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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第一部一章 メランコリーオーバードライブ
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第21話 葵さんは凄い

「……ちゃん、お姉ちゃん、朝だよ」


 声が聞こえて目を覚ました。鈍痛のする頭と、小さな痛みを発する背中に顔をしかめながら布団から顔を出すと、見慣れた椿の姿が視界に入った。


「んん……つばき?」


「うん。ほら、お姉ちゃん。起きて起きて」


「うー……。いたっ」


 布団の中でぐっと伸びをすると、左手がコツンとベッドに当たった。瞬間、包帯の巻かれた左手首に電流のような痛みが走った。


「くぅ……」


 あまりの痛さに涙目になり、体を丸めて布団の中に潜った。


「お、お姉ちゃん大丈夫!?」


 手首にそっと触れながらうめき声を上げていると、椿が勢いよく布団を捲りベッドに身を乗り出してきた。


「だ、だ、大丈夫」


「そんな目で言われても全然説得力ないよ」


 反射的にそう答えたけど、椿はまったく信じていなかった。


「えっと……あの……い、痛いです」


 意地を張っても無駄なので、素直に今の気持ちを述べた。クラスマッチから二日後。今日もひどい状態で一日が始まった。元々怪我の治りは遅い方なので、たった二日で治るとは思っていなかったけれど、ブロックした時に痛めた左手は予想以上にひどかった。手首は少しでも捻ると涙が出るくらい痛くてまったく動かせなかった。何か握ろうにも手にはまったく力が入らなかった。


「ほら、お姉ちゃん」


 椿が差し出した手を右手で握り、上半身を起こしてベッドの縁に腰掛ける。そして手を握ったままゆっくりと立ち上がる。


「あれっ……」


「あぁ、お姉ちゃん危ない」


 足元がふらつき、倒れそうになる僕を椿が抱きとめた。


「大丈夫?」


「うん。ごめん椿」


 迷惑をかけて謝る僕に、椿は首を横に振った。


「元はと言えば、わたしのせいでお姉ちゃんが怪我したんだから」


「椿は何も悪くない。むしろ前方不注意だった僕の責任だよ」


「そんなこと――」


「あるの。椿はただ真面目にプレーしただけ。そこで僕が怪我した。それだけ」


 椿に支えられながら立ち上がり、フラフラと歩き出す。隣で椿が今にも手を貸そうと構えていたけど、それを制しながらクローゼットの前に立った。


「だから椿が気に病むことはない。わかった?」


 振り返りそう言うと、椿は小さく「うん」と頷いた。


「……あれ? お姉ちゃんの携帯光ってない?」


 制服を手に取り机に目を向ける。充電器に差してある携帯電話のメール着信ランプが点灯していた。


「メールみたい。それより、今から着替えるんだけど……」


 これみよがしに制服をベッドの上に広げ、パジャマの第一ボタンに手をかける。


「あ、う、うん。じゃあ先に下降りてるからね」


 椿は慌てた様子で部屋を出て行った。扉が閉まり、ほっと息をつく。ボタンから手を離して携帯電話を手に取りメールを確認する。予想通りのメールの内容に苦笑して、携帯電話を閉じた。


 ◇◆◇◆


「あら、椿に四条さんじゃない」


 椿と一般棟一階の廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。


「おはよう」


 振り返ると、そこには微笑みながら挨拶する塚崎先輩がいた。


『おはようございます』


 挨拶を返し、ふと視線を左右に向けると、塚崎先輩の斜め後ろ両側に一人ずつ女の子が立っていた。視線が合うと、彼女達はあたふたした後に挨拶してきた。僕も慌ててそれに返した。


「クラスマッチ優勝おめでとう。私も最後の試合を観戦させてもらったけれど、あの日一番の好カードだったわ」


「そ、そうですか? ありがとうございます」


 まさか塚崎先輩に褒められるとは思わなかった僕は恥ずかしくなって視線をそらす。少しだけ横目で見ると、相変わらずの笑顔で僕を見ていた。


「椿はおしかったわね」


「はい。ですがお姉ちゃんに負けるなら本望ですよ」


 清々しく言った椿からは微塵も悔しさは感じられなかった。


「ところで、四条さんは怪我はもう大丈夫なのかしら?」


「えっと……」


 ちらっと隣の椿を見てから遠慮がちに「まだ少し痛いです」とだけ答えた。塚崎先輩が視線を僕の左手に下ろす。包帯が巻かれた手を見ると顔を少し歪めて、「そう」と呟いた。


「けれど、四条さんがあんなにスポーツが得意だとは思わなかったわ」


 暗い雰囲気を振り払うように、塚崎先輩は両手を胸の前で軽くパンッと合わせた。


「前の学校でも言われました。『スポーツまったくできなさそうなのに』って」


 苦笑しながらそう言うと、つられて塚崎先輩も口元に手を当ててクスクスと笑った。


「やっぱり。私も四条さんは、大人しそうな子だからスポーツはあまり得意ではない……と勝手に思い込んでいたからびっくりしたわ」


「大人しそうなのはきっと見た目だけです。それより、僕のことは楓でお願いします」


「楓ね。わかったわ。では私のことも穂乃花でお願い」


「え、あの……」


「あなただけ名前で呼ぶのはフェアじゃないわ。あなたが名前で呼んでくれないなら、私もあなたのことを『四条さん』って呼ぶけど、いいのかしら?」


 少し意地悪っぽい笑みを浮かべて塚崎先輩は言った。そうか。こんな先輩だからみんなから人気があるんだ。


「……わかりました。穂乃花先輩」


 僕がそう言うと、穂乃花先輩は満足そうに頷いた。


「そうだわ。楓はもう部活決めたのかしら?」


「部活ですか? まだ決めてないですけど……」


 そこで一度区切って、先週の椿との会話を思い出す。……ちゃんとはっきり言わないと、ね。


「その……この前部活見学しましたけど、別の部活に入ろうと思います」


「そう。分かったわ」


「へ?」


 『残念だ』とかそういう言葉が返ってくるかと思ったのに拍子抜けてしまった。


「ふふ。別に部活見学したからと行って入部しないといけないというルールはないわ」


「そ、それはそうですけど……」


「だったらいいじゃない。ここにはたくさんの部活があるのだから、あなたが気に入ったところに入るのがいいと思うわ」


 そのとき、ほんの一瞬、穂乃花先輩は椿に視線を向け、そして僕を見て目を細めた。……言葉はなかったけど、穂乃花先輩には僕がどうして入部するのを諦めたのか、見抜かれた気がした。


「……はい」


「それでは、私は先に行くわね。葵には私から言っておくから心配しないで。椿、また放課後に」


「は、はい」


 穂乃花先輩は僕たちに会釈すると近くの階段を上っていった。穂乃花先輩の後ろにいた女の子二人もそのあとをついていった。


「お姉ちゃん……」


「椿は何も気にしなくていいよ」


 あの時のように眉尻を下げる椿の頭を僕は優しく撫でた。


 ◇◆◇◆


 いつものように椿と階段を登ったところで分かれて廊下を歩いていると、各階に設置された学年用掲示板の前に人だかりができていた。


「……ん~っ」


 なんだろうと思って、最後尾からつま先立ちで掲示板を覗こうとしたけど、いかんせん身長が低すぎてつま先立ちくらいじゃ掲示板の『け』の字も見えない。……ふいに自分にいらっときた。や、原因は分かってるんだけどね。


「っと!」


 ならば、と軽くジャンプしてみる。なんとか掲示板に何か張られているのは見えたけど、遠すぎて書かれてある文字が読めなかった。もっと近くに行く必要がある。……と言っても、この人の量。中に入りたいとは思わない。


 仕方ないので休み時間にでも……と思って教室へと向かおうとした時、背後からぽんぽんと肩を叩かれた。少し驚きながら振り返ると、そこには葵さん、綾音さん、遥がいた。「おはよう」と挨拶を交わしてから、この3人ならこの人だかりについて何か知っているんじゃないか? そう思って聞いてみることにした。


「なんか掲示板に張られてるみたいなんだけど……わかる?」


「あー。実力テストの結果発表じゃないか?」


「たぶんそうね」


 遥が目を細めて掲示板を見る。


「遥見える?」


「目は良い方なんだけどな~。さすがにここからじゃ見えないな」


「順位気になるし、ちょっと見てくるわ。ついでにみんなの分も」


 そう言うと綾音さんはメモ帳とシャーペン一つを手に取り、鞄を葵さんに渡して群衆の中に割って入って行く。


「ちょっと通して。ごめんねー」


 綾音さんは少し強引に進みながら掲示板前にたどり着き、メモを取って来た道を戻ってきた。


「ふぅ……」


「どうだった?」


 綾音さんと合流して、他の人の邪魔にならないよう少し掲示板から離れた場所に移動する。


「思った通り実力テストの結果ね。じゃ、順位と点数発表するわよ。えーっと……」


 綾音さんがメモ帳を開く。


「まず、遥は313点で367位。いつも通りの中の下ね」


 綾音さんがにやりと笑って遥を見る。


「そういう綾音はどうだったんだよ」


「あたしは328点の341位。中の上よ」


「そう大差ないじゃないか……」


 胸を張る綾音さんに、遥は大げさに肩を竦めてみせた。


「遥のくせに細かいわね」


「いや、どう考えても細かいのは綾音の方だろ。な、葵?」


「そうかもね」


 同意を求められた葵さんが苦笑する。


「さすが葵、余裕の笑み。……まっ、実際余裕なんだけど。葵は2位に20点差の498点で堂々の1位よ。もう一位はあんたの定位置ね」


 綾音さんが大きなため息を吐いた。100点満点の五教科だから四九八点は五教科全て満点に近い点数と言うことだ。前回の期末試験でトップとは聞いていたけど……本当に葵さんは頭いいんだ。


「葵さん凄いなぁ~……」


 尊敬の眼差しを送ると、葵さんは恥ずかしそうに俯いた。


「あたし達からすると楓も似たようなものなんだけどね……」


「え?」


「楓の順位。なんと9位の462点」


 462点……。思ったより点数が高くて少し驚く。きっと答えに迷った問題が運よく正解を引いたのだろう。


「なんであたし達と葵達とじゃこんなに差があるのかしらね……」


「単純に勉強してる、してないの差じゃないか?」


「遥、分かってるなら勉強しようよ」


 そう言うと遥はため息をついて「それができないからこの点数なんだよ」と開き直られた。


「四条さん!?」


 群衆の中の女の子が突然僕の名前を叫んで駆け寄ってきた。


『あの子が四条楓さん?』


『うそっ。あんなに小さな子が!?』


『かわいいわね~。お人形さんみたい』


 それを合図に一斉にみんなが僕に視線を向けた。


「うっ……」


 そこかしこから聞こえてくる声と、たくさんの瞳に見つめられて圧倒され、たじろいでしまう。そういえば、昨日からどうも学校のみんなの様子がおかしい。廊下を歩いているとよく声をかけられ、学食でご飯を食べているとたくさんの視線を感じるようになった。


「バレーがあんなに上手だったのに、頭も良いのね。凄いわぁ!」


「あの、僕は別に……」


 目を輝かせて話す彼女に気圧されて後ずさる。それにしてもこの女の子は誰だろう。見たことないからクラスの子でないのは間違いないけど。校章が黒だから同じ二年生だということだけは分かる。


「ところで四条さんはもうどこの部活に入るか決めたの?」


「ま、まだだけど」


「そうなの!? 聖園の剣道部の子に聞いたんだけれど、四条さんって中学は剣道部に入っていたのよね? しかも二段だとか」


「う、うん」


『剣道してたんですって』


『あの子が!?』


 周囲のざわめきが大きくなる。何十もの瞳に見つめられ、周りはざわざわと騒がしい。


 なんだなんだ。何をみんなそんなに話しているんだ。……って、今はそんなことよりもここから逃げないといけない。さっきこの女の子は部活について聞いてきた。もしかするとこの子は僕を勧誘にきたのかもしれない。


 僕は遥にそっと目配せする。遥はそれに気づいてくれたようで、ゆっくりと頷いた。


「ぼ、僕ちょっと用事があるのでっ」


 そう言い残して、僕は女の子に背を向けて走り出した。


「あ、四条さん!?」


「おっとそれより先は行かせないよ」


 後ろから女の子の声が聞こえたけど、遥に任せてD組の教室へと入っていった。


 ◇◆◇◆


「なんであんなに楓に注目が集まったんだろうな……?」


 席につき一息ついていると、遥が僕の方を向いて話しかけてきた。


「さ、さあ……?」


 僕が首を傾げていると、綾音さんがため息をついて首をすくめた。


「いや、時季外れに転校してきた小さくてかわいい女の子が、クラスマッチであんな活躍して、しかも頭も良かったなんて知られたらああもなるんじゃない?」


「……」


「ああ、なるほど」


 俯く僕に対して、納得がいったように遥が頷いた。


「で、でも、たとえそうだとしても、みんな騒ぎすぎのような……」


「楓は来たばかりだから知らないわよね。えっとね、この学校には、教えというか校訓というか、古臭い伝統……っていうのかしら? そういうものがあって、理事長の言葉を借りて言うとそれは『模範とすべき生徒は学級に関わらず敬愛すること』なんだけど……ここって街の中でも一二を争う進学校だから基本いい子ばかりが揃ってるでしょ。みんな律儀に守っちゃってるのよ。ほら、四季会の会長が代表的な例よ。普通の学校なら単なる風紀委員長で済むところが、この学校だと場合によっては生徒会長以上に発言力あったりするし。まあそんなわけで普通の学校より何かが抜きん出た生徒は担ぎ上げられやすいのよ。とくに最近は塚本先輩以外にそんな人がいなくて、そこに楓が現れたから、いつも以上に盛り上がっちゃったと思うのよね」


「は、はあ……」


 納得はできないけど、理解はできた。つまりクラスマッチで目立ったから目を付けられたということなのだろう。別に僕は人に慕われるような人間じゃないのに。


「クラスマッチ、大人しくしておけばよかったのかなぁ……」


 終わってしまったことを悔やんでも仕方ないんだけどね……。


「楓の性格からして、遅かれ早かれこうなると思うけどな」


「それどういう意味?」


「楓は手を抜くなんてことしないだろ?」


「そう、かもしれないけど……」


「な?」


 そう言って遥は歯を見せて笑った。

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