第45話 親しい友達
「遥?」
椿と分かれて保健室に戻ると、締め切ったカーテンの中から楓の声が聞こえた。やけに明るいその声に疑問を感じながらカーテンを開けた。
「やっぱり遥だ」
上半身を起こした楓は、嬉しそうに笑いながら左手を振っている。その声の明るさと表情から、目の前の人物が『柊』だということを知る。
「アタシじゃなかったらどうするんだ、柊?」
「その時は正直に謝る」
いつものようににこやかな柊。だがそれはやけに薄っぺらく見えた。
「アタシに何か用か?」
「えー。私は用がないと出てきたらダメなの?」
ぷくーと頬を膨らませる。
「茶化すな」
そう言うと、柊はきょとんとしてから苦笑した。
「あー、うー……やっぱ分かる?」
「柊が用もなく、まだ楓が学校にいるのに出てくるなんて、下手したら楓が困るようなことしないだろ?」
「あ、あはは……よくご存じで」
乾いた笑いが保健室に響く。無理して笑っているのが嫌でも分かる。数秒の沈黙。柊は喋りづらそうに口を開いた。
「えーっと、遥が気にしてるようだから教えておこうって思って。たぶん気付いてると思うけど、楓は今ちょっと悩んでる。ちょっと、じゃないか。結構悩んでる」
笑顔は消えていた。今の柊が自分のことを『楓』だと言えば、きっとアタシも椿も信じるだろう。
「ああ。さっき椿とそのことについて話していた。金曜の夜あたりから変だってな。何かあったのか?」
「うん。私もなんでそんなに悩んでいるのか気になって、さっき楓の記憶をちょっと覗いたんだ。そしたら原因が分かった。金曜日の夜、楓は夢を見たんだ。まだみんなと一緒にいた頃の夢。楓はその夢を見て自分に愕然として、これから自分はどうすればいいんだろうって、ずっと考えてる」
「……やっぱりそうか」
椿の言っていたことは正しかった。楓は昔のことを思い出し、今の自分と比べてしまったんだ。
「それで楓は今いろいろ悩んでてね……。あっ、別に楓が昔のことを忘れてたわけじゃないよ? 楓は今もあの楽しかった頃のことをちゃんと覚えてる。けれどそれを直視するのは少し辛くて、無意識にその記憶に封をしてるんだ。ふっと思い出して、落ち込むことがないようにね。けれど最近生活が変わって、気付かないうちにストレスが溜まったせいなのかな。最近その封が剥がれたんだ。それで昔の夢を見たんだと思う」
そうか。それで楓はあまり昔のことを話そうとしないのか。話すとせっかくの封が剥がれ、自分が落ち込んでしまうから。
とにかく原因は確定した。だが、ここからどう楓を立ち直らせれば良い? 頭の良い葵なら何か良い方法が思いつきそうだが、彼女に相談するわけにはいかない。葵や綾音に楓の昔話をすれば、きっと二人の楓を見る目が変わる。それはきっと楓は望んでいないだろう。それに、これは中学からずっと楓を見てきたアタシがやるべきことだ。椿にもあんな啖呵を切ったんだ。甘えなんて許されない。
「ほんと遥は楓が好きだよね」
「は?」
突然の言葉に、アタシはぽかーんと口を開けてしまう。
「遥は、楓のこと、大好きだよね?」
子供に言い聞かせるように、ゆっくりと区切って言う。
「……そ、そりゃまあ中学からの付き合いで、二年間寮ではルームメイトだったし、アタシのこと慕ってくれるし、たまに見せる笑顔が物凄く可愛いし、他にもいろいろと世話になったし……嫌いになる要素はどこにもないからな」
「……な、なんか実際目の前で楓のこと褒められると、私まで恥ずかしくなっちゃうね」
「半分以上は柊のことでもあるしな」
「そ、そうなんだ……」
顔を赤くして俯く柊。そんな柊を見て小さく笑う。
「と、とにかく」
まだ頬が赤いままの柊が顔を上げて視線を合わせる。
「一途だし、ぐいぐい引っ張ってくれるし。遥が男だったら、絶対楓は惚れてたよね。二人は性格的にもお似合いだし。うんっ。もったいない」
「も、もったいないって、別にアタシは――」
バッとアタシの眼前に柊の手のひらが現われ、言葉を制する。
「分かってるっ。女の子同士じゃ結婚できないもんね。残念だけど諦めてね。あ、海外でっていうのはナシで。楓は海外旅行よりも国内旅行派だから」
「まったく分かってないだろ……」
呆れるアタシに、柊はニシシと笑ってみせる。
「まっ、結婚できないからって悲しまなくて良いよ」
「別に悲しんでないっての」
「代わりに遥は、一生楓の一番の親友でいられるんだから」
……ったく。本当に柊はアタシをからかうのが上手だな。
「……だったら、結婚よりもそっちの方がいいな」
「あ、やっと話に乗ってくれた」
アタシが反応してくれたことに嬉しかったのか、柊はより一層笑顔を輝かせる。
「そんな一番の親友の遥のだから、遥の言葉なら楓はちゃんと話を聞いてくれる。だから、楓のこと、任せてもいい? 」
「ああ。大船に乗ったつもりでゆっくり寝てろ」
「うんっ」
元気よく頷く柊。そのとき、ふいに柊の目に光るものが見えた。それは瞬く間に大きくなり、滴となって頬を伝い落ちた。
「どうした柊? 嬉しくて涙が出たのか?」
突然のことに動揺しつつも、アタシは冗談を言った。
「ち、違う。私は涙なんて流してない」
けれど、返ってきた言葉はアタシなんかよりもずっと動揺に震えた声だった。
「流してないって、実際目から――」
ぽろぽろといくつもの涙が零れる。それを拭うことも忘れて、柊は視線を合わせた。
「楓だ。楓が泣いてる!」