第42話 僕のせい
なつかしさを感じながら目が覚めた。気だるい体を起こして時計を見ると、時刻は二十時を回っていた。少し頭痛のする頭を押さえながら体を起こす。音が消えたままのテレビでは歌番組が放送されていた。消音を解除すると聞き慣れた今流行の歌が流れてきた。
……夢、か。気分がずんと重くなる。何度となく見てきた夢だけど、今でも僕の心の中で輝きを失うことなくあり続けるそれをまざまざと見せつけられたら、立ち上がる気力さえ失せるのも仕方のないことだろう。
あの日のことはよく覚えている。今でも目を閉じれば泣いている椿の姿がはっきりと瞼の裏に映るくらいに。……いや、あの日どころか、あの頃の毎日はそれから先の数年間よりもはっきりと思い出せる。
柊と家に帰ると先に帰っていた椿が笑顔で迎えてくれて、リビングでは母さんが家事をしながらおやつを出してくれる。ご飯前には父さんが帰ってきて、五人一緒に「いただきます」をしてにぎやかに晩ご飯をとる。お風呂は三人一緒に入って、寝るときは僕と柊がかわりばんこに椿に本を読んで聞かせ、申し合わせていたかのように三人一緒に夢の中へ。そんな平凡な毎日。
あの頃はいつも近くに誰かいた。一人でいることなんてなくて、いつも楽しく笑っていた。だから昔の夢を見た後はいつも「あの頃に戻りたい」なんてことを考えてしまう。特に伯父さんの家に引き取られてから桜花に通うようになるまでは毎日そうだった気がする。むしろあの頃は夢を見た見てないにかかわらず、四六時中そんなことを考えていた。それが決して叶うことはないことを知りながらも、あの頃の僕はそうせずにはいられなかった。そしてもちろん、程度の違いはあれでも今もその思いは変わらない。
……そういえば、こっちにきてから初めてだな。昔の夢を見たのは。ふと僕は思った。椿も今の僕のように、昔の夢を見たりするのだろうか、見て、懐かしんだり、悲しんだりするのだろうか。『椿も昔に戻りたいと思うことはあるのか』と聞いてみたい気もする。
その椿はと言えば、未だ家には帰ってきていない。もう二十時半を過ぎているというのに。
「遅いな、椿……」
ぽつりと呟く。昨日までの椿ならもう帰ってきている時間。本当に今日は帰りが遅いようだ。広いリビングに唯一響く流行の歌。軽快なメロディがウリらしいけど、ちっともそんな風には聞こえかなった。
……椿は去年一年間ずっとこんな暮らしをしていたのだろうか。椿は学園に入学してから一年間一人暮らしをしていたという。いつも僕と柊にぴったりとくっつき、父さんや母さんよりも僕達に懐いていた椿。そんな椿が一年間も一人暮らしをしていたというのは、聞いた当初はひどく驚いた。
記憶の中の椿は甘えん坊で泣き虫、いつも僕の服を掴んで離さない、そんなかわいい子だった。けれど今の椿は違う。しっかり者で決して弱音を吐かない。姉である僕の世話まで進んでする出来過ぎた妹だ。
……何が椿をそう変えさせたのだろうか。考えるまでもなく、すぐその原因を見つける。きっと僕のせいだ。『絶対傍にいる』そう小さい頃の椿に約束したのに、親戚同士のもめ事に巻き込まれた事とは言え、椿と離ればなれになってしまい、約束を守ることが出来なかった。
だからきっと椿はあんなにしっかりした子に育ったんだ。育つしかなかったのかもしれない。それは結果的に椿を自立させることに成功したのかもしれないけど……僕が約束を破って辛い思いをさせたのには変わりない。
だめな兄だ。そんな後ろ向きなことを考えながら時折玄関に目を向けるも、まだ扉が開かれる様子はなかった。
「寂しいな……」
天井を見上げて、僕はぽつりと呟いた。
「……はっ。いけない。怠けてる場合じゃなかった」
ただ椿の帰りを待つだけなんてだめだ。少しでも疲れて帰ってくる椿の負担を減らさないと。
しばらく考えて、僕は晩ご飯を作ることにした。とは言っても、さっき見た冷蔵庫の中身では僕は何も作れそうにない。僕にはレパートリーというものがないんだから。それでも卵はたくさん買ってきたから、卵焼きくらいならと考え直すものの、頭に朝ご飯が浮かびすぐ諦めた。だったらご飯くらい炊こうと炊飯器を開けると、
「……炊きたてだ」
炊飯器からほかほかと湯気が立ちのぼった。予約炊飯していたようだ。
「……サラダだけでも作ろう」
葵さんにでも今度簡単なもの教えて貰おうかな……。僕は椿にばれないよう葵さんから料理を教わる良い方法を考えながら冷蔵庫を開いた。
◇◆◇◆
「ただいまー!」
玄関から椿の声が聞こえた。慌てたようにリビングに入ってくると、鞄やら荷物を床に投げ置き、制服のままエプロンをつけた。
「おかえり椿。遅かったね。ずっと準備してたの?」
「ごめんねお姉ちゃん。うん、ずっと準備。すぐにご飯作るからまってて!」
椿は冷蔵庫に顔を突っ込んでガサガサと漁り出す。
「あ、買い物ありがと。あれ、卵こんなに……」
「タイムセールしてて安かったから買っちゃった。買いすぎ、かな……?」
怒られるか呆れられるかされるだろうと構えていると、予想に反して椿は顔を横に振った。
「ううん。卵料理はレパートリーたくさんあるから大丈夫。卵こんなにあるなら……今日はオムライスにしようかな」
料理を決めてからの椿は早かった。冷蔵庫から必要な材料を取り出し、手際よくオムレツのタネを作ると、熱していたフライパンにタネを流し入れた。ある程度形になってきたら、別口で調理していた味付け済みのご飯を移し入れ、綺麗にオムレツでくるんだ。
レタスやキュウリ、トマトを切って盛りつけただけのサラダをテーブルに並べる頃には食卓にオムライスが二つ出来上がっていた。
「はい、できあがり。ちょっと急いで作ったからいつもより味は大雑把かも。大目に見てね」
スプーンを戸棚から出しながら椿が照れたように笑う。
「椿のご飯はいつも美味しいよ」
「えへへ。ありがと……」
椿はやっぱり照れて笑っていた。
◇◆◇◆
「……ねえ、椿」
「んー?」
テレビをぼーっと眺めながらオムライスを食べていた椿が視線を僕に向ける。
「明日も帰りは遅い?」
「うん。ちょっと予定より遅れてるから」
「そっか……」
僕は少し思案して考えをまとめてから口を開いた。
「だったら、椿も大変だろうから、晩ご飯はコンビニとかスーパーの出来合いの物で済ませ――」
「だめ。晩ご飯はちゃんとわたしが作る。コンビニだとお金かかっちゃうし」
「あと一週間とちょっとだし、それくらい」
「だーめ。お姉ちゃん体こわすよ?」
「うっ……」
体のことを言われては二の句が告げられない。たしかにコンビニのお弁当は揚げ物が多かったり油っぽかったりして僕にはあまり合ってるとは言い難い。
「そ、それじゃ、僕がつく――」
「それも却下。晩ご飯はわたしが作るの。たまーにならいいけど、基本わたしが作るって決めたでしょ?」
「それは椿が一方的に」
「それでも決めたんだからわたしが作るの」
一歩も譲らない椿。これは折れそうにない。
「……でも、遅くなりすぎるとお姉ちゃんに迷惑かけちゃうから、明日からも買い物頼んで良い?」
何か言い返そうと思案していると、先に椿にそんなことを言われてしまった。
「それくらい言われなくてもするつもり」
「お姉ちゃんは頑固だなあ」
それは椿の方だ。それからも結局、椿の意思を変えることは出来なかった。