表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部三章 楓と遥
109/132

第89話 彼女らしい

 修学旅行三日目の夜。


 平等院鳳凰堂とお茶の工場見学とお茶の正しい入れ方講座なるものを体験して、今日の宿である宇治市の旅館へとたどり着いた。昨日の奈良のホテルとは違い、こぢんまりとした木造建築の建物で、一度にたくさんは泊まれないだろうなと思っていたら、案の定今日の宿泊客は僕達だけの貸し切りだった。


 泊まる部屋はもちろん和室で四人部屋。貸し切りだから今日こそは夜中まで騒いでやると綾音さんと彩花さんが意気込んでいたけど、やっぱり葵さんと湊さんに止められ、渋々中止となった。その時何故か遥がまったく話に乗ってこなかった。それが少し気になった。


 ◇◆◇◆


「……で。楓」


 小さな声で誰かが僕のことを呼んでいる。寝起きで朦朧とする意識がゆっくり覚醒して、目を擦りながらその方向を見ると、そこには隣の布団から這い出た遥がいた。


「どうしたの遥?」


「シッ。静かに。二人が起きるだろ」


 起きる? まだ暗闇に慣れない目で辺りを見回す。まっくらな部屋に布団が四組。その対面の二つに綾音さんと葵さんが静かに寝息を立てている。


 ……意識すると少し恥ずかしくなってきた。もう女になって随分立つのに、今でもこういうのはちょっと慣れていない。桜花で結構鍛えられはしたけど……。


 でも、鍛えられたと言っても、寮でルームメイトだったのは遥と奈菜だけ。仲の良い友達と一緒じゃ、鍛えられたとは言えないのかもしれない。


「どうした?」


「なんでもない。それで、こんな時間に起こしてどうしたの?」


 部屋に時計はないから、正確な時間はさっぱり。でもカーテンの隙間から見える外は暗い。深夜であることは間違いなかった。


「行くぞ」


「行くってどこに?」


「いいから」


 よく分からないまま遥の後に続いて部屋から出た。廊下も消灯していて薄暗かったけど、一定の間隔で設置されたライトが足元を照らしていたので怖くはなかっ――じゃない、ちゃんと周囲を視認することができた。


 まだ静かに、と遥が口元に人差し指を立てる。頷いて彼女に付いていく。しばらく進み、渡り廊下を通って隣の建物に移ったところでようやく遥は足を止めた。


「いやー、こっそり抜け出すってのはドキドキするな」


「これ規則違反だよ。分かってる?」


 見つかったらお説教が待っている。別に僕が怒られるのはいいけど、遥の先生方への心証はお世辞にも良いとは言えない。見つかると遥の評価がまた悪くなってしまう。本人はそういうの気にしないのだろうけど、友達が悪く思われるというのは、僕が嫌だ。


 心を鬼にして見上げた遥を睨み付ける。が、遥はふっと笑った後、突然僕に何かを投げてきた。


「な、なに?」


 布のようなものを頭から被り視界が遮られる。少しパニックになりつつそれを手に取ると、ただのタオルとバスタオルだった。


「よし。風呂に行こうか」


 遥が廊下の壁を指差す。そこには大浴場へのルートを示した看板が貼り付けられていた。


「え、でも」


 困惑する。今は深夜。部屋にあった案内には大浴場の時間は零時までと書いてあった。今はどうみてもそれを軽く過ぎている。そもそも今日この旅館は学園で貸し切りで、お風呂の時間も夜の二十二時までと定められていた。空いているとは決して思えない。


「まあいいから」


 遥が僕の手を取り歩き出す。階段を降りて一階へ行き、まだ明るいロビーを通過して奧へ。営業終了と書かれた立て看板の横を通り大浴場へ。


 やっぱり終わってる。それなのに遥は無視して歩き続けた。


「あれ、明かりが……」


 大きく『湯』と書かれた暖簾の奧から光が漏れていた。暖簾をくぐり中に入ると、そこは空調の音だけが静かに響く、誰もいない脱衣所。煌々と輝く室内灯は、まだ営業中ですと言わんばかりに、その奧の大浴場にまで続いていた。


「消し忘れかな」


「頼んだんだよ」


 タオルを抱えてきょろきょろする僕に、遥は手近な籠にタオルを投げ込んで言った。


「入れるようにしておいてくれって」


「入れるようにって、お風呂に?」


 遥が頷いた。どうしてそんなことができるんだろう。そんな顔をしていたのだろう。遥はすぐに答えてくれた。


「よく分かんないけど、ここアタシんちのグループ企業なんだよ。ほら、入口の横に水無瀬のロゴがあっただろ?」


 水の字に川の流れをイメージした模様の入った水無瀬グループのロゴタイプ。それは水無瀬という大企業の一員であることを示すものだ。そういえばたしかに入口のところにロゴがあったような気がする。ちゃんと見てなかったから気にも留めなかったけど。


「だから親父に頼んでここの大浴場を今日だけ深夜営業してもらったんだよ。アタシ達だけの貸し切りでな」


 ニシシと悪戯っ子のように笑う。僕は驚いた。貸し切りにしたことではなく、遥がお父さんを頼ったことに。


 普段遥は両親に何かを強請ることはない。娘を溺愛している両親のことだ。遥が頼めば、多少の無理をしてでも叶えてあげるだろう。


 両親のことが好きでも、そうやって甘やかされるのが遥は嫌だった。桜花でのみんなからの扱いを見ていれば、それもなんとなく理解できた。


 だからその遥が両親に頼み事をしたことに僕は驚いたのだ。


「楓、本当は温泉に入りたいんだろ? でもみんながいるから恥ずかしくて、昨日も今日も入れなかった。そうだろ?」


「う、うん」


 遥の言うように、僕は昨日のホテルも、今日のこの旅館でも、大浴場に入ることを拒否した。どちらも温泉で内心とても入りたかったのだけど、それ以上に綾音さんや葵さん、彩花さん達と一緒に入るということが我慢できなかった。嫌らしい意味ではない。もう女になって何年も経つんだ。異性として彼女達を見ることない。単純に彼女達の裸を見ることが、そして見られることが恥ずかしかったからだ。


「だと思ってさ」


 遥がまた笑って、浴衣を脱ぎ始める。見慣れているとは言え、突然目の前で脱ぎ始めたのはさすがに驚いて、思わず目を逸らした。


 裸になった遥がタオルを片手にこちらを向く。


「アタシとだけなら大丈夫だろ?」


 女の子なんだから少しは恥じらいを持って隠したら良いのに。そんなことを思いつつ、僕のためにしてくれたことに、「ありがとう」と返した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ