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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第一部一章 メランコリーオーバードライブ
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第7話 ニンジンは嫌い

「眠い……」


 目を擦りながらテーブルに着くと、いつものように椿が僕の後ろに立って髪を梳かし始めた。


「休みの間中、毎日9時まで寝てるからだよ」


「まったく仰るとおりで……」


 言い返す言葉が見つからない。


 『生活リズムを戻そう』というスローガンを掲げ、椿にはだまって7時に起きることを決めたのが先月の25日。そして今日は二学期が始まる9月1日。この一週間、携帯電話の目覚まし機能を使って頑張っては見たものの、結局二度寝やら気づかなかったやらで、一度も予定通りに起きられたことはなかった。椿を気にして、目覚ましには相応しくはない静かな音楽に設定しておいたのが間違いだった。音量も控えめにしていたからなおさらだ。椿に遠慮せず、ちゃんとした目覚まし時計を買うべきだった。携帯電話の音くらいじゃ僕の眠りを覚ますほどの効果はないらしい。


「ふあ……はあ」


 一つ欠伸をして、椿が用意してくれた紙パックの野菜ジュースにストローを突き刺して口で咥えた。相変わらずの甘みと苦みが混ざったような変な味。正直野菜ジュースは好きじゃない。ただ、不健康なこの体のため、少しくらいは気を遣おうと飲み始めたのがこの野菜ジュースだった。味は二の次って言うのは分かってはいるけど、もう少し飲みやすくならないものか……。


「あれ。それ美味しくなかった? 新商品って書いてあったから買ってみたんだけど」


 予想以上に僕は顔をしかめていたらしい。ここで一緒に住み始めて、初めて椿がそんなことを聞いてきた。


「新商品?」


 紙パックを目線まで持ち上げてラベルを見ると、それはキャロットジュースだった。通りでまずいわけだ。よりにもよって一番嫌いなニンジンが入っていただなんて。


「……まあ、おいしくはない、かな」


 当たり障りなく、あくまでもこの『新商品』が不評だと言うことを前面に押し出す。決して僕がニンジン嫌いなことを悟られないように。


「ふーん。野菜ジュースなんてどれも一緒だと思ってた」


 ニンジンさえ入ってなければ、僕もそれに同意見です。


「明日からはまたいつものやつ買ってくるね」


「や、自分の分くらい自分で――」


「まとめて買った方が安いときもあるんだから任せてよ」


「だから買い物は僕もつきあうって何度も――」


「買い物くらい一人でいけるから無理しないで」


「……」


 口を挟む隙間がない。仕方ない、ここは言葉ではなく実際に行動で示すしかない。出来るだけ放課後は椿と一緒に帰って、買い物に付き合うことにしよう。


「ほら、早くそれ飲んじゃってね」


 椿に急かされて紙パックを振ってみると、まだほとんど残っていた。


「え、や、もういらない、かも?」


「えーだめだよ。お姉ちゃんはこれが朝ごはんなんだからちゃんと飲まないと。……もしかして調子悪いの?」


「ち、違うよ!」


「よかった。美味しくないのは分かったけど、無理でもがんばって飲んでね」


「……」


 そう言い残して作業に戻る椿を横目に、渋々僕も作業に戻ることにした。


 ◇◆◇◆


「はい。お姉ちゃんできたよ」


「ん、ありがと」


 手鏡を受け取って確認する。とは言え、椿が適当にやるなんて思えないので、さっと見ただけで手鏡を椿に返した。


「お姉ちゃんって、これ使わないの?」


 椿はそう言いながら、バレッタを持ってぱくぱくと開いたり閉じたりを繰り返した。


「うん。あまり髪を留めるのは……あ、校則で髪が長いとまとめないといけないとかある?」


「ううん。そんなのないけど、邪魔じゃないかなって」


「ああ、そういうこと」


 椿の言うとおり、たしかにこの長い髪は邪魔だ。例えば食事の時なんかはご飯やソースが髪についてしまわないように特に気をつけなくちゃいけない。


「邪魔は邪魔だけど……なんか髪を留めると窮屈な気がして。それに友達がそういうのは跡がつくから止めた方がいいって言うから、あまり使わないようにしてるんだ」


「ふーん」


 椿がバレッタをテーブルに置き、自分の髪に触れる。


「わたしもお姉ちゃんみたいに伸ばそうかな」


 肩に届くか届かないかくらいの髪をくるくると弄る。


「そういえば椿って昔もそれぐらいの長さじゃなかった?」


「うん。ずっとこのままだもん」


「ずっと?」


 僕が聞き返すと、椿は「だって」と言いかけて口をつぐんだ。


 しばらく待ってみたけど、結局椿は話してくれなかった。


 ◇◆◇◆


「お、お姉ちゃん。……制服似合ってるね」


 リボンを結ぶために鏡の前に立っていると、同じ制服を着た椿が部屋に入ってきた。僕を見るやいなや、椿は胸の前で手を合わせて目を輝かせた。


「そう? 椿も制服似合ってるよ」


 リボンを結び終えて椿の方を向くと、なぜか椿は力強く首を振った。


「ううん。お姉ちゃんのほうが絶対似合ってる!」


 別に否定する必要はなかったと思う。


「見てみて」


 椿に促されて視線を姿見に向けた。鏡には、同じ学園の制服を着た僕と椿が並んで映っていた。


 この僕達が着ている学園の制服は、僕が先月まで通っていた桜花のような修道服をイメージしてデザインされたシックなものとは違い、今風のデザインで巷では評判らしい。なんでも有名なデザイナーに頼んで作ってもらったとか。さすが私立の進学校。制服でも入学希望者を釣ろうという考えなのだろう。


「ほらね?」


「ほらねと言われても……」


 たしかに、僕も椿もその制服はよく似合っていた。けれどそれに優劣があるかと言われたら首を傾げるしかない。


「きっと自分のことだからあまりよく分かってないんだよ」


 そっくりそのままその言葉を返します。


 椿を一瞥して鏡に映る自分の姿を見た。視線を少しだけ下におろして、桜花に比べてかなり短いスカートの裾を指でつまんだ。


「ちょっとこれ短かすぎない?」


「そうかな? そんなものだと思うけど」


「制服なのに?」


「うん」


『巷の学生服は膝上何十センチなんて当たり前』


 奈菜の言葉が頭の中で響く。まさか、その巷の学生服を僕が着る事になるなんてね……。


「昨日お姉ちゃんが穿いてたスカートもそれくらいじゃなかった?」


 昨日着ていたのは膝ぐらいまでの長さのスカートにノースリーブのブラウスという、僕がこの時期好んで良く着るものだ。


「それはそうだけど、制服なんだからもう少し大人しめの方がいいかなあって」


「いつも着る制服だから短い方がいいんじゃ……あ。そういえば桜花の制服はもっとスカートの丈長かったね」


「うん」


 僕が通っていた桜花の制服は膝よりもずっと下の長いワンピーススカートだった。そんな制服を毎日着てて、今学期から突然こんな短いスカートの制服を着るなんて、少し抵抗がある。


「慣れるしかないかも」


「慣れかあ……」


 結局のところ、対策はそれくらいしかないだろう。小さくため息をつく僕に、椿は「まぁまぁ」と肩をポンと叩いた。


 ◇◆◇◆


『おねえちゃーん。まだー?』


「今いくー」


 玄関にいる椿に返事しながらオーバーニーソックスに脚を通す。これで日焼け対策と同時に、素足の面積を減らして少しだけ恥ずかしさを軽減することができる……気がする。鏡で最後の服装チェックをして、どこもおかしなところがないか確認する。


 今日は始業式とホームルームがあるだけと椿が言っていたので、鞄に筆記用具だけを詰めて部屋を出た。


「あ、やっと出てきた」


 玄関にいる椿が僕に向かって手を振っている。


「時間は?」


「8時前だから、まだ余裕あるよ」


 玄関で学校指定のローファーを履き、傘立てから例の遥の日傘を手に取…ろうとしたけど、既に椿が持っていた。


「その傘は僕の――」


「学校つくまで渡さないからね」


 僕が言う前に先に宣言されてしまった。ここ数週間一緒に暮らして分かったけど、やはり椿は頑固者らしい。こうなるともう返してくれそうにない。


「はあ……じゃ、いこうか」


 仕方なく傘を諦めて玄関のドアノブに手をかけた。


「お姉ちゃん。ちょっとこっち向いて」


 椿に呼び止められて何事かと振り返る。


「なに? ――っ!?」


 振りむいた瞬間強い光に目が一瞬眩んだ。


「やった、いい表情げっと! あとでこれ携帯の待ち受けにしよっと」


 デジカメの液晶画面を見ながら椿が嬉しそうに言った。


「何を待ち受けにするって?」


 腰に手をあてて呆れたようにして椿に尋ねる。


「お姉ちゃん。ちなみに今の待ち受けもお姉ちゃん」


 椿が鞄から携帯電話を取り出して僕に手渡す。……本当に待ち受け画面の画像を僕にしていた。それは去年、桜花の制服を着た僕を見たいという椿に送ったものだった。


「この写真のお姉ちゃん不機嫌そうだから、こっちきたら新しいのに変えたかったんだ」


 いくら6年間合わなかったからと言って、実の姉を待ち受けにするのは変じゃないだろうか。……それよりも、待ち受けにされた僕はすごく恥ずかしいのだけど。


「実の姉を待ち受けにしてなにしてるんだよ……」


「見て癒されたり、友達に自慢したり」


「見せてるんだ……」


 少し頭痛がした気がして思わず頭を押さえる。


「評判良いよ。おかげでわたしも鼻高々」


「人を見世物にしないよーに」


「えー。いいでしょ自慢くらい」


「よくないっ。……ったく。ほら、そろそろ行くよ」


「わわっ。待って」


 携帯電話を椿に返して玄関を出た僕に、椿は慌てて鞄に仕舞いながら後をついてきた。

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