第63話 綿菓子は砂糖で出来ている
プールの傍の階段に腰を下ろしてクレープを頬張る。イチゴの甘みとほのかな酸っぱさが、そして苦みのあるチョコレートと生クリームがちょうど良く、口の中が甘ったるくなることなくて美味しい。これならもう2、3個食べられそうだ。
クレープを貰った後もしばらくは穂乃花先輩と話していたのだけど、徐々に人が集まってきて混雑し始めたので、邪魔にならないようにとその場を離れた。少し歩き疲れたし、静かなところでゆっくりとクレープを食べたくてうろうろとした結果、ここに行き着いた。
プールでは催し物をやっていない。メイン会場から少し離れているためここに来る人はいなくて、とても静かだ。会場の方から聞こえる音楽と、グラウンドから聞こえる歓声を聞きながら、一人クレープにぱくつく。やっぱり僕は騒がしいところよりも静かなところの方が好きだ。でも、一人でずっといるのは寂しいし、友達とわいわい楽しめるお祭りは好きだから悩ましいところだ。ちょっとわがままだと思う。
「こんなところにいたのか。探したぞ」
「む?」
顔を上げる。目の前に遥がいた。
「ろうひらの?」
「どうしたって、やっとアタシの仕事が終わったから、楓と学園祭を見て回ろうと思ったのに、どこ探してもいなかったからさ」
「おふはれひゃまー。ふらへらひうむろうらった?」
「もちろん盛況だよ。割引券持ってやってきたヤツ結構いたぞ。葵が喜んでたよ」
僕の宣伝効果がちゃんとあったことに嬉しくなる。行ってくれたのは誰かな。蓮君と話していたときの人かな。それともクレープ屋に行くまでに会った人かな。
「よはっら」
不意に遥が僕を見て苦笑する。
「言ってることは分かるけど、ちゃんと飲み込んでから喋ろうな」
意地悪そうな目をして遥が言う。一瞬なんのことか分からず動きを止めるも、両手に持って齧りついているクレープを見て気付く。急いで残りのクレープを食べ終える。
「ふぅ……。別に誰か見てるわけじゃないからいいでしょ」
「アタシが見てるじゃないか。まったく、中学の頃から何度も注意してるのに……」
「あれ、そうだっけ?」
首を傾げてとぼけてみる。呆れられると思っていたのに、意外にも遥は目を丸くしてロボットみたいにカクカクしている。
「ま、まさか忘れたのか? アタシがあれだけ毎日のように――」
「冗談、冗談だから。ちゃんと覚えてるよ。そんなにむきになって言わなくても……」
忘れるはずがない。桜花にいた頃は毎日のように遥にテーブルマナーや礼儀作法について注意されたものだ。その頃の僕は遥とは友達と言えるほど仲良くはなかったし、性格がひねくれていたこともあって、「さすが桜花のお嬢様。小うるさい人だ」と鬱陶しく感じていた。
「なんだ冗談か。楓が冗談を言うなんて月に一回あるかどうかだから分かりにくいんだよ……」
「あ、あはは。ごめんね」
「謝ることはないよ。アタシが勝手に早とちりしただけだから。ただ、あの頃の楓に『コイツ鬱陶しいなあ』と煙たげられつつも心を鬼にしてやってきたことを忘れらているなんてなあ……と、少し焦ったけどな」
「え、僕、顔に出てた?」
あの頃の僕は、周囲を鬱陶しく思いつつもそれを隠すために表面上は普通を装っていたはずなのに。
「それはもう心の底から滲み出るような顔をしてたぞ」
「そ、それだと、クラスのみんなにもバレていたってこと?」
「いや、バレてはいないよ。気付いたのがアタシくらいのはずだ」
「へ? そうなの?」
遥が頷く。
「楓のポーカーフェイスは上手かったよ。でも、朝から晩までずっと一緒だったアタシには微妙に分かったんだよ。それほどまでに楓の事を見てたって事なんだけどな。ちょっとしたストーカーだな」
遥が恥ずかしそうに頭を掻きながら笑う。良かった。クラスのみんなにはバレていなかったんだ。
「それはそれとして。あっちに旨そうなケーキを売ってるところ見つけたから行こうぜ」
「ほんと? 行く行く」
勢いをつけて階段を飛び降り、立ち上がる。
「ちょっと見た目は崩れてたけど、穂乃花先輩のクラスだったから旨いはずだ」
「穂乃花先輩のクラスってことは3年F組かぁ……」
唯一上級生の中で知り合いの穂乃花先輩は料理部のクレープ屋の方にいる。知らない人ばかりのところへ行くのは気後れしてしまうけど、穂乃花先輩のケーキを食べたい欲求が上回っていた。
「楓、旨そうだからって何個も買ったら駄目だぞ? ケーキは一つまで」
「ひ、一つだけ? せめて二つに」
「ダメだ。今もクレープ食べてただろ? 学園祭はまだ始まったばかりだってのに初めから飛ばすヤツがあるか。ペースを考えないと」
「うぅ……分かった」
かなり不満だったけど、遥の言うことももっともだったので言うとおりにすることにする。
「まっ、どうしてもまた食べたくなったら後で買えばいいさ」
「もし売り切れてたら?」
「売り切れてたら、か……。そん時は駅前のケーキ屋で奢ってやるよ」
「いいの? って、さすがにそれは悪いよ」
「いいんだよ。アタシが奢るって言ってんだから。ほら、そろそろ行こうぜ」
先に歩き出した遥に小走りで追いついて横に並んだ。さて。ケーキも楽しみだけど、宣伝の続きをしないとね。
◇◆◇◆
「やっぱ穂乃花先輩考案のケーキは格別だな。高校生が作ったとは思えない出来だ」
「今からでもお店開けるよね」
「それで楓は毎日そこに通うんだろ?」
「もちろん。……と、言いたいところだけど、そこはお財布と相談で……」
「……普通は財布の前に体重と相談なんだけどな。なんだよいくら食べても太らない体質って」
「ん。遥、何か言った?」
「なーんにも」
少しふて腐れ気味の遥を不思議に思いつつ手の平サイズのケーキを頬張る。歩きながらでも食べられるよう小さくしているみたいだ。見た目は少し崩れているけど、味は穂乃花先輩のそれでとても美味しい。
「さて、と。なんか面白いのはないかなっと」
指についたクリームを舐めながら遥が視線を彷徨わせる。
「食べるの早いって」
「楓が遅いんだよ」
絶対遥が早いと思う。遥が小さく「おっ」と声を漏らす。何か見つけたのかと視線の先を見る。
「アイツに聞いてみるか」
遥の後を追う。そこは剣道部のテントで、男子生徒が一人店番をしていた。
「よお。誠。客全然いないな」
「一言目がそれかよ。そりゃそうだろ。男子剣道部がこんなんやってちゃ」
彼が肩を竦める。たしかこの人は同じクラスの遠近誠君だ。ほとんど喋ったことがないから同じクラスだと言うことくらいしか知らなかったけど、剣道部だったんだ。
遠近君の横には円形の変な機械があった。鉄製で、大きなドーナツ型をしている。この形、どこかで見たような……。疑問に思いながらテントの軒先に吊されているキャラクターの絵が描かれて袋を見つける。そうだ。綿菓子だ。この機械は綿菓子を作る機械なんだ。
「綿菓子ねぇ……。こんな砂糖を綿状にしただけの砂糖の塊なんて誰が買うんだよ」
綿菓子かあ。最近食べてないかも。遥はあんなこと言ってるけど、そんなことを言うとケーキだって砂糖の塊だと思う。綿菓子は綿菓子であのふわふわとした雲を食べているような見た目と食感がいいのに。
「いやいや綿菓子は悪くないだろ。縁日とかでもよく見る定番じゃないか。悪いのは男子剣道部がそれを売ってるってことなんだよ。可愛さの欠片もない」
「たしかに。剣道部なんて汗臭いイメージしかないからな」
「それは言い過ぎだろ。否定はできないが……。というか、先輩がこれをやるって選んだくせに客が来ないからって俺に押しつけて遊びに行っちまうのはどうかと思うんだよ」
「ははは。厄日だな。午後からはプラネタリウムだろ? 今日一日潰れてるじゃないか」
「そうなんだよ。客も来ないし、もう締めてもいい気がするんだよな」
「それもいいんじゃないか? どうせ一つも売れないだろうし」
「本当にやったら先輩にどつかれるけどな」
遠近君が笑う。遥ってほんと友達が多いと思う。羨ましい。
「で、誠。なんか面白そうな出し物ってあるか?」
「面白そうな、ねえ~……」
遠近君が腕を組んで唸る。そういえばそれが本題だったっけ。
「ああそうだ。蓮から聞いた話だけど、図書部が図書館でコスプレ喫茶してるってさ」
「図書部ってことは新階の二人と康介か」
「康介も女装してるとかなんとか」
「へぇ~。それが本当なら面白そうだな。よしっ。楓、図書館に行ってみよう」
「うん、いいよ」
そんなわけで次の行き先は図書館に決まった。ちなみに図書館へ行く前に綿菓子を一つ買った。遥には止められたけど一つだけとお願いしたら許してくれた。