第102話 予定の話
昇降口のドアを抜けた先は冷たい風が拭いていたので、風に当たらないよう遥の背に隠れて、盾にした。
「そんなに寒いなら、アタシのコートの中に入るか?」
遥が左半身のコートを広げる。
「うーん……いい」
魅力的な提案だったけど、歩きにくそうだったので遠慮した。寒いときに転けて擦りむくと、とても痛い。
「……もしかして、アンタ達って中学でもずっとそんなことしてたの?」
「うん? 寒そうにしているのを暖めてやるのは当然だろ?」
「へー。なるほど。これはモテるわ……」
綾音さんが僕と遥を交互に見て、静かに何かを呟いて項垂れた。
グラウンドを通って学校を出ると、そのまま大通りを渡ってまっすぐ商店街へ。プラナスの前には、学園の制服を着た女の子が数人集まっていた。よく見るとその中に、椿の姿があった。
「椿。どうしたの?」
「あ、お姉ちゃん」
僕の顔を見て、椿がパッと表情を明るくする。けど、すぐに困ったように笑って、
「またその格好してるの?」
「またって、いつもしてるよ?」
「もう。今日はそんなに寒くないのに」
前に眼鏡はかっこいいと言ってくれたのに。
椿の他には二人。彩花さん達と同じ図書部の坂口さんと、椿と同じ料理部の高内さんがいた。
「死んだ……」
「みーとぅー……」
青い顔をして空を見上げる高内さんに、白い顔をして項垂れる坂口さん。聞かなくても結果は分かる。
「椿は試験どうだった?」
「んー。感触としては良かったかな? お姉ちゃんには敵わないけど」
「椿が頑張って、それが結果に繋がったのなら、それで充分凄いと思うよ」
誰がどうとかは関係ない。そんなことを気にしていたら、僕だって葵さんに比べたらまだまだだ。
「……あんなこと言ってるよ。芽衣」
「余裕ある子は違いますね……」
「前日まで遊びほうけていた香奈と、ゲームばかりしていた芽衣に言われたくない」
『ぐっ』
二人が胸を押さえた。坂口さんのあの目の下の隈。勉強のせいかと思ったらゲームなのか。
「っとに芽衣は。あれだけゲームはほとほどにって言ってたのに」
「……お姉さんがそれを言う?」
「♪~♪~ぷす~」
「下手なら止めなさいよ……」
綾音さんが残念な人を見る目をして彩花さんに言う。
……うん。まあ立ち話はそろそろやめて中に入りたいんだけど。寒いし。
目の前に人参(暖かい店内)をぶら下げられてジッとしていられる馬はいない。ここは実力行使と、左手で椿、右手で遥を掴まえる。
「二人が待ってるし、中に入ろう」
「え、もう誰か待ってるの?」
「寒いから中に入りたいだけだろ?」
さすが遥。わかってるならとっとと付いてきて。
二人の手を引いてプラナスのドアを開ける。店員さんがすぐに出迎えてくれた。知り合いが中にいることを伝えると察してくれたようで、奧にある、この店で一番大きい円形のテーブル席へと案内してくれた。
「やっときたか」
テーブル席には西森君と蓮君がいた。西森君の手にはプラスチック製のコップに紫色の炭酸飲料が、蓮君の手には白色のカップにコーヒーらしきものが入っていた。先にドリンクバーを注文したのだろう。
「あー。康介、先に飲物頼んでる」
彩花さんが問い詰めるように言う。
「注文もせず席に座ってるなんてできるか。あっちも商売だぞ?」
「おー。たしかに。康介ってバイト経験あるの?」
「ちょっとな。けど経験なくてもわかるだろ?」
「そう? 意外とわからないと思うけど」
話しながら席についていく。僕の隣は前回修学旅行前に集まったときと同じく、蓮君と遥だ。
店内はほどよく暖房が効いている。コートその他防寒具一式を脱いで窓際の空いたスペースに置く。
「よし。ストレス発散のやけ食いしよう」
彩花さんがメニュー表を開く。
「乗りましょう」
「このビッグウェーブに」
坂口さんと高内さんの二人で一つのメニュー表を広げた。
「やけ食いなんてしてもいいことないわよ。……あたしはデラックスジャンボパフェの大盛りかしらね」
「パフェに大盛りなんてないだろ……いやそれ以前に、さっきパフェは太るとか言ってたのは誰だよ」
「それはそれ、これはこれ。今は今、過去は過去。メニュー見たら食べたくなったんだから仕方ないでしょ」
「綾音。先にお昼ご飯食べなきゃ」
葵さんがまるでお母さん。
しばらくして店員さんを呼び、各々が注文する。僕は悩んだ末にラザニアとプリンのセットを頼んだ。店内が暖かくても体の芯は冷たい。ここはオーブン料理で温まるところだろう。……舌が火傷しないように注意しないと。
「何はともあれ、これで試験も終わったし、あとは冬休みを待つだけだね」
彩花さんが伸びをしながら言う。――かと思えば、
「――はっ!」
唐突にカッと目を開き、両手を机に置き立ち上がった。
「再来週の土曜日って何日だっけ?」
「二十四日よ」
綾音さんがスマホを見て答える。
「二十四日! クリスマスイブ! ここに彼氏がいる人は? ……あ、康介と蓮は彼女ね。もし彼氏がいるなら――」
「いねーよ」
西森君がすぐに答え、蓮君は苦笑していた。
……。誰も手を上げない。そっと椿を見てみても、上げる気配すらなかった。
…………ん? あれ、何故か凄くみんなから視線を感じるような……。
「楓ちゃん、いないの?」
まるでみんなを代表するかのように、遠慮がちに葵さんが尋ねた。
「いないよ? どうして?」
僕に聞くぐらいなら、むしろ湊さんや葵さんにいそうな気がするんだけど。
「……蓮、お前、楓と勝手に予定とか組んでないよな?」
「……ないよ。安心して。むしろ俺は、遥と楓ちゃんが予定いれてるものだと思ってたけど」
「二人より多い方が楓が楽しめるだろ?」
「……たしかに。さすが遥だ」
頭の上でぼそぼそと声がする。身長が高いからって、そんなところで話さないでほしい。
「……どうやらみんないないみたいなので……って、高校生がこんなに集まって誰も彼氏彼女いないなんて、それはそれで悲しいね」
「彩花、そういうこと言わない」
すぐさま綾音さんが反応する。
「まっ、みなさん人気ものですからね~」
高内さんがグルリと視線を巡らせながら言う。
「普通人気者だったら引く手数多じゃないの?」
「実際、お姉さんは引く手数多じゃない。本人が変なこと言うからみんな一線引いているだけで」
「何か言ったかな、ボク……?」
彩花さんが腕を組んで首を傾げる。その隣で湊さんが肩を竦めた。
「まあよくわからないけど、みんないないみたいだし、用事もないってことでいい? ……じゃあ話進めるけど、二十四日のクリスマスイブにさ、みんなでパーティーしない?」
「……いいんじゃない?」
「うん。いいと思う」
綾音さんと葵さんの言葉に続き、みんなから肯定的な意見が出る。
「それ、あたし達も参加していいんですか?」
高内さんが自分を指差す。
「もちろん」
「やった! ちょうど芽衣が家でゲームして過ごす、なんて言ってたからどうしたもんかと思ってたんですよ」
「香奈は結奈と一緒じゃないの?」
綾音さんの言うとおり、高内さんは西条さんと仲が良かったはずだ。
「こういうとき、あの人はあの人で色々と忙しいんですよ」
高内さんが大袈裟に『やれやれ』と肩を竦めてジェスチャーする。
「……あんまり考えない方がいいわね」
「どうせ誰かを追ってスクープでも狙ってんだろ……」
湊さん、西森君がため息を吐く。
「でもパーティーをするとして、この人数が入るところってどこだろう」
たしかに。蓮君いい質問。
「んー。カラオケ?」
「夜のカラオケは高いからダメ」
「え、そうなの?」
「他は知らないけど、学校近くのところは昼間だけフリータイムで十九時まで定額だけど、夜は一人一時間いくらって計算だから、簡単に万いくわよ?」
綾音さん詳しい。
「前に親と行って驚いたわ……」
「綾音、親とカラオケ行くのか……」
遥は値段よりもそっちの方が気になったみたい。
「いいじゃない。母が突然カラオケに行きたいって言い出したのよ」
「別に悪いとは言ってない。むしろ仲良さそうでいいじゃないか」
「……アンタが言うと煽ってるように聞こえるのよね」
綾音さんの顔が赤い。この年頃だと、両親と仲良くしていることは、あまり言いたくないらしい。遥が前にそう言っていた。……ちょっと僕には分からないけど。
「んー……それだったら、ラブホ? あそこ広いらしいよ――っいだ!? 湊今叩いた!?」
「叩くわよ! お姉さん、突然何言い出すの!?」
彩花さんの後頭部に綺麗な平手が決まった。
「なにって、ラブホが安くて広くてパーティーするにはいいって、前に結奈から聞いたから」
彩花さんが涙目で後頭部を擦っている。いい音したし、それなりに痛かったみたいだ。
「結奈か……まあアイツしかいないよな」
「ほんっと、余計なことしか言わないわね」
「結奈だからな」
西森君がうんうんと頷き、湊さんが拳を力強く握りしめている。
「なんでアイツ、そんなこと知ってんのかしら?」
「誰かが使ってるのを見て知った、とかじゃないのか?」
「うちの学校の生徒が?」
「いやそれはないだろ。見つかったら一発で停学、下手すりゃ退学だ。どうせ隣の蓮池か、菜園あたりだろ」
「蓮池はともかく、菜園なら有り得るわね……」
遥と綾音さんが話している。中身は分からないけど、停学とか退学とか物騒な言葉が聞こえてきた。……ところで。
「ねぇ遥」
綾音さんとの話が終わったところを見計らって、遥に声を掛けた。
「うん?」
グラスを傾けながら、横目で僕を見る。
「ラブホってなに?」
「――っ!? ブバッ!!」
「つめたっ!?」
遥が口に含んでいた水を勢い良く吹き出し、それが対面にいた湊さんにまで届いた。
「ゴホッ、ゴホッ。湊、悪い」
「いえ、なんかこっちこそごめんなさい」
「な、なんでボクまで……」
水を浴びせたのは遥なのに、湊さんの方が謝っているように見えるのはどうしてだろう。彩花さんの頭を押しながら一緒に、深く頭を下げてるし。
「……そうだよな。桜花じゃそんな話してるヤツいないし、もししてたとしても、そういうヤツらと楓じゃ話すこともなかっただろうな……。さらに桜花は寮生活……」
うん? 独り言を言ってるのは分かるけど、聞こえない。
「お姉さん。どうやら楓さん…………」
「えっ? そうなの? さすが桜花出身の楓さん、純真なんだね……って、どうしよ」
綾音さんが耳打ちし、それを聞いた彩花さんが途端にアワアワし始めた。
……なんだろう、この空気。今まで感じたことのない、微妙な雰囲気。見れば、椿の様子もどことなくおかしい。これはもしや、
「椿は知ってる?」
「へっ!? えっと、あの、その……遥さん助けて!」
「アタシ!?」
顔を赤くした椿が助けを求める。遥が素っ頓狂な声を上げた。遥の裏返った声を聞いたのは久しぶりだ。
椿が投げ出すくらい、ラブホというのは説明するのが難しいのかな。
「……」
無言で遥が僕を見つめる。
「説明が難しい?」
「いや説明自体は簡単なんだが、その、とても言いにくいというか」
「ふーん。じゃあ自分で調べてみる」
簡単に教えてくれるかなと思って聞いてみただけだ。今のこの時代、どこにいても調べ物は簡単にできる。
スマホを取り出し、ブラウザアプリを立ち上げ――
「わ、わかった。アタシが説明してやるから、調べなくていい。……変なの開いたら困るからな」
「ん? うん」
「えっとな……」
遥が口に手を当て、僕の耳元で囁く。
………………――――っ!?
たぶん、今僕の顔は真っ赤なんだと思う。凄く暑い。
「わかったか?」
「う、うん」
つ、つまりラブホって言うのはラブホテルの略称であり、あの、その……主に男女が夜の営みを…………。
「か、楓!? 顔が真っ赤だぞ!? あまり深く考えるなよ?」
「う、うん、そうだね。そうする」
なんかフラフラする。遥の言うように、これについてはあまり深く考えないようにしよう。そうだ。うん。考えないように、別のこと別のこと……。
「……結奈め。明日見つけたら覚えてろ」
必至に別のことを考える僕の隣で、怖い顔をした遥が静かに呟いた。
「よしっ。ラブホはナシっ。ラブホはナシにしよう!」
「なんで連呼するのよ! 普通に考えて当たり前でしょ!?」
彩花さんが顔の前で両手をブンブンと振り、綾音さんが声を荒げた。
「結奈が黙ってたらうちでもいけるっていうから……」
「お姉さん。黙ってる時点でアウト」
湊さんが容赦ない。
「……ったく。場所ならアタシの家を使えばいいんだよ。無駄にでかいし余ってるからさ」
「さ、さすが遥っ。うん、それでいこう。もうそれにしよう。決定!」
みんなもその意見に賛同する。僕もそれでいいと思うけど……。
「それでいいの?」
先に提案したのは遥の方からとはいえ、遥の家は特殊だ。個人の家ではあるけど、たまに会社の関係者を大勢呼んで、パーティーを開いたりしていたはずだ。遥だけの一存で決めていいのかどうか。遥に迷惑がかからないか……。
「ああ。大丈夫。偶然親とそういう話をしててな。その日は空いてるんだ。もちろん、ちゃんと確認も取ってる」
そう言ってスマホを見せてくれた。画面には母親とのメッセージのやり取りが映し出されていた。たしかに、ちゃんと了解を得ている。
「……そんなに遥の家ってでかいのか?」
「康介、知らないの? 学園じゃ有名な話だよ? 豪邸だよ、豪邸。ホワイトハウスの迎賓館」
彩花さんが両手を大きく広げて大きさを体で表現する。ホワイトハウスっていうのは、たぶん家が白いからかな。迎賓館……言いたいことは分かる。
「迎賓館ではないけど、まあ、謙遜しない程度にはでかいぞ」
遥が苦笑しながら彩花さんの言葉に補足する。たぶんこの中で遥のうちに入ったことあるのは僕と、おそらく葵さんと綾音さん。なかでも僕が一番出入りしているはずだ。だから内装もよく知っているんだけど、彩花さんの言いたいことも分かる。
「へぇ。見るのが楽しみだな。やっぱ壷とかあるのか?」
「そこらへんに転がってるぞ」
「……高いんだよな?」
「それなりに」
それなりどころじゃない。どれも一般サラリーマンの月収以上、年収以上というものがたくさんあったはず。
「……遥が謙遜しないってことは、ヤバイ額よ」
湊さん、正解。
「……触らないようにしないとな」
「お姉さん、気をつけてね」
「なんでボクだけ?」
彩花さんが不満そうに頬を膨らませる。
「とにかく、二十四日は遥の家に集合ってことね?」
綾音さんが話を進める。
「あ、うん。時間は準備とかもあるし十五時からでいい? 開始自体は十七時で、用事がある人もそれまでに集まるように。飲物とケーキは事前にみんなからお金を集めて買うとして――」
「ある程度の食べ物ならうちで用意するぞ。なんかうちの親が変に乗り気みたいだ」
たしかに、スマホを見せてもらったときに、お母さんからのメッセージにそんな文章があった。遥の友達が来てくれることに親として喜んでいるのだろう。
「いいの? 材料代とか集めた方がいい?」
「いいって。好きでやるみたいだし」
「そう? じゃあお言葉に甘えて……。お菓子はみんなで持ち寄りってことで。みんな、それでいい?」
反対意見はなかった。
「じゃっ、当日は予定入れないでねっ。あ、ちょうど料理きたみたい」
店員さんが器用に料理を運んできた。それらが順番にテーブルに並べられていく。全員分が揃ったところでそれぞれの所作ののちに、食事にありついた。
その後、冬休みをどう過ごすかという話で盛り上がり、一時間半を過ぎたところで退店し、その場で解散した。