外伝8 金てんぷら
彩花は激怒した。かの有名なメロスくらい激怒した。メロスのせいで代わりに張り付けにされた親友を処刑するつもりで待っていたのにとんだ茶番に出くわして、さらには王までがち泣きして「無罪にする」とかなんとか言い出しちゃって、結局自分の出番はなく解散となり「俺転職しようかな」と考え始めた執行人くらい激怒した。……長いかな。今のナシ。漫画の主人公が悪役のボスに大切な仲間を殺されたときくらいに激怒した。……やっぱりこれもナシ。さすがにそこまでは怒ってない。ボクだってもう高校二年生。世界がままならないことは充分理解しているのだ。
――と、いうことで。
「金てんぷらーだ!」
「天ぷら? しゃちほこのことなら名古屋城だろ」
康介が変なツッコミをいれてくる。違うそうじゃない。
「てんぷらはお寺って意味だよ。あんだすたん?」
「ああ、テンプルのことか」
「そう、てんぷら」
「テンプルな。今の完全に天ぷらの発音だったぞ」
細かいことを気にする人だ。いつもならここで説教の一つでもくれてやるところだけど、残念ここは格式高い京都の地。格式の高さ故に康介を許してやろう。
広い心で彼を見逃し、再び視線を池の先へと向ける。
揺らぎのない綺麗な池の向こう側。ほとりに佇むその金金キラキラな建物は、まるで池に浮かぶ金塊だった。あれ売ったらいくらになるかなあ。ぐへへ。
「彩花、涎でてるぞ」
おっといけない。欲望が液体となって溢れ出てしまった。ハンカチを取り出して口元を拭う。
修学旅行四日目。今日は京都の街を散策だ。京都と言えば舞妓……もあるけど、京都と言えばやっぱりお寺。由緒正しき古の木造建築が立ち並ぶ古都。見て回りたいのはいろいろあるけど、まずはど定番の金閣寺へとやってきていた。
「あの金箔って剥いでいく人いないのかな」
「……剥ぐなよ」
「剥がないって」
失礼なっ。
ちなみに金閣寺とは、京都市北区にある鹿苑(ろくおんと読むのであってしかえんではない)寺の通称で、臨済宗相国寺派(漢字が多い)のお寺だ。山号(何それ)は北山。お寺の中に金閣(目の前の金塊もどきのこと)があることからこの名で呼ばれているらしい。西園寺公経(誰?)の別邸を足利義満(教科書で名前を見た)が譲りうけ、1398年頃に豪華な山荘(つまり成金の別荘)として完成したけど、その人が死んだ後は遺言により夢窓疎石(なんて読むの)を勧請開山(分からない)とし、禅宗の寺院とされた。
……と、近くの立て看板に書いてあった。振り仮名が消えかかっていて読むのに苦労した。しかしどうしてこうお寺というのは難しい漢字を使いたがるのか。ここは日本なのだからもっと仮名というものを使えばいいのに。これだから悟りを開いた坊主は……。
「忌々しげに寺を見るな」
「なんでお寺なのに金色なんだろうね。掃いて捨てるほどあるお金を自慢したかったのかな」
「それもあるだろうけど、言い方ってもんがあるだろ……」
「時の権力者はそうやっていつも民衆を苦しめるのだ」
「突然高尚なこと言うなよ」
「和尚だけに?」
「上手くないぞ」
渾身のギャグをスルーされた。図書部員としてあるまじき行為。
しかし、どうして康介はこの旅行中ボクの周りをよくうろうろしているのだろう。気が付けばそこにいるんだけど……はっ、まさかボクが迷子にならないよう監視しているとか?
方向音痴ってわけじゃないんだから別にいいのに。方向音痴なら楓さん……って、楓さんをストーカーされるのは困るなあ……。よし、このまま僕に付いていてもらおう。
「ったく。そんなに機嫌悪いなら、あの時止めれば良かったじゃないか」
ここで突然のシリアス展開をねじ込んでくるか。もう少し金てんぷるを弄るところではなかろうか。なんて思いながら康介を見ると、目が凄く真面目だった。ボケるような雰囲気じゃないらしい。せっかくこの後は金閣を前にして銀閣を弄る話を考えていたのに。
やれやれと心の中でため息を吐く。雰囲気的に、説明しないと許してくれない感じだ。
「……遥の目がね。まっすぐだったんだ」
「アイツはいつでも真っ直ぐだろ」
「猪突猛進とは失礼なっ。遥か猪に謝れ!」
「んなこといってねーよ! しかもなんで二択!?」
いいよいいよ。今のは良かった。
――さて、と。
金閣を背にして康介に向き直る。
「ボクもこんなんだけどさ。昔はいろいろとあったんだよ。やんちゃって意味じゃないよ? かなーりシリアスなこと。まっ、楓さんや遥に比べたら大したことないだろうけど」
「四条さんと遥? 二人に何かあったのか?」
ボクはその質問に微笑みだけを返す。ボクだって詳しいことは知らない。でも二人を見ていると分かる。二人には何か特別なことがあるんだ、と。
「昔のボクとさっきの遥の目がそっくりだったんだ」
そしてそれは、あの時の湊とも同じだった。
「だから止められなかった。そんだけ。はいおいしまい!」
「はやっ。もう終わりかよ」
「人のプライベートは土足厳禁」
「ぐっ、そりゃそうだけど……」
ボクにシリアス展開など似合わない。そういうのはとっくの昔に過ぎ去ったのだ。
今頃楓さん達は二人だけの大事な話をしているのだろう。そして楓さんと遥さんは今よりももっと仲良くなるに違いない。羨まけしからん。ボクだって楓さんと仲良くなりたいのに。ボクも楓さんのおかげで、湊と、そしてみんなと、今をこうして楽しくしていられるのに。
ぬぐぐ。思い出したらなんかイライラしてきた。主に嫉妬的な意味で。
楓さんと遥の仲の良さは、誰からみても折り紙付きだ。ボクに入り込む要素はない。だがしかし、ボク達の高校生活はまだ始まった……ばかりではなく、もう折り返し地点を越えてしまったけど、それでもまだまだ時間はある。そのたくさんある時間を使って、これからもっと仲良くなればいいんだ。わざわざ楓さんに昔の嫌なことを思い出させる必要はない。これから楽しいことを重ねていって、これからのボクで仲良くなれば良いんだよ。うんうん。
「頑張れ、ボク!」
ぐっと握った拳を天高く突き上げる。なんか周りの人に注目されてるような気がするけど気にしない。この髪のおかげで耐性はついているのだ。
よしっ。金てんぷらは充分見た。花よりパフェなボクとしてはもう結構。たしかこの奧に進むと茶屋があると書いてあったはずなので、早くそこにいって甘い物にありつこう。
そう思い湊達を探して周囲を見回す。うーむ。人が多くて誰一人として見つからない。電話しようか。めんどい。てだいたいボクの携帯は受け付け専門だ。電話帳には湊が登録してくれた番号しか入っていない。
目の前には康介が一人。
ふむ。
「しかたない。康介、行くよ!」
「行くってどこ――うおっ!?」
康介の手をむんずと掴み走り出す。
「危なっ! 走るなら走ると言えよ!」
「走るよっ」
「もう走ってるだろが!」
「ほんとだ走ってる!」
「白々しいんだよ!」
文句の多いヤツだ。でも、なんだかんだと言いつつ付いてくるから、ほんといいヤツだよまったく。さっきのアレも、ボクのことを気にして聞いてくれたのだろうから。
……もしかしてもしかして、康介も楓さんを狙ってるんじゃないよね? ないかな、ないね、うん。康介に限ってない。だって楓さんには蓮がいるしね。……遥という高い高い壁があるけど。壁というか迫り来る悪魔の壁。落とされたらゲームオーバー。
「ねえ康介。ボク抹茶のお団子が食べたい!」
「奢らねえぞ!」
「え~、ケチ!」
んべっと舌を出す。
「……一つだけだぞ!」
「ほんとっ!?」
奢ってもらうつもりじゃなかったのに、棚からぼた餅だ。康介は良いヤツだ。男にしておくには勿体ない。……男で良いのか。
奢ってもらうだけじゃ悪いから、ボクも何か奢ってあげよう。
「いよっ、色男っ」
「うっせ!」
康介が顔を赤くする。相手は男だというのに、不覚にもかわいいと思ってしまった。何故だろう。まあいいや。今は気分が良いし。
そっぽを向く彼を茶化すように、ボクは声を上げて笑った。
「ところで次はどこへ行くんだっけ」
「清水寺」
「きよみずでら? ……えっ、清水じゃないの?」
「清水、だ」
「またまたそんな嘘を……マジで?」
「マジで」
『……』
「飛び降りようかな」
「やめとけ」