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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第一部二章 いつもとは少し違う日
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外伝3-3 楓さんが笑った

「想像はしていたけど、やっぱり人が多いなあ」


 いつもなら朝と夕方以外ほとんど人通りのない静かな川辺が、今は整然と並ぶ屋台と、土手から河川敷へと続く人の波、そして大勢の人の声と会場に流れる音楽とで、普段とは180度違う姿を見せていた。


「結構大きな祭りだろ? この町で一番大きな祭りなんだ」


 河川敷に広がる祭りの会場を土手の上から見下ろしなから言う。日は落ち、周りに街灯なんて一つもないのに、露天から漏れる電球の明かりと、対岸からこちらを照らすサーチライトで、ここだけが昼間のような明るさだ。


「うん。そうだね」


 昼間とは違うノースリーブのワンピースを着た楓さんが視線を前に固定したまま短く返事する。後ろから見る限りは汗もかかず涼しげに見えるが、昼間のこともあるので心配して聞いてみる。


「暑くない?」


「平気」


 こっそりと顔色を伺う。……嘘は言っていないようだ。時計を見ると時刻は一九時半を少し回ったところだった。


「九時半から花火があるから、それまでは屋台でも回ろうか」


 楓さんが頷くのを確認してゆっくりとスロープを降りる。河川敷は舗装されていないためか少し埃っぽく感じた。


「何か見たいものある?」


「別にないよ」


 いつもと同じそっけない言葉。けれど、


「でも、晩ご飯食べてないから、お腹すいたかも」


 その表情がいつもより明るく見えるのは気のせいじゃないだろう。俺は自然と笑顔で話しかける。


「じゃあ何か食べようか。何が良い?」


「えっと……」


 楓さんがキョロキョロと辺りを見回す。その姿は小柄な容姿と相まって小学生のような無邪気さを感じる。しばらく待っていると、楓さんはふいにその目を留めた。じーっと見つめたままなので、何を見ているんだろうと視線を追ってみる。それは祭りでは定番の屋台だった。


「綿菓子?」


「――っ!?」


 楓さんが勢いよく振り返り、目を大きく開いた。


「あれが食べたいの?」


 その様子に内心驚きつつも平静を装って話を続ける。


「……うん」


 間を置いて小さく頷く楓さん。よく見ると露天の明かりに照らされた頬が少し赤く染まって見えた。


「うーん。でもさすがに綿菓子はご飯にはならないんじゃ……」


 あれは砂糖を綿状にしただけのものだ。腹の足しになるようなものじゃない。


「わ、分かってるよそんなこと!」


 顔を真っ赤にした楓さんが叫んだ。と言ってもその声量は大きいとは言えない物だったが。


「昔食べたことあるから後で食べようかなって思っただけ! あ、あんな砂糖だけのお菓子をご飯にしようだなんて思わないよ!」


「へ? あ、ああ、そう……」


 いつもの楓さんからは想像つかない、その捲し立てる姿にあっけにとられてしまう。……え、これ柊じゃないよね?そう疑ってしまうくらい、今の楓さんは表情豊かだった。


「ほ、ほんとだからね!? さすがの僕も砂糖だけじゃお腹いっぱいにならないからね!? それくらい分かるくらいには成長してるから!」


「い、いや別に疑ってるわけじゃ」


「じ、じゃあ綿菓子なんて子供っぽいとか思ったとか!? たしかに綿菓子なんて子供っぽいかもしれないけど……うぅ……た、食べたいって思ったんだから仕方ないじゃないか!」


 俺の様子を勘違いして受け取った楓さんが弁明する。かなり必死なようで、少しでも俺に近づこうと、肘掛けに手を置いて立ち上がろうとする。


「わ、分かった。分かったから無理しないで。危ないから」


「うー……」


 楓さんは無言で俺を睨んだまま、浮かせた腰を下ろした。車椅子に座り直すとプルプルと震えていた腕をそっとマッサージするのが見えた。


「とにかく、綿菓子は食べたいんだよね?」


「……うん」


 不機嫌そうに楓さんが頷く。


「だったら買おう。晩ご飯とかそんなことは考えずに、ほしいものをとにかく買って、どう食べるかは後で考えれば良いよ」


「わ、分かった」


 楓さんが車輪の外側にあるハンドリムと呼ばれる輪を掴む。それを見て楓さんの肩を軽く叩く。


「こんな砂利道のところで回すのは疲れるだろ? 言ってくれれば押すから遠慮しないでよ」


「え? でも昼間も押して貰ってたし、少しくらいは自分で……」


「今日は俺が祭りに誘ったんだから、楓さんは楽にしてればいいんだよ。ほら、手を離して」


 渋々といった様子で手を離す。やけに今日は聞き分けが良いなと感心しながら昨日の柊の話を思い出す。そして、きっとこの祭り中は俺の『お願い』を聞いてくれているのだと納得する。


「……お願いします」


 小さな声でそう言った楓さんに「了解」と答え、俺は車いすをそっと押した。


 ◇◆◇◆


「結局晩ご飯っぽくはならなかったね……」


「うぅ……」


 休憩所に設けられたテーブルに向かい合って座り、テーブルの上にさっき買ってきた品々を並べていく。綿菓子にリンゴ飴、かき氷にベビーカステラ。いずれも二人前ずつだ。前言通りに楓さんが食べたいものを買っていたら、どれもデザートやお菓子に分類されるようなものばかりになってしまった。


「だって混んでたから……」


「時間が時間だからね……」


 ちなみに楓さんは屋台を巡っているときにたこ焼きやイカ焼きにも目を留めていたが、順番を待つ行列を見ると早々に諦めた。


「……い、一食くらいこういうのがあってもいいと思う。それに今日はお祭りなんだし……」


 楓さんらしからぬ前向きな発言。


「楓さんがそれで良いなら良いけど」


 まあどうせこれだけあれば他の物は入らないだろう。むしろ全部食べきれるかどうかの方が心配だ。


「う、うん。お祭りだから良い」


 お祭りをやけに強調する。そんなに言い訳がましくしなくてもいいのに。


「あ、蓮君はもっと違うもの食べたかったら、今からでも買いに」


「これで良いよ。そんなことより、ほら、かき氷溶けてる」


「へ? わわっ」


 慌てて「いただきます」と手を合わせ、先の開いた長いストローでかき氷を口に運ぶ。


「――っ!? ん~~!」


 よほど冷たかったようで目をぎゅっと瞑って頭をトントンと叩く。しばらくして開いた目は僅かに潤んでいた。


「大丈夫?」


「……らいひょうふ」


 舌足らずに返事する。二口目からは多少冷たさに慣れたようで、スローペースながらもかき氷の山を崩していく。


「楓さんなら絶対いちご味を選ぶと思ってた」


「ん?」とストローを咥えて視線を合わせる。少し間を置いて気づいた楓さんは視線を落として黄色のシロップがかかったかき氷を見る。楓さんが注文したのはまったく酸味を感じないレモン味のかき氷だ。


「色が綺麗だったから」


 かき氷を突っつきながら答える。味じゃなくて見た目で選んだことになんとなく楓さんらしさを感じつつ、前々から思っていた疑問を口にする。


「へ~。女の子ってピンクが好きな物だとばかり思ってた」


「どうだろ。柊も椿もピンクが好きって訳じゃなかったし」


「楓さんは?」


 そう聞いてから「しまった」と後悔する。


「僕は女の子になってからまだ二年だから……」


 そう言って見せてくれたのは初めての笑顔。だがそれは苦笑という決して見たくはないものだった。


「ごめん」


「蓮君が気にすることじゃないよ。僕の方こそ、いろいろ気を遣わせちゃってごめん。本当は家に遊びに来てくれているときも、毎回こんな感じに、変に突っかからずに蓮君と話したいんだけどね。毎日ふと気づくと気が滅入っちゃってて。一度そうなるとなかなか戻れないんだ」


 そう言ってまた苦笑を浮かべる。それから回りを見回してから、俺と視線を合わせる。


「やっぱりお祭りって良いね。昼間あんなに気分が沈んでいたのに、ここにきたら元気になった気がする」


「……それなら良かった」


 俺はその言葉だけで今日楓さんを誘って良かったと思えた。


「うん。ありがとう」


 それは不意打ちだった。楓さんの言葉に満足して油断していたところをやられた。『ありがとう』と言った楓さんは優しく微笑んでいた。


 ◇◆◇◆


 やがて花火の時刻が迫ってきたので、俺達は会場から少し離れた橋の上へとやってきた。ここなら少し花火まで距離があることに目を瞑れば、橋の欄干付近に陣取ることで目の位置が低い車いすでも花火全体を見ることができる。


「空いてて良かった。あと五分遅かったら絶対アウトだったよ」


 ずらっと並ぶ人を見て、俺は安堵のため息を吐く。車いすを欄干から僅かに離れたところで車輪を固定して楓さんの横に並ぶ。


「どのあたりから上がるの?」


 片手でパシパシと水ヨーヨーを弾ませながらもう片手でリンゴ飴を舐める楓さん。小食だと聞いていた楓さんが、買ったもの全てを平らげたことに驚いたが、その後でもう一つリンゴ飴を食べたいと言い出したときはさすがに驚きを通り越して心配してしまった。しかし「何故か全然大丈夫」と言ったように、二つ目となるリンゴ飴も、今では口に咥えられるほどに小さくなっていた。きっとこれはあれだ。お菓子は別腹、というやつなのだろう。


「ちょうど真正面だよ」


 会場の対岸にある真っ暗な場所を指さす。何も見えないが、毎年そこから花火が打ち上げられるから、今年も同じだろう。


「ちょっとドキドキするね」


「そ、そうだね」


 ……俺は楓さんにドキドキさせられるんだけど。柊とはまた違う柔らかな笑みを浮かべる楓さんにさっきから動揺しっぱなしだ。その楓さんの微笑みは、他人が見ると無表情に近いものかもしれない。しかしこの一年と半年、楓さんの表情を見てきた俺には彼女のその僅かな表情の変化を読み取ることができた。


 間違いなく、今楓さんは笑っていた。


「スターマインってずっとパソコンのゲームのことだと思ってた」


 膝の上に広げた花火のプログラムを見ながら楓さんが言う。あれ、スターマインなんてゲームあったっけ? それってたしか――


「マインスイーパーのこと?」


「へ? ……あっ」


 楓さんの顔がみるみる赤くなっていく。


「そ、そうそうそれ! それが言いたかった! マ、マイン……スター? だったね、うん、それだ」


「えっと、マインスイーパーね」


「あぅ……」


 本気で間違えて覚えていたようだ。よほど恥ずかしかったようで、そのままでも小さいのにさらに小さくなってしまった。


「ま、まあ誰にだってそういう間違いはあるよ」


「伯父さんの書斎に使ってないパソコンがあったから、眠れないときはずっとそれやってたのに……」


 眠れないとき……?


「もしかしてたまに目の下に隈があったのってそのせい?」


 楓さんが俺の顔を見てハッとする。


「……うん。た、たぶんそう」


 俺から視線をそらしてあちらこちらと彷徨わせる。悪いことをしてそれを親に隠しているときの子供のようだ。


「別に悪いとは言わないけど、もう少し自分の体のことを気にした方が良いよ」


「分かってる」


 しゅんとなって項垂れる。


 ……さっきまで良い雰囲気だったのに一気に暗くなってしまった。どうしようかと悩んでいたそのとき、心臓にまで響く音と共に真っ暗な夜空に大きな大きな光の花が咲いた。


「わぁ……」


 隣の楓さんも夜空を見上げ目を輝かせた。打ち上がる度に声を漏らし、小さく拍手するその姿を見て、俺は小さくため息を吐く。……よかった。機嫌が直って。


「ねねっ。これがスターマインかな?」


 くいくいと俺の袖が引っ張られる。


「違うよ。スターマインはこの次。ほら」


 さきほどまでの単発ではなく、連続して無数の花火が打ち上げられる。色とりどりの光が花咲き、線上に伸びた花びらが大きく広がって頭上に降り注ぐ。


「すごい、流れ星みたい」


「ほんとだ。せっかくだから何か願い事でもしてみたら?」


 少し冗談ぽく言うと、楓さんから「うん」と返ってくる。驚く俺の横で両手を合わせて握りしめ、軽く目を閉じた。

花火の光に照らされながら何かを一生懸命お願いするその姿は、少し場違いではあったが、とても神秘的に見えた。


「……きが……でありますように」


 願い事を言い終えるとゆっくりと目を開き俺を見た。


「叶うと良いなぁ……」


「何をお願いしたの?」


 楓さんは視線を上空の花火へと向ける。


「それは秘密」


 そう言って笑ってみせた。


 こうして楓さんとの初めての外出は終わった。帰り際に「またどこかに行こう」という俺の言葉に、楓さんはちゃんと俺の目を見て「うん」と頷いた。


 楓さんの笑顔が見れたことで十二分に成功した今回の外出。楓さんを家まで送り、一人になると『今度はどこへいこう』と、早くも次のことを考えて俺は胸を躍らせた。 

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