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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第一部三章 楓と椿
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第44話 絶対だ

「失礼します。クラスの子が怪我をしたので絆創膏を……あれ?」


 扉が開き、保健室に誰か入ってきた。ベッドの周りのカーテンを締めていたため姿は見えないが、それが椿だと声を聞いて分かった。


「どうしたんだ椿?」


 カーテンから顔を出すと、やはりそこにいたのは楓の妹の椿だった。


「遥先輩? あの、香奈が怪我をしたので絆創膏をもらいに来たんですけど、先生いないみたいで……」


 突然現われたアタシに声を掛けられた椿は少し動揺しているようだ。


「ああ、それならアタシが持ってる。三枚あれば足りるか?」


「はい。でも良いんですか?」


「これ保健室のだからな」


 椿は笑いながら「それなら遠慮なく」と絆創膏を受け取る。


「遥先輩はそこで何をしているんですか?」


「アタシか? アタシは……」


 ちらっと横目でベッドで眠る楓を見る。……まあ、いいか。どう返答するべきか迷ったあげく、アタシは正直に話すことにした。変に隠して椿から疑われるようになるのはあまりよろしくない。


「楓の付き添いだ」


 カーテンを開けて椿を招き入れる。


「……お姉ちゃん?」


 おそるおそるベッドに横たわる楓の顔をのぞき込み、そして僅かに驚いたような声を上げる。意外にあっさりとした反応に首を捻る。椿ならもっと驚くと思ったんだがな……。


「寝てるだけ、ですよね?」


「ああ。ただの寝不足だ」


 椿がほっと胸をなで下ろす。


「良かった。朝から様子が変だったから、もしかすると調子が悪いのかも? って心配してたんです」


 なるほど、そういうことか。


「バレてるじゃないか……」


 椿には聞こえないように、ぼそっと呟くように寝ている楓に愚痴る。


「でも、目の下にこんな大きなクマはなかったような……」


「それは楓が化粧で隠してたんだよ」


「お姉ちゃんお化粧できるんですか!?」


 ボリュームが大きくなった自分の声にハッとして口を押さえる椿。そして楓を見て起きていないことにほっとする。


「クマや顔色悪いのを隠したりするような化粧だけならな」


 そんな器用なことはできるのに、普通に化粧するとなると途端にできなくなるのだから不思議だ。


「そう、ですか……今度からもっと注意して見ることにします」


 椿が楓の顔を見ながら言う。


「しかし楓に何があったんだろうな。こんな大きなクマを作る事なんて中学以来じゃないか……」


「中学以来?」


 途端に椿の目の色が変わった。


「お姉ちゃん、中学の頃にもこんなことあったんですか?」


 しまった。と思ったときにはもう遅かった。椿はアタシの次の言葉を待っている。


「まあ……いろいろあって、楓はよく一人で考え込んでいたからな。それでよく眠れないことがあったみたいで、時々今日みたいなクマを作ってたんだよ」


 そういえば、今思い返すと今日の楓はあの頃のようだった。ぼーっとしているというか、心ここにあらずというか……。おそらく薬を飲んでいたせいだとは思うが。


「そうですか……。考え事……」


 椿が軽く目を伏せ、しばらくしてから口を開いた。


「今お姉ちゃんは何か悩んでいる、ということですか?」


「たぶんな。何か思い当たることでもあったか?」


 椿はゆっくりと頷く。


「お姉ちゃんに聞かれるとあれなので、外で良いですか?」


「分かった」


 椿に同意して保健室を出ることにする。念のため楓の枕元に『起きてもそこにいろ』と書き置きを残してカーテンを締める。保健室の扉に鍵を掛け、ついでに扉に『休んでいます』とプレートを下げて、保健室から離れた。


 ◇◆◇◆


 いつもの階段には人がいたので、少し風が寒いが屋上に行くことにした。『立ち入り禁止』と書かれた扉を開けて屋上に上がると、すぐに椿は口を開いた。


「金曜の夜から、お姉ちゃんの様子が変なんです」


「金曜ってことは、椿が楓に帰りが遅くなるって電話した日か」


 椿は小さく「はい」と返事する。


「それまではわたしがお姉ちゃんにちょっかいを出しても、お姉ちゃんは不機嫌そうにすることはあっても、本当に気分を悪くするようなことはなかったんです。ちょっと拗ねたようにしながらも笑って許してくれるような……そんな感じだったんです。それがあの夜からは急に落ち込むというか悔しそうにするというか……今まで見たことなかった顔をするようになったんです」


 椿はそう言いながら、少し悲しげに苦笑した。金曜の放課後なら楓はアタシと一緒に帰った。その時はまだいつも通りだった。


「アタシと別れて椿が帰ってくるまでに何かあったってことか……?」


 アタシの問いに椿は「分かりません」と首を横に振った。当たり前だ。分かっていたら今頃椿がこんな顔をしているわけがない。


「わたし、何かお姉ちゃんを怒らせるようなことしたかな……」


「それはない。椿よりも楓を振り回してるアタシが、今までで一度も、楓に本気で怒られたことがないんだぞ? まあ、呆れられたことは何度もあるけどな」


 アタシが肩を竦めると、椿はくすりと笑った。けれどそれは一瞬で、すぐに笑顔は消えた。


「……もしかしたら、昔のことを思い出したのかもしれません」


 ぽつりと、椿は呟くように言った。


「昔って、まだ一緒に暮らしていた頃のことか?」


 敢えて詳しくは聞かない。楓と椿の思い出に他人のアタシが勝手に深く入り込むことは失礼だ。それにこの短い言葉だけでも椿は理解してくれるはずだ。予想通り、椿はゆっくりと頷いた。


「あの頃のわたしは、今思い返しても恥ずかしいくらいに、凄く甘えん坊でした。わたしは両親よりも一つ年上の双子のお兄ちゃんとお姉ちゃんに懐いていて、いつも二人にべったりでした。起きてる時も寝てるときも、どんな時でも袖を掴んでくっついて離れず、少しでも離れるとすぐべそをかくような、そんな子でした」


「今の椿からは考えられないな」


 楓が甘える姿なら容易に想像できるが、今の椿しか知らないアタシには椿のそういう姿はまったく想像できなかった。


「香奈にもそう言われました」


 小さく笑って、椿は続ける。


「そんなわたしだったから、おね――楓お兄ちゃんはいつもわたしの傍にいてくれました。わたしが何か困っていればすぐに助けてくれて、わたしが泣いていれば泣き止むまでそっと頭を撫でてくれました。でも小学生になって三年も経つ頃には、自分で言うのも変ですが、わたしはクラスの子から学級委員を任されるくらいにしっかりとした子に育ちました。柊お姉ちゃんからも『私よりもお姉さんみたい』と言われたくらいです。それでも楓お兄ちゃんのわたしへの接し方は変わりませんでした。きっと楓お兄ちゃんだけは、わたしの成長に気付かなかったんだと思います。けれど、わたしは楓お兄ちゃんに何も言いませんでした。それまで通り、楓お兄ちゃんの前では甘えることにしたんです。それが凄く心地よかったから」


 せっかくの居心地の良い空間を自分から壊すなんて愚かなことだ。椿の選択は当然のことだろう。壊すときは……その時はそれが愚かな行為だと分かりつつも、相手や自分のことを考え、それでもやらなければならない時だけだ。


「そしてあの事故があって、そのままわたしと楓お兄ちゃんは離ればなれになりました。だから楓お兄ちゃんは……お姉ちゃんは、きっとその頃を思い出して、今の自分と比べたんだと思います」


 頼られる昔の自分と、決して頼られているとは言い難い今の自分。ずっと頼られていたのに、数年ぶりに会うと立場が逆転していた。……そんなところだろうか。


 ……ああ、そうか。楓はそれに気づき、そこから何か悪い方向に物事を考えたのかもしれない。直接本人から聞いてみないと絶対とは言い切れないが、転校することが決まってから今までの楓の様子を鑑みるに、十中八九正解だろう。


 思案していてふと気がつくと、椿は両手を合わせて胸に抱き、顔を俯かせていた。


「そうだ……わたしだ。わたしがきっとお姉ちゃんを……」


「椿?」


 椿の肩がびくっと震える。


「は、遥先輩……」


 ゆっくりと顔を上げ、アタシと視線を合わせる。


「……わ、わたしどうしよう。お姉ちゃんを困らせるつもりなんてなかったのに……。た、ただお姉ちゃんが『ありがとう』って、『美味しかったよ』って、褒めてくれるのが嬉しくて……」


 気のせいだろうか、椿の目に涙が浮かんでいるように見えた。いや、気のせいじゃない。椿は泣いていた。


「舞い上がりすぎてたのかな? お姉ちゃんが苦しんでいることに気付いてあげられなかった。もう、二度とそんなことしないって、決めてたのに……」


 椿の手が、肩が震えている。


「どうしよう、どうしよう。またお姉ちゃんが遠くに行っちゃったら……」


「おい、椿?」


 震える肩に手を置こうとした。だがそれを半歩下がって椿は避けた。


「お姉ちゃんが遠くに行ったら、わたしは……」


 明らかにいつもの椿と様子が違う。叫んで正気に戻してやりたいところだが、ここは入ることが禁止されている屋上だ。アタシだけなら良いが、見つかって椿に迷惑をかけるわけにはいかない。


「椿、落ち着け」


「あんなに我慢したのに、あんなに辛いのを我慢したのに……!」


 目の前の椿と、『あの頃』の楓の姿が重なる。


「――くそっ!」


 アタシは椿の手首を掴むと無理矢理引き寄せ抱きしめた。


「――っ!?」


「落ち着けっ。楓がそんなことをすると思うか? 妹を悲しませるようなことをするか?」


 耳元で力強く囁く。


「……しない。お姉ちゃんは絶対そんなことしない。でも――」


「だったらしっかりしろっ。そりゃ楓は今は変かもしれない。けれど、すぐにいつもの楓になる。アタシがそうしてみせる。だから椿は今まで通り楓に接していれば良いんだよ」


「でも……」


 肩が冷たい。椿の目から溢れた涙のせいだ。


「自慢じゃないが、これでも椿と同じかそれ以上に楓から慕われている自信はあるんだ。アタシに任せておきなよ。楓の一人や二人くらい、アタシがすぐに元気にしてやるさ」


 背中をぽんぽんと優しく叩いてやると、やっとだらんとしていた椿の手に力がこもり、アタシをぎゅっと抱きしめた。


「……はい。いつもお姉ちゃんの話に出てきた遥先輩のことですから、信じます」


「ああ。任せとけ」


 力強くアタシはそう答えた。

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