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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第三部第二章 楓と楓
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第107話 それはあまり知らない痛み

 ――朝。いつもより早い時間に、ふいに目が覚めた。それと同時に違和感を覚えた。記憶にはある、けれど経験はあまりない、気持ち悪く、頭痛を伴う、嫌な感触。


 まだ椿が起きるには早い時間だから、起こさないよう、静かにドアを開け、暗い廊下を進み、トイレへと向かう。


スイッチを押して、明かりを点け、トイレに入った。便座に座り、『それ』を確認する。


 …………やっぱり。


 途端に気持ちとともに、体がズシッと重くなる。当然のこととは言え、それを直視したのは久しぶりだった。以前はたぶん、伯父さんの家にいたころだと思う。もうかなり前のことだ。その時に一度だけ経験した。


 はあ……。どうしよう。


 深いため息が洩れる。しかし、悩んだところで誰かが手を差し伸べてくれるわけでもない。というより、初めてならともかく、そうでなければこれは誰もが一人で処理するものだ。これは別に病気でもなんでもなく、自然なことなのだから。


 経験が浅くとも、どうすればいいかわかってる。彼女のをずっと『見ていた』から、知識としては知っている。簡単なことだ。


 そう……簡単なこと。少し辛いけど、それは体の問題。ただ痛いだけなら耐えられる。『あの時』だって、痛みには耐えられたんだから。


 ……でも、けれど、今もあの時も、心の方はどうにもならなかった。そうして苦しんで、取り繕って、また苦しんで、椿を傷つけて、苦しんで……彼女が現われて、僕は少し楽になった。


『私はもうじき消える』


 下腹部の痛みとともに、彼女の言葉が頭の中で繰り返される。彼女がいればこの痛みを感じることはなかった。逆に言えば、この痛みを感じている今、彼女はもう、言葉通りにいなくなったのかもしれない。あれからまだ一週間しか経っていないのに。こんなに早く、彼女の存在を感じられなくなるなんて……。


「柊……」


 声にしてみる。それは誰にも届くことなく、小さな空間の中で消えていった。


 ◇◆◇◆


「お姉ちゃん大丈夫?」


「うん。そんなに心配しないで」


 鎮痛剤を飲んだから、朝と比べると幾分マシになっている。それでも頭の痛みを取り去ることは出来なくて、今も鈍痛が続いている。


 この状態で彼女は笑っていた。素直に凄いと思う。僕ではせいぜい平静を予装う程度。でもそれもできていなくて、こうして椿に心配されている。まあ、椿がちょっと大袈裟なんだろうけど。


「辛くなったら早退してね?」


「わかった」


 校舎の二階に上がったところで、椿に手を振って別れる。一人になって、そっと息を吐く。椿の次は遥だ。彼女は椿以上に、僕の感情に敏感だ。できるだけ普通にしないと。


 廊下を歩きながら、頬をペチペチと叩いて気合を入れる。教室に入ってすぐ遥が先に来ていないかチェック。そんなことはほとんどないんだけど。


 いたのは綾音さんと葵さんだった。遥はまだ来ていない。少し気を緩ませて席へと向かう。


「おはよう、楓ちゃん」


「楓、おはよう」


「おはよう。葵さん、綾音さん」


 挨拶を交わし、席に付く。


「楓は昨日のドラマ見た? 二十二時からのヤツ」


「うん。見たよ」


 何気なくテレビをつけたらやっていたので、椿と一緒に見ていた。


「どう? あたしは微妙だったんだけど。とくにヒロイン役の人の芝居。棒過ぎない?」


「んー……たしかに」


 お世辞にも上手じゃなかった。結構シリアスな話だったのに、場面によっては、その固い演技で台無しになっていた。椿なんて「これはこれでちょっと面白いね」と笑っていた。ちなみに椿が一番笑っていたのは、番組の終了十分前くらいの『涙溢れる感動のラスト!』と銘打っていたシーンだ。一応ヒロインは泣いていたんだけど、もう完全に涙が目薬で、台詞と表情が噛み合わず、なんともよく分からない絵面になっていた。たぶんあれは、その新人女優のお披露目用ドラマだったんだろうけど、株を下げたようにしか見えなかった。元々はモデルだか歌手だという話なので、そっちで頑張れば良いと思った。ドラマでも、喋らなければ綺麗な人だったし。


「あれはちょっとね……」


 葵さんでも擁護できないほどなので、僕の評価は正しかった。


「色々と金の流れを思わせるドラマだったわね……そう言う意味では考えさせられて面白かったわ」


 芸能界は暗い話が多いという。あくまでも噂だけど。


 でも実際に、演技が上手く、綺麗で、歌が上手でも、まったく売れない子がいて、その逆も然り。難しい世界だ。


 そんな話をしていると予鈴が鳴り、次いで遥が駆け込んできた。


 心を引き締め、心配されないよう普通を装う。


「おはよう、遥」


「おう。おはよう」


 ……大丈夫、かな? いくら遥でも、そう酷くない症状を意識して隠せばそうバレることは――


「楓。ちょっと顔色が悪いぞ」


 ……あれ。


「そうなの? あたしには普通に見えるんだけど」


 案の定、綾音さんと葵さんがビックリしている。僕だってビックリだ。


「だ、大丈夫だよ。ちょっと頭が痛いだけだから」


「ふーん。どれ」


 遥が僕の額に手を当てる。もう一方の手で自分の額に触れると目を閉じて「うーん……」と唸った。


「熱はない、か」


「だから大丈夫だって」


「強がるヤツの大丈夫はあまり当てにならないんだよ」


 遥が離れる。


「まっ、今回はよさそうだな」


 ほっ。深くは詮索してこないようで、胸を撫で下ろす。


「一限目ってなんだっけ?」


「英語よ」


「げっ。朝から一番ダメやヤツかよ……」


「今回の試験難しかったわよね……」


 頷く遥の隣で、葵さんが「そう?」と不思議そうな顔をしている。僕も今回は少し難しかったと思う。応用的な問題が多かった気がする。


「まっ、英語なんてそうそう使わないだろ」


 大手企業の社長の一人娘がそれでいいのかな……。たぶんこの中で一番英語が必要になりそうなんだけど。


 少し遥の将来が不安になった。

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[気になる点] 厳密には、遥には、亡くなった妹がいるから、一人娘ではないけど、まあ。今は、一人だから、合っているか。
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