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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第三部第一章 楓と柊
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第95話 これでいい

 その夜。


 私はホテルの一階のロビーで、人を待っていた。


 同室の遥には「用事があるから」と言って一人で出て来た。もちろん彼女は「夜に一人は危ない」と言って付いてこようとしたけど、待ち合わせの相手の名前を言うと、渋々ながらも了承してくれた。いつもの彼女ならたぶん、相手の名前を聞いても付いてきていた。ただそれをしなかったのは、彼女なりに何かを察したのだと思う。……いや、そう思いたい。それだけの日々を、

『私』と遥は一緒にいたのだから。


 しばらく待っていると、息を切らした蓮君が階段から降りてやってきた。


「お、お待たせ」


 現役運動部の蓮君が肩で息をしていた。このホテルにはエレベーターが二基しかなくて、タイミングが悪いと乗るだけでも数分の時間が取られてしまう。それで階段を使ってきたのだろう。それだけ急いできてくれたのだと思うと、ちょっと嬉しくなった。


「ううん」


 待ったと言ってもせいぜい十分程度。待った内に入らないし、そもそも彼をここに呼んだのは私だ。文句などあるはずもない。


「気付いたのがついさっきだから……」


 そう言って握り締めていた手の平を開くと、三センチ平方くらいの小さな紙があった。


「直接言ってくれれば良かったのに」


 それは私が、昼間の京都観光中にこっそりと蓮君の上着のポケットに忍ばせたものだ。短く簡潔に『夜八時半にホテルのロビーで待ってる』とだけ書いた。


「そうなんだけど、ちょっと恥ずかしくて」


 名前も書いていない。見つけるかも分からない。でも彼なら、絶対見つけてくれると思っていた。


 昔、蓮君が家に遊びに来たとき、今と同じようにこっそり紙を忍ばせて、次に会ったときにその話をするのが私達のちょっとした遊びだった。その時の彼は、一度も私からのメッセージに気付かなかったことはなかった。どこのポケットに入れても。あとで聞けば、服を着替えるときに、ポケットの中に何か入っていないか確認するよう、両親に躾られていたみたいだ。


「それで、僕に何か用?」


 私が気負わないように優しく微笑みながら、けれどその瞳はまっすぐにこちらを見ていた。


「ここじゃなんだから、外に行かない?」


 夜にホテルの外へ出て行くのは禁止されている。そのことを蓮君は知っているはずだ。


「分かった。外に出てすぐのところに公園があるから、そこにいこうか」


 蓮君は拒否しなかった。私は彼の言葉に頷き、ホテルを出た。


 十一月の夜の風は肌寒かった。私は極度の寒がりと言っても過言ではないので、この冷たさはちょっと辛い。


 ……と思っていると、両肩に何かが被さってきた。見ればそれは蓮君の上着で、私のために脱いで着せてくれたのだった。


「寒くない?」


「ありがとう。大丈夫」


 これがあるから、と上着の両肩を引き寄せる。


 しばらく歩くと、凜君の言っていた公園を見つけた。広い円形の広場の中央に大きな噴水があり、その周りには街灯に照らされたベンチが備えられていた。


 大都会らしく、公園には多くの人がいた。しかしその多くは、近くの駅やビルに向かうために、ただ通過するだけだった。


 ベンチはほぼ空席だった。その中で風の来ない場所を選んで、蓮君と隣り合わせに座った。


「都会は凄いね。地元だと暗くなるこの時間には、こんなに人がいないと思う」


「都会は電車やバスをよく使うけど、地方は車移動が多いからね。それもあるかも」


 道行くスーツ姿の大人を見ながら推測する。


 ……。


 沈黙。と言っても、私と蓮君にとって、それは嫌なものじゃない。おじさんの家にいたあの頃、蓮君と私しかいない部屋で、今みたいな時間はよくあったからだ。とくに何も話さず、本を読んだり、蓮君が持ってきた映画を見たり、窓から漏れる太陽の光で日向ぼっこしたり、ただただぼーっとしたり。もちろん最初からそうだったわけじゃないけど、仲良くなってからは、そういう時間が多くなっていった。


 だから蓮君は、私が話すのを待ってくれている。私が話しやすいタイミングで話せるように、静かに待ってくれているんだ。


 …………。


 …………。


 …………うん。


 意を決して口を開く。


「……用というほどでもないんだけどね」


 言いにくい。けれど、言わなくてはならない。言わないときっと後悔するから。



「……えっと、たぶん私、そろそろいなくなるから」



 蓮君がゆっくりと、大きく目を見開いた。静かな動作ながら、その瞳は激しく揺れていて、動揺していることがよくわかった。少しも疑問に思う素振りを見せなかったのは、きっとこの言葉の意味を正しく理解しているからだろう。私という存在を、正確に理解している数少ない一人だから。


 何かを言おうとして口を開き、そのまま塞ぐ。それを何度か繰り返して、ようやく蓮君は言葉にした。


「……それは、楓さんにとって、いいことなんだよね?」


 ――ああやっぱり。


 私は心底安堵する。蓮君はちゃんと私のことを分かってくれていた。


「うん」


「そうか。……だったら、いいんだよね?」


「……もちろん」


 今私達が感じてる思いは正しいものだ。そしてきっと、目を背けちゃいけないものだ。そうして私はまた、一歩前に進める。進んだ先でまた、みんなと笑うために。


「だから、そうなる前に言っておこうと思って。ほら、あの時もちゃんと挨拶できなかったら」


「そっか……。うん。俺もそう思ってた」


「簡単なことなのに、意外と言う機会ってないよね」


「そうだね。あの時も今も、こうして何度も会ってるのにね」


 どちらともなく笑顔になる。決して私にも蓮君にも、その表情に陰りはないし涙もない。ただ……ただ少し寂しいと思うだけ。


 見つめ合って、そして――


「ありがとう。蓮君」


「僕の方こそ。ありがとう。――」


 いつもとは違う響き。だけどそれが今の私とって、とても心地が良かった。

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