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私(ぼく)が君にできること  作者: 本知そら
第二部三章 楓と遥
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第87話 浴衣のサイズは普通

「疲れたあ……」


 部屋に入って奥まで進み、障子の近くに荷物を下ろすと、へたり込むようにして畳の床に座った。


「楓ちゃん、お疲れ様。今日は疲れたね」


 口ではそう言いつつも、僕ほど疲れていない様子の葵さんは、荷物を置くと木製の机の上に用意されたポットをお湯を急須に入れ始めた。


「ほんと楓は体力ないわね。もう少し鍛えてみたらどう?」


「どいつもこいつもが綾音みたいにムキムキマッチョじゃないんだよ。今日は結構歩いたからな。楓じゃなくても疲れるっての」


「あたしムキムキマッチョじゃないわよ」


 遥と綾音さんが机を挟んで座椅子に腰を下ろす。一人だけ畳の上でごろんとするのもあれなので、畳の上を這って進み、遥の隣に座る。


「バレー部だから腕とか特にムキムキじゃないか。ほら血管浮き出てる」


「出てないわよ!」


 否定しつつも気になったようで、腕を表、裏とチェックしている。


「確認したってことは少しでも自覚ありってことだな」


「はっ。遥、騙したわね……」


 遥が明後日の方向を向いて口笛を吹く。


「まあまあ落ち着いて。せっかくの旅行なんだから」



 葵さんがお茶の入った湯呑みをみんなに回す。


「ん、これ美味い」


「さっそくお菓子を食べるのね……」


 机に用意されていた和菓子の一つが遥の口の中へ。和菓子は小さなお饅頭で、一口でなくなってしまった。


「今日は和室か」


「やっぱり旅行といえば和室よね。日本人なら畳に限るわ」


 綾音さんが座椅子を横にどけて、畳の上に寝転がる。いつになく顔がふやけていた。


「それには同意だな。昨日のホテルはダメだった」


「洋室で、温泉どころか大浴場もなかったしね」


「シティーホテルだからそれが普通だと思うよ?」


「いやいや、修学旅行にあのチョイスはだめだってことを言いたいんだよ」


「そうそう」


 遥と綾音さんがうんうんと頷き、葵さんが苦笑する。


 一日目の大阪、そして二日目の奈良の観光を終えた僕達は平城京近くにあるホテルの一室にいた。今日はここで泊まることになっている。


 遥達が話しているのは一日目に泊まったホテルのことだ。


 一日目、大阪での自由行動はあまり時間がなかったので、昼食を食べた後は道頓堀にあるグリコの看板を見て、近くのアーケード商店街や日本橋で買い物をしていたら時間がなくなってしまった。早々に切り上げると梅田駅まで戻り、クラスのみんなと合流、バスでホテルへと向かった。


 ちなみに日本橋では葵さんがパソコンの部品を取り扱うお店を何軒もはしごしたけど、僕や遥にはそれが何の部品なのかはさっぱりだった。葵さんに聞くと答えてくれたのだけど、それでもパソコンに使われる何か、ということが分かっただけで、結局葵さんが買ったいくつかの部品も、用途は分からず仕舞いに終わってしまった。まあ、パソコンの性能が良くなるパーツ、という認識で良いんだと思う。……というより、パソコンが自分で作れることを知って驚いた。パソコンはお店で買うものだとばかり思っていたから。


 話を戻し、一日目のホテルはというと、いわゆるビジネスホテルを少し豪華にしたようなホテルで、ビジネスホテルよりも少しばかり広い部屋は洋室、二人部屋だからベッドが二つ並び、小さな机に液晶テレビ以外はとくに備品はなく、扉一つ隔ててトイレとお風呂、洗面台が一緒になったユニットバスがあった。


 泊まるための部屋。まさにそんな感じのホテルだった。


「何か他に目的があるならともかく、旅行であれはなあ」


「うんうん。絶対和室。絶対畳」


「……でも久しぶりの楓と二人きりってのは楽しかったな」


「遥、何か言った?」


「いやなにも」


 いつになく二人の意見が合致してる。もちろん僕も洋室か和室かと言われたら断然和室派だ。普段住んでいるマンションが洋室なこともあって、旅行中ぐらいは和室で過ごしたいのだ。ただし、一日目は大阪だったのだから、ああいうホテルになるのは仕方ないと思う。都会のホテルは高そうだし。


「まっ、ここのホテルに期待だな。今日はちゃんと大浴場があるみたいだし。……露天風呂はないがな」


 遥が眉間に皺を寄せて、机に置いてあった館内利用ガイドを捲る。


「期待という意味では今日より明日じゃない? 明日の宇治市の旅館にはちゃんと露天風呂があるらしいわよ。しかも天然温泉で源泉掛け流し」


「掛け流しか……」


 掛け流しとは、源泉をそのまま湯船に流し、溢れた分はそのまま捨てるというもので、塩素で消毒し、再び湯船に流す循環式とは違い、源泉の湯量に余裕がないとできない贅沢な温泉の使い方だ。


「たしかにそっちに期待だな。でもなんでそんなに詳しいんだ?」


「ネットで調べたら出てきたのよ。ほら」


 綾音さんが遥に携帯電話を渡す。横から覗き見すると、和風建築のいかにも「昔からここで頑張ってます」的な旅館がサイトのトップに大きく載っていた。


「ん? これはたしか……」


「どうしたの?」


「あ、いや、なんでもない」


 遥はそう言って携帯電話を返した。お茶をずずっと啜り、座椅子に背中を預けて伸びをした。


「しっかし今日は疲れたな。近場をうろうろしただけだってのに」


「坂道を歩いたからね。あと鹿も凄かったから」


 今日歩いた長い砂利道としつこく付きまとってきた鹿を思い出す。今日は大阪から奈良に移動し、午前中に春日大社、午後に東大寺と平城京へと行ってきた。地図で見ればどれも近い位置にあるけど、それを全て徒歩でというのはさすがにきつかった。とくに春日大社へと続く道は微妙に坂になっていて、なだらかではあるけど舗装のされていない砂利道だった。舗装された道とされていない道では体力の消費が違う。もともとない僕の体力がごりごりと削られていった。とは言ってもただの道、それだけならいくら僕でもこんなにもバテてしまうぐらい疲れることはない。止めを刺したのはあの鹿だ。


 春日大社へ向かう途中、通りかかった奈良公園にはたくさんの鹿がいた。近くには露店があり、おばさんが鹿にあげる餌、鹿せんべいを売っていたので、記念にといくつか買ってみたところ、すぐさま嗅ぎ付けた鹿に周りを取り囲まれ、早く寄越せと煎餅をせびられたのだ。一頭二頭ならともかく、十数頭の鹿の群れに囲まれるのは可愛いと言うよりもとにかく怖い。噛まれそうになった間際、思わずその場から逃げ出した。しかし鹿はしつこくも僕を追いかけてきたので、遥が助けてくれるまでの間、公園内を逃げ回ることになった。


 おかげでこの有様だ。制服姿で荷物を持ったまま、朝から全力疾走できるほど僕の体は強く出来ていない。午前中から体力を削り取られ、その状態で春日大社、東大寺、平城京と回った結果、今現在の僕になってしまった。もう鹿はいいです。


「楓はよく頑張ったよ。ったく、あの鹿ときたら……」


 そう思うなら早く助けて欲しかった。何故かデジカメを持って写真なんて撮ってたし。原始林でも撮っていたのかな。


「それに引き替え、彩花は凄かったわよね。鹿に囲まれても全然動じることなく餌を与え続けたんだから」


「餌がなくなっても手をベロベロ舐められて涎だらけになってたけどな」


「本人は嬉しそうだったからいいんじゃないの?」


『手がベタベタするー。あはははー』なんて笑ってたっけ。ある意味凄い。


「その彩花達はどこの部屋にいるのかしら?」


 今この部屋にはD組の僕と遥、葵さんと綾音さんがいる。和室の四人部屋だ。今日はこの四人でここに泊まることになっている。


 あれ。そういえば女の子と同じ部屋に泊まるのって、遥以外だと初めてなんじゃ…………考えないようにしよう。うん。


「B組は一つ下の三階だな。階が違うから夜中集まるにはどうしたらいいのか……」


「夜中に集まるって、まさか彩花さん達とここに集まって何かするつもりなの?」


「ええ、そうよ。定番でしょ?」


 当然という風に綾音が言う。夜中に部屋を出るのはダメだって先生が言っていたような……あ、だから悩んでいるのか。遥と綾音さんは規則を破る気なんだ。


「見張りをどうするか……ってそうだ。携帯で連絡を取れば良いんだよ。あとは結菜あたりに協力してもらって――」


「規則違反はダメだよ」


 さすが葵さん。規則違反にははっきりとノーといえる優等生。


「まあまあ。せっかくの旅行なんだ。少しぐらい破って遊んでも良いだろ?」


「そうそう。ただ寝るだけなんて、勿体ないとは思わない?」


「ダメ」


「外出するとまでは言わないからさあ」


「ダメなものはダメ。外出なんて絶対ダメ」


「じゃあホテルの中なら――」


「ダメ」


 葵さんが両手を胸の前で交差させてバツを作る。取り付く島もなく、ちぇっと遥は口を尖らせた。綾音さんも不満そうだ。


「わざわざ夜中に会う必要あるの? 明日も朝早いのに。起きられなくなったらどうするの?」


「そうだけど、さわざわざそうするのが楽しいんであって……なあ?」


「ねえ?」


「そうかな。私はそうは思わないけど」


 そうだそうだ。規則を破って遊ぶなんて、きっと罪悪感で楽しくない。それに――


「楓、さっきからなに頷いてるのよ」


「葵さんの言うことはもっともだなって」


「……楓、こっちを見るな」


 思い当たるふしがあるらしい遥が僕から目を逸らす。それはそうだよね。今朝の遥を起こすのに、どれだけ僕が大変だったか。


「どちらにしても、集まるのは無理だよ。ちゃんとあっちにも言ってあるから」


 葵さんが携帯電話を手に持って微笑む。ディスプレイには通話中の文字が見えた。相手の名前は『新階湊』。


『お姉さんが明日起きられなくなるから、ダメよ』


「どう?」


「……分かったよ」


 遥と綾音さんががっくりと肩を落とす。電話の向こう側からも『えぇ~! 楓さんのところ行きたかったのにー!』と叫ぶ彩花さんの声が聞こえた。


「夜に話したいなら、別に私達だけでも良いでしょ?」


「そういうのは人数多い方が面白いんだがなあ……しょうがない」


「遥、あんたなんか聞き分け良くない?」


「アタシは楓と話すのが最重要だからな。無理なら無理でいい」


「相変わらずの楓、楓ねぇ……」


 綾音が半眼を遥に向けるが効果は無し。


「彩花ともっと話してみたかったけど、葵がこう言うんじゃ諦めるしかないわね」


「それでよろしい」


 葵さんが腰に手を当て、えっへんとふんぞり返る。それはいつもの葵さんとは違う感じで、少し面白かった。


「まあ、とりあえずその話後にして」


「あんた諦めてないのね」


 遥が立ち上がり、両開きの開き戸を開ける。中をごそごそと漁り、取り出したその手にあったのは浴衣だった。


「そろそろ浴衣に着替えようぜ」


 四人の浴衣を机に並べる。薄い青の生地に白で金魚か鳥のような抽象画と棚引く霞のような線が描かれた浴衣だ。


「お、一つだけ大があるな。これアタシな」


 サイズの大きい浴衣を遥が取る。


「あんた以外に着る人いないでしょ」


「綾音は?」


「あたしは中で大丈夫」


 綾音さん、葵さんと浴衣を取り、最後の一着を僕が取る。サイズは葵さん達のものと一緒だ。一般的なサイズと思われるそれを広げて体に当ててみると、僕にはちょっと大き――いことはないたぶんぎりぎりちょうどのサイズだった。ちょうどじゃなくても帯のところでなんとかすれば大丈夫。うん。浴衣はフリーサイズみたいなものだからこれくらいは誤差だ。わざわざ小さいサイズに交換してもらう必要なんてない。ホテルの人の手を煩わせるのもあれだしね。


「お、楓。小さいサイズの浴衣があったぞ」


 開き戸の奧からさらにもう一着の浴衣が現われる。遥からそれを受け取り広げてみると、僕にぴったりのサイズだった。デザインも遥達と同じものだ。


 ……良かった。子供用とかじゃなくて。

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