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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第一部三章 楓と椿
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第52話 こんな感情知りたくなかった

 父さん、母さん、そして柊のお葬式の日から数日後。僕は病院のベッドの上にいた。体は少しずつ動くようになってきていて、今では車椅子にさえ乗せて貰えれば、院内を一人で巡ることができるようになっていた。


 柊と僕はとても似ていた。でもその柊になってみて分かったことがある。それは柊と僕は大きく違うということだった。


 柊の体は冷たかった。春先の時々吹く涼しい風は、以前の僕ならとても気持ちよかったのに、今では一枚多く着たいくらいに寒かった。手を頬に当てるとひんやりしていて、本当に生きている人間のものだろうかと思ってしまう。そしてこの頻発する頭痛。叔父さんは偏頭痛と言っていたけど、突然何の前触れもなくやってくるこの痛みは、のたうち回るほどの痛みじゃないにしても、何もやる気がおきなくなるくらいに気分を悪くするものだった。さらには、心地良い暖かさを与えてくれるはずの太陽の光が、肌にささるように痛い。柊は肌が弱いかららしい。これら全ては手術による後遺症などではなく、もともと柊がもっていたものだと叔父さんは言った。


 同じ姿形をしていても、その中身は大きく違っていた。いや、柊の方が僕よりも何倍も苦労していた。柊自身になってそれが痛いほどに分かった。でも、その傷みが柊も感じていたものだと思うと、その傷みがとても嬉しかった。柊を近くに感じられて、まだそこにいるような気がして。


 ◇◆◇◆


 椿は毎日お見舞いに来てくれた。それはもう本当に欠かすことなく毎日。学校がある日は終わったらすぐに、休みの日は朝から夜までずっと病室にいた。看護師さんによると、時々病院が開く前にやって来て、扉の前で待っているらしい。


 ただ、一度だけ来なかった日がある。そのときはとても心配して、看護師さんを振り切って学校まで行こうとしたのだけど、結局止められた。僕の力では大人どころか子供一人を振り払う力もなかった。結局次の日来た椿から、昨日は用事で来られなかったと謝罪された。別に謝る必要はなかった。でも、何事もなくて良かった。


 椿は病室を訪れると、いつも今にも泣きそうだった顔を笑顔に変えて僕に抱きついてくる。そして僕が少しでも表情を曇らせると、その目に涙を浮かべる。面会時間が過ぎて帰らなければならなくなると、いつも椿は泣きそうな顔を無理矢理笑顔にして帰って行く。


 家族を一度に失い、肉親が僕一人だけになった椿は、とても臆病になり、僕に依存するようになった。そのことに僕も親戚の叔母さんも、主治医の叔父さんも心配していた。でも仕方ないことだと思う。みんなと一緒にいた僕と違い、椿は家でお留守番していたんだ。そして気付いたらみんないなくなっていた。その時の喪失感は計り知れないものだと思う。だから病室にきた椿は、真っ先に僕の手を握り、帰るまでその手を離すことはない。まるで僕を繋ぎ止めるように。


 だから僕は泣かなかった。僕が泣けば椿も泣くから。椿も悲しむから。悲しんで、みんなのことを思い出してもっと泣くかもしれないから。僕は椿の兄だ。椿を安心させてあげないといけない。椿に笑顔を取り戻さないといけない。だから、僕は泣かなかった。それで椿が元気になるなら、自分を欺くことなんて容易いことだと思った。


 でもそれは、とても辛いことだった。泣けない。ただそれだけのことなのに、心が軋んでいく。椿が病室にやってくると心が痛み出し、僕の手を握って笑いかける椿を見て心が押しつぶされていく。痛みが僅かに露呈して顔を歪め、それを見た椿が心配そうに僕を見つめるのを見て、すぐに引きつる顔で笑みを浮かべる。心が悲鳴を上げた。


 それを繰り返し、やがて僕は眠ることができなくなった。体は疲れて休息を求めているのに、眠気がまったく襲ってこない。真夜中でも僕の目は冴えていた。


 目の下に大きなクマができるようになった。擦っても何しても消えなくて、そんな顔を椿に見せたくなかった僕は、看護師さんにクマの消し方を教えて貰った。女の子の僕が化粧に興味を持ったと誤解した彼女は、嬉しそうに化粧の仕方を教えてくれた。人生初めての化粧の出来はあまりよくなかったけど、幼かった椿を騙すのには十分だった。それから毎晩、眠れない夜はクマの消し方、そして顔色の悪さをぼかす練習をした。


 けど、外見を隠すことができても、内面を騙すことはできなかった。


 いつも通り椿が帰ったある日、僕は吐いた。お昼に僅かに食べたおかゆを全部戻してしまった。すぐに看護師さんや叔父さんが飛んできて、検査を受けることになった。原因はストレス。感情を押し殺しているのが原因だそうだ。


 思いっきり泣けばいい。カウンセラーはそう言った。でも、だからと言って止めるわけにはいかなかった。僕は椿の兄。涙なんて流しちゃいけないんだ。


 結局それからも泣くことはなかった僕は、ご飯が喉を通らなくなり、栄養は点滴で摂取するようになってしまった。注射の針が痛かったけど、仕方ないと割り切った。


 日に日にやつれていく僕を見て、椿が心配そうに「大丈夫?」と声をかけるようになった。僕はそれに精一杯の笑顔で「大丈夫。平気」と答えた。全然平気じゃなかったけど、そう言うと椿は安心したように微笑んでくれた。


 けれどついに限界がきた。入院して四ヶ月。その時の僕は、笑うことが、笑顔を作ることが、心を偽ることが、椿を見ることが、耐えがたいほどの苦痛となっていた。それでも椿が来れば笑っていたけど、心の中では誰かに何かをぶつけたい衝動を必死で押さえていた。そして僕は思ってしまった。


 椿はなんで来るんだろう。来なければいいのに。鬱陶しい、と……。


 ◇◆◇◆


 あれほど仲が良かった叔父さんと伯母さんが、僕と椿の親権で喧嘩したらしい。あやうく裁判沙汰になるかというところで、僕は叔父さんの依岡家へ、椿は伯母さんの四条家へ引き取られることになった。


 僕はそのことを病院のベッドで聞かされた。それと同時に、親権が移ったことで、今日から椿は病院に来ないことも、明日には僕は別の病院へ移されることも聞かされた。


 椿と離ればなれになる。しばらくは会えなくなる。数年は連絡が取れないだろう。本当なら悲しむべきだった。泣いて、喚いて、騒いで、叔父さんに食って掛かって、椿と離されるのを止めるべきだった。それなのに、僕はほっとしてしまった。これで椿と離れられる。これで僕は僕に戻ることができる、と。


 次の日。僕は別の病院に移るために、入院していた病院を出た。叔父さんの車に乗り込むとき、一日ぶりに椿の姿を見た。親戚同士の約束を破って見送りに来たらしい。椿は泣きそうな顔をしながらも、僕に笑ってみせた。そして、


「お兄ちゃん。またね」


 瞳から涙を溢れさせながら、椿は僕に手を振った。短く「またね」と答えて、僕は車に乗り込んだ。ドアを閉めて、後部座席に体を預ける。自然とため息が漏れる。


 車が発進する。外から椿の声が聞こえる。けれどそれに振り返ることなく、僕は目を閉じた。やっと椿から離れられた。手の甲に水滴が落ちた。それは事故にあってから初めての涙だった。初めは数滴の雫だったそれは次第に大きくなり、洪水となって僕を襲った。


 叔父さんがいるのにも関わらず、声を上げて泣いた。ほんの数ヶ月前までは柊の、今は僕のものとなった声で泣いた。母さん、父さん、柊と叫びながら泣いた。隣にいた叔母さんが背中を優しく撫でてくれた。僕はさらに声を大きくして泣いた。


 やっと泣けた。鬱陶しい椿から離れられて、やっと僕は泣けた。




 数分後、僕はおじさんの車の中で声の限り叫んだ。自分勝手な僕に絶望して……。

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