第15話 ナンパは嫌い
「椿ちゃん遅いですね」
みんなでお茶を飲みながら雑談していると、ふと葵さんがそんなことを言った。
「そうね……。香奈、あなた何か聞いてないの? 同じクラスでしょ?」
塚崎先輩の言葉に、香奈はカップを調理台に置くと、腕を組んで目を閉じた。
「えーっと……そういえば何か言われたような……」
額をトントンと人差し指で突きながら眉間に皺を寄せる。
「どうして数十分前のことを思い出すのに長考するのよ……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。もう少しで何か出そうなんです。……ああ、そうだっ。今日日直だから遅れるって言ってました」
手をポンと叩き、すっきりとした顔をする香奈さん。
「そう。日直ならそんなに遅くなることもないだろうから、もう少しこのまま待ちましょう」
「そうですね。……香奈、そういうことは言い忘れないように、来た時に言ってね」
「はーい」
香奈さんは舌を少しだけ見せて返事した。同じクラスで、同じ部活ということは、香奈さんは椿とは仲が良いのだろうか。
「香奈さんは椿とはどういう関係?」
考えても答えが出るはずもないので、率直に聞いてみることにした。
「ど、どういう関係ってそんな……っ」
「香奈。普通に答えなさい」
「わわっ。えっと、楓先輩すみません」
静かだが少しだけ怒りを含んだ塚崎先輩の声に、香奈は慌てて僕に頭を下げた。……香奈さんは塚崎先輩に弱いようだ。
「椿とは一学期の頃席が隣で、部活も一緒ってことで仲良くなったんですよ。なので……どういう関係かって聞かれたら……友達ですかね?」
「友達か……」
椿とは会ってなかった頃もよく電話はしていたけど、お互いの友達については話したことがなかった。ちゃんと椿に友達がいたこと、そして知らなかった椿のことを知れて僕は少し嬉しくなった。
「はい。休みの日には二人で出かけたりもしてます」
「へ~。じゃ、これからも椿とは友達でいてあげてね」
とりあえず、姉として妹の友達にちゃんと挨拶しておくべきだろうということで言ってみたけど、これでよかったんだろうか。なんか姉というよりは母親っぽくなった気が……。
「へ? ……は、はいっ。むしろあたしの方こそいつも椿にはお世話になってて、これからもよろしくと言いたいくらいで……」
「香奈はいつもテスト前になると椿ちゃんのノートを写させてもらっているものね」
「あ、葵先輩っ。楓先輩の前でそんなこと言わなくてもっ!」
なるほど、香奈さんは遥を小さくして、もう少し女の子っぽくした感じか。
「か、楓先輩安心してくださいっ。椿にはちゃんとノート写させてもらったお礼にパフェとか奢ってますから!」
「その発言のどこに安心する要素があるのかしら……」
塚崎先輩が香奈さんを見てため息を吐いた。
「あたしが椿を頼ってばかりではなく、ちゃんとギブアンドテイクな対等な関係であることを……っと楓先輩。あたしのことは呼び捨てで構いませんよ」
「え、えっと……」
僕は困って葵さんに視線を送る。
「……楓ちゃんは桜花の出身だからあまり呼び捨てはしたくないみたい」
桜花だからってわけじゃなくて、初対面から呼び捨てはどうかと思っているだけなんだけど……まぁ、あれこれいうより学校の格式の高さのせいにすれば納得してくれそうだから良いか。
「あぁっ。あのお嬢様学校ですか……」
香奈さんは僕を見て、うんうんと頷く。
「納得です」
納得されてしまった。
◇◆◇◆
数分後、ガラッと勢い良く扉が開き、椿が教室に入って来た。
「す、すみません。日直で遅れました」
「そんなに急いで来なくても……。ちゃんと香奈から聞いているから」
息を弾ませて謝る椿に塚崎先輩は苦笑した。
「へ? 香奈が? 本当ですか?」
「なにそのあたしに言っておいてどうせ忘れてるだろうなー的な反応は……」
「うん。期待してなかったから」
「葵先輩、椿が酷いですっ!」
「日頃の行いが悪いからそうなるの」
香奈さんが両手を広げて葵さんに飛びつこうとするも、葵さんに頭を押さえられて手が届かず手足をばたつかせる。……コント?
「あれ? なんでお姉ちゃんがここに?」
「部活見学」
「私が誘ったの。楓ちゃん、料理部に興味あったみたいだから」
葵さんに「そうですか」と答えつつ、椿の目は僕に向けられていた。気のせいだろうか、僕がここにいるのを快く思っていないように見えた。
「それでは、椿も来たことだし、そろそろはじめましょ」
「「はい」」「はいっ」
そんなこんなで部活動が始まった。今日は簡単に作れておいしいものを、ということでチーズケーキを作るらしい。ケーキなんて作ったことがないどころかお店で買った物しか食べたことないのでちょっと期待。さっそく四人がそれぞれ別々の調理台を使って動き始めた。
けれど――
「塚崎先輩。チーズがすごく硬いのですが……」
「レンジで一分程温めれば柔らかくなるわよ」
葵さん、塚崎先輩、そして椿は慣れた手つきで進めていくのに対して――
「えっと…卵の次はどっちだっけ……あ~! オーブン予熱しとくのわすれてたぁ~!」
「三番目のオーブンを予熱しておいたからそれ使って」
「あ、ありがとうございます、葵先輩!」
終始、香奈さんはばたばたと慌ただしく、塚崎先輩に助言をもらいつつ、椿、葵さんに助けてもらいながら、なんとか生地をオーブンで焼くところまでこぎつけていた。
「あとはオーブンで五十分焼いて、冷やせば出来上がりね」
エプロンを外して塚崎先輩、葵さんが僕の近くに椅子を持ってきて座る。
「結構簡単なんですね。香奈さんは大変そうだったけど」
「いや~。あたしは基本食べる専門なので……料理部に入部したのも、おいしい物食べれるかなぁと思ったからでして」
香奈さんは僕たちに紅茶の入ったカップを配りながら、あははと笑って頬をかいた。椿は僕の隣に座ったけど、やっぱりいつもと様子が違っていた。
◇◆◇◆
チーズケーキは冷蔵庫で冷やして月曜のお昼に各自食べようということになり、今日は解散となった。校門でみんなと別れて、椿と二人家路をたどる。明日はクラスマッチ。まだ頭が痛いから今日は早めに寝て明日に備えないといけない。やけに綾音さんが僕に期待しているようだし、それに少しでも応えたい。
歩きながら隣の椿がちらちらと僕の鞄を盗み見ていたけど、取られる前に自分から日傘を取り出して差した。周りには学園の生徒は見当たらないし、大丈夫だろう。
時刻は十七時。日は傾いてきたがまだ暑い。むしろ斜めに日が差しこんでくるし、日中に溜めこんだ熱が足元のアスファルトから漂ってきて気持ち悪い。
「ねえ、お姉ちゃん」
「んー?」
日傘を傾けて椿を見上げる。
「料理部に見学に来てたけど、その……入部するの?」
ちらちらと僕を見ながら、遠慮気味に聞いてくる。
「うーん。まだ悩んでるところ」
葵さんは僕が入部すると嬉しいと言ってくれたし、僕も少しくらいは料理できたほうがいいかなとも思っているので、今のところ第一候補ではあるけど。
「えっと。……できたらだけど、お姉ちゃんには違う部活に入って欲しいかも」
「えっ。それって――」
一瞬嫌な言葉が浮かび、背筋が寒くなる。
「ち、ちがうの! お姉ちゃんと一緒にいるのが嫌とかそういうんじゃなくて! その……お姉ちゃんに見られてると思うと恥ずかしいというかなんというか……」
……ああ、なるほど。たしかに僕も何か練習してるところを妹に見られるのは恥ずかしい。僕を嫌っているんじゃなくて良かったと胸をなで下ろしつつ、僕は頷く。
「そっか……うん、わかった。じゃあ、部活は何か違うもの探してみるよ」
まだ学園に来て二日しか経ってないんだし、もう少しいろいろ見てから決めよう。
「うん。……ありがとう、ごめんね、お姉ちゃん」
「気にしなくていいよ」
僕は申し訳なさそうに眉尻を下げる椿の頭を撫でた。
◇◆◇◆
家路の途中で、スーパーに寄って買い物をするという椿と分かれた。もちろん僕は荷物持ちくらいしようと思って、一緒に行くと言ったのに、椿はやんわりと断り、先に帰って休んでてと言われてしまった。いつもならそれでももう少し食い下がるんだけど、頭痛が酷くなってきていて余裕がなかった僕は素直に『うん』と答えてしまった。
仕方なく、僕は椿と分かれて一人歩いていたが、しばらく歩いているとさらに気分が悪くなってきて、近くの公園へと避難することにした。
飲み物を買おうと自販機の前に立って物色するも適当な物がなかったので他に自販機がないか周りを見回す。けど、他に自販機は見当たらなかったので、渋々百円均一と書かれた自販機でスポーツドリンクを買ってベンチに腰を下ろした。
日傘を閉じてベンチに立て掛け、プルタブを開けてスポーツドリングを一口飲んだ。変な味がした。お茶でも買えばよかったと後悔しながらちびちびと飲んでいると、一人の男子学生が公園に入ってきて僕の近くまでやってきた。何気なしに見上げると、彼と目が合ってしまった。
「ごめ~んまった? って、うそうそ~」
語尾を無駄に延ばしながらその男子学生は僕に話しかけた。この学生服に見覚えがあった。これは桜花近くの男子高だ。学校名は忘れたけどあまり良い噂は聞かないところ。ここからだとそれなりに距離があるけど……この付近から通っているのだろうか。
「君~。誰かと待ち合わせ~?」
「や、別に……」
短く答えながらようやく気付く。
……ナンパか。
不本意ながらナンパは何度かされたことがあるけど、そのどれもが二人一組だったので気づくのが遅れてしまった。周りを見ても僕と彼しかいないので本当に一人のようだ。まったく勇気のあるヤツだ。
「おぉっ。よく見ると君かわいいね~」
大げさに驚いて見せながら彼が肩に手を置いてきた。……鬱陶しい。気分が悪いせいで余計にいらいらする。
「ねぇねぇこれからどこ行くの? 僕と遊ぼうよ~」
彼の手を払い除けながら立ちあがり、まだ半分以上残っていたスポーツドリンクを自販機の横のゴミ箱に捨てた。中身が入ったままなのでゴンッと重い音が聞こえた。
「ねぇ、遊ぼうよ。僕チョー面白いやつだし」
後を追いかけてきてしつこく僕に話しかけてくる。
「用事があるので」
一瞥してそれだけ言うと彼に背を向けて歩き出す。
「おいっ。ちょっと待てよ!」
彼が僕の肩を掴み無理矢理引っ張る。その勢いで体が回って彼と向き合う形になる。
「なに無視してんだよ!」
キレるの早いな。思ったよりも早い豹変ぶりに内心苦笑する。こういう時表情が顔に出ないのは楽だ。彼に僕の心の中を見られるなんて吐き気がする。
「コイツ――っ!」
相変わらず無視を続ける僕に痺れを切らした彼は暴言を吐き始めた。お高くとまりやがってとか、なんかそんなことをいろいろと。真面目に聞くのもあほらしいので聞き流していると、無反応な僕の態度に怒りが込み上げてきたらしく少しずつ顔が赤くなっていく。
……うん。頭痛は酷いけど手足はなんとか動かせそうだ。次に彼がとる行動を予想して、少しだけ右足を前に出し、閉じてある日傘を両手で持つ。
「――聞いてんのか! こらぁ!!」
ついに怒りを爆発させた彼が殴りかかってくる。大振りな右ストレートを、膝を曲げ頭の位置をずらして避け、前屈みになった体勢のまま地面を蹴り彼の懐に飛び込んだ。両手で握りしめた日傘を思い切り振り抜き、太ももを強打した。
「いっ!? ~~~~~!?」
声にならない悲鳴を上げながら地面に膝をつく彼の喉元に日傘を押し当ててそのまま押し倒す。
「ゲッ!?」
カエルのような声を上げて彼が地面に倒れた。
「……僕の事は放っておいてもらえませんか?」
喉を圧迫したまま彼を睨む。
「はぁ、はぁ。そ、その傘。もしかして桜花のひい――」
「……とっととどっか行ってもらえませんか?」
腕に力を込める。
「は、はい! 分かりました! 分かりましたから!」
かすれた声を上げて涙目になる彼を見て『やりすぎたか』と思いつつ離れる。戦意はなさそうだけど、一応すぐに対応できるようにはしておく。
「……」
無言で見つめ、すぐに立ちあがって去っていくのを期待する。
けど――
「ほ、本当に済みませんでした!」
彼はその場で土下座をしてそう言った後に、若干足を引きずりながら逃げるようにして公園を出ていった。
「そんな土下座までしなくても……」
走り去る彼の背中を見ながら、僕はそう呟いて苦笑した。
さて、帰ろうと鞄を持った時だった。
「いたっ」
左手首に電流が走ったような衝撃を受けた。おそるおそる視線を落とすと、手首のあたりが少し赤くなっていた。おそらくさっき日傘を振った時に痛めたのだろう。たしかに最近竹刀や木刀なんて振ってなかったし、さっきも力の加減なんて考えず振っちゃったけど、まさかあれだけで痛めるとは。
「腫れなければいいけど……」
今の気分の悪さよりも、帰って椿になんて説明しようと、そのことで憂鬱になった。