた。後ろ姿を目で追って、視界から消えたところで店内を見回す。いつの間にか彩花さんが赤色のチェックスカートにキャメル色のブレザーという、隣数百メートルにある蓮池高校の制服に着替えていた。蓮池高校の制服は学園のとよく似ている。ただ、あっちのほうが全体的に色が明るめで、校則が緩いこともあって制服をいろいろと弄っている生徒が多い。だから学園よりも人気のある制服なのだけど、僕としては学園の制服の方が好きだ。スカートの丈がまだ長い方だし。
「そういや、二人で喫茶店なんて久しぶりだな。最近は葵や綾音、誰かしら一緒で」
「そうだね」
答えながら視線を遥へ向ける。遥も彩花さんを見ているようだった。
「もう学校には慣れ……って、聞くまでもないよな」
「うん。まだ時々戸惑うことはあるけど」
「そっか。それはよかった」
遥が僕を見て微笑む。いつもの彼女らしくない、けれど彼女らしい表情で。
「彩花のヤツ、蓮池の制服似合ってるなー。学園じゃなくてあっち行けば良かったんじゃないか?」
「学校は制服で選ぶものじゃないよ?」
「蓮池も学園も進学校でちょっと偏差値が学園の方が上ってだけじゃないか。誤差だよ誤差」
同じ進学校でも、蓮池はどちらかといえば文系、学園は理系に強いとそれぞれ特色がある。スポーツも蓮池の方が盛んだし、どっちでも、とは一概には言えないと思う。
遥の視線に気付いた彩花さんが両手を大きく振っている。屈託のないその笑顔は、見ていると優しい気持ちになれた。喫茶店の様子を見ていると、彩花さんは凄く人気があるみたいだ。きっとあの笑顔が彼女の魅力なのだろう。
「こうして二人で喫茶店でぼーっとしてると、昔を思い出すなあ」
「昔って?」
「アタシが楓を無理矢理連れ回してた頃だよ」
「……もしかして、それって僕がまだ剣道部に入ってなかったときのこと?」
遥が「そうそう」と頷く。あの頃は沙枝と奈菜は部活に忙しくて、遥と二人で放課後の時間を喫茶店やファミレス、たまにゲームセンターに行ったりして時間を潰していた。無理矢理連れ回した、なんて遥はいうけど、実際そんなことは……でも、たしかにあの時の僕はそういう風に思っていたのかもしれない。でも少し言い過ぎな気がする。
「今は無理矢理じゃなくてもついてくるから楽になったよな」
僕を見て遥が笑う。受け取り方によっては、僕を軽視しているようにも聞こえる。本人にその気はないだろうけど。これだから遥は誤解されやすいんだ。
「遥はいちいち言い方が悪い」
「そうか?」
「そうだよ」
「それは悪かった」
「別に僕は構わないけど」
「だったらいいじゃないか」
全然良くないのに、遥は嬉しそうだった。