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第6話 昔はいろいろあった

「はあ、はあ、はあ……」


「お姉ちゃん。もう少しだから頑張って」


「はあ、はあ……う、うん」


 息も絶え絶えになりながら、一段一段ゆっくり上って行く。このバリアフリーやらユニバーサルデザインやらのご時勢に、どうしてこんな急な階段の上に墓地なんて作ったのか理解に苦しむ。


「大丈夫? お茶飲む?」


 僕に左肩を貸し、右手には僕を強い日差しから守るために日傘を差した椿が、お茶の入ったペットボトルを差し出してくる。


「今、飲んだら、吐く……」


「そんなになんだ……」


 椿が心配そうに僕の顔を覗きこむ。


「はあ、はあ……な、なんで椿はそんなに平気なの? り、料理部じゃなかったの?」


 こんなに僕がいっぱいいっぱいなのに、椿はといえば少し額に汗を滲ませているくらいで、あまり息も乱れていなかった。


「お昼休みにバレーしたり、たまに友達の部活にお邪魔させてもらったりしてるから、かな」


「な、なるほど……」


 ちゃんと考えもせず、とりあえず返事だけする。いよいよ頭が回らなくなってきた。


「ほら、お姉ちゃん。あと5段」


 僕を励ます椿の声に反応する余力もなく、ただ荒く息を吐きながら頂上を目指す。


「とーちゃーくっ」


「はあ、はあ、やっと、ついた……っ」


 最後の一段を上ると同時に、達成感から膝から力が抜けてグラッと体が傾いた。


「っとと。だ、大丈夫お姉ちゃん?」


 倒れそうになった椿が僕を抱きとめた。


「はあ、はあ。す、少しだけ休ませて……」


 それだけ言うと、僕は椿の胸に顔をうずめて目を閉じた。自分の息遣いがやけに耳に響くなか、少しずつ呼吸を整える。そんな僕を椿は苦しくない程度に腕に力を込めて抱きしめた。


「なんかお姉ちゃん良い匂いするね。これ香水?」


 椿が僕の頭に鼻をくっつける。


「ひ、ひとの匂いを嗅ぐなんて失礼だ……」


「お姉ちゃんだからいいの」


 身じろぎして抗議の声を上げるも椿にさらっと流された。


「ね。香水つけてるの?」


「つけてない。そもそも香水なんて持ってない」


「そっか。じゃあなんでだろ。お姉ちゃんからバラの香りがする」


「それ、友達にも言われたことがある」


 『バラの匂いがするから』と、遥や奈菜に何度も抱きしめられたことを思い出す。理由とかはよく分からないけど、奈菜によるとそういう匂いのする特異体質の人もいるのだそうだ。


「……ふう。もう大丈夫。ありがとう、椿」


 やっと落ち着きを取り戻した僕は椿から離れようと手に力を込めた。


「えー。もう少し」


 しかし椿は今よりも少しだけ強く僕を抱きしめた。


「また遅くなって、昨日みたいになるよ?」


 僕はポンポンと椿の背中を叩きながら言った。


「あ、そうだった。早くお墓参り済ませてスーパーに買い物に行かないと」


 僕の言葉にはっとした椿は、渋々といった様子で離れた。


「そうそう。はい、傘返して」


 椿から開放された僕は、日傘を受け取ろうと手を伸ばす。


「ダメ。これはわたしが持っとく。傘は背の高い人が差すものだしね」


「ぐっ……」


『背の高い』が嫌に強調されて聞こえた気がした。未だ疲れが抜け切っていない僕は睨むようにして椿を見上げた。椿は得意げに「ふふん」と鼻を鳴らした。


「じゃ、行こうか、お姉ちゃん」


「はあ……。そうだね」


 渋々僕が歩き始めると、椿が隣に並び日傘を差してくれた。


 ◇◆◇◆


「椿とこうやって一緒にお墓参りするのは、お葬式の時以来だっけ?」


「うん。もうあれから6年も経つんだね」


 墓地に置かれていた桶に水を汲み、その水を柄杓で目の前の墓石にかける。墓石の表面を水が滴っていくけど、この夏の暑さのせいですぐに乾いていった。


 『依岡家』


 墓石にはそう刻まれていた。


 街を見下ろすように作られた広い墓地の中央に立つその墓石は、よくテレビドラマで見るような墓地公園にあるものよりも大きい。六年前、小学五年生の頃見たときは今よりも大きく見えて、そびえ立つその様と当時の心情からひどく怖いものに見えた。


 桶を脇に置き、枯れてしまった花を花瓶から抜いて、かわりに街で買ってきたお花を差した。これもすぐ枯れてしまうんだろうなと、少し寂しく思いつつ、お墓の前でしゃがんで手を合わせた。しばらくして目を開けると、隣で同じように椿も手を合わせていた。椿が目を開くのを待って、一緒に立ち上がる。


『依岡』


 それは僕と椿、そしてもう亡くなったしまった父さんと母さん、僕の双子の妹の柊が名乗っていた姓だ。今じゃ椿は六年前に叔母さんに引き取られた際に、僕もつい先日、叔母さんに引き取られることが決まって、姓を『四条』へと変えることになった。


「僕ももう四条なんだよね」


「お姉ちゃんは依岡のままがよかった?」


 僕は首を横に振った。正直に言えば、僕は依岡のままでいようかなとも考えたこともあった。別に僕が四条になっても、依岡という姓は僕を引き取ってくれていた依岡伯父さんや、その子供達が引き継いでいるからなくなりはしないのだけど、僕や椿の『依岡』という家族がいたということが消えてなくなってしまうような気がして嫌だった。


 結局は僕が悩んでいたところを遥に悟られ、相談した末に四条へと姓を変えることで落ち着いたのだけど。


「僕は椿のお姉ちゃんなんだから」


 それが遥と話し合った末に行き着いた答えだった。


「わたしのことは別にいいのに」


「椿は僕が依岡のままのほうが良かった?」


「……四条になってくれて嬉しかった。だって姉妹なのに名字が違うのって、なんか他人みたいで」


 少しだけ恥ずかしそうに言う椿の頭を優しく撫でる。


「だったらこれでよかったんじゃないかな。母さんも父さんもきっと喜んでるよ」


「……そうかな?」


 椿が僕を見つめる。きっと僕を見て柊のことも一緒に見ているんだろう。


「うん」


 椿の目を見つめたまま頷いた。


「……そっか。そうだよね。えへへ」


 椿は目を細めて笑うと、すっと顔を背けた。目尻の辺りを拭っているのが見えたけど、僕はそれに気づかぬ振りをした。


「そろそろ行こうか」


 努めて明るく言ってから、桶を手に持ち歩き出す。


「うん」


 少しだけ涙声になった椿の同意が聞こえた。


「じゃあね。父さん、母さん。また来るよ」


「ばいばい。柊お姉ちゃん」


 僕たちはそこに眠る、父さんと母さん、そして柊に別れて告げてその場を後にした。


 ◇◆◇◆


 少しだけ僕と椿の話をしようと思う。それは時を遡って6年前の話。


 良いことや悪いことは続くものであり、そしてまとめてやってくるものだそうだ。例えば僕達兄妹の場合は、今から6年前の僕が小学五年生の頃の出来事が如実に表していると思う。


 その頃の僕の家族は、父さん、母さん、僕、双子の妹の柊、そして一つ下の妹の椿の5人家族だった。僕と柊は近くの剣道場に通っていて、時折行われる大会に出るとそれなりの成績を残していた。


 その日も僕達は剣道の大会に出場するために、父さんの運転する車で武道館へと向かっていた。運転席には父さん、助手席には母さん、後部座席には僕と柊。椿は風邪で熱を出していたから、親戚に預かってもらっていた。


 朝早くて寝ていた僕が次に目が覚めたのは、武道館にたどり着いた車の中ではなく、伯父さんが経営する病院のベッドの上だった。


 まったく現状が飲み込めていなかった僕に、伯父さんは小学生の僕にも分かるように、少しずつ、ゆっくりと何が起きたのか話してくれた。その話によると、僕達は武道館までの道中で大きな交通事故に巻き込まれ、すぐに伯父さんが経営する病院へと搬送された。しかし父さん、母さんは搬送後に死亡を確認、柊も打ちどころが悪かったせいで一度も目が覚めることなく、父さんと母さんの後を追うように、二日後に亡くなった。唯一僕だけは命を繋ぎ止めることができたけど、それでも怪我の状態は深刻だったそうだ。


 体の機能のほとんどが停止していた僕をなんとか助けようと考えた伯父さんは、唯一無傷だった僕の脳を怪我の比較的少なかった柊の体に移植することにした。何時間にも及ぶ手術は無事成功し、僕は一命を取り留めることができた。


 こうして僕は、『楓』から『柊』に……男から女になった。体は柊のものだけど、脳は楓だということで、伯父さんは僕の名前を『依岡楓』のままにしてくれた。


 僕は柊の姿である僕を素直に受け入れた。性別は変わってしまったけど、この体は双子の妹の柊のもの。しかも僕と柊は性別は違えどまだ小学生だったこともあり、見た目は両親でさえ間違うほどそっくりだった。おかげで鏡で自分の姿を見ても別にこれと言って違和感なく、「これが僕なんだ」と認識し、受け入れることが出来た。ただ、女であることに変わりはないし、さすがに二次性徴が始まってからは違いが顕著になっていったから、さすがにいろいろと苦労したけど……。


 と、ここまででもかなり悪い出来事が続いたと思うのに、まだまだ僕達の不幸は続いてた。


 事故の後、両親が死んでしまったからということで僕達は親戚に引き取られることになった。けれど、父方の依岡家と母方の四条家の親戚同士で、どちらが二人を引き取るかで揉め始めた。


 もめにもめた末に出た答えは、僕が父方へ、椿が母方へ引き取られるということだった。


 僕達は離れ離れになってしまった。唯一救いだったのが、どちらの親戚もいい人であり、僕も椿も歓迎されて引き取られたということだろうか。


 そのあと僕は引き取られた伯父さんの病院で自力で歩けるようになるまでリハビリを続け、ほぼ自力で歩けるようになった中学二年生のころには、伯父さんの薦めで全寮制の女学院に転校した。


 椿と別れた後もいろいろと苦労は続いたけど、そういつまでも悪いことばかり続くものじゃないらしく、中学に通い始めてからはいいことの方が多かった。例えば、友達ができたこととか、その友達とのきっかけで部活に入ることが出来たこと。そしてなにより嬉しかったのは、ひょんなことから椿の携帯電話の番号を入手することができて、連絡を取り合えるようになったことだ。


 そんな感じで今度は良いことが続き、6年経ってようやく四条家と依岡家が和解したらしく、『兄妹は一緒がいいだろう』ということで、僕も椿と同じ四条家に引き取られることになった。


 そして僕は来月から椿と同じ学校に通うために、この町に引っ越してきて、椿と二人暮らしをすることになった。


 これが僕『依岡楓』と妹の『四条椿』の昔の話。


 そしてここから始まるのは、僕『四条楓』の高校生活を綴ったお話。


 何の変哲もない日常に、少しだけ山あり谷ありな、そんな物語。

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