第57話 図書部会議中
特別棟四階の最奥。突き当たりの教室に俺達の部室がある。部室の入口には金のプレートで『図書部』と書かれている。それが俺達の部の名称だ。なんで金プレートなのかは知らない。とにかく目立つので変えてほしいのだが、どうせ特別棟四階なんてほとんど人も来ないしいいかと妥協している。
部室の鍵は既に開いていて、中に入ると小さな女の子が足の届かない椅子に座り、パソコンを弄っていた。長い茶色の髪をツインテールにした坂口芽衣は、半分ほど閉じた眠そうな目で画面を食い入るように見つめている。ヘッドホンをしているせいもあり、俺達が入ってきたことに気付いていない。
「よお」
「こんにちは、西森先輩」
ヘッドホンを外して挨拶する。いつものことなのでそう驚くこともなく返事する芽衣。よく見ると目にはクマが出来ている。
「またお前徹夜か」
「はい。素材集めしていて、気付いたら朝に……ふぁぁ」
遠慮なんて欠片もない大きな欠伸をする。芽衣はネットゲームにはまっているらしく、暇があればパソコンの前に座ってコントローラーを握っている。今年の春にこの部に入部したのも「部室に今プレイしているネットゲームの推奨スペックを満たしたパソコンがあるから」という理由からだ。パソコン素人な俺や新階姉妹が去年の部費のあまりで買ったそれは無駄に高スペックだったらしく、ネットで調べ物するくらいしか使い道を知らない俺達はほとんどパソコンに触れることはなく、もっぱら芽衣のゲームパソコンと化している。
「徹夜もほどほどにしとけよ」
「大丈夫です。これでも週平均で5時間は寝るようにしています。昨日は寝てないので、今日と明日で7時間と8時間ずつ寝れば取り返せます」
人の体はそういうもんじゃないだろう……。これだからゲーム脳は。
「はいはい。そこの二人もこっちきて。会議するから」
黒板の前に立つ湊が俺達を呼ぶ。その黒板の前には3人掛けのソファーが2つとローテーブルがある。彩花は黒板から見て一番左側に座っている。芽衣短く返事して、立ち上がる。会議やらがあるときは大人しくゲームを止めて参加すること。それがパソコン使用の交換条件だ。
彩花の座るものとは別のソファーに二人で座る。それを見てから湊が黒板にチョークを走らせた。
『学園祭の出し物について』
教室はホワイトボードのなので、黒地に白文字というのはなんか新鮮だった。
「そういえば決めてませんでしたね」
芽衣が黒板を見ながら言う。
「決めてないというか、決めるまでもなく毎年恒例の図書館喫茶でしょ?」
「図書館喫茶?」
彩花の言葉に芽衣が首を傾げる。
「普段飲食物持ち込み不可の図書館で喫茶店を開くの。いつもは図書館に足を運ばない人にも来てもらおうと始めた図書部発足当時からの伝統行事だよ」
「そうなんですか。ちゃんと部活っぽいこともしているんですね~」
にやりと芽衣が笑う。完全に馬鹿にしているが、俺も彩花も湊もこの部が他の部のような真っ当な活動をほとんどと言っていいほどしていないのは理解しているので誰も言い返さない。それどころか、彩花はうんうんと頷き、芽衣に同意している。
「うちの部って、これしか部活動と呼べるものはないからね。あとは毎日無駄にだらだらと過ごすだけだし。お菓子たべたりゲームしたり、昼寝したり、幽体離脱したり」
「え? い、いえさすがにそこまでだらだらとは……。一週間に一度は図書館の本の整頓をしていますし、図書部らしく読書もしていますから……」
真面目に答えずに最後の幽体離脱に突っ込めよ。ほら、彩花も残念そうな顔をしている。彩花は嘆息してから続ける。
「この行事がなかったらホントに部として存続する意味ないよね。同好会でいいよ。ちょうど他の部から部費泥棒って白い目で見られてるところだし、もういっそのこと同好会に格下げしてみよっか」
「え!?」
思いがけない彩花の言葉に、芽衣が目を丸くして声を上げる。
「湊はどう思う?」
「そうね~……。パソコンがなくなるかもしれないけど、ほとんど使ってないし別にいいんじゃない?」
「えっ!? ……あ、あの! ま、毎週やってる図書館の本の整頓があるじゃないですか。芽衣達はちゃんと部活動してますよ」
しどろもどろに言う芽衣。自分のせいで格下げされてはたまったもんじゃないだろう。しかもパソコンもなくなるかもしれないと言われたらなおさらだ。酷く動揺しているようで、彩花が含み笑いをしているのに気付いていない。しばらくすると彩花は飽きたようで、
「ま、そんな冗談はさておき」
「冗談だったんですか!?」
「図書館喫茶って決まってるのにわざわざ会議をするってことは……何か考えがあるって事?」
やっと話が戻る。
「ええ。去年の図書館喫茶の売り上げ知ってる? 私も詳しい数字は知らないけど、売り上げランキングでワースト5だったらしいわ」
「去年喫茶店多かったもんね。それでお客が分散してどこもスカスカ。露天が並ぶ中庭から離れた図書館までわざわざ足を運んでお茶するくらいなら、近場の喫茶店行くよね」
学園祭のメイン会場は一般棟と特別棟の北、学生食堂棟や情報処理棟のある中庭だ。そこから南にある校門近くの図書館までは距離がある。図書部である俺でも、どこかで一休みしようと考えたときに図書館喫茶は思い浮かばない。
実際去年は顔を出していない。彩花も湊もそうだろう。去年卒業した部活の先輩が「自分達だけでやりたい」なんて言うから、俺達は遠慮して行かなかったのだ。しかし今年は3年がいないので、俺達2年が頑張らないといけない。
「去年私達は蚊帳の外だったからワースト5でも別に良かったけれど、今年は私達がやるんだから、最低でも中の上は狙うわよ」
「おー。湊、気合い入ってるねー」
「お姉さんが参加するのに、平均以下なんて絶対させないわ」
拳を握りしめる湊。なるほど、やたら湊がやる気を見せているのはこのせいか。
「別に楽しめればいいんじゃないの?」
「ダメよ。去年のミスコン準優勝のお姉さんがいるのに下から数えた方が早いなんて結果になったら切腹ものよ? 康介が」
「なんで俺!?」
「せっかくミスコンのこと忘れてたのに掘り起こさないでくれる!?」
俺と彩花が同時に声を上げる。俺はただ驚いただけだが、彩花の方は精神的にダメージを負ったらしく、その証拠に頬が赤い。去年彩花は、新聞部主催のミスコンに無理矢理出場させられ、見事準優勝に輝いた。しかしその授賞式の最中、ついに百をゆうに超える羨望の眼差しに耐えられなくなった彩花はその場から逃亡。ミスコンを台無しにしたのだ。それからしばらくの間は今の四条さん以上に注目され、その出来事は彩花にとって軽いトラウマとなっている。ちなみにそのミスコンで優勝したのは、当時2年だった塚崎先輩だ。
湊がまあまあと彩花をなだめてから、教卓をバンと叩く。
「それで今年は少し趣向を変えようと思うわけ。ルーレットコスプレ喫茶なんてどうかしら」
「ルーレットコスプレ喫茶……なにそれ?」
嫌な予感しかしない。
「お客さんの注文毎にルーレットを2つ回してもらって、その結果で図書部の面々がそれに合わせたコスプレをするのよ」
湊が黒板に円を二つ描き、その中に線を引き文字を書いていく。一つは図書部の部員名を、もう一つにはゴスロリやらメイドやら浴衣やらを。……なんとなく分かってきた。
「まずはこっちのルーレットを回して誰が着替えるかを決める。その次にもう一つを回して何に着替えるか決めるの。これならゲーム感覚でお客さんも楽しめるでしょ?」
「面白そうですね」
芽衣が賛同する。彩花を見ると嫌そうな顔をしている。たぶん俺も同じだろう。
「お姉さん。不満そうだけど、どこに不満があるの?」
そりゃコスプレすること自体にだろ。
「別に着替えるのはいいけど、コスプレって一度してみたかったし」
いいのかよ。
「着替えるのが面倒だなあと」
「それはよほど運が悪くない限りは大丈夫よ。ここには名前と衣装しか書いてないけど、ルーレットの5割から7割くらいはハズレかタワシかビンタにするから」
「いや、ハズレとタワシはいいとして、ビンタはだめだろ」
「それがそうでもないのよねぇ……」
湊がにやりと笑う。痛いのは誰だって嫌に決まっている。湊はなにを言ってるんだ。
ふとそこで俺は気付いた。よく見るとルーレットには俺の名前まで入っている。いや、それ自体はいいのだが……。
「なあ、湊。俺は俺用の衣装のルーレットがあるんだよな?」
「ないわよ。同じルーレットを使うわ」
「え、そ、それだとゴスロリとか甘ロリとかメイドに止まったとき俺は何に着替えればいいんだ?」
「それはもちろんゴスロリとか甘ロリとかメイドに着替えてもらうわよ」
…………は?
「え。湊、お前何いってんのか分かってるのか? 男だぞ? 男の俺がそれを着ると完全に女装になるぞ? たぶんキモイぞ?」
「大丈夫よ。康介って線が細いし女顔だから化粧すればそこらの女の子よりいけるって! ちょうど今って男の娘がちょっとしたブームだからいいじゃない」
「よくねーよ! 俺に女装趣味なんてないっての!」
女装なんてした日にはもれなく俺の黒歴史になるのは確定だ。それだけは阻止しないと。
「学園祭よ、お祭りなのよ? 誰も康介が女装したからって変態とは思わないわよ。こんな機会でしか女装なんて出来ないんだから、記念にと思ってやってみたらいいじゃない」
「そーそー。せっかくなんだし着てみたら? 似合うと思うよー」
「カツラを被ってパットを入れて、ストッキングを穿いて体の線の分かりにくい服を着れば充分通用すると思います」
「……え? え?」
やべえ。何故か彩花と芽衣まで湊に加勢するとは。何か言う前に押し切られそうだ。
「それとも、あんた一人だけ未参加ってわけ?」
「いやだから男物の服を用意してくれれば――」
「ふーん。康介は学園祭なんてどーでもいいんだ」
「男なのに器の小さい人です。おちょこをひっくり返した方の器くらいの小ささです」
……なんで俺責められてんの? ただ女装はしたくないと言ってるだけなのに、いつの間にか女装をしないイコール学園祭に未参加になっている。
「康介が参加しないとなると、3人だけでお店を回すことになるわね……」
「そ、そんなの無理だよ!」
「そうです無謀すぎます!」
「分かってる。分かってるわ!」
彩花と芽衣が詰め寄り、湊が目尻を拭う。なんか茶番劇が始まった。
「そうよね……。さすがに3人じゃお店を回せそうにないわよね。仕方ないけど、今までずっと続いていた図書館喫茶を、今年は止めるしかないわね……」
『……』
3人に睨まれた。居心地悪く目をそらしていると、湊が一枚の紙を差し出してきた。
『図書部学園祭出し物。参加者一覧』
そう書かれた下には、湊と彩花と芽衣の名前が並んでいる。
「…………あの、だから女装――」
「思い出」
彩花が俺の声を遮った。
「ああもう分かったよ! 女装すりゃいいんだろ! 女装すりゃ!」
結局こうなるのか。諦めつつもなんとなくこうなるだろうと思っていた俺は、芽衣の名前の下に自分の名前を書く。書き終わると同時に湊が紙をひったくった。
「よーし。これで今年の出し物は決定ね。目指せ売り上げナンバーワン!」
『おー!』
嬉しそうにかけ声をあげる彩花と芽衣。そんな3人を見ながら、まあいいかと苦笑するのであった。