第110話 私が君にできること ◆
季節は巡っていく。嫌なことや悲しいこと、いいことや楽しいこと、何があっても時間の進みは変わることなく、今も少しずつ進んでいく。
そうして進んでいく度に、また新たな出会いがある。それと引き替えに、今は過去となり思い出となる。思い出はいつか遠くなり、風化して消えていく。それでも大切な思い出だけはいつまでも残って、進みながらもたまに振り返り、懐かしむことが出来る。
いつか歳を取って、昔を振り返ることが多くなったとき、たくさんの思い出があればいいなって思う。その隣に私の大切な人が……遥や蓮君、友達がいて楽しく話ができたら、きっととても優しい気持ちになれる。
「――で――楓」
――っとそんなことを考えてる場合じゃなかった。
「おい。どうしたぼーっとして」
意識を外に向ける。手には数枚の紙。正面には舞台へと上がる階段。隣には私のことを呼んでいた遥。後ろを見れば、彩花さん、葵さん、蓮君が心配そうに私のことを見つめていた。
「ごめん。ちょっと考え事をしてた」
「ったく。ぼけっとするなら後にしとけよ。もうすぐで楓の番だぞ」
「分かってる。ええと……」
もう一度原稿に目を通す。これが最初の仕事。新入生のためにも失敗するわけにはいかない。
――季節は巡り、桜舞う春。
私達は進級し、最上級生となった。今日は新入生を迎える入学式の日。生徒会役員である私達は、新しい後輩を歓迎するため、こうして体育館の舞台袖に集まっていた。
先月この学校を卒業した塚崎先輩から引き継いだ生徒会は、会長の四条楓、副会長の新階彩花、書記の水無瀬遥、会計の朝霧葵、庶務の如月蓮の五人で構成される。
まさか私が会長になるなんて。去年の十二月に初めて勧誘された頃の私が知ったら驚くだろう。あの時は本当に生徒会長なんて微塵もやるつもりがなかったのだから。
あのとき、私は間違いなく塚崎先輩の勧誘を断わった。先輩は了承しつつ、それでも諦めていない口振りだったけれど……まさかあれほどしつこい人だとは思わなかった。
年が明けると、塚崎先輩は来る日も来る日も私を勧誘し続けた。朝は校門で待ち伏せし、昼は食堂、帰りはなんと私のいる教室まで。曰く「年末年始の勉強の合間にずっと考えていたのだけれど、あなた以上の適任が思いつかなかったのよ」だそうで、『せっかくなら自分が引き継がせる生徒会を最高のものにして学校を去りたい』という初詣の願いを叶えるため、それはそれは全力だった。受験生の願いが受験合格じゃなくてそれなのはどうかと思ったけど、実は塚崎先輩の成績がトップクラスで、志望推薦が既に決まっていたそうだ。さすが四季会長。
その猛攻からもなんとか逃げ続けていたのだけど、やがて遥や蓮君達が塚崎先輩の勧誘を受けて生徒会選挙に立候補するという『外堀』を埋められ、さらには立候補した彼女達からも塚崎先輩と一緒になって勧誘し始めるようになり……最後は半ば強制的に私も立候補することとなった。
ちなみに各々がその役職を選んで立候補した経緯は、彩花さんは「ボクは楓さんの隣が良い!」というよくわからない理由で副会長に。……あと他に副会長を選んだ人がいなかったからというのもあったり。遥は「面倒なことじゃなければなんでもいい」と言ったことと、私が遥は字が綺麗だからと推薦したことから書記に。雑務なら任せてと庶務を蓮君が選び、残り物をということで会計に葵さんが立候補した。
なお、綾音さんは部長として部活が忙しいことと一身上の都合により早くから立候補しないと宣言していた。一身上の都合とぼかしているけど、親が理事長だということを気にしているのだと理解していたので、みんなそれ以上何も言わなかった。
そうして行われた二月の生徒会選挙で、私達は見事二位と圧倒的大差をつけて当選。全員が希望通りの生徒会役員となった。
二月ということもあり、時間に余裕がなかったので、すぐに塚崎先輩達、現生徒会から仕事の引き継ぎを行った。その後三月から実質的に私達が生徒会として機能し、公の場としては今日のこの入学式が最初の活動となった。
現在は壇上で理事長に続いて校長が祝辞を述べている。これが終われば、次は私だ。
この一週間。原稿には何度も目を通している。正直、もう全部覚えているから見なくても良いんだけど、壇上にいくと緊張して、せっかく覚えていたことを全て忘れてしまう、という可能性もある。実際前回の桜花での立候補演説では用意していた原稿の内容がすっかり飛んでいってしまって、即興で考えた何かを色々ぐだぐだ話したのを覚えている。とにかくテンパってたから何を話したのか自分でもさっぱりだけど、後で遥に「さすが楓だ。みんな感動してたぞ」と褒められたので、たぶん良かったんだと思う。
壇上から校長先生が戻ってくる。階段を降りてきたところで会釈して、代わりに私が前に出る。
手に持っていた原稿を遥に渡し、胸に手を当て深呼吸を繰り返す。
壇上で話すのはこれで二度目。全然慣れなくて、こうして人前に出て、しかも大勢の前で話すのはやっぱり緊張する。
……けれど、ちゃんと原稿の内容は覚えてる。心臓もそこまでバクバクしていない。手も足も震えてない。大丈夫、これなら――
ふいに後ろから肩を叩かれた。
「楓。肩に力が入りすぎだ」
言われて気付いた。すぐに肩の力を抜いてもう一度深呼吸。そして自分の頬をペシペシと叩く。
……うん。大丈夫。
「ありがと、遥」
「ああ。行ってこい」
遥が背中を押す。その勢いのまま階段を上り、壇上に出た。静寂の中に私の足音だけを響かせて、舞台中央の見台に立ち、マイクの高さを調整してから正面を向いた。
ずらりと並ぶ新入生。そしてその保護者と先生方。桜花の時と比べたら人数は少ないので幾分余裕ができた。原稿の出だしもちゃんと、覚えてる。
『新入生のみなさん。御入学おめでとうございます。私は――』
そうして約五分。新入生達に向けて祝辞を述べた。内容としては在り来たりなことだ。でも、それにちょっとだけ、私自身の言葉も混ぜてあった。
『これからの三年間は、たった三年間だけど、長くて貴重な三年間。間違うことがあっても、後悔することばかりでも、それでもそれは決して無駄なんかじゃなくて、全部まとめて一緒に、前に進んでほしい』
やっとのことで原稿を全て読み上げた。安堵する私に拍手が送られる。ふと新入生の中にこっくりこっくりと居眠りしている人を見つけた。この陽気だし、式は暇だから眠くなるよね。思わずクスッと笑ってしまった。変に思われるといけないので、誤魔化すように新入生に向けて笑顔を振りまく。これでよし。
一礼し、舞台袖へと帰ると、みんなに小さな拍手で迎えられた。
「楓さん。おつかれさま」
「なかなか良かったじゃないか」
「最後の笑顔はとても好印象だと思う」
「……たぶん何人か落ちたね」
みんな笑顔の中、彩花さんだけ別種の表情を浮かべていた。
「変な顔してる暇があったらさっさと行け。次は彩花だろ?」
「えっ、やっぱりボクもあるの!?」
「式次見ただろ?」
「いや、副会長だから別にいいんじゃないかなーと」
「つべこべ言わず、良いから行ってこい!」
「いたいっ!」
遥に背中を叩かれた彩花さんが、小走りで壇上に上がっていった。一礼したのちにポケットから綺麗に折りたたまれ、包みにしまわれた式辞を取り出し広げた。巻物のように長い式辞は全て開かれ、一方の端がだらんと彩花さんの手からぶら下がった。
「あれって少しずつ開いて読むんじゃないのか?」
遥が壇上の彩花さんを指差して指摘する。
「うん。あまり見た目がよくないから」
葵さんが苦笑して答える。
「時代劇だとよく全部広げて読むシーンあるよね。ほら、使者から巻物受け取って読む時とか」
ちょうど昨日やってた時代劇で見た。
「あれは焦燥感出すためじゃないか?」
なるほど。たしかにいちいち折りたたんでたら不自然だ。
三分ほどして、彩花が出て行ったときと同じように、小走りで戻ってきた。
「なんとかいけたな」
「はー。緊張したぁ~。湊が原稿用意してくれてなかったら死んでたよ……」
「やっぱりそれ、湊のだったか……」
胸を押さえて息を吐く彩花さんを見下ろして、遥がそれとは別種のため息を吐いた。
「あとは退場する新入生を見送れば良いんだっけ」
「うん。もう少ししたら行きましょうか」
季節が巡る。桜が舞って、また新しい学期が始まる。
今年はきっと、今までで一番大変な年になるだろう。大学進学のための受験勉強に、生徒会の活動。とくに大学の進学先をまだ決めていないから、まずはそれを早く決めないと。順当にいけば千里学園大学にエスカレーターで進学なんだろうけど、奈菜と沙枝からは桜花に戻って来いって誘われているし、隣にある蓮池高校が来年に大学を新設するようでそれも気になっていたり。学力的にはどこもA判定が出ているし、内包する学部学科は似たり寄ったりで違いはあまりない。本当にあとは私がどこに進みたいか、選ぶ基準はそこだけになっている。遥やみんなの進路は学園大学と蓮池大学に分かれている。うーん……。
……まっ、あと少し、もうちょっとだけ考えてみよう。そんなに焦る必要はない。いつも通りゆっくりゆっくり、自分のペースで、精一杯やっていこう。なんせ私は、柊と自分自身と、そして彼女の三人分生きなきゃいけない。急いでちゃすぐに息切れしてしまう。
だから――
外が騒がしくなる。新入生が退場するようだ。
「そろそろ行こうか」
みんなが頷く。それを確認してから、薄暗い部屋を歩く。体育館へと続くドアの前まで来たところで振り返り、みんなと向かい合った。
――一人じゃ無理でも、みんながいるなら大丈夫。
「これからもよろしくね」
少しずつ少しずつ、みんなと一緒に進んでいく。
私が君達にできることは、そうして続いていく、未来を見せてあげることだから――