第106話 お泊まり会
駅からまっすぐ歩いていくと、路面電車の通る大通りに出た。その道沿いに五分ほど歩いた後に、横断歩道を渡って北へ十分。ところどころに田んぼや畑のある閑静な住宅街を進んだところに、目的の綾音さんの家はあった。
「大きい」
周りの家より一際大きな建物。似たような作りの家が並ぶ中、ここだけはひと目見て注文住宅だと分かる独特な装飾と、構造をしていた。庭は広く、大きな玄関の隣にあるガレージは駐車場だろうか。大きさ的に六台くらい駐められそうだ。さすが理事長宅。
「中学の頃に楓が住んでた家と同じくらいだな」
「伯父さんの家って、そんなに広かったっけ?」
「こっちのは庭が広いから広く見えるんだろ。その分、家が小さめだ」
そうなんだ。伯父さんの家には長い間いたけど、そんなこと考えたことなかったから曖昧だ。
ちなみに遥の家と比べてはいけない。あれは別格なので論外。
門柱に備え付けられたインターホンを押す。
『はいはい。今開けるわよ』
綾音さんの声だった。門扉が自動で開き、遅れて奧の玄関のドアから綾音さん、そして葵さんが出て来た。
「迷わず来れた?」
「楓だけだったら危なかったな」
「ここらへんちょっと分かりづらいよね」
「そ、そうだね。あはは」
いえ、僕の場合は駅前から迷ってました。とは恥ずかしくて言えないので愛想笑いを返しておく。しかし、
「楓は駅出てすぐ反対方向に行こうとしてたぞ」
「そういうことは言わなくていいのっ」
遥がバラしてしまった。腹いせに脇腹をつつく。
「寒いし、早く中に入りましょ」
綾音さんのお言葉に甘えて、大きな玄関をくぐる。広い玄関土間の隅に靴を揃いで脱ぎ、幅のある広い廊下に上がる。見上げると吹き抜けになっていて、天井にはグルグルと回るシーリングファンがあった。おかげで広い廊下でも空調が効いていて暖かかった。綾音さんの部屋に行く前にリビングに寄ると、彼女のお母さんがキッチンに立っていた。並んだ食材の量からして、僕達の分まで作ってくれているようだ。今日泊まらせてもらうことに礼を言うと、彼女は「遠慮せず楽しんでいって」と笑顔で言った。
リビングから出る間際、ふと見回したら、奧に大きな黒い鉄製のストーブを見つけた。薪を使う昔ながらのもので、上部から伸びた煙突が壁の外へと繋がっているので、据え付けタイプのようだ。そのストーブにあわせて、床にはレンガが敷き詰められ、周りは柵で囲われていた。ストーブの中は赤く燃えさかっていて、飾りではなく、ちゃんと使用されていることがわかる。
薪ストーブが最近流行っているというのは聞いたことがあるけど、実際使っている家を見たのは初めてだった。たしかこれ、意外とお値段がするとか、テレビで言ってたような……。
「この街でストーブって珍しいな」
遥もあのストーブを見ていたようで、話題はそのストーブのことになった。
日本の中でも比較的南に位置するこの街は、山間部はともかく、平野部である地域では、真冬でも最低気温が氷点下まで下がることはなく、比較的暖かく過ごせる。暖房を付けることはあっても、その設定温度は低めの設定で充分事足りる。……というのは一般的な話であり、僕としてはこの街でも普通に寒い。現に今も寒い。氷点下にならないといっても、寒いものは寒いのだ。
……話を戻して。ストーブはその性質上、一度火をつけると点けっぱなしにしておかないと効率が悪い。エアコンのように、スイッチ一つで簡単に点けたり消したりはできないのだ。そのためこの街で薪ストーブを使用する家庭は少ない。このあたりでストーブを使っていたとしても、それは広く流通している灯油ストーブがほとんどだ。同じストーブというカテゴライズでも、薪ストーブと灯油ストーブでは似ても似つかない。暖まるという意味では一緒だけど、最近の薪ストーブはどちらかというとインテリア重視のものが多い。そういう意味ではもう別物だろう。
「お父さんが家を建てるときに絶対付けるって譲らなかったのよ」
「薪って自分で用意しなかったら高いんじゃないか?」
日本なら、山にいけば木はいくらでもあると思うかもしれないけど、薪として使うなら、それをストーブに入るよう小さく叩き割って、さらには燃えやすいように数ヶ月かけて乾燥させなければならないので、それなりに手間がかかる。
「そうよ。うちは買ってるから、その薪代でいくらかかってるか……」
綾音さんが肩を竦めて『やれやれ』とジェスチャーする。
「完全に趣味だな」
「趣味よ。まあ、ちゃんと暖まるから、一応無駄にはなってないわね。建てるときも、家全体が暖まるように、これを考慮して作ってあるから。ほら、どこも天井の近くが空いてるでしょ」
綾音さんが天井の方を指差す。
リビングと廊下を区切る壁が、天井の付近で途切れている。なるほど。ここからリビングにあるストーブで温められた空気が家中に回るってことか。
二階に上がりると、綾音さんは二つ目のドアを開けた。
「ここがあたしの部屋よ」
通された部屋は、意外にもその他の部屋に比べてこじんまりとしていた。とはいえ、僕と同じくらいの広さだ。
「綾音の部屋、狭くないか?」
「廊下を吹き抜けにした関係で、小さくなったのよ。あたし的にはこれで充分」
うんうん。大きくても掃除が大変になるから、これぐらいあれば充分だ。
綾音さんが床にクッションを敷いて座り、葵さんはベッドに腰を下ろした。僕と遥は――
「さて、物色するか」
コクコクと頷く。
「ちよっ――ああもう、変なところは見ないでよ」
僕の家に来たときのことを思いだしのか、止めよう立ち上がったのに、不満げながらも腕を組んで葵さんの隣に座り直した。
「とりあえずクローゼットは……普通だな」
遥、容赦ない。いきなりクローゼットを開けるなんて。でもとくに手に取ることはなく、すぐに閉めた。
「なんで楓みたいにゴスロリとか、綾音に似合いそうにないかーわいいワンピースとかないんだ?」
「あるわけないでしょ。全部自分で買ってんだから――って、楓ってそんな服も着るの?」
「えっ、それはまあなんというか……」
伯父さんの趣味だから、とは言えない。言葉だけで捉えられると、伯父さんへの風評被害になってしまう。
「いや、それは親戚からのプレゼントだ。楓があまりにもかわいいから、それを着てくれって」
「なるほど。小さい頃ならともかく、服のプレゼントは面倒よね。特にそういった、相手のことを考えず自分の好みに走った物とかは。楓も大変ね」
同情されてしまった。言ってることは正しいけど、なんだか伯父さんに申し訳ない。
遥がクローゼットを閉じ、今度は本棚を物色し始めた。ジャンルは様々。漫画がそのほとんどを占めている。
「参考書類はさっぱりだな」
「それはアンタも同じでしょ」
漫画のラインナップなら少年少女隔てなく揃っている。ところところ整頓しきれてなくて、巻数が逆になっている。……それにしても、見たことのある漫画ばかりだ。あ、そうか。
「綾音さんって、遥と好みが似てるね」
「あー。たしかに。うちにもあるのが多いな。……ん、これは?」
遥が一番上の隅で大きな本を見つけた。取り出して表紙を見てみると、それは古いアルバムのようだった。
「ほほぉー」
遥がニヤリと笑う。
「なにとっ――ちょっと待ってそれは――!?」
待つはずもなく、遥がアルバムをオープン。期待通り、中には綾音の小さかった頃の写真が綺麗に貼り付けられていた。
「遥!」
「まあまあまあ」
顔を真っ赤にした綾音さんを片手で制止ながら、遥がページを捲っていく。今は生まれたばかり頃、綾音さんが生まれて病院にいた頃や、お風呂に入れられてる写真が並んでいる。
幼い頃はどうしても裸の写真が多い。綾音さんが恥ずかしがるのも無理はない。ある程度時代が進み、幼稚園の頃になるとさすがに裸のものはなくなり、おかげで綾音さんも大人しくなった。
幼稚園の写真のあたりから、綾音は隣に同い年くらいの女の子と一緒に写った写真が多くなった。
「これは葵か?」
「うん」
葵さんが少し恥ずかしそうにして答える。
「へー。この時からかわいいんだな」
今の青いさんをそのまま小さくした感じだ。髪型もほぼ同じなので余計にそう見える。違うと言えば、幼稚園児らしいかわいらしい髪留めをしているところ。あとは少し今より前髪が短いかな。
「遥、あたしは?」
嬉々として綾音さんが自分を指差す。遥は写真と今の綾音さんを見比べた。
「綾音だな」
「かわいいかどうかって聞いてんのよ」
「……なかなか難しいな」
「そこはお世辞でもかわいいっていうところでしょ!?」
お世辞抜きに、小さかった頃の綾音さんもかわいいと思う。今より長い髪を、今と同じくポニーテールにしている。あとは今はしてないカチューシャが、ウサギ柄で愛らしい。
そのあとも一通りアルバムを見てから、遥は本棚に戻した。
「やっぱ見るならアルバムだよな。葵んちにもあるのか?」
葵さんが首を横に振る。
「私の家はそういうのないかな。全部パソコンの中だと思う」
「最近はスマホですぐ見れるし、こんな風にわざわざ現像してアルバムに閉じてる家庭は少ないんじゃない?」
「うちはやってるぞ? というか額に入れて飾られてる」
「玄関正面のあれ?」
「それだ」
「え、アンタんち、子供の写真なんて飾ってるの?」
遥の広い玄関の真正面には、豪華な額縁に入れて飾られた写真がある。もちろん、両親の愛娘である遥の幼い頃の写真だ。
「……親馬鹿?」
「正解」
子供に限度額のないクレジットカードを渡すぐらいだし、間違ってないと思う。……ん? でもそれは遥がクレジットカードを使うべき時にしか使わないことを知っているからで、親馬鹿とはちょっと違うか。もっと分かりやすいところだと、遥がどうしてもと頼むと、大抵のことは実現してくれるところ、かな。
……まあ、なんにせよ。そうして子供の写真を撮って、集めて、綴じてあるのは良いことだと思う。それを見れば、子供である自分と、それを撮ったであろう両親をいつでも感じられる。
僕や椿にはそういった家族の写真は少ない。両親が生きていたのが、あの事故まで。必然的にアルバムの中身はそこまでで終わってしまっている。今、そのアルバムは椿が持っている。とても大切なものだけど、僕も椿も、あまり見ないようにしている。
……でもまたいつか、椿と一緒にあのアルバムを見てみたいと思う。
その後、綾音さんのお母さんの料理を振る舞われ、夜遅くまでトランプでカードゲームをして遊びながら雑談し、日付が変わる頃に部屋の電気を消した。
◇◆◇◆
――翌日は葵さんの家にお泊り。
お昼前にゆっくりと起床し、後片付けを済ませて葵さんの家に移動したのは、正午を過ぎてのことだった。
綾音さんの家から葵さんの家までは本当に近くて、ゆっくり歩いても一分とかからなかった。
「昨日は暗くて気付かなかったが、すぐそこにあったんだな」
門の前に立った遥が、家を見上げて言う。
葵さんの家は傾斜地にあった。手前から奧に向かって高くなっているため、門の前から見ると、家の全高が綾音さんのところよりかなり高いように見える。実際は同じ二階建てなのだそうだ。
葵さんの家は綾音さんのところと比べると、こぢんまりしていて、まだ一般的な住宅と言っていい大きさに留まっていた。それでも大きいことに変わりないけど。
「お母さんが、大きすぎると掃除が大変だから、必要な分だけでいいって」
どこにも、そういう形にした理由があるらしい。敷地の広さ自体は綾音さんのところと変わらないので、家が小さい分、庭が広かった。よく見ると庭には大きな木が植えられていて、遊具のようなものもあった。
「昔はあれで葵とよく遊んだのよ」
綾音さんと葵さんの思い出らしい。
葵さんの両親は夜に帰ってくると言うことで、そのまま葵さんの部屋に行くことにした。
部屋だけで言えば、一番まともかもしれない。それが最初の感想だった。
葵さんの部屋は四人の中で一番小さかった。四方の壁の一方がクローゼット、もう一方が窓、残り二方が壁という作りで、飾り気のない、ごく一般的な子供部屋という感じだった。
……まあ、まともなのは部屋の大きさと作り自体で、そこにあった家具は凄いことになってたけど。
二方の壁、ドアを除いた壁全面に、後付けの本棚が設置されていた。本棚はそこだけじゃなく、クローゼットを開ければ、そこも奧の壁一杯に、同じく作りの本棚が。しかもそれら本棚全てに本がびっしりと詰まっているのだ。
「こんなに本があるのに、漫画がほとんどない、だと……」
「ほとんど参考書とかその類いの物よ」
本棚を前に、ありえない光景を見たと声を震わせる遥。綾音さんは面白くなさそうにため息を吐いた。
ずらっと並ぶ本から適当に一冊を手に取ってみる。
……これ、大学の参考書じゃない?
「それは予習しようと思って買ったの」
大学を予習……。
「それはもう予習とは言わないだろ」
遥が僕の思いを代弁してくれた。
そうしてしばらくの間、高等な本を前にああでもないこうでもないと騒ぎ、その後話は昨日の夜の続きとして、24日に行われるクリスマスパーティについて話して盛り上がった。