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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第三部第一章 楓と柊
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第96話 帰宅して

 ――修学旅行から帰ってくると、椿の様子が変だった。変、というよりかは、なんて言ったらいいか……とにかく、僕に対する距離の取り方が可笑しかった。


 その日は修学旅行の四日目だった。日程としては、朝早くに京都からバスで移動して、兵庫で姫路城、岡山で後楽園に寄って帰るというコースになっていた。


 他の日程でもそうだったけど、最終日もとにかく歩いた。後楽園は広い庭園を散歩感覚で観覧するだけで、大きな高低差もなく、あまり疲れるものでもなかったけど、その前に立ち寄った姫路城が予想以上にキツかった。……ちょっと? いや、結構だと思う。高い山の上にあるわけでもなく、変に入り組んでいたりということもなく、姫路市市内の平野にどどんと鎮座しているので、バスの中から見たときはそうでもないかなと思っていた。しかしいざ近くに行ってみると、敷地が思ったよりも広く、中には天守閣以外にもいくつか建物があり、その全てを見て回ったので、結構な距離を歩くことになった。しかも天守閣は階段が急勾配で、上るのに一苦労。結果、二時間も歩き続けてしまった。行程的には四日間の中で一番楽だったとは言え、大阪、奈良、京都と巡った後だったので、蓄積された疲労も相まり、帰宅する頃には疲労困憊になっていた。それでも四日間無事倒れたりすることなくみんなについて行けたんだから、充分に頑張ったと思う。途中、京都で入れ替わるというアクシデントもあったけど、結果的に楽しんでもらえたみたいだから良かったと思う。


「疲れてるだろうから、今日はこれで帰るわ」


 玄関先まで僕の荷物を持ってきてくれた遥は、そう言って家にも上がらず、そのまま帰っていった。少しでも元気があれば止めたんだけど、今の僕にその余力はなく、弱々しく「ありがとう」と返すのが精一杯だった。


 遥を見送り、見えなくなったところで玄関を開けて中に入ると――


「お帰り! お姉ちゃん!」


 玄関を開けると、そこには椿が待っていた。満面の笑みで僕を迎えると、タタッと走り寄ってきてそのまま僕を抱き締めた。


「うわっ!? つ、椿どうしたの?」


 突然のことに頭がついていかない。なんで椿が玄関にいたのか。リビングから飛んできたとかじゃなく、玄関を開けたらそこに椿がいた。つまり、僕が玄関を開ける前からここにいて、待っていたんだ。


「どうしたじゃないよ。ずっとお姉ちゃんがいなかったから寂しくて……」


 僕を抱き締めたまま、椿が頬をすり寄せてくる。椿と僕とじゃ体格差があるから、そうされるとつま先立ちになっちゃうんだけど……まあいいか。寂しかったって言われたんじゃ、姉として無下には出来ない。


 そういえば、ここに移り住んでから、椿と一緒じゃなかった日があったことは一度もなかった。僕も椿も外泊をしたことがなく、学校が終われば毎日ここに帰ってきていたし、休日も暗くなる前にはたいてい家にいた。ずっと一緒にいたんだ。それが急に四日も帰ってこなくなれば、いくら高校生とは言え、一人でこんな広いマンションにいれば、寂しくなっても仕方のないことだ。


 姉として、ちょっと申し訳なくなる。


「ごめんね」


 椿の頭を撫でる。すると目を細めて微笑んだ。


「ううん。修学旅行も課外授業だもん。わたしの方こそ、ワガママ言ってごめんね」


 首を横に振る。寂しくさせたのは事実だから、椿が謝ることはない。


「ところで、ドアを開けたら椿が目の前にいたんだけど、もしかして僕が帰ってくるまで、ここでずっと待っての?」


「うん。あ、ずっとじゃないよ? 遥先輩から今学校に着いたってメールがあったから、それを見てそろそろ帰ってくるかなって」


 それでもそれなりの時間を待っていたみたいだ。


「そっか。ありがと」


 また謝るよりかは良いかなと思って、そう言う。それは間違っていなかったようで、椿は嬉しそうに「うん」と頷いた。


 しばらくすると、椿は僕から離れた。


「お姉ちゃん、お腹空いてる? それともお風呂入りたい?」


 なんか新婚さんみたいな会話だ。


「んー。ご飯が先かな」


「そう言うと思って、準備できてるからっ」


 僕の手からバッグを取り、リビングへと早足に消えていく。その後を追うと見せかけて、少し寄り道し、壁に据え付けられた浴室リモコンを見ると、こちらも既に準備が出来ていた。


 こっそりと顔を綻ばせてリビングのソファーに背負っていた荷物を置いてキッチンへと向かう。


「今日のご飯は何?」


「パスタだよ。キノコのあっさりパスタ。疲れてるだろうから、あっさりしたものがいいかなって」


 ダイニングテーブルを望むと、そこにはたしかに平べったい白いお皿の中に、たくさんのキノコと緑色のパスタが盛られていた。


 ……ん? 緑色?


「このパスタ、ほうれん草か何かを練りこんでるの?」


「ん? あー、それたぶんオリーブオイルだよ」


 オリーブオイラ。なるほど……。たしかにオリーブはこんな色をした果実だった。


「はい、お姉ちゃん」


「ありがとう」


 椿に促されて席に着く。対面に椿が座り、手を合わせる。


「いただきます」


「どうぞ」


 フォークでクルクルとパスタを巻き付けて口に運ぶ。塩こしょうのさっぱりとした味付けで美味しい。


「修学旅行はどうだった?」


 食事を進めながら、話題は修学旅行の話に。


「楽しかったよ。金閣寺は時間の都合で見られなかったけど、東大寺の大仏は大きくて圧倒されたよ」


「金閣寺行かなかったの?」


「うん。コース的に別のを優先したから」


 遥のことがあったから行けなかったんだけど、そこは伏せておく。


「ふーん。わたしとしては京都の寺社といえば金閣寺って感じがするけど」


「あの見た目だからね」


「家の外壁に金箔を貼るという発想が凄いよね。ザ・成金って感じで」


「あはは」


 そう思って考えると、室町時代を代表する荘厳な寺院が、途端に俗物に権威の象徴に思えてくるから大変だ。実際はどうだったのだろう。あとで調べてみよう。

「清水寺は行った?」


「うん」


「清水の舞台から飛び降りるってことわざがあるけど、飛び降りられそうだった?」


「うーん……。あれぐらいならできないこともない人はいると思う。僕は無理だけど」


 そんなに高くなかったと言っても、飛び降りるにはちょっと高すぎる。


「ってことはそんなに高くないんだ」


「うん。ちょっと下に通路もあるぐらいだしね。打ち所悪いと死んじゃうと思うけど、足から降りれば骨折ぐらいで済むんじゃないかな」


「ふーん。テレビとかだと高そうに見えたんだけどなぁ」


 テレビで清水寺を紹介するときは、たいてい少し遠方から舞台を撮っていることが多いので、その下を映すことはない。舞台は山から張り出すようにして作られているから、見ている側からすると、その下は深く高いと勘違いしてしまいがちになる。


 行ってみると意外とそうでもないの代表のような気がする。がっかり名所という意味では、それ以上の物が地元にあるけど。知らない人が近くを通れば、ほぼ確実に通り過ぎてしまう名所。学校の近くにあるものだからよく目にし、もう少しなんとかならないものかといつも考えてしまう。


「あ、奈良の鹿はどうだった? 東大寺ってことは、近くの奈良公園にも行ったんだよね?」


「うん。追いかけ回された」


「追いかけ回されたの?」


 頷く。文字通り追いかけ回された。餌付けされ、保護されているせいか、あそこの公園にいる鹿は少し横柄になっているような気がする。


「……あとで遥先輩から写真もらわないと……」


「何か言った?」


「えっ? ううんなんでも。そうだっ。今日は姫路城に行ったんだよね? どんな感じだった?」


 なんかはぐらかされたような気がするけど……まあいいや。


「広くて白かった」


 そして疲れた。


「白鷺城って別名があるぐらいだもんね」


「白漆喰が使われてるから、そう呼ばれてるんだっけ?」


「いくつか説があるみたいだけど、だいたいどれもその外壁の白さから来てるみたいだよ」


「ふーん。たしかに綺麗だったかなあ」


 綺麗と言うよりは珍しいって感じだったけど。綺麗さでいうのなら、地元のお城も負けてないような気もするけど……あまり有名じゃないよね。小さいからかな。


 それからもいくつか椿の質問に答える形で思い出を語る。そうして満足した様子の椿は「そっかー」と天井を見上げた。


「いいなあ。わたしもお姉ちゃんと行きたかった」


「あはは。僕もそう思うけど、修学旅行だからね。椿とは一緒に行けないよ」


「そうだよね。歳が違うんだし」


 見て分かるぐらいに残念そうにしている。


「ねっ、お姉ちゃん。いつかわたしと旅行に行こうね」


「うん」


 それは願ったり叶ったり。思えば家族旅行なんてずっと行っていない。伯父さんのところにいたときも、仕事で忙しくて、近場に遊びに行ったことはあっても、泊まりで旅行に行ったことはなかった。伯父さんは常日頃そのことを悔やんでいて、ことあるごとに「済まない」と謝っていたっけ。あの時の僕は、そこまでしてもらわなくても充分嬉しかったんだけど。


 とは言え、行きたいかと言われたらその通りなので、いつか椿とどこかに一泊だけでも泊まりで家族旅行をしてみたい。


 夕食を食べ終えると、洗い物をする椿を残して脱衣所へと向かった。脱いだ制服をハンガーに掛け、下着を洗濯籠に入れる。浴室のドアを開けると温かな湯気が湯船から立ち上っていた。


 体を洗ってから、湯船に浸かる。温泉みたいに大きくないし、開放的でもない、ましてや温泉成分も入っていないけれど、慣れた光景だからか、一番ホッとできた。


 背伸びをして、湯船に背中を預ける。見上げると、綺麗に掃除された白い天井があった。


 何も考えず、ぼーっと見上げていると、ふいに脱衣所のドアが開く音が聞こえた。


「お姉ちゃん。パジャマ、ここに置いとくね」


「うん。ありがとう」


 すぐに出て行くと思って、また天井をぼーっと見上げていたけど、待ってもドアの向こうの人影が動くことはなかった。


「椿?」


「――へっ? あ、ごめん。お姉ちゃんゆっくりしてね」


 心配になって声を掛けると、慌てた様子で脱衣所を出て行った。なんだったんだろう。


 お風呂から上がり、椿が持ってきてくれたパジャマに着替えて濡れた髪をにドライヤーを当てる。ある程度乾いたところで肩にタオルを掛け、パジャマが濡れないようにして脱衣所を出た。


 お風呂に入ったおかげで体がポカポカする。リビングに戻ってソファーに座り、テレビでも見ようとリモコンのスイッチを押したところで、ふいに少し目蓋が重くなった。あとは寝るだけという状態になったことで、どっと眠気が押し寄せてきた。


 せめて髪が乾くまでは起きてないと、明日が大変だと思って頑張ったけれど、波のようにやってくる眠気には勝てず、次第に目蓋が重くのしかかって来た。


「お姉ちゃん。もうお布団に入ったら?」


 眠い目を少し開けて声のした方を向く。いつの間にか隣に椿が座っていた。よく見るとパジャマに着替えている。椿ってこんなのも持ってるんだ。


「う……ん。髪が乾いたら」


 うつらうつらしながら返事する。


「だいぶ乾いてるから大丈夫だよ」


「まだ……朝の寝癖が凄くなるから……」


「もう。寝癖ならわたしがなおしてあげるから。ねっ、もう寝よ?」


「……うん」


 眠気には勝てない。ここは椿に甘えることにする。


 ソファーから立ち上がり、ふらつきながら自室に向かう。


「お姉ちゃん。危ないよ」


 大きく傾いたときに、椿が横から支えてくれた。椿はそのまま僕の部屋までついてくると、僕がベッドで横になるまで傍にいた。そして「おやすみ」と言って立ち去ると思い、見上げていたら、


「……ね、ねぇ。お姉ちゃん」


「ん?」


 なんだろう改まって。


 眠い目を頑張って開けて、椿を見上げる。よく見れば、いつの間にか椿の腕の中には枕が抱き締められていた。それは椿の部屋にある椿のものだ。


 椿はその枕を抱き締めたまま、もじもじとしていた。


「……椿、その枕、どうしたの?」


「あっ、えっと……」


 ……うーん。眠くて上手く頭が回らない。でも、枕をもってきていると言うことは、そういうことだよね。たぶん。


 体をモゾモゾとベッドの中で動かして、端の方によって手前に空間を作る。そうしてから、上布団を持ち上げた。


「あっ……」


 椿が声を漏らす。


「……一緒に寝る?」


 僕達が一緒に寝るときは、決まって僕がうとうとしているところを椿に抱っこされ、そのまま椿のベッドまで連れて行かれて一緒に寝るということが多い。多いというか、そればかり。だからこういうことはしたことなかったし、頼まれたことがあっても全部拒否してたんだけど……なんだか今日の椿は様子が違う。なんというか、子供っぽいというか、妹みたいというか。いや妹なんだけど。


 だから今日は特別。別に眠すぎて頭が働いてないから、面倒臭くて受け入れてるわけでは決してない。そう、どちらかといえば、椿のいじらしさ、可愛らしさに負けたのだ。


「いいの?」


「今日だけだからね」


「うんっ!」


 元気良く頷いて、すぐに椿がベッドに入ってきた。枕を置いて、そこに頭を乗せ、僕の方を向いて横になった。


 息のかかるぐらいの近くに、椿の顔がある。


「えへへ」


 まるで小学生みたいな幼い笑顔を見せる。


「もう。甘えん坊だなあ」


「いいの。お姉ちゃんだから」


「そっか。僕なら仕方ないね」


「うん。仕方ないの」


 そう言ってどちらともなく笑う。


 せっかくだから、もう少し椿と話していたかったけど、そろそろ眠気が限界だ。


「おやすみ、椿」


「うん。おやすみ。お姉ちゃん」


 目蓋の重さに逆らわず、身を任せる。暗くなった視界で、頬に温かな感触を感じた。


「また明日ね。お姉ちゃん」


 返事しようとしたけど、口が重くて動かなかった。


 そして頬に暖かさを感じながら、次第に意識を手放していった。

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