第36話 映画館では静かに
レジが混んでいたので先に靴屋を出た私は、近くのベンチに座り蓮が出てくるのを待っていた。
床に届かない足をブラブラとさせながら視線をあっちへこっちへと向けていると、通路右奥からうさぎの着ぐるみを着た人が歩いてくるのが見えた。そのうさぎの手にはたくさんの風船が握られていて、それらをすれ違う子供達に配っていた。
どこかでセールでもやってるのかな? そんなことを思いつつ目で追っていると、ふいにうさぎと目が合った。なんとなく会釈すると、何を思ったのか、うさぎは私に向かって歩き始めた。
……え? 私何かした? 少しどきどきしながら待っていると、うさぎは私の眼前で立ち止まり、右手を差し出した。そこには風船が一つ握られていた。
「……へ? くれるの?」
うさぎは大きく頷いた。私はおずおずと手を出して風船を受け取った。風船なんて何年ぶりだろう。
「あの、ありがとうございます」
お礼を言うと、うさぎは大きな手で私の頭を乱暴に撫でた。そうしてから手を振り、ゆっくりと去って行った。風船はうさぎと同じピンク色をしていた。
「ごめん柊。おそくな……どうしたのその風船と頭」
「ん?」
頭に手をやると、髪がぐしゃぐしゃになっていた。
「んーとね」
ピンクの風船に目を向け、それから連を見て微笑んだ。
「うさぎさんにもらった」
「うさぎ?」
「そっ」と答えてベンチから立ち上がる。
「じゃ、次はどこいこっか」
右手に風船を持っていたので左手だけで髪を直しつつ連に尋ねた。
「そろそろ映画の時間だから、シネコンに行こうか」
「シネコン?」
「シネマコンプレックス。映画館のことだよ」
「なーんだ。だったら初めから映画館って言えば良いのに」
私はパンフレットを開き映画館がどこにあるのかを探した。しばらく目を走らせて、パンフレットの隅の方に『シネマコンプレックス』と書かれた施設を発見した。ここからすぐ近くにあるみたいだ。
「……シネコンの方が映画館よりも定着してるってこと?」
「厳密に言うと、微妙に意味が違うからね」
「ふーん。まあどっちでもいいや。よくないけど」
「それって結局どっち……?」
私としては分かりやすい映画館で良いと思う。意味は微妙に違うらしいけど。パンフレットを折りたたんでポケットに直しながら顔を上げて周りを見ると、さっきよりも人が増えていた。
「もしかして、これみんな映画館行き?」
私達が向かう方向に大きな人の流れが出来ていた。
「そうかも」
「時間近いの?」
「あと15分で開演だったかな」
……けっこうすぐだった。
「私達もいこう!」
はぐれないように連の手をしっかり握って歩き始めた。
「へ? えぇっ!?」
何故か連が変な声を上げた。
「ん? どうかした?」
「えっ!? う、ううんなんでもない!」
首をぶんぶんと横に振る連に首を傾げながら、私は映画館へと向かった。
◇◆◇◆
「映画館と言えばやっぱりポップコーンだよね。ということでポップコーンとコーラ下さい」
「俺もコーラを」
「コーラを二つ、ポップコーンを一つですね。少々お待ち下さい」
すぐに出てきた商品をお金と引き替えに受け取って列から外れた。
「どうして映画館のポップコーンと飲み物って、こんなにサイズが大きいんだろう」
蓮に持ってもらったポップコーンと、両手に収まり切らないコーラを交互に見る私。
「サイズならSからLLまであったじゃないか」
「へ?」
蓮が指差した先を見ると、そこにはしっかり『ポップコーン S、M、L、LLサイズ』とサイズ別に値段が書かれたメニュー表があった。
「……これのサイズは?」
「何も言わなければLサイズになるみたいだね」
ポップコーンの入れ物には『L』と大きく書かれていた。
「Sサイズにすればよかった……」
「柊ならこれくらい食べられるんじゃない?」
私は項垂れていた頭を持ち上げて蓮を見上げた。
「いくら私でも一人でこれ一つは無理だよ。あ、そうか。これ蓮が買ったんだから、半分くらい蓮に手伝って貰えばいいんだ」
「いや、これはさっきのお昼代のお返しにと買ったものだから柊のもの――」
「じゃあ、あげるから食べるの手伝って」
「……はいはい」
蓮は呆れた様子で了承し、ポップコーンを見つめた。
「もしかして、蓮ってポップコーン嫌い?」
「え、ううん。そんなことないよ」
否定する蓮。じゃあなんで気落ちしているように見えるんだろう。
「なんか締らないな……」
「なんか言った?」
「ううん。何にも」
そう言いながらため息を吐き、その後「よしっ」と顔を上げた蓮に、私は首を傾げるだけだった。
◇◆◇◆
「へぇ~。あのドラマ映画化されてたんだ」
私は周りに迷惑にならないよう、隣りに座る蓮の耳元で囁くように話しながら眼前のスクリーンに流れる映像を見ていた。それは以前テレビで放送され高視聴率のうちに終わった刑事物のドラマだった。内容的にはその続編のようだけど、やっぱり前作を見ていなかった私は周りの人ほど物語に入り込んで見ることが出来なかった。
「柊これのテレビ見てなかったんだね。続編ものだけど、見てて面白い?」
そんな私の様子を見て連が気にしているようだった。別に母親から譲って貰った映画のチケットなんだから、その内容まで蓮が気にすることはないのに。
「んー。最初にこれまでのダイジェストがあったおかげで流れは分かるからそれなりに面白いよ」
私は抱え持った大きな紙コップのような入れ物からポップコーンを一つつまんで食べた。はちみつ味だというそれはほどよい甘さで美味しかった。私はもう一つポップコーンをつまんで、その腕を伸ばした。
「はい」
「……なに?」
蓮は口の前に差し出されたポップコーンに困惑しているようだった。
「さっき食べるの手伝って貰うって言ったよね?」
「う、うん」
「だから、はい」
少し強引かもと思いつつ、蓮の口にポップコーンを押しつけた。さすがにここまでされて食べないなんて選択肢を選ぶことはしないだろうと思っていた通り、渋々といった様子で口が開いた。私はそこにポップコーンを投入。はちみつのせいで少しべとつく指をぺろっとなめながら連を見た。
「結構おいしいでしょ?」
「う、うん」
反応が悪いけど、さっきとは違って嫌がってはいないように見えた。うん。この調子で食べて貰おう。
「まだまだあるからね~」
「じ、自分で食べるから」
「そんなこと言って食べないんでしょ? そうはさせないっ」
また一つポップコーンを摘んで蓮の口に近づける。今度は先に口が開いた。ぽいっと投げ込んでから、私はふと朝の椿の言葉を思い出した。
「ねね。蓮」
口をもごもごさせながら蓮がこちらを向く。
「なんかこれってちょっとだけデートっぽいよね」
含み笑いをしながら言った。
「っ!?」
突然蓮が咳き込みだした。ポップコーンを喉に詰まらせたみたいだ。
「ひ、ひいらぎ!?」
ここが映画館ということを忘れたかのように大声を出す蓮。
「すとーっぷ! 迷惑になるから大声出さない!」
口を押さえながら小さな声で叱りつけると、蓮は理解したと数回頷いた。手を離し、蓮を横目で見ながら私はため息を吐いた。
「まったく。突然なにしてるんだか……」
「それ、俺のセリフ……」
暗闇でも分かるくらい顔を真っ赤にした蓮がそう呟いた。……そんなに長く息止めたかな?
◇◆◇◆
「蓮は自転車できてたんだ」
「うん」
クレタナの敷地の隅に申し訳ない程度に設けられた駐輪場は、立体駐車場の出口のスロープ下の空間を利用したものだった。
「蓮の家ってこの近くだっけ?」
蓮の家には昔二、三度だけ遊びに行ったことがあるけど、もう四年前のことなので詳しい位置を覚えていなかった。
「ううん。柊と同じ町内」
「あれ、もしかして蓮って私の家の近く?」
「町内って言っても僕の家は端のほうだからね。近いといえば近いけど、お隣さん、ってわけでもないね」
「でも、柳町からここまで自転車ってことは途中の坂道登ってきたの?」
私たちの住む町からここまで来るには、急で長い上り坂を超えないといけない。だから私はバスを使ったって言うのに。
「うん。たしかに坂道はきついけど、練習だと思えば」
「……休日まで部活動とは精の出ることで」
半分感心、半分呆れて蓮に視線を送る。
「そうだ。帰り後ろ乗っていく? バス代勿体無いし」
「自転車の二人乗りは危ないんだよ?」
「ゆっくり行くよ」
そう言う問題ではないような……。
「次のバスまで30分以上あるから、こっちの方が早いよ?」
「え、そんなに遅いの?」
「バス自体は本数多いけど、今の時間帯で、ここから街までのは一時間おきしかないよ」
一時間……それはさすがに待っていられない。
「うーん……待つのも嫌だし、ここは蓮の言葉に甘えようかな」
私がそう言うと、蓮は止めてあった自転車のカギを外して通路に出すと、自転車に跨って座った。
「はい、後ろ乗って」
「ちょっと高いなあ……よいしょっと」
蓮の肩に手を置いて、自転車の荷台に飛び乗るようにして腰を下ろす。安定するように荷台を跨ぎたいところだけど、スカートでそれもできず、見えないように足をきちんとそろえて座る。
「じゃ、行くよ」
「うん」
私は右手を蓮のお腹に回してぎゅっと力を入れた。
「ちょ、ちょっと柊なにを……!」
「何って落ちないように掴まってるんだけど?」
肩に手を置いてるだけじゃ落ちてしまいかねない。
「そ、それはそうだけど……く、くっつきすぎて……そ、その、む、む……」
「む?」
「な、なんでもないっ」
ちらっと横から見えた蓮の顔は何故か真っ赤に染まっていて、私はわけが分からず首をかしげる。蓮は顔が赤いまま、ゆっくりと自転車をこぎ始めた。下り坂の帰り道は、風を切って凄く気持ちよかった。